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010:俺はただ走ってる。

「こ、こんにちはー……」


 俺は今、ユゥさんに店に来ている。もちろん、頼んだ剣を取りに来たのだ。

 しかし、ユゥさんに会うと言うだけで昨日の“出来事キス”が頭に浮かんでしまい、顔が火照り、心臓が速音を打った。そんな状態でした挨拶は、予想どうりと言うか……、どうしてもつっかえたものになってしまった。

 それに対してユゥさんは……


「あ、イル君いらっしゃーい。剣できてるよー」


 ……という、何とも軽いものだった。


 あ、あれ? 昨日キ、キスって夢、じゃないよね……? 


 思わず、心の中でそう呟いてしまうほどだった。そこで、少し……というか結構ストレートに聞いてみる事にした。


「あ、あの昨日の……その……、キ、キスってどういう意味なんで―――」


「あっ、あれは今出さないでおいてーーっ!」


 最後までいう前に被せられるようにいわれてしまったその言葉が、俯いたユゥさんの綺麗な朱色に染まった頬が、昨日の事が夢なんぞでは無いという事実をハッキリと告げていた。

 俺の鼓動はやはり速くなるばかりだが、ユゥさんがこの話題を出さないでおいてくれと言うのだからそれ以上は口にしなかった。

 少しづつであるが顔の熱が引いてゆき、いつものようになっていくのが分かった。


「は、はい。これ、頼まれた剣とあまった素材アイテムね」


 少し上ずったその声と共に俺の目の前に、ヴゥンと小さな音を立て表れたトレードウィンドウの中には、デフォルメされた俺の新たな愛剣と、余ったらしい〈闇氷の銀魔狼(ダーク・フェンリル)〉の素材(どれほど必要か作るまで不明だったので、多分に渡しておいた)が収まっていた。

 素材の中でもレアアイテムがほとんど無くなっていた事に少し驚く。しかしそれと同時に、新たな剣への期待も高まっていった。

 俺もそこに、昨日のうちに聞いていた分のお金を入れ、トレードウィンドウの『Yes』の文字を押し込む。


 その瞬間、目の前にあったウィンドウは消え去り、俺のアイテムボックスの中に全てが収まった。


 俺は慣れた手つきでステータスウィンドウ等を操作して、新たな剣を『武器』の欄に装備した。その際に、ステータスウィンドウに何か見慣れない、違和感のようなものがあった気がしたが、今は剣の方が優先なのでスルーしておくことにした。



 数秒すると、それまで何も無かった腰に新たな重みが加わるのが分かった。



 俺は、腰に収まっている今までのものより重いそれを、静かに抜き払う。

 シュラァァン……、と清らかな水面みなもを連想させたしっとりとした声音の主を、俺は目の前に持ってくる。その刀身に小さく触れ、名前を呼びだす。



 その名は、《クライファング》。


 ―――和訳すると《泣く牙(クライファング)》、だろうか。いや、《哭く牙》か……。



 俺は手に持った剣をもう再度詳しく見た。…………正確には、その幻想的な姿に惹き込まれてしまった。


 その剣は片手剣にしては少し華奢だ。これまで持っていたものより一回り細く感じる。しかし、それを上回るように長く、重たい。命なんて無い筈なのに、それは命の重みに感じた。


 その剣は『牙』と称されてはいるが、野を駆ける獣たちが持つ『牙』のような荒々しさ、闇に巣くう悪魔の持つような『牙』のような禍々しさ、―――そんな物とはかけ離れている。


 その剣はひどく、ひどく神聖な、濡れた様な銀色をしていた。


 しかし、その銀色もどこか違う気がする。


 その銀色は空の様に澄んだ水の色にも見え、何とも不思議な輝きを持っていた。

 どうにか言葉にしようとするのであれば、そう―――、


 



 ―――――それは涙の色だった。 





 その涙色の剣を俺は見つめる。

 

 胸の奥から唐突に悲しみがあふれた。



 

 理由なんてない、ただ―――、悲しい。



 

 山奥の泉のように、清らかな、悲しみが湧き出る。 




 ―――――気がつけば俺は泣いていた。






 その剣の名のように。静かに。









   ◆◆◆





「……い、イル君? …………どうしたの?」


 涙を流し、放心していた俺はその声ではっ、と我に帰る。


 泣いていたのはどれだけの時間なのか。数秒間にも、数分間にも、数時間にも、数日間にも感じたようだった。


 その剣は俺の時をも狂わせていた。


 しかし、ユゥさんが声をかけてきたのだからそれほど時間は経っていないのだろう。

 未だに心配そうな顔で俺のことを見つめるユゥさんに、「大丈夫です」と言って、頬を静かに流れる涙をゴシゴシとコートの袖で拭う。するとそこで、ピタリと涙が止まった。まるで涙の蛇口を閉めてしまったかのように。

 

 俺は改めてユゥさんの方に向き直り、気がつく。


 涙を流しているのは俺だけであるという事に。

 悲しみを感じているのは俺だけであるという事に。


「でも、急に泣いたりしてどうしたの……?」


 と、そこでユゥさんがそう問いかけてきた。当然の質問だろう。俺が逆の立場だったら、同じ事を問いかけていたはずだ。

 しかし……、どうやって答えたものか、と数瞬の間悩んだあげく、結局ありのままを答えた。―――理解されるかは、別として。 


「―――悲しく、なったんです」


「悲しく?」


「はい。この剣を見ていたら。そうしたらいつの間にか涙を流して、泣いていました」


「……それはこの剣の名前と関係があるの……?」


「わかりません。―――でも、その感情に理由なんてありませんでした。もし、あったとしても、俺には知る事の出来ない理由だと思います」


 俺はユゥさんの問いにそう返していた。前半は至極真剣に、後半は半ば自嘲気味に。『あったとしても知る事の出来ない』というのは、何故かわからないが、そう悟った。『俺には知れない』と何故か断言できてしまった。


 俺とユゥさんはそのまま、静かな、しかし不思議と嫌では無い沈黙にしばらくの間、身をうずめていた。





   ◆◆◆





「は? 『疾風様』? 何だそれ」


 今はカークの店に夕飯を食べに来ている。ユゥさんのところで剣を受け取った後、ポーション類と〈マジックカード〉類を補充したのちに来たのだが、そこでカークがニヤニヤしながらいきなり、「なぁ、『疾風様』って知ってるか?」と聞いてきたのが始まりだ。


「とあるファンクラブで使われる呼称なんだけどさ」


「ファンクラブ? そんなものあったのか?」


 俺はもぐもぐと今晩の飯を噛みしめながら疑問に思ったそれを聞いた。

 それを聞いたカークは、なおもニヤニヤしながら続けた。……いい加減気持ち悪いぞ。


「ああ、結構あるらしいぞ。それでそのファンクラブ………〈愛する疾風様の会〉は、できて一週間で会員数が四ケタを超えた、相当勢いのあるファンクラブだそうだ」


「ほほー……」

 

 一週間で四桁……本当にすごい勢いだ。

 そして俺はふと、―――というか最初から気になっていた事をカークに問う。


「それで、その『疾風様』っていうのは男なのか? 女なのか?」


「男だ」


 俺はその言葉に「なんだよぉー」と言ってテーブルに突っ伏した。


「男ってことはイケメンとかなんだろう? 興味うせるぞ、それ」


「いや、どっちかっていうと可愛い系だそうだ」


「でも結局は男だろ?」


「だけど会員の六割が男らしいぜ?」


「……マジか」


 カークのその言葉に若干頬がひきつる。

 そんなに男のファンがいるとは……気の毒なやつだ。


「そんで、その男に好かれてる不幸な男の名前は?」


 俺のその問いを、待ってましたぁっ! と言わんばかりに顔をニヤニヤとさせた。これまでのニヤニヤは、まだまだ序の口だったようだ。やっぱり気持悪い。


「その男はな、『ゲイル』っていうんだ」


「―――ゲフッ!?、ゲホッ、ゴホッ、ゲホゲホ、ケホケホ……」



 むせた。



 これまでに無いくらいに。



 だって仕方が無い事だと思う。

 どんな奴なんだろうと思って耳を澄ましていると、聞いた事のある名前―――というかこの世界に来てからずっと一緒にいた名前が出てくるとは思ってもみなかったのだ。


「な、何で俺なんだ!?」


 俺がそう声を荒げると、カークはカラカラと笑いながら答えた。


「お前さ、この前デュエルしただろ?」


「あ、ああ。それがどうしたって言うんだ?」


「気づかないもんなんだな……。お前のそのデュエルを見てたやつの大半がそこで一目惚れらしいぜ」


「はぁ!? ……でも、あそこに四桁超える人数はいなかったぞ? せいぜいいて百いればいい方だった筈だ」


「それがそのデュエルを〈録画クリスタル〉で録画してたヤツがいるらしいんだよ。それでアレ、コピーできるだろ? それで一気に広がったらしい」


「嘘だろ……」


「ちなみに俺も見たが、アレは一般人なら惚れるな」


「嘘だと言ってくれ……」


「残念。真実だ」


「男に好かれる男って………」

 

 するとカークがクックックと笑いながら俺の肩をポンポンと叩き、優しげな口調で「まぁ、がんばれよ」と言った。

 その優しげな口調がさらに俺のことを抉るようだった。


 そして俺はそのままフラフラと幽霊のように立ち上がり、店を出ていった。


 その間カークが「まいどありー」と言っていた気がしたが、それも掠れたように耳に入っただけだった。


 そして俺はおぼろけな様子で宿へと戻り、無意識のうちにベットに入り、叫んだ。



「うそだろぉぉぉぉおおおおおおっっ!?!?」





   ◆◆◆




 今俺は、走っている。



 ついさっきまでベットに入り叫んでいたのだが、心を落ち着かせるのは走るのが一番だという事を思い出して、今現在に至る。

 最近はバタバタして無心で走る事が少なくなっていたので、いい機会だとも思った。


 雨雲で濁った墨色の空の下、俺は走っている。


 暗く深い夜の樹海を、踊るように、舞うように、駆ける。

 【風迅破嵐】は使わない。音速で走っても、楽しくない。速いけれども、面白くない。


 俺はときおり、巨木を見つけると、【風迅破嵐】を使用しないで【万界疾駆】だけを使って垂直に駆け上がる。【万界疾駆】の、どこにでも立てるというのは本当らしい。

 一般的には恐怖を駆り立てられるのであろう宵闇に染まった樹海は、不思議と俺に安らぎをもたらした。


 心に溜まっていた考えたくない事が徐々に出ていき、空っぽになってゆく。


 いつもなら純粋な『走れる喜び』に満たされるはずが、今回のは少し違っていた。


 腰にある剣、《泣く牙(クライファング)》のせいか、そこに微弱ながら悲しみが混じる。


 ―――走れている。それは嬉しい。……しかし俺はいつまで走っていられるのか。


 そんな少しの、疑念にも似た欠片のような悲しみが混じる。


 しかし俺はそれを振り切るように、ただ走った。





   ◆◆◆





 どれくらい走っていたのだろうか。

 気がつくと、夜が明けていた。

 漆黒に染まっていた樹海が、清らかな炎のような朝日に照らされてゆく様は、とても神秘的だった。残念ながら現実リアルでは絶対に味わえないだろう風景に、俺は呑まれていた。


 俺は身近な巨木の根に腰を降ろし、「ふぅ……」と小さく息を吐く。別に、疲れていたわけではない。いつからだろうか、走る事に対して疲労を感じなくなったのは。

 何故か最近は走る事に対して疲れが全くない。それも“走る”行為だけ限定だ。歩く、剣を振るうなどの普通に動作は微々たる事ながら、疲労を感じる。

 と言っても、これも肉体的な疲労では無い。

 肉体的な疲労は、HPを回復すれば事足りる。しかし、それ故に精神的疲労が存在し、長時間の戦闘を無理なものにする。


 ―――筈なのだが、走る事に対しては精神的疲労さえ感じない。もともと、小さな疲労だったのかもしれないが、今はもうゼロだ。


 まぁ、その事が俺にとって不利益を生む訳でもないので、気にしない事にした。


 ゴツゴツと硬いその根に座っていると、ある事を思い出す。

 それは《クライファング》を受け取り、装備した時のステータスウィンドウに、なにか見慣れぬ違和感があった事だ。

 俺はステータスウィンドウを開き、その違和感を探す。

 するとそれは、割とすぐに見つかった。

 

 [称号]の欄に、新たな物が加わっていたのだ。


 この[称号]というのもには、俺が所持している特殊ジョブの[独走者ランナー]もそこに分類される。[称号]を得るにはある条件……例えばモンスターを計1000匹討伐だとか、初級魔法を全て覚えるだとか、そんな物が必要で、簡単なものもあれば難しいものも色々ある。


 更に[称号]には一つの特徴がある。それが、[パッシブスキル]の存在だ。

 [パッシブスキル]は、称号の一つにつき必ず一つ(多いものには三つもあるらしい。俺は見たこのが無いが)ついていて、よくあるのは『攻撃力が○○%アップ』とかそこらへんである。


 そして俺の[称号]の欄に増えていたそれは、[闇に堕ちた銀魔狼を宿す者]というものだった。下にある備考には、『《闇氷の銀魔狼(ダーク・フェンリル)》を孤独な身ながらに討ち、その身に狼を宿し者。固有スキル:闇氷の銀魔狼の真躯』とあった。

 更にもう一つ、[涙を受け継ぎし者]というもので、これの備考には『悲しき涙を受け継いだ者。固有スキル:涙の氷柱ツララ』とあった。


「…………固有スキルってなんだ……?」


 俺は首を捻っていた。

 本来なら『パッシブスキル』と表示されている筈のそこには、『固有スキル』となっていた。

 俺はなおも首を捻る。

 なんか最近は自分でもよくわからないものを手に入れたり、よくわからない出来事が起きたりする。例えば剣を見て突然泣いたりとか……―――

 

 と、そこで俺は気配を感じた。


 気配……と言ってもいいかはわからないが、似たようなものだ。俺はすぐさま〈索敵〉にスキルを発動する。

 すると出てきたマップに表示されたのは、今まで見たことも無いような、巨大な光点。しかもモンスターを現す真紅の点。

 更にそれは追い打ちをかけるように半端ではない速度でこちらに近づいてくる。そしてそれは俺の視界で捉えられる程の距離に入る。


 俺の目に映るのは、エメラルドのような輝きをもつ一匹の翼竜、《レイルワイバーン》。


 レイルワイバーンには前足が無い。正確には、翼と一体になっているのだ。

 そのレイルワイバーンは片翼だけで10メートル軽く超すであろう巨大な翼をめいいっぱい広げ、巨木によって隠れ気味の空を全て覆う。俺の周りだけが再び夜になってしまったようだった。


 俺は頬をにっ、と吊りあげた。


 こいつはこのフィールドのボスなわけだが、前走り込み中に運悪く遭っても、何とか倒せるレベルだったので、今の俺の実力を知るのにはちょうどいい相手だ。

 前に遭ったのよりも一回り大きい気がするが、この際そんなことはどうでもいい。


 俺は腰の涙色の剣に手を掛け、引き抜く。


 しっとりとしたその音色にしばし耳を傾け、そのあとに地面につきそうなくらいの下段に構える。


 今回は、涙を流すことは無かった。しかし、少しだけ悲しみを覚えた。

 まあ、これでよかったと思う。この剣を見るたびに泣いて放心していたら、戦うことなんて出来ない。


 俺はその小さな悲しみを包み隠すように、楽しげに笑った。


 空中を駆け、ワイバーンと同じ土俵に立つ。



「よしっ。新しい相棒(クライファング)の初陣だ!」



 俺がそう声高らかに叫ぶと、翼竜レイルワイバーンが呼応したように咆えた。


「グゥウゥゥゥォォォォオオオオオオォォオオオオオオオッッ!!!」


 その声と共に翼に付いた鉤爪が俺を襲う。

 俺はその鉤爪を、振り上げた右手に持つ涙色の剣で大きく弾く。そのさい、不思議な感触を俺は感じた。【風迅破嵐】は使っていないはずだが、剣が何かを纏った気がしたのだ。

 それは【風迅破嵐】の白銀の風とは違い、何か冷ややかなものだった。


 俺は弾かれ、大きく体勢を崩したレイルワイバーンの翼まで急接近し、涙色の剣を振るう。

 その時も涙色の剣は何かを纏った。冷たい、まるで氷のような何かを。 

 それを気にする時間も無く、俺は剣を振り続ける。


 鋭い槍のようになったレイルワイバーンの尾による刺突を、斜めにした涙色の剣の腹で滑らせ、回避する。


 バキ(・・)バキバキパキパキパキ(・・・・・・・・・・)ィィイ(・・・)…………


 聞き慣れないその音に、耳を疑う。

 ……いや、むしろ聞いた事があったからこそ耳を疑った。

 その音は、あれに酷似していた。―――闇色の魔狼が使う、魔法の氷に。


 剣の上を滑って俺の横を通過していったレイルワイバーンの尾をチラリと横眼で確認する。 

 そこにあるのは、深海のように深い、そしてレイルワイバーンの尾の鋭さにも負けない、紺色の氷(・・・・)に覆われたエメラルドの輝きを持つ槍のような尾だった。


「グゥゥルォォォァァアアッ!?!?」


 レイルワイバーンが苦痛に悶える。その声は困惑を含んでいた。

 それは俺も同じだった。いきなりこんな事が起きても、訳がわらからない。


 ―――いや、もしかしたらこれが[固有スキル]とやらなのかもしれない。


 [闇氷の銀魔狼の真駆]か……いやこれは[涙の氷柱ツララ]か。多分後者の『固有アビリティ』だろう。


 これは、アビリティと似ている気がするが、少し違う。

 アビリティは、本人の意思で使用するか、使用しないか選べるが、これは出来ない。完璧に自動発動オートだ。オン・オフが選べない分、使い勝手が悪い。

 

 とにかくその事は後回しにする事にして、俺は目の前のレイルワイバーンに向き直った。


 尾を氷に覆われたレイルワイバーンは、恨みがましくこちらを睨んでいる。

 数瞬した後、レイルワイバーンは何を思ったか翼を大きく広げ、更に舞い上がる。その際に起きた暴風で、俺は空中でよろける。そんな俺に見向きもせずにレイルワイバーンはそのまま速度を上げ、明後日の方向へと空を駆けた。


(逃げる気なのかっ!?)


 俺は、驚きに目を開いた。

 モンスターが逃げることなど稀だ。ましてや、ボスモンスターが逃げることなど、まず無い。……筈なのだが、目の前にレイルワイバーンは現に逃亡を図っている。 

 俺は無意識のうちに叫んだ。

 

「逃げるなぁっ!」


 一時的に体に白銀の風を纏い、音の速さで空を走り、俺はレイルワイバーンの顔の前に躍り出た。

 

「―――疾ッ!」


 俺は短く息を吐き出し、涙色の剣を水平に突き出す。

 白銀の風と濃紺の氷の、異なった二つの能力チカラを使って発動された音速の刺突は、レイルワイバーンの眉間を深々と穿ち、貫く。

 余計な破壊などしない、集束された無駄のない完全なる刺突。


 ―――しかし、異なる二つの能力チカラを纏ったその突きは、それだけでは止まらない。


 バキィィィインンッ!


 硬質な何かが壊れるような、そんな轟音と共に、



 ―――――氷の華が咲いた。



 レイルワイバーンの鋭い尾と尖った足の爪が根に、巨大な翼が葉に、長い首が茎に見えた。そして貫かれた眉間から咲いた氷の華が、まだ明けきっていない空に大きく開いた。


 レイルワイバーンの身体は大輪の氷の華の濃紺色とは違う澄んだ空色の水晶のようになり、そして四散した。 


 

 断末魔さえ無い。そんな悲しい死だった。




   ◆◆◆



 

 俺は空を見上げていた。


 太陽は上った筈だが、雨雲に覆われた空は光をさえぎる鈍い灰色をしていた。

 今俺が寝転がっているのは(【万界疾駆】は立つだけでなく、座ることも、寝る事も出来るらしい。本当に応用性のあるアビリティだ)、フィールドから100メートルほど上の、遥か上空。さすがにここまで来れるモンスターはそうそういないらしく、あのレイルワイバーン以来何にも会っていない。


 俺は困惑していた。


 今まで普通に“倒して(ころして)”来たモンスターに、そのあっけない最後に、俺は悲しみを覚えてしまった、虚しさを……覚えて、しまった。


 これまでただのデータであると思っていたそいつ等が、命を持った者に見えてきている自分が解らなかった。


「……どうなってんだ、俺…………」


 濁った空にそう問うても何も答えは返って来ない。


 しかし、返事のつもりなのか、ポツリポツリと小さな雨が降ってくる。

 何か語りかけてくれるような雨だ、そう思った。

 冷たい、しかしどこか柔らかな雨が俺を打つ。

 身体と比例したように心が―――少し、冷めた。

 

「は、はは………こんなんじゃ…、わからないよ…………」


 俺はその湿った空気とは対照的な、乾いた声を漏らした。


 その声と同時に、俺の瞳からも意味の無い雨が降り出す。




 しばらくの間俺は降りしきる雨の中身動ぎ一つせず、静かに、佇んでいた。





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