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雪の下に咲く  作者:
4/5

震える指先、冷たい手

 石川くんに悩みでもあるなら、僕にできそうなことであれば何とかしてあげたい。

 思い返してみると、彼は昨日の放課後から少し様子が違った。基本的に、何にでも肯定的な彼らしくない態度だったし、不思議だった。多分、僕に相談したいことでもあるのだろう。そう思うと、頼られていることに気づいてちょっぴり嬉しくなる。だが、今日に限って、昼食後も放課後も、先生に捕まってしまった。何でも、教室ではいつも独りでいる僕を、ずっと心配していたのだそうだ。そして、卒業前に一人くらい親しいクラスメートを作った方がいいとも言われてしまった。おかげで、いつも以上に石川くんを待たせる羽目になってしまった。

 校門の前まで駆けていくと、石川くんはどんよりした空を見上げて、待っていた。その横顔がなぜだかひどく哀しげに見えて、声をかけることすら躊躇う。果たしてそうしていいものかと悩んだが、これ以上待たせるわけにもいかないことを思い出し、静かに声をかける。


「石川くん」

石川くんが、空から僕に視線を移動させ、小さく、でもホッとしたように笑う。

「来ないかと思いました。昼も会わなかったし……」

 なんて儚げな笑顔なのだろう――僕は胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じながら、まず彼に詫びることにした。

「ごめん、先生に呼び止められていて……」

「気にしないでください」

 石川くんが、くだんの笑顔で首を横に振る。僕は眉を寄せながらも、「行こうか」と作り笑いを浮かべた。

 バス停までは、ほとんど何も話さなかった。それはいつもと同じだ。ただ一緒にいるだけで、特別な会話なんかはあまりしない。やがてバス停に着くと、ちょうど雨が降り出した。雲は太陽を隠し、空を鈍色に染めていく。バス停の、苔むしたベンチに二人で腰かけ、バスを待つ。いつもは十五分ほど待つが、僕が遅れたためか、バスは五分ほど待てば着いた。

 石川くんと一緒に乗り込む。お互い傘を持ってきていないから、帰りの道では止んでいるといいのだけれど。

 バスはガラガラだった。僕らを含む乗客は一人しかおらず、二人席も余裕で空いている。でも石川くんは、一番後ろの広い席に座りたがった。いつもなら、特に気にせず適当なところに座るのに。

 

 バスが発車すると、石川くんはおもむろに口を開いた。


「茶堂先輩は、おれと一緒にいて、苦しくないですか」

 苦しい? そんなこと、感じたこともなかったので、僕は首を傾げる。

「どうして? 急にどうしたの」

そうは言いつつ、もしかして誰かからそのようなことを言われてしまったのかもしれないと思ってしまう。

「答えてほしいです」と、石川くんが見つめてくる。まるで、捨て犬のような目をしていたから、慰めてあげたくなって、「僕は、石川くんと一緒にいると楽しいよ」と微笑んでみた。すると、どうだろう。石川くんは傷ついた表情になってしまったのだ。


「おれは……苦しいです。とても苦しいです」

 いまにも泣き出してしまいそうな顔だったので、戸惑い、慌ててしまう。だけど、何と言ってやるのがいいのかもわからず、僕は眉を寄せることくらいしかできない。

石川くんは俯き、両手を握り合わせている。彼の膝は震えていた。


「なんでわかってもらえないんだろうって、どうして本当のことを言えないんだろうって、そう考えると苦しくて仕方がありません」

「い、石川くん?」

 彼の声は不安定に揺れていて、とうとう泣き出してしまったのだと気がつく。

「ちょ、ちょっと、大丈夫なの、石川くん」

 こんな彼を見るのは初めてで、いまは石川くんの言葉の意味を理解することすら難しい。だが石川くんは、そんな僕を構うことなく堰を切ったように言葉を吐きだした。


「おれは、おれはっ、茶堂先輩のことが好きなんです。だけど先輩は気づいてなんかくれません、おれのことをあまり訊いてもくれません、だからおれは毎回、嘘を吐くしかないんです」

 彼は、指先の色が変わるくらい強く握り合わせた両手を突然に脱力させ、俯いていた顔をこちらに向ける。

「先輩、おれを、好きになってくれませんか……」

 涙で濡れた目や頬が、必死なその様子が、痛々しい。でも、僕は彼の視線から逃れるように、彼から目を逸らした。それっきり、バスの中では石川くんは何も言わなかった。石川くんの洟を啜る音と、バスのエンジン音くらいしか聞こえない。次の停留所で、彼はバスから降りるだろう。この気まずさはそれまでの辛抱だと自分に言い聞かせる。

 石川くんは、降車ボタンに手を伸ばしている。その指先が震えていて、なんとも言えない気持ちに見舞われる。なんだか、彼が消えいってしまうような錯覚まで覚えて、怖くなる。

バスが停車すると、石川くんはゆっくりと立ち上がった。

「石川くん……あの、またね」

 声をかけても、石川くんから返事はない。悲しげな雰囲気を纏った背中で、彼はそのまま、バスを降りてしまった。不安に苛まれる。本当に、僕の前から消えてしまうのではないだろうか、なんて。

僕は石川くんが降りた次の停留所で降りることになっている。その間、ぐるぐると考える。石川くんは、とても辛そうだった。それに――僕のことを好きだと言った。他にも彼の発言が、僕の頭の中で延々とこだまする。

 わかってもらえない、本当のことを言えない、嘘を吐くしかないだとか……そう語りながら泣き出してしまった彼は、本当に辛そうで苦しそうだった。

 僕は鈍い。彼の言葉を理解し、飲み込むのにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 

 だって、僕も石川くんも、男じゃないか――。

 

 石川くんが押した降車ボタンに手を伸ばす。まるで彼の手がひどく冷たかったかのように、ボタンも冷えていた。

 バスが停車し、僕は降車した。鞄が重たく感じるのは、今日の授業が多かったからだろうか?乗車中、僕が石川くんのことばかり考えていたせいか、雨がまだ止まずに降りしきっていることに気がつかなかった。傘がない。先に停留所で雨宿りやバスを待っている人が数人いて、僕がそこに入ることはできなさそうだ。

「困ったなあ……」

 僕はぽつりとこぼし、俯いた。ここからは、走って帰るしかない。あんまり制服が濡れると、母さんを怒らせて、あとで面倒になりそうだ。

 鞄を抱え、走り出した僕は、またしても石川くんのことを考えていた。そういえば、彼がどこに住んでいるのかも知らない。訊いたこともなかった。石川くんはよく僕の話を聞いてくれるのに、僕ときたら彼のことについて、深く知ろうともしてこなかったのかもしれない。知ったつもりでいるだけで――。もし、石川くんがずっと僕を好きでいてくれたのなら、鈍感だとか、そういう言葉で済まない。僕はただの自己中心で最低な奴だ。

 この雨の中、石川くんは、ちゃんと帰ることができたかな……。水溜まりを避けつつ走る僕だが、靴は跳ね返った雨や泥で汚れていた。

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