第2話
次の日も寒かった。寒い日は、街全体が静かになる。人も少ない気がする。実際はいるんだろうけど、俺の目の前にはあんまり出てこない。
朝、スマホを見る。求人アプリは相変わらず同じ。落ちた通知。適合率。見送り。
数字がちょっと変わってたりするけど、意味は同じだ。
俺は「まあ、こういう時期だし」と思うことにする。年度末とか、景気とか、AIの気分とか。理由は何でもいい。理由が欲しいだけだ。
昼前にコンビニに行く。昨日と同じ店。俺はここに来ると落ち着く。何が置いてあるか分かってるし、何が起きるかも分かってる。
予想できる場所は安心する。
自動ドアが開いて、揚げ物の匂いが来る。
レジを見る。昨日の店員がいる。若い女。名札。髪をまとめてる。制服がきっちりしてる。たぶん真面目なタイプだ。
「いらっしゃいませー」
昨日と同じ声。
俺は缶コーヒーを取る。今日はパンじゃなくて、おにぎりにした。節約じゃない。気分の問題だ。
レジに並ぶ。前に客がいない。俺が先頭。
店員がこっちを見る。
「ポイントカードはお持ちですか?」
昨日と同じ質問。
昨日と同じ答えをすると、なんか負けた気がする。だから今日は違う言い方にする。
「持ってないです」
「あ、そうなんですね」
そうなんですね、って。
なんだそれ。別に話を広げる気はないんだろうけど、俺はちょっとだけ「会話した」気になる。俺の方が勝手に。
支払いをして、袋を受け取る。
そのとき、店員の目が一瞬だけ俺の手元を見た気がした。
気がしただけかもしれない。たぶん気のせいだ。でも、人間ってそういうのを拾う。俺も拾う。
俺は店を出て、駅前のベンチに座っておにぎりを食べた。冷たい風が吹いて、海苔がちょっと硬い。
食べながら、さっきの「そうなんですね」を思い出す。
あの子、俺のことを覚えてるのか?
覚えてるわけないか。毎日何百人も相手するんだし。
でも、昨日も今日も同じ時間帯だし、店員って意外と客を覚えるっていうし。
俺は勝手に「覚えてる」寄りに考える。
覚えてる方が、気分がいいから。
午後、部屋でダラダラしてたら、SNSで地元の話題が流れてきた。再開発のこと。駅前のビル。税金の使い方。
コメント欄が荒れてる。いつものやつだ。
俺は「そうだよな」と思って、軽く書き込もうとしてやめた。書き込んでも、変なのに絡まれるだけだ。
絡まれると疲れる。疲れると何もできなくなる。俺はもう、そういう消耗をしたくない。
夕方、またコンビニに行った。コーヒーが切れた。別の店でもいいのに、なぜか同じ店にした。
理由はちゃんとある。近いから。近いからだ。うん。
レジを見る。
またあの店員がいる。今日は二人体制で、もう一人は男。若い。だるそう。
彼女はちゃんと働いてる。
俺は缶コーヒーだけ持って並ぶ。
彼女がレジを打つ。
「…あ、いつもありがとうございます」
そう言った。
言ったよな? 俺の聞き間違いじゃないよな?
俺は一瞬固まって、遅れて返す。
「…ああ、どうも」
心臓がちょっと速くなった。
いつもありがとうございます、って。
つまり、俺を認識してるってことだ。俺は“透明”じゃないってことだ。少なくともこの店では。
会計が終わる。袋はいらない。俺はそのまま缶を受け取る。
彼女が笑った。たぶん社交辞令の笑い。でも笑いは笑いだ。
外に出て、俺は缶を握りながら歩いた。
なんか変な気分だ。悪くない。
こういうの、久しぶりだ。
その夜、寝る前に俺はまたその店のことを考えた。
考えるなと思っても考える。
俺は別に恋愛とか、そういうのをしたいわけじゃない。もう若くないし。面倒だし。
ただ、誰かに「いつもありがとうございます」って言われるのは、効く。効きすぎる。
次の日。
また行った。俺も自分で笑う。何やってんだよって。
でも行く。
今日は店が混んでた。学生が多い。部活帰りっぽい。声がでかい。
レジの彼女は忙しそうにしてる。俺は並んで待つ。待ってる間、俺はスマホを見るふりをして、彼女を見ない。見ない方が大人だ。
見てるのバレたら気持ち悪いだろ。俺も分かってる。
順番が来た。
彼女が俺を見て、少しだけ眉を上げた。
「ポイントカード、作りますか?」
作りますか。
昨日まで「お持ちですか?」だったのに。
俺のことを覚えてるから、提案してきたんだろう。
俺は、ここで少し調子に乗った。
ほんの少しだけ。
「作ったら、何かいいことあるんですか」
冗談っぽく言ったつもりだった。
軽い感じで。場を和ませる感じで。
そういうコミュ力、俺だってゼロじゃない。
彼女の顔が一瞬止まった。
止まって、すぐに戻った。
「…あ、えっと、ポイント貯まりますので」
声が固かった。
固いのが分かった。
俺はそこでやっと、自分がやらかしたかもしれないと思った。
「じゃあ、いいです」
俺は笑ってごまかした。
彼女も笑った。笑ったけど、さっきのとは違う笑いだった。
仕事の笑い。早く終わらせたい笑い。
俺は会計を済ませて、店を出た。
外の空気がやたら冷たく感じた。
缶コーヒーの冷たさも、いつもより冷たい。
帰り道、俺は自分に言い訳をした。
いや、別に変なこと言ってないだろ。
店員が固くなったのは忙しかったからだ。混んでたし。
俺は普通だ。普通に客として話しただけ。
店員はたぶん毎日、もっと変な客相手にしてる。
部屋に戻って、俺はスマホを見た。
SNSに、地元の地域掲示板みたいなやつの投稿が流れてきた。知らないアカウント。
「今日コンビニで、店員に絡んでるおっさん見た。
こういうのほんと無理」
場所は書いてない。店名もない。
でも、妙に心臓が嫌な跳ね方をした。
俺は「関係ない」と思う。
思うけど、指が止まる。
投稿のコメント欄を見ると、「わかる」「いるよね」「キモ」みたいなのが並んでる。
俺はスマホを閉じた。
閉じた瞬間、部屋が急に静かになった。
静かすぎて、自分の呼吸が聞こえた。
俺は天井を見た。
さっきまで「俺は透明じゃない」と思えてたのに、今は逆だ。
透明どころか、違うものに見られてる気がする。
“見えてほしくない形”で見えてる。
でも、まだ確定じゃない。
あれは俺のことじゃない。
たぶん違う。違うに決まってる。
俺はそう思うことにした。
そうしないと、明日が来ない。
それでも、次の日の昼前。
俺はまたあのコンビニの前まで来てしまっていた。
店の前で立ち止まって、ドアの向こうを見る。
彼女がいるかどうか、確かめたい。確かめたくない。
俺は一歩踏み出して、止まった。
自動ドアは、俺が近づいたせいで勝手に開いた。
中の暖かい空気が、外に漏れた。
俺はその空気に押されるみたいに、入ってしまった。




