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⦅彼女⦆とか"ラディカ"とかって使い分けするの、マジでダルかった。
てめぇこの野郎、ラディだかカビだか知らねぇけど、絶対許さねぇからな。
覚えとけよ。
冒険者!
何だかんだあったけど、ラディは今から冒険者になるのだ。ただのラディから、冒険者のラディになるのだ!
…お手伝いだけど。
いやしかし、冒険者なんて!ラディはマリエットからその存在を知らされるまで、そんな職業がこの世に在り得ることを知らなかった。冒険者、どころか、冒険なんて概念も、ファンタジー世界の住人でしかないと思い込んでいた。
だからこそ、ラディは興奮していた。冒険者となった自分にワクワクが止まらなかった。というのも、ラディは幼い頃から冒険モノのファンタジー小説が大好物であった。
…今から始まる冒険、一体私は何をするのだろう?山のように大きなトカゲと戦うのだろうか?酸の雨が降りしきる大地を駆け抜けるのだろうか?誰も見たことがない島や国を発見するのだろうか?
ラディはとにかくドキドキしていた。自分を待ち受ける冒険とロマンの香りに武者震いをしていた。あぁ、次の瞬間の私はどんな味の空気を吸っているのだろう?
そんなことを色々と妄想しながら、先日のラディはマリエットとベイに付いていった。浮足立って、二人の冒険に付いていった。それはもう、トキメキの一歩であった!
…で。
そんな高揚感の後、只今のラディの眼前に見えるのは、しゃがみ込んで黙々と書き物をしているマリエットとベイの二人。
フラン・ガロ王国南端の国境から少し離れた場所、『ラティア・ガロ共和連邦』の辺境にしょうもなく佇む、寺院っぽい『遺跡』の中で冬の虫のようにインドアな二人。
「これは『300年戦争』前の遺物か?」とか、「大陸の先端に多く分布しているような気がする」とか、「壺の中に文字が刻まれた瓦礫が詰まっている」とか、専門的?で、ファンタジー脳のラディには訳の分からない事を、あーだこーだと話し合っては、また文書作成に戻る二人。
それだけ。
前日は?
前日のベイは、測量した情報を基に遺跡周辺の地形図を作成していた。
マリエットは、遺跡の外観を精密にスケッチしていた。
ラディは、二人の荷物を背負って、ただ突っ立っていた。
前々日は?前々々日は?それよりも前は?
…ここ数日、ずっとそうだ。
ラディは、この苔むして辛気臭い、安宿2つ分くらいの容積しかない遺跡に突っ立ってばかりであった。
今日も、陽は既に西に傾いたというのに、ラディは未だ2000歩も歩いていなかった。冒険者の運動量は、冒険どころか、近所の散歩にさえも相対していなかった。
冒険は?冒険はどこ?大きなトカゲは?酸の雨は?未知との遭遇は?
ワクワクも、ドキドキも、トキメキも、一体どこ行っちゃったの?
…いい加減、何もなさすぎる冒険者ライフ(笑)にしびれを切らしたラディは、ドンッと叫んだ。
「地味!!!」
叫び声に反応して、地味な二人がラディの方に振り向いた。
「なはは!そうか、ラディには地味か!」
「えぇ、地味!地味も地味!地味ですわ!これは…、いや、仕事をさせてもらっている身として、苦言を呈するのは如何なものかもしれませんが、今のベイも、マリエットも、明らかに冒険者の名前負けをしていますわよね?」
ラディの異見を聞いて、ベイは更に豪快に笑ってみせた。
「なはははは!その通り!名前負けじゃ!今どきの俺たち冒険者は冒険なんかしねぇ。遺跡遺構の調査発掘が仕事じゃからな!なははは!」
「…ねぇベイ?私たちは冒険者なのに、どうして冒険をしませんの?私は期待していましたのよ?冒険をするっていうから、もっとこう…、そう!『デュマは風と語らう』みたいなドキドキワクワクをすると思っていましたのよ?」
「『デュマは風と語らう』!お前、あの物語が好きか!俺も大好きじゃ!実のところ俺もな、アレに憧れて冒険者になったもんじゃがな。いやはや、実際の冒険者はこんなにも地味じゃったわ!なはは!はは…!」
「…いや、元々の冒険者は『冒険』をしとったんじゃ。100年以上は前の話じゃがな、冒険者は『大陸』の外を冒険することが仕事じゃったそうじゃ。が…、出来なくなってしもうたんじゃ。フランガロがフーシェっちゅう秘密警察を派遣して、そういうことをしようとする連中を国内外問わず殺し尽くしやがってな。だもんだから、今の冒険者は冒険を諦めてしまったんじゃ」
「…尤も、今、俺らがやっとる遺跡調査も、フランガロじゃ違法で、ある種の冒険なんじゃがな…」
ベイは陽気に話していたが、次第に悲しい顔を見せた。
ラディは、そんなベイの様子を静かに見ていた。そして、彼の感情の強い変化を感じ取って、少しだが、同じように悲しい気持ちになった。
…ベイの話の通り、冒険者という存在の境遇は芳しくなかった。
そもそも、彼らが所属する冒険者ギルドという組織自体、フラン・ガロ王国では表看板を掲げられる組織でなかった。冒険者ギルドとは、あくまでも、フラン・ガロ王国の隣国、ラティア・ガロ共和連邦の東端の都市、『テーネ自由都市』に本部を置く組織であった。フランガロとは違い、冒険…もとい、遺跡や遺構の発掘や調査が違法ではないラティアを拠点にして活動を行う組織であった。
では、フランガロの一角であるゴルフの町にて冒険者ギルドを名乗るマルルとは一体何であったかというと、彼とは、ただ、本部からギルドの開設権限と報酬支払い用の預り金を与って、あえて敵陣に出張所を開いているだけの、異端なのであった。加えて、彼、そして、彼の開く出張所を利用するマリエットやベイとは、あくまでも、市井や政府の目が届かない場所で、ひっそりと非合法な活動を行う姑息な小集団なのであった。
…フランガロでずっと暮らしてきたラディが、冒険者のボの字も知らず、見聞きもしたことがなかったのは、彼女の無知以上に、この事情が起因していた。
ことフランガロにおいて、冒険者とは、アングラで暗躍する社会の敵であり、冒険者ギルドとは、無法者の集団、溜まり場でしかなかった。
…フランガロにおいて、マルルの存在とは、単に違法な職業を斡旋する、悪の親玉でしかなかった。
また、マルルから依頼を受け、仕事を行うベイやマリエットも、ただの罪人で、悪人でしかなかった。
…この仕事が違法であるという事実は、只今にベイに指摘されるまでもなく、ラディも知っていた。
仕事の説明を受ける際に、マルルから強い口調でそう注意されたから知っていた。
しかし、ラディには、この仕事の一体どこらへんが悪いことであるのかが分からなかった。
これまでに二人が行ってきた仕事とは、単に、ラディが今に居る遺跡の実測図と簡単な台帳を作成しているだけであった。
二人は、そんなカビ臭い、しょうもないことを、黙々と熟しているだけに過ぎなかった。
誰に迷惑をかけているわけでもなかった。
大陸の外を冒険してはいけないというのは、何となく理解できる。
大陸の外には魔族が住まうと聞く。
邪教が広がっていると聞く。
だから、それらを持ち込む可能性が危ないから、裁かれるのだろう。
しかし、目の前の二人はどうだ?
何か危ないことをしたか?
部外者を危険に晒したか?
そんなことは一切していない。何もしていない。
…もう少しアドベンチャーしてほしいと思ってしまうくらい、二人は何もしていない。
立ったり、座ったりして、真剣な目で、測量器具や紙に向き合い、真摯に作業をしているだけじゃないか。
非常に真剣に。
非常に丁寧に。
誇りをもって仕事をしているだけじゃないか。
…ラディは突っ立ちながら、真摯に仕事に取り組むマリエットの目を見つめた。
一心に前を向き、ひたむきに活動を行うマリエットの凛々しい横顔を見つめた。
…こんなに素敵なマリエットも、フランガロじゃ犯罪者なのね。
こんなにも真面目に物事に取り組む彼女が犯罪者だなんて、一体何がどうなっているのかしら。
どうしてなのかしら。
無学な私には分かりませんわ。
あぁ、お父様なら何か理由を知っているかもしれませんわね。
あぁ、お父様は私と一緒に処刑されて死んでいましたわね。
あはは。
…
「…ィ」
「…ディ」
「…ラディ!」
耽るラディは、マリエットの呼びかけにようやく気がついて、ビクッとした。
見ると、マリエットは遺跡の入口前にいて、遺跡の奥にいるベイと巻き尺を引っ張り合っていた。
「テープ!『布テープ』取って!」
マリエットは、巻き尺を握る手と反対の手をラディの方に伸ばして、急くようにクイクイと捻っていた。
ラディは、マリエットの急ぎの注文に気がつき、慌てて彼女の方に向かい、背負う大きなリュックを降ろして、中をまさぐり、布テープなる目的物を探し始めた。
しかし、ラディは焦って頭が真っ白になっていた。仕事を始める前にリュックの中にある道具の名前は一通り教えてもらったというのに、只今に、どれが布テープなのか、サッパリ分からなくなっていた。
「どれ?どれかしら?テープって言っても赤色とか緑色とか色々あって難しいですわ…!」
ラディは、頭をグチャグチャにしながら、あれでもないこれでもないとリュックの中身を取り出しては、放り投げてを繰り返して、取り乱していた。
「あ!それ!今手に持ってるそれが布テープ!渡して!」
マリエットは、右手に灰色のテープを持つラディに呼びかけた。
「え?」
困惑するラディは、マリエットの方に振り返ると同時に、手に持っていた物を邪魔だと思って放り投げてしまった。
「どれが布テープですの!?」
「それ!今ラディが放り投げたやつ!」
「放り投げたやつ?」
ラディは辺りを見た。
しかし、辺りには、ラディによってリュックから放り投げられた物が大量に散らばっていた。
「ど、どれですの!?全部放り投げたやつですわ!」
「あぁもう!それ!ラディの右脇にあるその灰色の…」
しびれを切らしたマリエットは、ラディの元に寄ろうとした。しかし、身をラディの方に伸ばそうとしたその時、彼女は不意に巻き尺を持つ手を離してしまった。
「おいマリエット!手ぇ離すんじゃねぇ!直線が狂うだろ!」
遺跡の奥からベイの怒鳴り声が聞こえてきた。
「ごめんベイ!…あぁ、コレ!コレが布テープだから!」
マリエットはベイの方を顔だけ向けて謝った後、ラディの近所を転がる布テープをひったくるように掴んで、そして、見せつけるようにそれを彼女の眼前に近づけた。
「ご、ごめんなさい!覚えましたわ!」
「覚えてよね!もう!」
そう言って、マリエットは作業に戻った。
…ここ数日、ラディはマリエットの役に立った気がしていなかった。
いや、それは気のせいなんかではなく、実際にラディは、居ない方がマシな程に役に立っていなかった。
専門知識が無いことは仕方がないとして、ラディはとにかく仕事の覚えが悪かった。
彼女の仕事は、荷物持ちと、頼まれた際にリックから手際よく道具を取り出して渡すだけの非常に簡単なものであったが、これがどうして、全く出来なかった。
何度教えられても、道具の名前を覚えられずにいた。
暇だからとボーっとしてしまって、呼びかけにすぐに反応出来ずにいた。
いざ道具を取り出すときも、投げ散らかしたり、雑に仕舞ったりした。何度注意されても、ふと無意識に道具を雑に扱ってしまった。だから、いくつかの道具は、ラディのせいで壊されてしまった。
道具どころか、大切な遺物の幾つかすらも、下手に触られて、手遊びに使われて、そして壊されてしまった。
ラディは仕事の手伝いが碌に熟せないどころか、邪魔すらしていた。
…それなのに、マリエットは決してラディを怒鳴りつけたり、煙たがったり、無碍にしたりしなかった。
どれだけ失敗して、足を引っ張っても、それでもマリエットは、ラディを荷物持ち、道具持ちとして使ってくれていた。
ラディを仕事仲間の一人として大事に扱ってくれていた。
…だからこそ、ラディは、いつまで経っても役に立たない自分の不甲斐なさに強く悩まされていた。
ラディには、マリエットが遠く見えた。
いや、自分が小さく見えた。
私って、こんなにも何も出来ない人間でしたのね…。
こんなにも、要らない人間でしたのね…。
それなのに…、それなのに、マリエットはずっと優しい。いつまでも優しい。
…今だってそうだ。
先ほどまで神妙な面持ちで作業を行っていたマリエットだけども、作業にひと段落がついた途端に、ふと、表情を穏やかな笑顔に変えて、私の傍に寄ってくれて、あまつさえ励ますように声をかけてくれる。
「ごめんラディ!さっきは強く当たっちゃって…」
マリエットはいつも謝ってくれる。…謝るべきはこっちだというのに。
「仕事となると、どうしても真剣になり過ぎちゃってね。焦っちゃうから良くないね。…もっともっと、悪い感情をコントロール出来るようにならなきゃね?」
私の失敗を自分の責任にしてくれる。…貶してくれればいいのに。
「さぁ、散らかっちゃった道具を片づけましょ!私も手伝うから、ね?」
そう言って、先ほどに私が床に散らかした道具を、率先してリュックの中に片し始めてくれる。
…もっとガツンと怒ってくれればいいのに。
「…何しょんぼりしてんのよ」
「いえ…」
「…別に失敗くらいどうってことないわよ。そんなのは怒るべきことじゃないわ。だから、元気出しなさいよ」
それなのに、マリエットは必ず私に優しくしてくれる。
優しくてしょうがない。その優しさに負けて、憂鬱だった顔がつい綻んでしまう。
「私は…元気でいいのかしら…?」
そして、いつも最後には、マリエットに絆されてしまって、私は甘えてしまう。
…良くないよね、こういうの。
「いいのいいの!相当なことをしでかさない限り、しょげる必要なんて無いわよ!私の方も相当なことが無い限り、怒ることはないわ!そう、相当なことが無い限り…」
「…あぁっ!!!」
…途端、マリエットの温かな様子が慌てた様子に変わった。
彼女は床に散らばる道具の一つを手に持って、笑顔を真っ青な顔に変えた。
「『トランシット』が壊れてる!床にぶつけたからだ!これ700『フラン』もして滅茶苦茶高かったのに…!」
マリエットは酷く肩を落として気を落とした。
それを見たラディは、咄嗟に言葉を取り繕おうとした。何とか一言、マリエットに声をかけようとした。
…しかし、何処まで行ってもアホのラディは、この場において、謝罪ではなく、マリエットをこれ以上悲しませないための、何か話題性のある言葉を言おうとした。…生来の良識の無さが、彼女にそうさせた。謝罪ひかえめで積み重ねられてきた人生が、彼女をそう誤らせた。
そしてラディは言った。
「あ、えっと…」
「…700フランって高いんですの?」
流石のマリエットも本気で怒った。
1フラン=2000円です。