最底辺の景色
――――春の日差しが差し込む快晴の日。
アルガンディーナ帝国東南部、学園都市『プトレマイオス』最南端、『クローラル』にて、一人の少年が息を切らして走っていた。
ここはゴロツキの吹き溜まり。チンピラの溜まり場。そしてギャングやマフィアの潜伏場所―――等々の噂の立つ、プトレマイオス最大の無法地帯。
そんな場所で逃げ惑う少年を追い立てるのは、そんな連中の一グループ。
数はせいぜいが五人程度。追いかけるその表情に必死さはなく、にやにやとした薄気味悪い笑顔を向けていた。
そんな五人組のグループだが、一つ明確な特徴があった。
それは、全員が『女』であるという事だ。
普通、力で劣る筈の女が、男を追いかける、なんて状況はあり得る事はない。
しかし、この世界では、これが普通だ。
リーダー格であろう女の手に、小石が一つ握られていた。その小石を、コイントスの要領で少年に向かって弾き飛ばす。
するとその小石が弾丸のような勢いで飛んで行った。
「うおあ!?」
その小石は少年の肩を掠め、少年はバランスを崩してその場に倒れる。
「ぐぅ・・・」
掠めた肩を抑えて、少年は起き上がる。しかし、その頃には既に取り囲まれ、逃げ道を失っていた。
「あらぁ、どうしたの?」
「っ・・・」
「その目、気に入らないわねぇ」
リーダー格の女が、目が笑っていない笑顔で少年を見下す。それの直後、少年の頭側に立っていた女の一人がその足を上げた。
「っ!?」
少年は体を捻った。そこへ、頭を踏みつける勢いで女の足が叩きつけられた。
アスファルトが砕け散る。
「っ―――!?」
その細い足から繰り出された、信じられない威力の踏みつけ。それは、その女が怪物や人外の類だからという訳ではない。この場にいる者全員がれっきとした人間だ。
だが、読者諸君と同じ人間、という訳もでない。
呼び名は様々ある。だが、最も一般的な名で今の彼女たちを呼ぶのであれば、彼女たちの通り名は『戦姫』。
この世界では、『エーテル』と呼ばれる超次元物質が一般的に知られている。
エーテルは、万物に宿る千差万別の色を持つ粒子であり、ものの目に見えない要素の全てを構成する。
それを、エーテルが結晶化した物質『リンカー』を用いる事で、その身をエーテルで構成された肉体『ヴァリアブルスキン』へと変換し、超次元の力を得る事の出来る存在。それが戦姫と呼ばれる者たちだ。
だが、全ての人間が戦姫になれる訳でもなければエーテルを扱えるわけではない。
戦姫になれるのは女だけ。
それが、この世界の絶対的法則。
「ちょっとそんなに本気でやったら壊れちゃうでしょ?」
「チッ、避けてんじゃないよこのゴミムシが!」
「っ!?」
女が避けられたことに苛立って再び頭めがけて蹴りが繰り出される。
戦姫の身体能力は素の身体能力の三から四倍。それが頭に直撃すれば、いくら人体の骨の中で最大の硬度を持つ頭蓋骨があってもただでは済まないだろう。むしろ、頭をやられてまともでいられる保証はない。
だから、少年の人生はそこで終わり―――になる事はなく、
「がはぁあ!?」
その女の背後から飛び蹴りを喰らわせた者がいた。そのお陰で少年の死の未来は回避された。
吹っ飛んだ女は、リーダー格の女のすぐ横を通り過ぎ、アスファルトの床に倒れる。
吹っ飛ばしたのは、少年と同じくらいの身長のフードを深く被った少女だった。
「オイ」
その少女が、少年を庇うように元五人組の前に立つ。
「うちの連れに、何してんだ?」
フードを脱ぎ、素顔を晒したのは、碧玉と翡翠の瞳を持つ黒髪の少女。
「つれ?」
リーダー格の女が首を傾げ、やがて合点がいったように少女を見る。
「ああ、そいつお前の奴隷?」
少女が目を細めた。
「それは悪かったねえ、手を出して。でもそいつが悪いんだよ。せっかくうちらが目をつけてたモン横取りすんだもん。それを取り返そうとして何か悪い?」
「は?横取り?別にお前らに必要なもんじゃねえだろ」
少女が、すこぶる不機嫌そうに女に言い返した。
「なんでそう言い切れるんだい?」
「こいつを殴る口実が欲しいだけだろ。カスが」
少女の刃物のような言葉が吐き出された。その言葉に、場の雰囲気が変わる。
「ふ・・・はは」
リーダー格の女が、おかしそうに笑う。
「カス・・・カスねぇ・・・」
ぎろりとした視線が少女に向けられる。
「そんなゴミ守ってるアンタの方が、カスでしょ―――ぶごぉ!?」
女が言い終わる前に、少女の膝蹴りがその顔面に突き刺さった。
そしてそのまま顔面を踏みつけて地面に叩きつけた。
「っ!?」
「ルキちゃん!?」
「・・・何を勘違いしてる」
少女は拳を握り締めて、残り三人に視線を向ける。
「ゴミはお前らだろ」
拳が振り抜かれる。
一人、腹を撃ち抜かれ、体が折れ曲がった所を踵落としで沈める。
二人、背後から殴りかかってきたのをしゃがんで躱し、足を払って顔面を踏みつけ、続けて両足で更に踏みつける。
三人、分かりやすく振りかぶった拳に向かって肘で迎撃。痛みに悶えた所を両手で頭を掴み、その状態で膝で二回蹴り上げ、拳を大きく振りかぶって、顔面を殴って地面に叩きつけた。
これで三人。しかし、その直後に、少女の背後からナイフをもってリーダー格の女が襲い掛かる。対して少女はバックステップでそれを躱す。しかし、躱した筈のナイフの一撃が、どういう訳か少女の腕に一筋の切り傷を作る。
「・・・」
斬られて痛む腕を見て、少女は努めて冷静にリーダー格の女を見る。顔を赤くして、怒りで血走った目で笑うリーダー格の女はその手のナイフを少女に向ける。
「調子に乗るなよ、このクソガキィ!」
ナイフの連撃が少女に襲い掛かる。その攻撃を一歩一歩、大袈裟に下がりながら躱す。
ある程度、躱したところで少女は反撃を繰り出す。鋭いジャブだ。だが、攻撃は当たる事なく女の顔面の横を空振った。
「っ!?」
(拳が曲がった・・・!?)
少女の目には、繰り出した拳がぐにん!とまるで分岐器のある線路に電車が進んでいったように見えた。
(こいつの能力は―――)
戦姫の特徴は主に三つ。
一つは素の身体能力の三から四倍の身体能力。
二つ目は、個人に一つの特殊能力。
その名を『コードスキル』。
戦姫の、というより生物の体内では、エーテルの通り道である『エーテルライン』が血管のように全身を巡っている。
そのエーテルライン内部で、エーテルを燃料として現実に超常現象を引き起こす事の出来る回路が存在する。それを『コードライン』と呼び、それを『式』とするならば、その『答』が『コードスキル』。即ち、コードラインにエーテルが流れる事によって引き起こされる超能力こそが、コードスキルである。
「お前・・・」
少女が距離を取る。
「光を曲げるコードスキルか」
女の顔がにやりと歪む。
「分かった所で、アンタはもう終わりなんだよ!」
再び女がナイフを握り締めて襲い掛かる。だが、少女は努めて冷静だった。
少女が、右手を女に向かって突き出した。
「死ね!」
対して、女はナイフを突き出すだけ。この時、女は光を曲げて互いの距離を誤認させていた。
実際にいる距離より、遠くに見えるように。それによって、対処するタイミングを遅らせて、そのまま胸にナイフを突き立てる企てを持っていた。
だが、その前にそのナイフは少女に辿り着く事はなかった。その前に、ナイフが突如として現れた壁に阻まれたのだ。
「・・・は?」
否、それは盾だった。
「使えるもんは使えって言われてるから使うが・・・」
突然の盾の出現に戸惑う女だったが、続けて女の背後に突然、少女よりさらに小柄な銀髪ツイン縦ロールの美少女が現れた。
「は?」
「―――『顕現』」
銀の少女が地面に手をつくと、女の退路を断つように壁が現れる。
「は?」
「位置は、足跡から特定しました。これで逃げれません」
黒ジャケットの少女が、盾を投げ捨て駆け出す。
「―――戦乙女流決闘術」
拳を握り締め、腰で引き絞り、戸惑う女に向かって、突進の勢いを乗せた拳の一撃を叩きつけた。
―――『蒼火撃』
突進、肩から拳にかけての回転、体重、タイミング。それら全てをかみ合わせて、拳の一撃が女の胸を抉った。
「他人の力使うのは嫌なんだよ。クソが」
地面から外れた壁が、ばたりと女と共に倒れた。女は完全に白目を剥いて気絶していた。
そんな様子を一瞥して、銀の少女はため息を吐く。
「それならちゃんと自分のものにしてください」
そして、花のような慎ましい笑顔を、黒ジャケットの少女に向ける。
「私は貴方のリンカーなんですから」
「・・・けっ」
黒ジャケットの少女は面倒くさそうに不機嫌になる。だが、そんな少女を見ていた銀の少女が、ふと何かに気付いたように目を開いた。
「あ」
「あ?」
その時、背後から声が響く。
「後ろだ!」
しかし、時すでに遅く、少女の後頭部に、角材の一撃が叩きつけられ、角材が砕け散った。
最初に蹴っ飛ばされた女だ。
「・・・ひひっ」
女はやってやったとばかりに笑顔を見せる。
「・・・おい」
だが、少女には効いている様子が微塵もなかった。それもその筈だ。
「男ばっかり嬲ってるから忘れたのか?」
言われて、その女の表情が恐怖に歪んだ。
「戦姫にそれは効かねえだろ」
少女の姿が掻き消える。同時に、女に影がかかる。気付いて見上げればそこには飛び上がって踵振り上げる少女の姿があった。そしてそのまま、女の顔面に少女の踵落としが叩きつけられた。
戦姫の特徴。
一つ、素の身体能力の三から四倍。
二つ、個人に一つの超常能力。
三つ――――エーテルを伴わない攻撃以外では、一切のダメージを負う事は無い。
この三つの要素が、現在の社会を作り上げている。
男と女の力関係が完全に崩れ、女が男を支配する『女性至上主義』。
外敵の存在もなく、力を振るう相手もいない。治安も安定し、『新生文明歴』という紀元になってから戦争なんてものは一切起こっていない。
ただ、人類共通の『弱者』と『強者』が、明確になっただけ。それだけで、世界はここまで歪んでしまった。
「おい、大丈夫か?ユウゴ」
少女が、少年の元へ向かう。
「ああ、わりぃ。迷惑かけちまったな」
「ったく、次から気をつけろよ」
少女の身体が、淡い光に包まれた。全身が青白い光に包まれると、徐々に少女の身体が変化していく。
丸みを帯びていた体が、徐々に角ばった体に。華奢な体が、逞しい体に、どんどん変化し、その変化が収まったころに、光が消える。
そこから現れたのは、全くの別人―――男だった。
「ほんと、お前のそれ見てると、どっちが本当のお前か分かんねえな、篝」
「うるせえ。俺は『男』だ」
少女だった少年―――『天城篝』が不機嫌そうな顔を隠すことなくそう返した。
それに、追いかけられていた少年『ユウゴ』は笑みを零し、篝の傍に立つ少女『ラーズ』もくすくすと笑っていた。
「さあ、急いで戻りましょう。面倒な事になる前に」
「それもそうだな」
「いった・・・そういや肩やられてんだった」
「んだよ。さっさと戻んぞ」
歩き出す。
しかし、篝の視線は下を向いたまま。
彼らは最底辺。這い上がる事を許されない奴隷。それでも生きている弱者たち。
(この世界は、クソだ)
それが齢十四の少年の結論。
(だけど、この世界にそう簡単に殺されるつもりはねえ)
それでも鋭い視線を以て、篝は歩き続ける。
二度目だが、彼の名は天城篝。これは、彼の物語だ。




