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…守衛によって街角に転がされたラディカの頭の中は、疑問符で一杯であった。
「…何というか」
茫然としていた。
しばらくの間、床に転がったまま、言葉を発せずにいた。
「うん…」
彼女は起き上がって、先ほどの出来事を思い出し始めた。茫然とせざるを得ない、閉口せざるを得ない、先ほどの彼らのことを思い出し始めた。
ラディカの存在を知ったにも関わらず、慄かず、ただ困惑するだけの門番。
そして、抵抗するラディカを無下に扱ってくれた末に、街のジメジメした場所に自分を投げ出してくれた守衛。
彼女は、頭の中にそれらを思い浮かべてみては、様々な角度から観察をしてみた。また、色々とこねくり回してもみた。
しかし、遂に理解できなかった。彼らという異常が理解できなかった。
それはまるで先の墓地のようであった。
「…有り得ないことですわ」
ラディカとフラン家の絶対的な身分を考えれば、先ほどの門番も、守衛も、絶対に有り得ないのだ。
本来ならば、門番も、守衛も、それどころかバラルダ公とかいう街の領主も、一たびラディカが、フラン家が街に来ると知ったのならば、それがお忍びでも無い限り、全ては総出で歓迎しなければならないはずなのだ。
最高級の茶を出し、宿や料理人、馬を用意し、何なら記念にこの街一番の土地でも献上しなければならないはずなのだ。
しかし
「そのつもりで邸宅に向かったというのに…」
「誰も、私の名前にも、フラン家の名にも、何も反応しなかった…」
実のところ、彼女の疑念は最もであった。
何故、人々はフラン家に最善を尽くさなければならないのか?ラディカに最善を尽くさなければならないのか?
それは、フラン家が畏れられる存在だからだ。ラディカが畏れられる存在だからだ。
実際、フラン家とは、ラディカとは、この国においては、その名前すらも軽々しく口に出せるものではなかった。
何故なら、たとえば、その名の後に、何かフラン家やラディカにとって気に入らない発言が続いたのならば、発言者はいつの間にか犯罪者にされて、果てに牢獄送りか、処刑が確定するからだ。
フラン家を前に、人は簡単に自由を奪われ、そして殺されるのだ。
事実、ラディカも、ラディカの家族たちも、今までずっとそうしてきた。
たとえ発言者が辺境にいるのだとしても、一たび密告があったならば、少なくとも国外逃亡でもされない限り、必ず捕まえて、処罰を下してきた。
フラン家の存在とは、日常に巣食う疫病や、身を潜める悪魔主義者よりも実際的で、恐ろしく、それは実質的な意味も含み、死と同等に恐怖されるものなのだ。
だから、人々はフラン家を畏れ、そして最大限に崇拝するのだ。
…そして彼女は、その所以を、恐怖の執行人であったからこそ、骨身に染みるほどに理解していた。
ある意味で、他人のことを考えない傍若無人なフラン家でありラディカである彼女こそが、人々の心象を一番に理解していた。
にも関わらず
「おかしなことですわ…」
だからこその不可解。
門番も、守衛も、誰もフラン家を畏れない。ラディカを畏れない。
今までにそれらしい様子を見せてくれたのは、神父のただ一人。それも少し変な様子ではあったが…。
不可解。
様々な情報が頭の中を飛び交う。不可解を読み解かんと、シナプスが刺激される音がする。電気信号が駆け巡る音がする。
…ラディカはふと、あの腹立たしい墓標を思い出した。
「…あの下民共ってば、もしかして、あのいたずら墓標を喚起されて、フラン家が本当に滅亡したとでも勘違いしているのかしら?」
「…」
「それとも…、勘違いじゃない、とか?」
ふと、そんな邪推が、彼女の頭をよぎった。
「…いや、まさか、そんな馬鹿なことありませんわ。だって…、そんなこと、馬鹿馬鹿しいですもの」
そう考えるしかなかった。
あの墓標はいたずらで建てられたもの。そうに違いない。
彼女はそう思い込んでいた。父や母は死んでいないし、事実、ラディカだって死んでいない。だから墓標はいたずら。
棺桶に自分が入れられていたのは…きっと寝込みを襲われて、挿れられただけとか、きっとそんなの。そうに決まっている。そう信じて疑わないと心の中で決めた。
だって、そうでないとおかしいから。
しかし、どうしても引っかかる。
何か、あのいたずらは下らないいたずらでは無い気がする。
むしろ、物事の核心のような気がする。
そう、見なさなければいけない気がする。
でも、そうはしたくない。
見たくない。
考えたくない。
だから、八方塞がりしょうがない。
人為的に詰まったパイプの一本が邪魔で、思考が上手く脳を流れない。
詰った。
まただ。
彼女は缶詰の中にギュウギュウに閉じ込められたような気分になった。
しかし、彼女はまだ、受け入れ難きを真実であると受け止めることはできなかった。
だってそれは、父や母が死んだことを認めることであり、自分が死んだことを認めることであり、何よりもフラン家が滅んだことを認めることに他ならないのだから。
受け止められるわけがなかった。
「…」
彼女は考える。
「…?」
他に、現状を上手く説明できる都合の良い理屈は無いかと必死に頭を働かせる。真実に直面しないために必死に頭を働かせる。
「はぁ~…」
そして結論を出した。
「…いっぱい怒って、考えて、もう疲れちゃいましたわ…」
考えることを止める、という結論を出した。
またしても、彼女は現状を見向きすることを止めてしまったのであった。
いや、この非情なる話題から目を背けられるという意味では、考えることを止めるというチョイスは、良い選択であった。
しかし、その点以外においては、彼女の選択は間違ったものでしかなかった。
目を背けて、逃げた分だけ、彼女が爆発せざるを得なくなった時に訪れるであろう悲しみや苦しみの総量は膨れあがる。
彼女はそんなことにもまた、目を背けていた。
…それよりも、彼女は別のことを考え始めた。
「お腹空きましたわぁ~…」
彼女の腹はぐうぐうと鳴っていた。
歩き回ったり叫んだりした彼女の身体は結構疲れていた。
「私、お腹空きましたわよ~」
「…お腹空きましたのだけれども?」
「…あぁ」
「そういや、今は手近に誰もいませんでしたわね…」
本来なら、かつての彼女の置かれていた環境なら、彼女が一言、「腹減った」と言った途端に、そばにいたメイドの何人かが慌てふためきながら菓子や軽食の一つや二つを持ってきて、ラディカの機嫌を取ろうと必死にするはずであった。
そのはずであった。
しかし、やはり、只今の彼女にそんなものが施されるわけがない。
彼女を取り巻く不可解に迎合して、これも当然実現されるわけがない。
それが世界なのだ。
それこそが、彼女がもうすぐ分からされる現状なのだ。
しかし彼女は不便さにため息をついた。
現状にではなく、あくまで不便さにため息をついた。
「…世界がこうも私に気を利かせてくれないっていうのは、あんまり楽しくありませんわね。あーあ、私に都合の良い世界だけが在ればいいのに~…」
「はぁ…」
「しゃーねーですわ。…もう一度あの邸宅に向かいましょう」
「次は…アレですわね。『今すぐ馬車を用意したら、今までの罪は全部許してあげますわ!』って言ってみましょうか。そうすれば奴ら、慄いて道を開けるに違いありませんわ」
「そう、違いありませんわよね…?」
彼女は減った腹に手を当てて、フラフラと歩き始めた。足取り悪く、腰は若干かがんだままに。
その様は決して貴族の娘のようではない。さながら、行く当てのない浮浪者のようであった。