ひぐれさま
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふう~、今日もまた夜を迎えられて何よりだねえ。
一日、一日はいつも通り進んでいくように思えるけれど、人生の一日を刻んでいることに違いない。こうしている間も、我々は少しずつ最期へと向かっているんだねえ。
スポーツやゲームのように、今日がオーラスの日ですよなんて表示をされることなんて、まずない。あるとしたら刑の執行を待つ人たちくらいか。
普通に過ごす人たちは、きっと最期を迎える時も「まさか、今日が自分の亡くなる日だったなんて……」と意外に思うんじゃあないかな。その時にならないとなんともだけどね。
毎日、生きているのが儲けもの。だとしたらこうして、日の終わりを迎えられるのも天運あってのものなんだ。その当たり前が、当たり前であってほしいと願うなら、たまには少し気にかけてあげたほうが良いことも、世の中にはあるかもね。
私が以前に父から聞いた話なのだけど、耳に入れてみないかい?
父の住まう地元だと、「ひぐれさま」を拝むという特殊な風習があったときく。
ひぐれさまとは、その名の通り日暮れの際、おいでになる神様のことだという。西へ陽が沈みかけるとき、空は赤々とした色に染まる。
その残光が完全に沈みかける直前に、手の空いている者は西を向いて手を合わせ、頭を下げるようにすすめられるのだとか。仕事など、手が離せない者はそのまま続けていてよく、代わりに手の空いている者は優先的に「ひぐれさま」を拝むように心がける。
ひぐれさまの機嫌を損ねてしまうと、よからぬことが起きてしまうということを父は小さいころから教えられ、拝むことを続けてきたそうだ。
大勢の人の良心にのっとって、行われること。仮に自分ひとりがさぼったとて、どれほど影響が出るかなんてわからない……という発想が来るのは、やる気のない証であろう。
父も小さいころは馬鹿正直に従ってきたものの、反抗期を迎えるとそのやり方に反発。表立っては怒られるばかりなので、家の外へ出る時に「ひぐれさま」を拝むのをサボり始めたそうなんだ。
一回目こそ、おそるおそるという感じだったが、それでなんともないと心のハードルはぐんぐん下がってしまうもので。そのまま二回、三回と繰り返していき、一年の半分ほどは「ひぐれさま」をないがしろにする日があったとか。
しかし、内心ではちょっぴり後ろめたさもあったようで。
「あんた、ひぐれさまをちゃんと拝んどる?」
部活へ行くとき、唐突に祖母からそう投げかけられたときは、ちょっとどきりとしたような。それでも動揺を見せれば自白しているようなものだし、必死に平静をよそおったとか。
「ならいいけれど……今日は特に怖い日だから、ちゃんと拝んでおくんだよ」
いつにないことではあったものの、父はこけおどしに過ぎないと思ったのだとか。これまで無事であったケースが重なっていたのもある。
そのため、その日の部活動が少し遅くなってしまい、帰るのが日暮れ寸前になってしまっても、ひたすら小走りで家までの道を急ぎ、拝むことをしなかったらしい。
この日は、道行く人たち。おそらくは足を止めても問題ない人たちが、赤く染まる空の下で「ひぐれさま」を拝んでいたようで、父も少し驚いたようだ。
拝むあいだは動くことを許されない。ひとり帰り道を急ぐ自分は、この中にあって明らかな異分子に思えた。
――でも、これまでだってなんともなかったんだ。平気平気。
そう言い聞かせながら、家の近くまで来ると、日が完全に暮れるのを確かめるまで待機。もし光が残っているとどやされるのは確実だったから。
そうしてあたかも拝むことはしっかりやっていた風をよそおい、家へ戻った父だったのだけど……そのときがきてしまう。
その日の就寝間際。部屋の明かりを消したときに、父は気づいたのだという。
部屋の中が、見渡せない。
父は暗闇の中でも、目が慣れるのは早い方だったという。急に暗所へ放り込まれたとしても、さして時間もかからずにあたりの様子が、うっすらとは分かるようになる。
けれども、その日はいつまで経っても目が慣れる様子がなく、首をかしげてしまったという。あたりどころか、距離の近い足元の布団の様子すらまともに眼へうつらない。
疲れているのかな、と思いながら掛布団をかけつつ、横になって枕を頭に乗せたとき。
あおむけになって、無防備になったお腹を急にぐっと押さえつけられた。
声、息が一気につまって、身体もまともに動かせなくなってしまう。かろうじて動く目で見ると、先ほどまでのあたりをうつさない闇にまぎれ、なお濃く映る噴煙のような色の塊がお腹のあたりに乗っかっていたのだとか。
さらに、その塊は新たにふたつ。天井あたりから握りこぶしほどの大きさとなって降りてきたかと思うと、父の両足にひとつずつ乗っかったんだ。
そこからは、詳しく語るに及ばない。父は朝まで飛び上がりたくなるほどの痛みを、両足に受け続けることになった。
時間の感覚と一緒に、足の感覚もなくなっていく。夜明けを迎え、煙たちがいっぺんに姿を消して重みがなくなっても、父は起き上がることができなかった。
布団を剥いだ両足は真っ赤にはれ上がっているばかりか、骨が完全に折れてしまっていたらしい。おかげで間近に迫った部活の大会も出られずに終わってしまったとか。
確証はないが、ひょっとするとあれが「ひぐれさま」の報いだったのかと父は思うらしい。
ほんのわずかでも、当たり前のことを当たり前にするのが大事なのかも、とも。