2 (10)
早朝。
「…大丈夫そうじゃな」
フランガロとラティアの国境に警備が全くいないことを確認したベイが合図した後、三人は検問所を駆け抜けるべく、急いで走り出した。
同時に、検問所に構えていたたった一人の検問官が大慌てで三人を追いかけ、制止するよう呼び止めたが、三人はこれを一向に気にすることなく、走り続けた。
「政府の野郎、普段なら厳しく検問しとるくせに、ここ最近はまるでガバガバじゃな。それはそれで、入り放題出放題で冒険者都合にはええが…」
フランガロとラティアの国境には山脈が横たわっていた。
そのために、二国間を移動する方法は、過酷な山越えか、山脈にたった一か所だけある谷を抜けるかの二つに限られていた。
しかし、谷にはこれ見よがしに谷間を横断する防壁を備えた町、『タンド』が設けられていた。
そのため、越境時に谷を抜ける道を選んだ場合、壁門の検問所は避けては通れない障害であった。
…ベイの言う通り、普段ならば、冒険者の国境越えとは、検問官を騙すか、突っ切るかして乗り越える必要のある、大変に難易度の高いものであった。
しかし、ここ最近は違った。
「確か、この町ってフラン家の領地で、統領がレジティ、アンタの妹に変わってから、途端に兵も警察も、何もかも撤退したのよね…」
全力で走るマリエットは、合間合間に息継ぎをしつつ、言った。
「へぇー…」
対し、息一つ切らさず走るラディは、マリエットの発言に出てきた単語に反応して、少しブスッとした様子で返事した。
続けてベイが、非常に息を切らしながら尋ねた。
「ハァ、ハァ、お前、なんか知らんのか?ラディ…、ハァ」
「なーんも知りませんわね。私、難しいマツリゴトには興味ありませんでしたもの」
「あぁでも、レジティのアホは、私とは違って何か意見があるみたいでしたわよ?ちょくちょくお父様の方針に直談判してましたわ」
「後は…、えーっと…、うん、それ以上は何にも覚えていませんわ」
そう、ラディは平然と答えた。
「ハァ、ハァ、あぁそうか、そうか、それくらいしか知らんか…フゥーッ」
「ハーッ、ハーッ、もう検問官が蟻んこくらい豆粒に見える…、ハァ…、もう走らんでええじゃろ…」
大きな身体を全力で動かすことに限界の来たベイは、走る足を止めて、膝に手をついて、肩で息をし出した。
見ると、彼は額や首元を汗でベチャベチャにしていた。背や腹も汗まみれにしたために、シャツの上から彼の肌と体毛の影が浮かんでいた。
ベイに合わせて、マリエットも立ち止まった。彼女もまた、十分に息を切らしていた。
彼女は身体の熱を発散するために、中折れ帽を取って、レザージャケットを脱いで、通気を良くするために、トップスの胸元を摘まんで前後にパタパタと動かし始めた。
「しっかしラディ…、アンタ、凄い体力ね…」
マリエットは深呼吸をしつつ、疲れた足をウロウロと歩かせてクールダウンをしながら、ラディの極めて優れた身体能力を褒めた。
…相当な運動の末、疲労困憊な二人に対し、只今のラディは確かに異常であった。
チュニックの上に聖骸布をマントのように羽織って、更にその上にベイとマリエットの荷物を全部詰めた、数十キロはある重たいリュックを背負いながら走っていたというのに、彼女は汗の一滴も流さず、一ミリも疲れておらず、余裕綽々であった。
「ふふん、身体を動かすことは生まれながら得意でしたのよ、私」
「…でも正直、これだけ走っても全然疲れていないってのは、私としても予想外ですわ。…アメリーの街からの経験を経て、体力がついたのかしら?」
彼女は、自身の身体の変化に少しだけ驚いた。
しかし、彼女はそれ以上に嬉しそうにした。彼女は、只今にクタクタな二人に対して、自分が全く無問題であるという事実に大きな優越感を得ていた。
だから彼女は、息巻いて、二人の前にムンと両腕を上げてマッチョアピールをしてみせた。
そして、二人を意地悪に挑発するべく言ったのであった。
「私はまだまだ走れますわよ!」
「いやぁ…俺はもう無理じゃ…」
「私はまだまだ走れますわよ!!!」
「いやぁ…もう勘弁してくれ…、こっからは馬車使うぞ、馬車…」
疲れの余りくず折れたベイは、強い降参の意を込めて、ラディの元気を制止した。
…そんな二人のやり取りが微笑ましくて、マリエットは、息切れをしながらもクスクスと笑っていた。
…目的地には、国境を抜けた当日の深夜に辿り着けた。
そこは、人里離れた場所にある、ハゲた低山の中腹であった。
…ガレキに記された地図が示す地点には、朽ち果てた『ドーム』があった。
尤もそれは、屋根も無ければ、柱も風化し、朽ち果ててしまっていて、一目には、石組みの床と、いくつかの残骸でしかなく、とてもドームのようではなかった。
しかし、専門家であるマリエットとベイから見れば、それが未知のドームで、間違いなく未発見の遺跡であることは明らかであった。
「一体何かしら、これ…。なんとなく戦時の建造物な気がするけど…」
「…おいマリエット、この紋章見てみろ。お前、これを見たことあっか?」
マリエットはベイの指し示す、唯一無事に佇んでいた柱に刻まれた謎の紋章に着目した。そして、発見済みのシンボルを全て書き取った自身の手帳と照らし合わせながら、慎重にそれを観察した後、確信して答えた。
「ないわ。どの時代の王家やフラン家のモノでもなければ、もっと前、『旧ガロ』のモノでもない。それ以外のモノとも見比べたけど、どれとも異なる。…この紋章は、私が知り得るどの情報とも一致しないわ」
「ってことは、完全に未知の存在が建設したドームか…。こりゃあまぁ、偉業を為してしまったもんじゃなぁ…」
二人は、あまりに大きな発見をしてしまった事実に、言葉を失っていた。同時に、彼らは立ち尽くしながらも、感動のためか、身体を小刻みに震わせていた。
…そんな様な二人を、ラディは羨望をもって眺めていた。
只今の彼女の脳内は、はてなマークでいっぱいだった。
何の知識も持たない彼女にとって、只今いるこの場所とは、特段、何でもなかった。彼女の目には、この場所は、ただ単に古そうな人工物の塊にしか見えなかった。
だから、彼女には、どうして二人がここまで感動しているのかが分からなかった。
「何だかよく分かりませんけど、二人とも楽しそうですわね…」
「いいなぁ…」
彼女は同時に、感動できることが羨ましかった。
「…今からでも勉強をすれば、私もと同じ気持ちを共有できるようになるのかしら?」
「一応私、大卒ですものね…。頑張れば何とかなるかしら…?」
そんなことを呟いている内に、ラディはなんだか悔しくなってきた。
二人の反応からすれば、ここは、先のかび臭い遺跡とは違う、非常に素晴らしい場所で、それはきっと、ラディにとっての大きなトカゲや誰も知らない島なのだろう。
…とどのつまり、二人は今、ドキドキワクワクしていて、言わば『冒険』をしているのだ。
自分があれだけしたいと楽しみにしていた冒険を、只今の二人は行っているのだ。
彼女において、それは何だか、二人に抜け駆けされたような気がする事であった。
だから彼女は悔しくて、そのために彼女は苛立ちを解消すべく行動せざるを得なかったのであった。
ラディは二人の背後をチョロチョロと動き回り、見回し始めた。
只今の二人と同じように、楽しくなりたいから、彼女は行動を始めた。
ただし彼女は、この場に大きなトカゲを探す気はなかった。未知の島や大陸を探す気はなかった。そもそも、この場においてそんなものが発見できると考えていなかった。
それよりも彼女は、紋章やら、遺物やらの、自分の目からはガラクタにしか見えない物共を探していた。
…無知な自分でも、この場で可能な冒険とは、つまり、この場で楽しくなれるものとは、マリエットの喜んだ顔以外ない。
彼女は、そう結論づけた上で、頭と手を動かして、模索をしていたのであった。
ラディは色々と頑張ってみた。紋章を探すべく、おもむろに石畳についた苔をむしったり、雑草を千切ったりして、所々の石面を露出させてみた。しかし、紋章はどこにもなかった。
それから、彼女は、そこら辺に転がっているガレキの表面背面を色々と見てみた。ガレキのうちに遺物らしいものが無いかどうか目を凝らしてみた。
…しかし、彼女は何も見つけられなかった。
彼女にとって、歴史的価値のある物品を見つけることは、子供の落書きの中から現代アートを見つけることよりも難しかった。…そこら辺に転がっているガレキだって、遺物だと言われたらそんな気がするし。逆もまた然りだし。なんだこれオイ、意味分かんない。
彼女は、この場にあるのもの内、一体何を見せればマリエットが喜んでくれるのか、全く分からなかった。
「むー…」
困ったラディは、その場に胡坐をかいて座り込んだ。
そして、頭を回して、辺りをグルリと見まわした。
「むー…」
「む…?」
どうしようかと唸るラディの目に、地に横たわる壁が映った。
皿に乗ったワッフルみたいに横たわる、ドームの壁。
縦横の幅が大の大人2,3人分ほどの、一枚岩の壁。
ラディはこれにフラフラッと近づいてみた。
そして、横たわる壁と、石畳の床の隙間に指をかけてみた。
「この下に凄いものがあったり…?」
「しないかしらー…っと」
彼女は、石の下に隠れたダンゴムシを探すくらいの感覚で、壁を、自身の頭の上の高さまでめくり上げてみた。
…壁の総重量は、間違いなく十数トンはあった。
それにも関わらず、彼女は、重機でしか扱えない程の質量を、布団をめくるよりも簡単にめくり上げた。
持ち上げられた壁と地面の隙間に吸い込まれるように、ズワァッと砂埃が舞った。それは、明らかに人力が起こせる現象ではなかった。
しかし、只今の彼女は、いつの間にかそんなことが出来るようになった自分の変容よりも、外界に何かを見つけることに一心で、盲目であった。
「…あ!」
そして、遂に成し遂げたラディは、二人の背に嬉しそうな声をかけた。
「マリエット!ベイ!これ!これをご覧なさいな!」
「んー?何ー…って何してんのラディ!?」
「なはは!すげぇなお前!もしかしたら、この世で一番の力持ちなんじゃねぇか?」
振り向いた二人は、何よりも眼前の怪力メスゴリラに驚いた。その異常性に、まるで神の奇跡でも目撃したかのように驚いた。
しかしラディは、これには無関心であった。
「え?は?何を言ってますの?凄いのは私じゃありませんわ!私よりも、ほら!これをご覧になって!」
ラディは、片手を離して、自身の正面の床を指し示した。喜び、舞い上がって、ハイテンションになりながら、正面の床を指し示した。
「ね?ね?凄い発見でしょう?この『階段』!」
「…階段?」
その言葉に疑問に思った二人は、持ち上げられた壁の真下を覗き込んでみた。
そして、確かに目撃した。
「階段だ…」
「階段じゃな…」
…ラディの言う通り、そこには確かに地下へと続く階段があった。
陰鬱とした空気を放ち、外界の光を吸い込む闇を放つ、未知へのあからさまな入口があった。
ラディは手に持っていた壁をそこら辺に置いた後、腰に手を当てて満面のドヤ顔をしてみせた。
「どう?どうですの?これは凄い発見でしょう?私でも分かりますわ。これはきっと、あのよく分かんねぇ紋章なんかよりもずっと凄い発見でしょう?」
「えぇ…えぇ…!凄いわラディ!未知の遺跡の地下なんて、明らかに凄すぎる発見だわ!」
ラディの発見に応じるように、マリエットの顔がパァッと明るくなった。
マリエットは、明らかに喜んでいた。
瞬間、ラディの脳は強烈に痺れた。
心の奥がジーンと感動に打ち震えて、幸福で身体がいっぱいになった。
「ふふ。ふふっ!はは!はーっははははは!!!」
「マリエットが喜んでる!凄く喜んでる!私が喜ばせた!凄く喜ばせた!ははは!!!嬉しい!楽しい!はっはははははは!!!」
ラディは何もない夜空に向けて大きく手を広げ、高らかに嬉しさを叫んだ。
手をバタつかせながら走り回って、全身で楽しみを表現した。
こんなにも簡単なことに対して、彼女はこの上ない絶頂に至っていた。
…今まで、色々な遊びをしてきた。
パーティーに明け暮れ踊り狂ったり、散々に散財したり、…時には自分の快楽のために無実の人々を殺したりもした。
それはそれで、そこそこ楽しかったけども、けれども、それらは只今程に自分を満たしてくれるものではなかった。
何てことだ。目の前にいる、ただ一人の愛する彼女が喜んでくれるだけのことが、こんなにも幸せなことだなんて。
自身の血肉の全てを満たし、潤し、そして活性化させるだなんて。
私は知らなかった。
…そして私は、まだ知らない。
そんな相手にとっての、つまり、マリエットにとっての不可欠な物と成れた際の感動を。彼女の役に立てる人間に成れた瞬間に自分の全身を襲うであろう莫大な感動を。
…私には、まだ先があるのだ。今に来たる、これ以上ない絶頂には更にその先があって、それはまだ、確かに、私を待っているのだ。
何てことだ!
…私はこれまで、ギロチンで殺されてからずっと、良いことに恵まれてこなかった。ずっと、ずっと、苦しい思いだけをしてきた。
でも!マリエットに出会ってから全てが変わった!
全ての苦しみが、とんでもない幸せに変わった!
ラディは宵闇に光を見つけていた。
その目に、絶対的な幸せを見据えていた。
…しかし、現状が指す針の方向は、ラディが考えるほどに薔薇色ではなかった。
クシャクシャの笑顔ではしゃぎまくるラディを余所に、マリエットとベイは、この発見に対する考察を深め、そして、表情を非常に真剣なものに変えていた。
「…傾斜地に建造物といい、未知の紋章といい、しかも地下といい、ここが只物じゃねぇことがいよいよ確かになったなぁ」
「…この建造物が只物じゃないってより、只者じゃない何かが関わる建造物って方が正しいでしょ?見る限りの拙い予想でしかないけど、ここには恐らく、フランガロやラティア、それどころか、大陸全部とも関係のない存在が関わっている…」
「その正体は、恐らく…」
そこまで言った後、マリエットは固唾を飲んだ。そして、改めて階段の先を見つめた。
ここで、ベイが彼女に問うた。
「なぁマリエットよ、お前ならどうする?…目の前には、明らかな未知と、それに匹敵する危険が存在するが…」
ベイは真剣な表情を更に鋭くして、そして、マリエットの目を強く見て問うた。
…今ならまだ引き返せる。
幸い、まだフーシェに見つかっていない場所だから、二人は今から急いでゴルフの町に帰還して、物資を用意して、応援を呼んで、支援者を集めて、そして、万全過ぎる体制をもって改めて出直すことができた。
それまでの間が心配ならば、ラディに頼んで、再度地下への入口を壁で蓋すればいい。そうすれば、たとえ準備中にフーシェにこの場所が見つかったとしても、地下だけはすぐに暴かれずに済むだろう。
…冷静に考えれば、そうするべきであった。
いくら階段の先に危険があると事前に察知出来ていると言えども、いくらラディが超常の能力を有していると言えども、たかが三人。万全とは言えないこの状況では、全てに対して十分に対処できるかどうか分からない。
引き返すべきだ。
絶対に引き返すべきだ。
引き返すべきなのだが…。
しかし、愛する人が魅惑的に横たわっている様子を見て、それでも情欲を抑えきれる人間が何処にいる?
…少なくとも、この場に存在するマリエットは、…ラディを手に入れるために大きく変わった只今のマリエットは、決してそういう人間でなかった。
だからマリエットは、中折れ帽を深く被り直してから、ベイ以上に強い目を見せた。
そして言った。
「引かないわよ」
ベイはにやりと口角を上げた。
「だろうな」
そうしてマリエットは、未だ余所で歓喜を讃えているラディを、強い語気で呼びかけた。
「ラディ!行くわよ!」
ラディは喜びに酔いながら、呑気に振り返り、尋ねた。
「へ?どこに?」
マリエットは得意げな表情で言った。
「アンタが望んでたもの…」
「『冒険』によ!」
…ラディの顔はますます明るくなった。
死にたいと何度も思った。
でも、生きてみれば、たとえ悪いことが続いたとしても、その後には必ず良いことに出会えると知れた。
絶対に、事態は変化すると知れた!
そして今、確かに幸せがやってきた!それも続けてやってきた!
揺るぎない、
幸せ!
このときのラディは、美味しいケーキを一口、また一口と頬張るような至福でいっぱいであった。
その先は見ずに、楽観的に。