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〇一

残酷描写あり。

耐性の無い方は注意です。


 

 空は清々しい蒼天だった。が、処刑場だけが淀んだ空気に包まれ、うそ寒い禍々しき異様を振りまいている。


 「ほ、本当にわしゃ知らん。わしじゃない。信じてくだせぇ」


 禍々しい処刑場の空気を切り裂くように、男の声が虚しく響いた。

 

 やがて縄で縛られた声の主が、役人二人に引きずられながら刑場に現れる。処刑場の異様な空気に、一層狼狽した男だが、中央に連れて行かれて座らされた。男は狼狽して暴れるので、役人も抑え込むのにも一苦労している。男の名は弥吉やきちと云う三十絡みの罪人だった。勤め口から盗人を働いた罪で罰を受けるのだ。なんでも、働き口の呉服屋から五十両の金子を着服したとのことである。


 「信じてくだせい旦那。わしじゃないんです」


 ――拙者達に訴えてもしかたがなかろうに――役人、吉岡角之進よしおかかくのしんは、そう思いながらも必死に訴える弥吉を抑える手を、決して緩めなかった。


 「わしは盗んどらんです。もう一度お取調べを」


 弥吉はなおも無実を訴えている。


 角之進は弥吉と顔見知りだった。妻の着物を少ない予算で仕立ててもらった時に、少なからずお世話になったのだ。その時は親身に接してもらい、「少々古いものですが」と、奥から上物の生地を持って来てくれて、見事予算内で仕立ててくれたのだ。その時の弥吉は親切で、とても金子をくすねるような人には思えなかったのだが……人とは表の顔と本性は違うのかも知れないと思う。


 刑場は白い天幕で覆われていて、中央には石切り場が置かれている。石切り場は黒々と血の跡を表面に染み込ませていて、その跡が異様な模様のようにも見える。そこに弥吉を押さえ付け座らせていた。天幕の端では初老の男が目を瞑り、精神統一をしている。


 「わしじゃない……わしじゃないんです」


 弥吉は悲壮な目で、自分の無実を訴えていた。角之進はもう何を云っても無駄だと思うのだが、弥吉には伝えない。必死に訴える弥吉から顔をそむけて空を見やった。


 雲一つない真蒼な空だった。


 晴れの空を眺めると、心が落ち着いた。仕事柄、いつの時でも心は晴れない。そんな角之進の心に、青空は安らぎをくれた。――正直、今の仕事を続けたくはなかった。……だが拙者は痩せても枯れても武士なのだ。世の中には食べていくことの出来ない浪人は数多あまたいる。禄があるだけまし――とは思うのだが……。


 背後に急に寒気を覚えて後ろを見やると、先ほどまで天幕のすみで精神統一していた男が背後から歩いて来て、弥吉の傍らに立った。男の名は山田浅右衛門吉時やまだあさうえもんよしとき。首切り人だ。角之進はこの男が怖かった。いや、恐ろしいという方が正しいのかもしれない。


 吉時は弥吉を冷めた視線で眺めていた。その目を横から見ていると、その冷めた視線がいつか自分に向けられることがないように、祈らずにはおけない角之進だった。


 「おぬしが盗んでないなら、誰の仕業じゃ」


 浅右衛門が哀れな弥吉に尋ねた。


 「そっ……それは……判りませんよ」


 「では、おぬしが罪を償え」


 「なっ……なぜで御座りますか」


 「奉行様が決めたからじゃ」


 「……」


 浅右衛門がきつい口調で云うと、弥吉は一瞬言葉を失い、口をぽかんと開けて浅右衛門を見上げていた。やがて何かを決意したかのように、弥吉は口を閉めて眉を吊り上げて怒りを顔に現した。


 「お前を呪ってやる。――たとえ首を切り落とされても、執念でお前を末代まで恨んで、祟ってやる……」


 弥吉の言葉に浅右衛門は笑みを浮かべた。


 「そうか。そう云う強い思いがあるならば、切り落とされた首で自分の草履ぞうりくわえてみよ。それが出来たなら、お前の話を信じよう」


 弥吉は浅右衛門を睨み付けた。顔は高揚しているのか、真っ赤にふくれあがっている。暫く睨みつけたのちに、覚悟を決めたのか、弥吉は自ら首を差し出した。


 角之進は安堵する。どうやら押さえ付けなくとも、刑を執行出来そうだと。同僚の宇賀木左門うがきさもんを見ると、安堵したのかのように溜息を吐き、額の汗を腕で拭っていた。普段刑の執行は見ないようにしている角之進は、浅右衛門と弥吉が交わした会話が気になり、弥吉の末路を見さだめようと注視した。


 首切り人、浅右衛門が刀を上段に構えて、弥吉の首に狙いを定めた。


 「ていっ」


 掛け声とともに、空を切り裂き、浅右衛門の刀が振り落とされる。


 白刃が煌き、首の骨を砕く鈍くて嫌な音が一瞬響いて、弥吉の頭が前方に弾け飛んだ。その刹那、切り落とされた頭は毬のように地面に弾き返されて、首の無い身体に転げ帰ってきた。


 ころころ、ころころ――と。


 角之進は息を呑む。まさか……本当に草履を銜えるのか。


 だが、転がり続けた頭は、僅かばかり草履までには足りない。


 その時、信じられない光景が目の前で起こった。


 弥吉の切り取られた頭は、上あごで地面を噛み、草履に近づこうともがいた。……が、直ぐに事切れる。途端に頭を失った首から血しぶきが舞い出した。弥吉の死に顔は地面を噛み締めて、人とは思えぬ凄まじい形相をしていた。


 ――物凄い執念を見た。と、角之進は驚く。


 たった今起きたことが信じられなかった。人の執念とは、かも凄まじきかなと左門に目配せすると、左門は身体が震えて、顔に汗を滲ませて突っ立っていた。


 「今日の首切りはお終いじゃろ。死体を処理場に運んで置いてくだされ」


 浅右衛門が告げて天幕を後にする。吉時の着衣には血一滴付いてはいなかった。


 

 西の空で太陽が燦々と照って自分の存在を主張していた。 


 角之進と左門は、全身に湧き出す汗を気持ち悪く思いながらも、死体をおずおずと運び出した。


 

      ※


 

 その日、刑はあと二件執行される。強盗殺人及び放火の罪で、いずれの刑も火あぶりの刑だった。角之進と左門は、隣の刑場に移動して、準備を滞りなく済ませて罪人を待った。やがて縄で縛られた罪人の男が二人連れてこられて、はりに括り付けられた。その罪人は角之進を怒りに満ちた目で見ていることが判るのだが、角之進は罪人と目を合わせない。顔を背ける訳ではないのだが、罪人の目は決して見ないと決めているのだ。それと云うのもこの仕事を始めた頃、角之進は火あぶりで死んで行く男の目を見たことがあった。その男は怒りの目で俺を睨んでいたのだ。その男は、

 「熱いぃ、熱いぃ、苦しいぃ、苦しいぃ」

 と、もがき苦しみながら死んでいった。


 初めて焼け死ぬ人を目の当たりにした時は、硬直して動けなかった。男が黒炭になるまで……。その夜から角之進は暫くうなされて眠れない日々が続いたのだ。そう云った教訓から、罪人の目を見ないし、刑が執行されている時も罪人の姿は見ない。顔は決して背けないのだが、見てはいないのだ。そういう技術を身に付けたのだった。


 だから先ほど見た弥吉の斬首は、久しぶりに見た処刑だった。浅右衛門が弥吉に云った「草履を銜えてみせろ」の言葉に興味が勝てなかったのだ。


 ――角之進は弥吉の最後を思い出し、身震いした。



 刑の執行の時刻なので、松明で火を持って来て、罪人が括りつけられている足元の木片に火を点けた。次第に火は勢いを増し、大きくなって炎へと変貌していく。


 熱さに苦しみながら罪人が、

 「お前を呪ってやる。絶対に呪い殺す」

 と云っている。


 その言葉が拙者、もしくは左門に向けられて放たれているものだと云うのは判る。だが、呪ってやると云われて気持ちの良いものではないが、今まで幾百と聞いてきた言葉だが、角之進は現在でも健康そのものだった。


 ――呪いで人など殺せなかろうに……と、思う。第一わしを呪う前に、押し込み強盗で人を殺め、挙げ句に証拠隠滅の為、家に火を放った自分を呪えと云ってやりたかった。


 もがき苦しみながら罪人は罪を償い、足元から焼け死んで行く。首切り場の横に設けられた磔場は公開で行われているが、面白がって集まる見物人の大半は、罪人の苦しみように最後まで耐え切れずに帰って行く。死刑の最も軽い刑が斬首で、比較的楽な刑と云えた。斬首より重い罪になると、火あぶりや磔刑などの惨たらしい刑が公開で行われる。


 何も公開しなくても良いだろうに、と、思うのだが、見せしめの罰も入っているのだと上役が云っていた。

 「罪を憎んで人を憎まず」と、うちの奉行は云っているのだそうだが、徳川幕府の罪人への罰は、熾烈を極める現実があるのだ。


 火が消え死体が十分に冷めたのを確認してから、角之進と左門は鉄鏝てつごてを火で熱して、黒焦げの死体の下腹部と目に焼き鏝を押し付ける。黒焦げの皮膚がずり剥け、生焼けの部分を晒しながら、鏝で再度焼かれて刑は終了する。


 もはや見物人は誰も残ってなかった。


 辺りに人肉が焼かれる臭いが立ち込めていたが、角之進と左門はなれた手つきで、気にもせずに死体を処理場に運んで行く。この黒炭と化した死体も、他の刑で死んだ死体も、かつて人語を解した人間だとは思わないようにしている。……そうでもしないとこの仕事はやっていけない。気が触れるだろう。


 

 太陽の光もだいぶ暮れて、暑さも和らいだ頃に、今日の仕事は終わった。この仕事は精神に堪える。人の死を常に見取らねばならぬのだから、当然ではあるのだが。それを考慮してか、勤務は一日起きである。それが少しの安心感を与えてくれる。明日は死者を見取らなくてよいのだと……。


 

 

 角之進と左門は暗い面持ちで処刑場から出て来た。太陽は沈んでいたが、辺りにはその恩恵が残っていて、最後のあがきのような薄らいだ明るさが残っている。だが、直に辺りを闇が支配するだろう。


 「今日の斬首は凄かったな」わずかに聞こえる声を左門が発した。――確かに凄い。角之進の脳裏には弥吉の凄まじい死に様が焼きついていて離れない。だが、弥吉の最後を見ても眉一つ動かさない、山田浅右衛門の凄まじさと云うか、恐ろしさを思うと、肝が縮こまる思いだった。


 「吉岡殿。宇賀木殿。お待ちを」

 と、突然声を掛けられて、角之進は身震いする。見ると、山田浅右衛門吉時が二人を追いかけて来たところだった。


 「今日の手当てで御座います」

 

 浅右衛門が金子を二分づつ二人に差し出した。

 「いつもかたじけない」

 礼を述べて二分を懐にしまう角之進。


 角之進と左門は、南町奉行同心与力下首切同心、と云う役職はあるが、位は低く、二十石取りの身分なので、死刑手当て二分がとても有り難い。実際のところ首切同心達は打ち首を行わない。打ち首を実行するのは、浅右衛門とその門弟達だった。だが浅右衛門は死刑当番には必ず、その日支給される首切り手当てを、当番の者に配っている。それもこれも斬首の役を手放したくない計らいからであると思われた。


 山田浅右衛門吉時は正式な身分は浪人なのだが、角之進がお役に付いた頃には、既に浅右衛門が全ての打ち首を行っていた。首切同心などと云う余り大きな声では云えないお役に付いても、誰も進んで人の首など刎ねたくなどはない。そんな同心達に浅右衛門はうってつけの人物だった。なんせ進んで首を刎ねたがるし、給金までくれるのだから。


 「これから付き合いませんか」

 浅右衛門はお猪口をぐいとやる仕草を見せて、角之進と左門を見た。

 「よろしいのですか」と角之進が答え、左門に目配せした。はっきり云えば角之進は行きたくなかった。この平気で人の首を刎ねる男とは、一時でも同じ空気を吸いたくはないのだ。……無論お役目以外と云うことだが。


 「山田様がこうおっしゃってるのだから、無下に断るのも悪かろう角之進」


 断ることを期待していたのに、意に反して笑顔で左門は答える。角之進は左門を恨んだ。


 結局三人連れ立って行くことになってしまった。実の所、今日は飲みたい気分だったのだが、……勿論、浅右衛門抜きでだ。


 この役職に就いて二年になるが、今日の弥吉みたいな執念を見た経験は初めてだった。弥吉の死に様が脳裏に焼きついてしかたがない。酒でも飲んで忘れたいとの思いが働いていた。左門もそう思っていたのだろう。三人は料亭へと向うことになった。

 


 芸者を五人ほど呼んで、どんちゃん騒ぎをし、一刻ほど経ったであろうか。窓から見える風景はすっかりと暗くなっていた。


 「吉時殿は祟りが怖くないのですか」


 すっかり酔いが回っていた角之進は、自分の言葉に(しまった)と思ったが、時既に遅かった。


 遊女と戯れていた浅右衛門は、しっしと遊女を下がらせて、角之進に真剣な眼差しを向けた。


 「祟りは怖いさ……」


 「……」


 まずいと息を呑む角之進。左門も黙り込んでしまった。


 「今日の罪人は凄かったな。貴殿達もさぞ肝を冷やしたことだろう」


 「なれば弥吉……罪人の祟りは気にならないのですか」


 角之進は胸に止めていた疑問を吐いた。自分も何時も罪人に同様の言葉を浴びているのだが、浅右衛門の心情を知りたかった。平気で人の首を刎ねることの出来る男の答えを。普通の人間なら祟ってやると云われた男の首を刎ねれば、とても普通では居られまいと思えるのだ。


 「あの罪人は、最後の怨念を草履を銜えるということに使い切った。だから、もうわしを恨むことは出来ないのだよ。結局草履は銜えられなかったが、あの男の怨念もそこまでだったということよ」


 浅右衛門は悟りきった目を見せた。


 「……はあ」

 角之進が気の抜けた声を出す。


 「第一わしは何百人と人を斬って来たが、健康そのものよ。怨念では人は殺せんと云うことだな」


 「では、怨念だとか祟りだとかは存在しないと云うことですか」


 自分でも何をむきになっているのかとは思うのだが、聞かずにはいれなかった。


 「怨念や幽霊……はあるだろうな。ほれ、吉岡殿の右横に、今日の男が座って、わしを恨めしそうに見つめとるわ」


 飛びのいて右を見る角之進。……が、何も居なかった。


 「はははははっ」と、吉時は笑って、「ちと悪ふざけが過ぎた」と謝罪した。だが、角之進は一瞬、弥吉の恨めしい顔が見えた……ような気がした。


 ――忘れよう。忘れるのだと思い、角之進は酒をあおった。

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