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…さて
只今の彼女のタスクを整理すると、こうだ。
彼女は家に帰りたかった。そのためには、家のある首都の『シテ』に辿り着く必要があった。
しかし、現在の彼女には、そこまで辿り着く手立てがなかった。
道に迷っているわけではない。現在位置は分かる。墓地の看板に、『アメリー小墓地』と記載されていたことから推察できた。ここは…『フラン・ガロ王国』の南部、『シタニア地区』に位置する街、『アメリー』の近辺だ。
問題は、アメリーからシテまでの移動手段がないこと。二地点間にはバカみたいな距離がある。とても徒歩やジョギングで問題なく辿り着ける距離ではない。最速の移動手段である馬車と『汽車』を駆使しても最低二週間はかかる。
だから、彼女は手立てを、つまり、移動手段を確保する必要があった。
結論。
只今の彼女が真っ先に達成すべきタスクは、移動手段調達のための、金銭の用意や、協力者の確保であった。
…にもかかわらず、我が家に帰るための第一歩として、ラディカが手始めに行った活動とは、窃盗であった。
は?なんで?
…墓場を後にしたラディカは、アメリーの街に向かおうとした。
しかし、彼女はあることが気になって、ピタリと立ち止まった。
立ち止まって、ぐりぐりと腰を回して自分を見回してみて、そしてため息をついた。
イマイチ危機感のない彼女は、只今の自分の恰好が非常に気になったのであった。
ほとんどボロのような、布切れがまとわっただけのような、コタルディっぽい形の古着。
一応、長袖とひざ下まで伸びたスカートのおかげで、そこまで肌の露出は無いのだが、如何せんボロい。虫食い穴が大量に空いていて、袖がほつれている。また、全体的に繊維が伸びてしまっていて、首元なんてヨレヨレだ。
そのみすぼらしさたるや、まるで、浮浪人がベッドとして使い倒した後のラグを身に巻いているようであった。
加えて、髪ぼさぼさ。
普段なら、起床と共にメイドに念入りに手入れさせて、煌びやかなストレートロングを作っているというのに、今日の彼女は棺桶での目覚めから今の今まで、そうできずにいた。つまり寝ぐせがそのままであった。
そのために、ヘアスタイルは、ほっておいたら小鳥が巣にし始めそうな程に遊び散らかしていた。枝毛がなく、太くて美しい銀髪をしているくせして、アマゾンの奥地のようにグシャグシャゴワゴワな髪型をしていた。それはまるで、落ちぶれた成金の家具だけは高価な散らかった部屋のようであった。
ラディカは、昔に遊びでやった、『農民ごっこ』を思い出さざるを得なかった。
従者やメイドに、農民の衣装だとして着せてやった布切れ。頭を適当にくしゃくしゃ掻き上げて作ってやったヘアスタイル。
庭園に設けた即席の家庭菜園所で、命令通りに汗水たらして働く、農民役の彼らの無様な恰好。
みっともないと嗤っていた、思い出の中の彼らの姿は、正に只今のラディカの姿そのものであった。
そんなことを連想させてくれる只今の恰好を、このラディカが好きになれるはずがなかった。
「はぁ…」
「こんな恰好で人前に出るくらいなら、死んだ方がマシですわ…」
見栄が何よりも大事でしょうがない、高貴なる彼女にとって、只今の恰好とは決して許されるものではなかった。
彼女の天よりも高いプライドからすれば、只今の恰好で街を歩くとは、尻の穴を広げて見せながら街を歩くことに等しい、とてもとても恥ずかしいことであった。
「何か、近くに化粧台や衣装部屋でもあったら良いのだけれど…、ありませんかー?」
彼女は投げやりな言い草で、周囲に無茶な期待をしてみた。
しかし当然、彼女のご所望は献上されなかった。
「…はぁーあ、この世界ってのは本当に気が利かないですわねぇ?人が頼んだものくらい、抵抗なくスッと出してくれれば良いのに…」
彼女は、やれやれと言わんばかりの顔でそう言った。そして、自分にとって都合の悪いこの世界を情けなく思って、またため息をついた。何様のつもりだお前。
その時、彼女はあることを思い出した。
先ほど、墓地で辺りを見渡した際に見つけた、小さな教会のことを思い出した。
「ふむぅ」
顎に手を当てて考えてみた。そして頭の上の電球がピンと点いた。
「教会なら、何か私に相応しい衣装の一つでも有りそうですわね?」
そうして、彼女は教会にターゲットを絞り、ふらふらと、そちらに向かうことにしたのであった。
空き巣をするべく…。
…ラディカは、我が物顔で正面から堂々と教会に入り込んだが、出迎えは誰もいなかった。
無人。
好機じゃん。
とりあえず彼女は、真正面にあった、神聖っぽそうな祭壇の周りを物色し始めた。何の躊躇もなく、まるで自分の部屋のクローゼットでも漁るが如く、物色し始めた。
光物が好きな彼女は、供え物?装飾?らしい宝飾のついたアクセサリーたちを、今着ているボロのポッケにどんどん仕舞っていった。
逆に、そうではないものは有っても邪魔なので、そこら辺にポイポイと放っていった。
ガシャン、ガシャンと、ラディカに放り投げられた物たちが地面に激突する音が、彼女の背後に鳴り響いていた。放り投げられた物の中には、盃や食器など、割れ物もあった。それらは当然、放られた後、ラディカの背後でパリン、パリンと最期の悲鳴を上げながら、方々に散った。
…おいカス、今お前が盗んだり投げたりしている物、全部他人の物だぞ。分かってんのか?自分の家のおもちゃでもこんな雑には扱わないぞ。それなのに、よくもまぁそんな粗相をいけしゃあしゃあと出来たもんだ。恥を知れ恥を。
しかし、彼女の顔はまるで平然であった。読書でもしているかの如き、何てことない顔であった。罪悪感に顔を歪めるとか、少しでも申し訳なく思うとか、そういうことは、只今の彼女にはまるでなかった。
なんだコイツ。
こんな邪知暴虐なラディカを見て、誰が彼女を"高位の貴族"と見なせるだろう?こんなのただの泥棒野郎じゃないか。
いや…、実のところ、只今の横暴な態度こそ、正に彼女における"高貴さの条件式"に当てはまるのだ。
極めて変な話ではあるが。
極めて変な話ではあるが、『お前のものなんて存在しない、この世の全てが私のもの』こそが、権力者たる己に許される標語であると信じて疑わない彼女にとって、只今の行為とは決して泥棒ではないのだ。
彼女の信条に従えば、只今の彼女とは、ただ、貴族として、下民から税を徴収するが如く、そこらの建物にあった"自分の物のうちの一つ"を回収しているに過ぎないのだ。
だから…その、彼女にとって、只今の行為は決して窃盗でも空き巣でもコソ泥でもないのだ。むしろ、これこそが"貴族としての振る舞い"なのだ。
実態は、ただの窃盗で空き巣でコソ泥でしかないのに。
無茶苦茶だろう?意味が分からないだろう?
しかし、それこそがラディカという女なのだ。疎まれ憎まれるフラン家の長女なのだ。死んで当然のクソ女なのだ。
「…あら?」
…少しして、このクソの注目は、祭壇の一番正面に祭られている物に集中した。
クソのラディカはこれを手に取って、ジロジロと眺めてみた。そして気がついた。
「コレってひょっとして、『聖遺物』かしら?」
彼女は似たようなものを見たことがあった。かつて、シテの大聖堂で開かれた秘密の儀式にて見かけた、やけに神々しい布。目の前のそれは、正に思い出の中のそれにそっくりであった。
『聖遺物』。かつて大陸に降臨した神、『ガロ』が遺したものと語り継がれる国の至宝。言うまでもなく貴重品。
本物かどうかはともかく、神のアイドルとして、この教会で祭られるそれは、ガラス窓のある木枠の重々しいケースに大事そうに仕舞われていた。
ラディカは聖遺物に触れてみたくなった。なので、それをケースから取り出そうと、あれやこれやとケースの蓋に力を入れ始めた。
しかし、ケースには厳重に鍵が掛かっていたために、力づくでも蓋は開かなかった。
そこで、窃盗メスゴリラのラディカはガラス部を床に叩きつけることにした。そうして粉々に砕け散ったガラス窓から、目的のそれを取り出すことに成功したのであった。
「…これは!」
取り出した聖遺物を手に持ったラディカは、ぱあっと笑顔になった。
「私に相応しい、綺麗な布ですわ!」
聖遺物は『聖骸布』であった。大判のバスタオルほどの大きさの、細長い、シルクのように艶やかな繊維の上に、非常に細かな刺繍が施された、誰もを恭しくさせるほどに神々しい美麗さを放つ素晴らしい布であった。
彼女は拳を天…井に突き上げて、喜びと達成感を表した。興奮して、この地上に唯我独尊を謳った。
遂に、彼女は目論見通り、この教会にて自身のお眼鏡に叶う衣装を発見したのだ。
「…まぁ、ドレスじゃなかったのはガッカリでしたけど、でもでも、コレをこうして身に巻けば…」
「ラティア東部で流行っているドレスみたいですわ!」
彼女は、肩から全身を包むように布を巻いて、まるで、我々で言うところのサリーみたいに聖骸布を使ってみせた。そして、出来上がったそれを見て自分は間違いなくドレスを着ていると確信していた。
…ただ、喜ぶ彼女にこんなことを言っちゃ悪いが、只今の彼女は、どこをどうみてもドレスを着用しているとは言い難かった。どちらかと言えば、寒さに耐え兼ねて適当な布を身にグルグル巻く哀れな浮浪者のようであった。
しかし、幸せ気分で頭ハッピーな彼女は、そんなこと気がつきさえしなかった。彼女からすれば、只今の恰好は誰が何といおうとドレスなのであった。
その後彼女は、さっきポッケに仕舞ったアクセサリーのうち、髪飾りを何個も髪に付け、指輪を片っ端から指にはめ、ネックレスも首にかけまくった。
そうして、彼女は遂に、盗品だけで作り上げたストリートギャング顔負けのガチカウンターカルチャーなスタイルを完成させた。ボロ布の上に神々しい布をグルグルに巻いて、髪留めを複数箇所にして、首や指にジャラジャラと宝飾を付けて、おまけに背部が血糊まみれという気狂い系ファッションを遂に完成させたのであった。
「…完璧ですわ!これなら人前に出ても問題ありませんわね!」
完璧なわけあるか。只今の彼女の恰好とは、誰がどう見ても滑稽そのものであった。
だが、客観的視野なんて持ち合わせていない自己中心女のラディカは、そんなこともまた、気づきさえしなかった。
擁護すると、これは彼女が育った環境がもたらした哀れでもあるのだ。彼女は生まれてこの方、どんな恰好をしようが、褒められる以外の反応を受けたことがなかったのだ。
可愛い。綺麗だ。美人だ。素敵だ。お姫様だ。最高だ。そう言われまくって育ってきた彼女には、自己を顧みる能力が無かったのだ。
だからこそ、只今のゴミみたいな衣装に対しても、彼女は胸を張って完璧だと言うのだ。嬉しくなって、小躍りだってしちゃうのだ。頭だけでなく、境遇も可哀想な奴なのだ。是非皆で蔑んでやってほしい。
…して
そんな風に、犯行現場で呑気に浮かれていた彼女が、結局、逃走前に教会の家主に見つかってしまったというのは、極めて自然な結果だと言えよう?
「…これは一体何だ!?聖堂がメチャクチャじゃないか!…そこで踊っている君は何者だ!泥棒か!?君がこれをやったのか!?」
彼女は遂に、至極当然な怒号に捉えられ、そして非難を浴びせられてしまった。
「…はぁ?」
しかし、怒号を聞いたラディカは、これの趣旨が鼻についたからといって…、理不尽な逆切れを始めた。
「やかましいですわ下民!お前こそ何者なんですの!?お前はこの私を怒鳴りつけられるご身分なのかしら!?」
男は、目の前の泥棒女が何故か自分に逆切れしてきていることに、意味が分からず一瞬うろたえたが、軽く咳払いをしたら、落ち着いた様子で彼女の問いに答えた。
「…私はこの教会を預かる者、つまりここの『神父』だ。…失礼だが、君はどちら様で?」
神父は、泥棒への怒りを抑えて、神父らしい、出来る限り紳士な態度で彼女の正体を尋ねた。
素晴らしい。このような態度のただ一つが、彼が正に聖職者に相応しい、人格者であることを容易に理解させる。
対してアホのラディカは、逆切れの勢いそのままに、大声で問いに答えた。
「私の名を知りたいですって?はっ!無礼!しかし教えてやりますわよ!感涙しなさい下々!私こそ、フランガロ最高位の貴族、フラン家の一族にして当代の長女!ラディカ・ソロリス・セァヴデオス・ド・フランですわ!」
胸に手を当てて、ドヤ顔をする彼女の間抜け面は、彼女が正に愚者であることを容易に理解させる。ゴミめ。
…しかし、人間の最底辺みたいな受け答えをされたにも関わらず、神父は、彼女を憐れむでも、貶めるでもなく、むしろ神々しいものでも見たかのように、その場にひれ伏した。
「…なんと、まさか…、いやそんな…」
神父の目は潤み、組んだ手は震えていた。彼は言葉に言い表せない感情をどう消化すべきか困っているようであった。
対して、アホのラディカは神父の様子を見て、調子に乗って、更にふんぞり返っていた。
「はっ!畏れましたの?戦慄しましたの?この私が、何を隠そう高貴なるラディカであることに今更気がついて!お前はもっと深く頭を下げるべきですわ!地面に顔面がめり込むほどに、額を床にこすりつけるべきですわ!」
彼女は、目の前の、膝を崩して動揺する神父の様子を見て、嬉しそうにしていた。
これこれ!これこそ私に対する世界の有るべき態度ですわ!…そんなことを考えて喜んでいた。
ただし、神父は別にラディカにひれ伏しているわけではなかった。もっと別の、起こりうるはずのない奇跡を目の当たりにして驚嘆しているのであった。
その奇跡が、かつて仲間と共に『シテの大聖堂』に忍び込み無断で閲覧した、禁書に記された伝説にそっくりそのままだからこそ、彼は畏敬の念に打ち震えているのであった。
神父は少し考え込んだ後、ラディカに対し、遂に導き出された難問の証明を言い放つようにして叫んだ。
「…おぉ!高貴なるラディカ・ソロリス・フラン嬢よ!フラン家よ!没落せし姉妹の一族よ!遂にその栄華を取り戻したか!誉れだ!選ばれし者よ!貴女をお目にかかれたことを光栄に思う!絶頂だ!そうだ!貴女が今手にしているその全ては勿論貴女の物だ!持っていくといい!いや、持っていってくれ!」
「当たり前ですわ!私の物を奪う権利がお前如きにあるわけないでしょう?この衣装どころか、教会の所有権だって私の物に決まっていますわ!」
「あぁそうだ!貴女の言う通り、この教会の所有権も、権威も、全て貴女のものだ!当然だ!教会は真のガロのためにあり、真のガロが望む全てを捧げるためにあるのだから!あぁガロよ!偉大なるガロよ!私の尻子玉すら持っていけ!私の献身は偽りのガロは今に滅ぼすぞ!あぁガロに万歳!姉妹に万歳!そして貴女に万歳!」
「…ぅぇ?ぁっ、当たり前ですわ!分かってくれて何よりですわ!…えっ?本当にいいの?ちょっとノリが良過ぎません?」
…微妙に噛み合わない会話が絡み合った末、ラディカは窃盗を働いたくせに、加えて、家主にバレたくせに、事件現場から無事に脱出することに成功した。
無事どころか、被害者であるはずの神父に外までエスコートされ、更に、全身で両手を振られ、見送られながら、彼女は悠々と場を後にしたのであった。
「…あっ」
「私としたことがウッカリ…、靴を貰い忘れましたの…」
「だって、起きてからずっと裸足でしたし…、違和感無くなっちゃったんですもの。…でもまぁ、しょうがないですわよね?」
「もう、教会に戻るのも面倒臭いですし…」
「…足首から下が露出しているのは、少しみっともないかもしれないけれど、でもまぁ、足元から上の神がかりファッションスタイルで実質帳消しですわよね!」
「それじゃあ、そのまま街に前進ですわ!」
人生が上手くいって幸せ気分なラディカは、ひとり言を口ずさむように言いながら、ルンルンとスキップをして前進した。
何か大事なことを知っている神父から親切に教えてもらった街への行き道を辿って行った。