第1話くま耳と俺
あの日、あの時、あの公園を通らなければ、あんな奴に会う事もなかっただろう……。
近道する為に、普段通らない公園を突っ切っていた俺に、少女が立っていた。
俺は少女の風貌に呆然としてしまう。
可愛らしい顔立ちに、近くの女子高の制服に、月のペンダントをした少女。
と、ここまでなら普通だ。
では、何に呆然としたか?
それは少女の頭に付いているくま耳だ。
しかも、何だかピコピコと動いている。
えっと、もしかして、本物……?
俺は瞬間的に察した。
関わってはいけない、と……。
「……」
見なかった事にしよう。そう決めた俺は、少女に目を合わせる事なく目の前を通り過ぎる。
「そこのお前」
作戦失敗。
俺はものの見事に声を掛けられた。
それでも、俺は聞こえないフリをする。
「うりゃ」
「ぐはぁっ!」
「無視するとは良い度胸だ」
と、いきなり少女が横殴りに拳を振るう。
俺はなす術なく吹き飛ばされた。
何だ、こいつ!?
熊気取りか!?
「何しやがる……」
「追われているんだ。助けてくれ」
「助けを求める奴がやる事じゃないだろ!」
何とか身体を起した俺は、威嚇するように低く唸る。
少女は大して気にした様子はなく、アッケラカンと返した。その態度に思わず、俺は叫んでしまう。
「て……追われてるーーーっ!?」
少女の言葉に、俺は我に返える。
まずい奴に関わってしまった。
今からでも逃げられないかなぁ……。
「はっはっは。見つけたぞ、裏切り者め!」
「……ッ!」
突然、上空から野太い声が聞こえてきた。
見上げると、木の上にハゲ頭にウサギの耳を付けたメイド服の親父が立っていた。
うわぁ、また変な奴が増えたよ。
「あれが、お前を追ってきた奴か?」
「いや、通りすがりの単なる変態だろう」
「ええーーーっ!」
あっさりと否定した少女に、変態親父は顎が外れんばかりに愕然として落ち込む。
「物凄くヘコんでいるみたいだけど……」
変態親父、何だか木の上で『の』の字を書き始めたぞ。
あっ!
バランスを崩して、落ちてきた。
「うぅ……」
うわぁ。
シクシク泣き始めた。
何だか、可哀相になってきた。
俺は変態親父に同情してしまう。
「というか、あんた何者だ?」
「良くぞ、聞いてくれました」
待ってました、と言わんばかりに変態親父は目をキラーンと輝かせて、何やら可愛らしくポーズを決める。
その姿が目茶苦茶キモい。
「私は悪の秘密組織『ラブリーアニマル』の怪人、猫男だぴょん」
「いやいやいや。語尾とか姿とか、どう見ても兎だし」
「細かい事は気にするな。ハゲるぞ」
「ハゲに言われたくないわっ!」
「ウザい」
「ぐはぁっ!」
堪えられなくなったのか、いつの間にか背後に回っていた少女が、変態親父を思い切り殴り飛ばした。
うわぁ……口とか鼻から噴水みたいに血が吹き出してる。
しかし、怪人だと名乗った親父は、不敵な笑みを浮かべて、ゆっくりと立ち上がる。
「ふっふっふ。効かんな。何故なら、私はドMだからだ!この程度、むしろ快感だ」
ダメだ、こいつ……。
人間としても怪人としてもダメだ。
俺は眉間を押えて、深々とため息を吐く。一方、猫男は高笑いを続けている。
と、少女がまたもや殴り付けた。
「はっはっは。効かぬわ」
「……」
「はっはっ……」
「……」
「はっ……」
「……」
何度も無言で殴り付ける少女に、最初は余裕の表情で笑っていた猫男だったが、段々とヤバい感じになってきた。
「ちょ……待っ……痛っ!」
「……」
さすがに、殴られ過ぎて痛みが快感を上回ってきたらしい。
猫男は必死に、制止の言葉を言っている。
しかし、少女は手を弛めない。
そのうちに、猫男がピクリとも動かなくなっていた。
「……」
「……」
猫男、完全沈黙。はっきり言って、言葉では言い表せない状態である。
「えっと……俺、急用があるんで、先に帰るから」
「待て」
俺は片手を挙げて、その場から逃げ出そうとするも失敗。
少女が俺のシャツを掴んでいた。
「いや、追手は返り討ちにしたから、もう大丈夫だろ?」
「取りあえず、お前の家に泊めてくれ」
「意味分からん」
何が、取りあえず、なのかわからなかった俺は、素直に感想を口にした。
「……」
「すみません。家はこちらです」
呆れた俺に、少女は無言で拳を振り上げた。先程の惨状を見ている俺は、へりくだるしか方法を思い浮かばなかった。
脅迫だ……。
そう思いながら、俺は家へと案内を始める。
「そういえば、まだ自己紹介もまだだったな。私は月輪夕凪だ」
「俺は日向朝霧。ところで、そのくま耳は本物か?」
あんまり仲良くなりたくないのだが、名前を名乗られては名乗り返さなくてはいけないだろう。
ついでに、耳の事を尋ねてみる。
「本物だ。何なら触ってみるか?」
「……いや、遠慮しておく」
くま耳に興味を惹かれるが、少女の耳に触れるのは、何だかちょっとエッチな気がして躊躇われた。
「そうか。お前はエロい事を考えているんだな?」
「うおっ!何故かバレてる!?」
思考を完全に読まれて動揺した俺は、ついつい本音が口から飛び出してしまう。
「お前は分かりやすいな」
表情を崩して、夕凪はクスクスと笑う。
その笑顔は今までの凶暴さはまるでなかった。
「これから、よろしく頼む」
「ああ。よろしくな」
だからこそ、この時、こんな事を言ってしまった。
そう。
この時、油断しなければ、あんな事には巻き込まれなかったに違いない。何はともあれ、俺とくま耳少女の奇妙な同棲が始まった。