プロローグ:冷たい女
目が覚めると、そこはどこか小屋のようだった。
古い木造の家屋。窓から見える外では吹雪が轟々と降っており、小屋を揺らしている。
暖炉には氷ついた薪が重ねられていた。
「ここ……は……」
起きあがろうとする体にはいくつも布が被せられており、重たくて動きにくい。
それを無理して剥いでいく。一枚剥いでいく毎に寒さが体に溶け込んでくるようだった。
「あまり剥ぐでない、ここはそなたには寒いぞ」
声をかけられた。驚いてそちらに向き、人生で初めて我が目を疑い、そして声を失った。
そこに居たのはあまりにも美しい、触れれば溶けて消えてしまいそうなほど儚い雪のような女性がいた。
透き通るような黒髪に、澄んだ空のような瞳。そして、まるで何かを描く前のキャンパスのように色がない白い肌。この寒い小屋の中で薄い白の着物を着ている。
「そうじろじろみるでない、凍えるぞ」
冷たい声に我に返る。
とにかく重ねられている布から這い出て、座り直す。床からも冷たさが伝わってくるようだ。
「私の名前は津村夏といいます。あなたが助けてくださったのですか?」
津村は今日山登りをしていた。その途中から大雪が降り始め、あれよという間に吹雪となり遭難していたのだ。
「違う」
女性の返しは簡単なものだった。そして溜息をつくように答えた。
「そなたが、ここへきたのだ」
思い出すと、前後も不明瞭な吹雪の中闇雲に歩いていると小屋を見つけ、そこで吹雪が収まるのを待とうとしていたのだ。その際薪を付けたつもりだったのだが。
「すまぬ。消そうとは思わなかったのだが火は消えてしまった。変わりにわらわの着物を被せておいたのだが、なに女の家に勝手にあがりこんだのだ、それくらいは許せ」
よく見ると剥いだ布はどれも着物だった。
「これはすいません!」
「構わぬ。それより、もうすぐ夜明け。そうすれば吹雪も止むであろう。早々に山を下るが良い」
「あなたはここにいるので……」
はっとなり気付いた。女性が来ているのは薄い着物一枚、例え小屋の中でも寒さで死んでしまうような服装だ。
使っていた着物を何枚かつかみ取り女に駆け寄る。近づけば近づく程寒さが増す気がしたが、そんなことに構っている暇はない。
そして着物を被せる。
「ありがとう」
女は被せられた布を取り、綺麗に折り畳んだ。
「だがいらぬ。今は暑すぎる」
「だけど!」
そういって女の手を取り、反射的に手を離した。
信じられないことに、女の手はこの部屋のどこよりも一番冷たかったのだ。
「驚かせてしまったな。どうだ、冷たいだろう、わらわの手は」
「そんなことは! ……でも、これは」
「知らなくてもよいことじゃ。さ、夜が明ける。ここを去れ」
窓を見ると吹雪はもう止んでいた。
女は津村を押して小屋の出口へ案内する。
「ここを下れば小川がある。それを下っていけば町につけるじゃろう。もう遭難するでないぞ」
そう言って突き飛ばすように津村を小屋の外にだす。転んでしまったが、雪の上で痛くはなく、冷たさだけが体を襲う。
すぐに起きあがり、顔を上げるが、女はもう小屋の中へ入ろうとしていた。
「な、名前! あなたの名前を聞かせてもらえませんか!」
ここでこれを聞いて置かねばもう会えない気がして、咄嗟に叫んでいた。
女はしばらく止まっていたが、ゆっくりと振り返った。
その姿は儚く、まるで幻を見ているかのような感覚になった。
「もう忘れてしもうた。が、名乗られて名乗らぬのはいささか気が引ける」
そう言って、少し寂しそうな顔をして続けた。
「そなたらはわらわのことをこう呼ぶ。雪女、と。」
小屋は閉じられてしまった。
※IFルート
すぐに起きあがり、顔を上げるが、女はもう小屋の中へ入ろうとしていた。
その儚い姿を目に焼き付けてしまった。
小屋が閉じる。
津村がその白い女性に出会ったのは、これが最初で最後であった。