1 (終)
…聖骸布が剝れた。全てを暴露された。
男たちの手が、いよいよ彼女の秘部を侵略しようとした。
これに対し、只今の彼女はまるで人形のように従順であった。もはや、何の抵抗も、抗議もする気は無かった。
彼女の気高さは、完全に屈服していた。
もう、痛いのも、苦しいのも、怖いのも、全て嫌だったから、彼女は男たちを受け入れることにしたのであった。
プライドを捨てて
みっともなく、優しい苦痛を選んだのであった。
…口いっぱいにつんざく甘味が広がる。
彼女は『初めて』であった。
…しかし、世界は彼女に決してそうはさせなかった。
「『魔族』だ!!魔族が現れたぞ!!!」
辺りに大声が轟いた。
男たちは、驚いた。
驚いて、動きを止めた。
そして彼らは、一旦彼女から注意を外して、キョロキョロと辺りを見渡し始めた。
「おい、魔族だってよ」
「はっ、まさか。何の用があって魔族がこの街にやって来るんだよ?」
「デマだよな?よな?」
しかし、彼らの楽観とは裏腹に、街は段々と騒がしくなり始めた。
まだ日も昇っていない早朝であるにも関わらず、あちらこちらから叫び声や、悲鳴が聞こえ始めた。
「おい…これマジでヤベェんじゃねぇか?」
「…かもな。でも流石の魔族もこんな路地裏には目を付けねぇんじゃねぇの?」
「いやお前…!、短気な上に短絡的なのは…」
「あぁ…!?…!!」
「…?…!!」
男たちは、迫る危機に釘付けであった。そのために、彼らは彼女のことなんか完全に無視して、ソワソワと相談をし始めた。
「…ぁ、ぇ?」
突然、男たちの興味関心から放り出された彼女は、拍子抜けた。
彼女は急に自由になった。
あ。
…気がついた。
この隙に男たち逃げられれば、私は助かる?
そう、頭によぎった。
助かるかもしれない。
助かるかもしれない。
嬉しくて涙が出そうになった。
しかし、彼女の身体は既に限界であった。
暴行のダメージに加えて、出血が激しくて、身体に力が巡らなかった。
どれだけ必死に頑張っても、指先一つすら動かすことができなかった。
彼女は動けなかった。逃げるなど、もっての外の幻想であった。
あ。
助からないんだ、私。
そう、現実を突き付けられた。
何もできない自分という残酷な結果に、彼女は完全に脱力してしまった。
諦めてしまった。
諦めて
このまま死ぬんだと理解したら、彼女は何だか穏やかな気持ちになれた。
肉体から生命が抜けていく感覚がした。
希望が通り過ぎて、絶望がオーバーフローした。その果てに、彼女は抜け殻のようになった。
無へと歩み始めた。
現世から自身の存在が消え始めた。
彼女はこのまま死ぬ。
身体が軽くなっていく。
彼女はもうすぐ死ぬ。
あぁ、酷いことをされる前に死ねて良かったな。
家に帰れなかったのは残念だけど、でも、もういいかな。それよりも早く死にたいな。
死を受け入れたら、そんなことを考えられるようになった。
現状が段々と柔らかに見えてくる。
草原の凪が見える。小川のせせらぎが聞こえる。
…気が楽になっていく。
眼前に迫る死は、心地良いお昼寝のようであった。
力が完全に失われる。
物質的としての肉体が、空気よりも空虚に変わる。
息が止まる。
彼女は閉じた目を更に、ゆっくりと閉じた。
…無が脈を打ち始めた。
ようやく死んだ身体は、途端に熱を持ち始めた。
「…ぇ?」
感じたことのない熱が広がる。
それは、溶鉱炉のような滾る熱さでもあって、暖炉のような優しい熱さでもあった。
その熱は生命の躍動であった。
彼女の全身から、力が溢れてきた。
「…えっ?…えっ!?」
驚く彼女なんてお構いなしに、身体の変化は止まらない。
指に刺さったささくれが自然に抜けるかのように、刺さったナイフは、腹部の胎動により徐々に体外に押し出されて、最後には完全にすっぽ抜けた。加えて、傷口は、左右の皮膚が覆うように広がったために無くなった。痕もなく、ラディカのお腹は、まるでアイロンをかけられたみたいにピンと整えられた肌で満たされていた。
次に、折れた鼻がメキメキと音を立てて、勝手に起立した。また、歯茎が震えたかと思えば、新しい歯が、サメの歯みたいにグッと生えてきた。
「私の身体…、どうなってるの…?」
彼女は喋れるようになっていた。
「…おい上見てみろよ!なんか飛んでるぞ!」
「あれが魔族だよバカ!やっぱココから逃げた方が良いかもしれねぇぞ!?」
「言われなくても分かるよバカ!」
「おい!空中の奴、なんかしようとしてるぞ!」
「『魔法』だろ!分かんねぇけど!見たことねぇけど多分そうだよ!」
「別に何でもいいからさっさと街の外に逃げるぞ馬鹿野郎!」
男たちは結論を出したようで、ここから立ち去ることを決めたようであった。
男のうち、二人は脇目もふらずダッと駆け出した。
しかし、残りの一人、短気で損気で短絡的な男は、逃げ出す前に、彼女のことが少し気がかりになったので、そちらの方を一瞥した。
そして気がついた。
「…お前、なんで傷が治ってんだ?」
…男がそう言った瞬間
空はまるで、太陽が間近に現れたかのように煌々と輝いて、やがて真紅に染まった空は、この世よりも大きな火球となり、街を飲み込んだ。
街は、何もかもを焼き尽くしてしまう炎と、とてつもない光に覆い尽くされた。
…そして、何もかもが消滅した。
そこにはもはや灰と荒野しかない。
アメリーと呼ばれた街も、そこに住まう心優しい門番も、少し厳しい守衛も、名前しか知らないバラルダ公も、筋肉質なパン屋の店主も、信心深い衛兵も、暴漢のチンピラ共も、どころか、街の外にあった墓地も、教会も、そこにいた狂った神父も
何もかもが原型を失った。
激しい熱と光は全てを無に帰した。
水は全て蒸発した。
草も木も根絶やしにされた。
全ての生命が焼き尽くされた。
ここにはただ、昼の砂漠よりも燃えたぎっていて、氷塊の上よりも生命の匂いがしない、ただの地しかない。
もはや、この地には何も生まれない。
風が種子と雨雲を運んで、自然が再びやって来ない限り、もしくは、人々が再び開墾し始めない限り、ここは死の地であり続ける。
…風が熱と砂をさらったとき、そこには彼女がいた。
焼け焦げる大地と、かつては街であったり、門番であったり、守衛であったり、ハロルド公であったり、パン屋の店主であったり、衛兵であったり、チンピラ共であったり、墓地であったり、教会であったり、神父であったりした灰の中から
彼女は蘇っていた。
草も木も、水もない、ただの地の上に、彼女は完全なる生を保有していた。
「…そうだ」
「…そうだった」
彼女は、すっかり元通りな両手を、握ったり開いたりして、只今の自分が現実にあることを理解した。
同時に、すっかり思い出した、思い出したくなかった致命的な一点が、只今の自分と同様に確実に存在することを理解した。
「私は…」
「フラン家は…」
「『シテの広場』で、人々の前で処刑された…」
見たくもないものが、そこには見える。
「フラン家も、ラディカも、何もかも…、もう、どこにも存在しない…」
現状を把握してしまった。そうせざるを得なくなってしまった。
死よりも恐ろしい、死んでしまいたくなるような絶望が深く、深く彼女を抉る。
彼女はもう、自分を保てずにいた。
それなのに
「それなのに…、私は…、私は…!」
それなのに、不可解にも存在し続ける自分を必死に抱きしめて、彼女は溺れるように泣いた。
受け入れがたい不可解な節理と条理を抱きしめて、これらを憎むようにして泣いた。
何故なら、この無常なる復活は、彼女がもはやフラン家でも、ラディカでもないことを意味していたから。
受け入れたくなかった現状を受け入れざるを得ない、チェックメイトどころか、投了を意味していたから。
彼女は遂に、自分自身が究極に孤独であり、もはや何も持ち得ていないことを完全に理解してしまった。
…しかし、朝日は今頃になってようやく昇った。
無常にも、今日という一日はこれから始まろうとしていた。
ここまでお読みいただきありがとうございました!