一緒にバスに乗れますか
深い夜、布団の中で考える。僕から石川くんをとったら、話し相手すらいなくなる。気持ちをわかってくれる大事な友人が、いなくなる。今日の石川くんは少し様子が変だった。いつもならほとんどのことを肯定してくれるのに、今日はなぜか否定的だった。もしかしたら、僕の方がおかしなことを言ったのかもしれない。
――何もかもやめてしまえたらなあ……。
半分本音で、半分は違う。わかっている。正直、石川くんに言われたことは正しいとも思う。もう少し、自分が恵まれていることに気づいてください――確かに、家は裕福な方だし、食べるものも着るものも困らない。でもそれは、彼だって同じはずだ。なぜ、あんな言い方をされたのか、はっきりとは理解できていない。
僕はぼうっと考えを巡らせながら、眠りについた。
「明人、朝よ」
ドア越しの母の声で目覚める。春先の朝が苦手で、いつも寝坊をしそうになる。僕はゆっくりと起き上がり、肌寒さに身震いをした。身支度や朝食を済ませ、家を出る。
穏やかな陽気と、うすら寒い風。春の気温だ。この季節を、この詰襟の制服で迎えるのは最後だ。もうじき、僕は学生ではなくなる。そして、家業の商店を継ぐのだ。一人息子に生まれなければ、家業なんか継がずに済んだのだろうか。そんな風に考えることも少なくはない。
ひとり、学校までの道を歩き出す。途中で、知った背中を見かけた。石川くんだ。昨日のこともあり、少々躊躇いはしたが、その背に声をかける。
「おはよう、石川くん」
石川くんはびくりとしたように肩を上げ、立ち止まってこちらを振り返る。なぜだろう、頬が少し赤い。
「どうしたの、顔が赤いけど……」
心配になって訊ねると、「平気です、おはようございます」とだけ返ってきた。様子がおかしい。何かあったんじゃあないだろうか。どうしたの、と繰り返そうとした僕を遮り、石川くんが言う。
「あの、昨日は生意気なことを言って、すみませんでした」
昨日のこと。そうか、石川くんも気にしていたのかもしれない。いつもの優しい肯定的な石川くんが戻ってきたように感じて、僕は笑った。
「気にしてないよ」
石川くんが小さく笑って、鞄を持っていない方の手で、その黒髪を耳にかける仕草を見せた。その際、彼の制服の袖が短くなっていることに初めて気づく。
「石川くん、昔に比べて制服の袖が短くなっているんだね。新しいのは買わないの」
ハッとした表情になり、石川くんが手を下ろす。何だか、また顔が赤くなったようにも思える。どうしたのだろうか、そんなことを指摘されるのが嫌だったのか、それとも、やはり何かあったのか……。
いつも、僕の話を聞いてくれる石川くん。僕も彼の話をたくさん聞いてあげるべきなのかもしれない。もっとも、まったく聞いていないわけではないのだけれど。
石川くんは「まだ、いいんです」と呟いて、笑う。だけど、いつも見せるような笑顔じゃない。何というか、心ここにあらずといった感じなのだ。僕の中で、心配する気持ちが加速していく。
何かあった? 僕が訊ねようとしたとき、石川くんが思い切ったようにこちらをまっすぐ見つめる。揺れる瞳に驚いて、でも目が離せなくて、僕も見つめ返す。彼は一瞬、目を逸らそうとしたが、結局は僕から目を離さずに口を開く。
「今日の放課後、一緒にバスに乗れますか」
僕はポカンと口を開き、ただ頷く。一緒にバスに乗るのは初めてではないが、最近はそれも減っていたので、少し意外だった。それも、わざわざ彼の方から言い出すなんて。放課後は毎日、石川くんと帰っているし、問題なく会えることに違いはないのだけれど。
……石川くんの態度がこれまでと違うことに違和感がある。もしかしたら、バスの中でゆっくりと話したいことがあるのかもしれない。学校の中庭とかじゃあ、なくって……。