空
この作品に固有名詞は一切登場しません。
登場人物を含めて名前はついておりませんのでご注意ください。
抽象的すぎるものが苦手な方、お出口はあちらで~す!
「真っ青な空なんて大っ嫌いだ。」
彼女がそう言うのを、私は以前耳にしたことがある。
私が理由を聞くと、彼女は少し言い難そうに、その訳を教えてくれた。
「真っ青な空とか、抜けるように青い空とか、綺麗な空として出てくる空を、私は好きになれない。私にとってそういう空は、何もなくて、ただそこにあるだけの虚しいものに見える。それだけじゃなく、見ていて寂しくなる様な感じがある。だから私は真っ青な空なんか大っ嫌いだよ。」
それならばと、曇り空のように雲で埋め尽くされたような空ならいいのかと私が聞くと、彼女はそれも違うといった。
「いろんなものが犇めき合ってる空間も嫌いだな。そんなのは、見ているだけで息が詰まりそうになってくる。」
ならばどんな空なら良いのだろうか?
私がそれを訊ねると、彼女は今度は笑いながらこう言った。
「悪いな。私は空が嫌いなんだ。快晴の真っ青な空も、曇って重く淀んだ空も、色彩としては綺麗でもただそれだけと言ってしまえばそれまでの真っ赤な夕焼け空もな。」
夜空はどうなのだろうか?
それを聞くと彼女は、一瞬悩み、そして答えた。
「好きとは言えないな。星が詰まった空も、星も見えない空も、底抜けにどこまでも続いていることがありありと分かるあの感じが嫌いかな。」
結局嫌いなんだ。
私がそう口にして笑うと、彼女も笑って答えた。
「そうだな、そうみたいだ。今までそんなこと深く考えてもみなかったが、どうも私はコウショ恐怖症の気があるな。」
高いところが苦手だっただろうか。
そもそも今の話と関係があるのかとも思い、私が訊ねたとき、彼女は腹を抱えて大いに笑った後でこういた。
「コウショって言ったって、高い所じゃなくて広い所だよ。ま、高い所も嫌いだけどな。」
なるほど、私の聞き間違いか。
だとしてもそこまで笑わなくてもいいのではないか?
私が文句を言ったら、何がそんなにおかしいのか、またも彼女は笑っていた。
私の顔がみるみるむくれていくのを見て、彼女はなおも笑ったまま謝った。
「悪い悪い。なんか面白くてな。そういやここまで、私の嫌いなものしか喋ってないな。好きなもののこともなんか言っとくか。」
好きなもの、か。
そういえばその時まで、私は彼女の好みについて何も知らなかったのだ。
一体彼女は何が好きなのだろうか。
私が先を促すと、彼女はひとまず空の話からと前置きをして話し出した。
「私はさっき言ったみたいに空は嫌いだ。でも、私は夕焼け空は嫌いだけど、夕日に照らされた建物やなんかは嫌いじゃないし、夕焼けと空の境界の紫がかった色は割と好きな部類に入るんだ。ややこしい奴だな、私も。」
好みなど人其々、それでいいだろうに。
私がそれを伝えると、彼女はどこか安堵した様子で続けた。
「ま、それもそうか。あと好きなものと言えば、薄暗くて狭い場所かな。落ち着くんだよなあ、ああいうところが一番。」
猫か。
思わず私はツッコんでしまった。
すると彼女はとても楽しげに顔をほころばせ、こう言った。
「よく言われる。私自身ネコ科の動物には軽く同族意識に似たものも持ってるしな。そういや大型のネコ科も結構好きだな。可愛いし、美しさも持ってるよな、あいつら。」
その後も、別れ際まで随分と下らない会話を続けたものだ。
わざわざこんな会話を思い出したのにはもちろん理由がある。
彼女が今、私の目の前でこう言ったのだ。
「真っ青で綺麗ないい空だ。気持ちいいし、良い日だなあ。」
その言葉を聞いた瞬間に、以前空を嫌いだといったことを思い出し、記憶の糸を辿っていたのだった。
「え?前に嫌いだって言ってなかったっけ?真っ青な空。」
前言を撤回するなど彼女らしくもなかったので、私はすかさず訊ねた。
「ああ、そういえばそういう時期もあったな。人の考え方なんて、案外ちょっとしたことで変わるもんだぞ。そうそう深い所にあるものでもない限りな。」
ずいぶんと年寄り臭いことを言う。
まだそんな歳ではないはずだが。
それよりも、だ。
「好き嫌いが変わるなんて、何が起こったの?そんなに変わり易いものでもないと思うんだけど。」
「まあ、色々あってな。」
私の問いかけに、彼女ははぐらかすように答えた。
私としては、結構気になることだったので、それでは納得がいかない。
「色々って、何があったのさ?暈されると余計気になるんだけど?」
何度か質問を繰り返すと、彼女はようやく話す気になってくれたようだ。
ただ単にこれ以上私の問いをはぐらかすのが面倒だった可能性もあるが。
「そんな大したことはないよ。ただ、最近読んだ小説のインパクトがあまりに強くてな。それにかなり影響を受けたんだろう。」
「そんな影響受けやすい性格してたっけ?」
私の印象としては、彼女はかなり我の強い、芯の通った性格だったのだが。
「自慢じゃないが、影響を受けてもそう簡単に変わる性格はしてないな。ただ頑固なんだって話もあるが。」
やはりそうだったか。
口にこそ出さなかったが、顔には出ていたらしく、彼女は私を軽く睨みつけた。
「あ、すまんすまん。睨んでたか?そんな謝ることでもないから気にすんな。」
私が笑いながら謝ると、彼女には睨んでいる自覚がなかったらしくこう言った。
「じゃあ気にしない。それよりどんな衝撃を受けたのかが気になるかな、私は。」
話を元に戻すと、彼女はどうにも話しにくそうな、複雑な表情になった。
「話したくないなら、無理に言わなくても…」
「そうじゃないんだ。ただ、なんていうか簡潔に説明できる言葉が見当たらないっていうか。そんな感じなんだ。だからって、全部話すとかなり長くなりそうだしな。」
嫌がるのを無理に話させてもと思ったが、どうもそうではないらしい。
「長くても私は構わないよ?聞くのは苦手じゃないし。」
「そう言ってくれるのは有り難いんだが、私が長話をするのが苦手なんだよ。」
私はかなり気になっていたので、話の先を促すつもりでそう言ったのだが、あまり話したくはないようだ。
そう思って少し黙っていたら、強いて言うとしたらという前置きの後で、彼女は何があったか話してくれた。
「あれは戦争を描いた小説だったんだが、そのメインヒロインは青い空が好きだったんだ。いくらなんでもそれだけじゃ好みが変わることはないよ。でもな、戦いの中で彼女が死ぬ間際、主人公が『空が真っ赤で、きれいだよ。』って言ったのに対するそいつの台詞が、頭から離れなくてさ。あいつは言ったんだ、『真っ赤な空なんて大嫌いだ』って。もしかしたら私の深読みのし過ぎかもしれないが、あいつはたった一人で戦ってきたこれまでの人生の中で、青空だけを、いつまでも無くなることなんてない青空だけを友として生きてきたんじゃないかって思えたんだ。それほどまでに、彼女は孤独に生きていたんだ。そう思った瞬間、なんだか泣けてきてさ。そのあと最後まで読んだはずなんだが、二週目を読んだときに、全然覚えていなかったんだ。それだけ、その文章のインパクトが強かったんだろう、私の中ではな。それからは、私が見ることさえ嫌がっていた大嫌いな空が、とても美しく、掛替えの無いものに思え始めたんだ。青空や夜空を見て、こんなにも美しかったんだって改めて思ったときは、かなりの衝撃だったな。今思えば、空が嫌いだった私は、大きく、どこまでも広がる限りの無さに嫉妬しているだけの、ただの子供だったんだろう。今の私が大人だってわけじゃないが、それを妬むんじゃなく、純粋に憧れるようになったっていう点じゃ、あの時よりもマシになってるんじゃないかな。ま、希望的観測がだいぶ入ってはいるんだけどな。」
彼女が話し終わった時、私は言葉が出てこなかった。
笑うなんてとんでもない、むしろ感動するほどだった。
「すまん、つまんなかったよな。人が勝手に感動した話聞かされても。」
「あ、そうじゃないんだ。ただジーンときちゃって。ごめん、勘違いさせちゃったね。」
私の沈黙を取り違えた所為で彼女が謝ることになってしまったので、慌てて否定する。
「その小説、私も読んでみたいな。今度貸してくれない?」
「ああ、じゃあ今度持ってくるよ。好みは出ると思うけど、私はいい話だと思うな。」
彼女がいい話だというのは大体かなりいい話だ。
楽しみに待つとしよう。
「そういえば、戦争の相手は人間じゃないとはいえ、大分グロいぞ。大丈夫か?」
「う…ん。大丈夫だよ?多分。」
ものにもよるが、描写を読んでいて体が痛くなる様な感覚に襲われることがあるので、自信はあまりない。
まあ何とかなる、かな。
なるといいな。
まあ覚悟はしておく。
「多分か。まあいいや。読んで苦しめばいい。」
「ひどい!?」
そんなギャグ漫画のような会話を後に、彼女とは別れた。
私は帰るだけだが、彼女はこの後用があるらしい。
一人で帰る道すがら、ふと目をあげると、真っ赤な夕焼けが目に飛び込んできた。
なるほど彼女の言うとおり、青空や夜空はとても美しい。
だが、夕焼けだって捨てたものじゃない。
これはこれで私たちに感動を与えてくれるだろう。
そしてふと思った。
彼女は青空と夜空は好きになっていたようだが、夕焼けは好きになれたんだろうか。
小説の彼女に影響を受けたなら、なれていないかもしれないが。
今度聞いてみるとしようか。
好き勝手書いてるので自分でも何書いてあるのか分かりませんね。(おい
作中に登場する小説は、実際に私が最近読んだものです。
すごくいい話でしたよ。
「彼女」の言う通り、その人次第ではありそうですが。