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Version:DayDream  作者: 苦しみながら空を飛ぶカナブン
2.ラディカは自らの力でパンを手に入れる
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…あの後、マリエットは⦅彼女⦆を探すべく町中を駆け回った。町中どころか、町の周辺も数日かけて見回った。

しかし、⦅彼女⦆は一向に見つからなかった。

見つからなかった。


マリエットは別に、また説教をしたり、お節介を押し付けたりしたいから、必死になって⦅彼女⦆を探しているわけではなかった。

むしろ、マリエットはどうも、強引に⦅彼女⦆を動かそうという気になれなかった。


マリエットは罪悪感を抱いていた。…先日の自分が⦅彼女⦆の気持ちを尊重することが出来なかったから、⦅彼女⦆は涙ながらに走り去ってしまったのだと、マリエットは考えていた。

中途半端に自分の意思を強制したから、考え無しに強引に行動してしまったから、こんな結果を招いてしまったのだと、重い責任を感じていた。


…次に会えたなら、今度は必ず⦅彼女⦆の意志を尊重する。そして、もっと上手く対話を進めると、マリエットは心に誓っていた。


しかし、事態はそれ以前であった。

そもそも⦅彼女⦆自体がマリエットの傍に存在していなかった。


マリエットは⦅彼女⦆のことが心配でしょうがなかった。

⦅彼女⦆がどこにもいない。いくら探してもいない。その事実が、マリエットの抱える責任を更に重くした。

⦅彼女は⦆はきっと、町の外に広がる超大な荒野に一人で出てしまったのだ。植物が殆どなく、乾いていて、更に猛獣がいる荒野を一人彷徨っているのだ。きっと今頃、あの過酷な環境に途方もなく苦しんでいるのだ。もしかすると、死んでいるかもしれないのだ。

…私のせいで。


マリエットは、心が辛くてしょうがなくて、全く眠れなくなった。食事も喉を通らなくなった。

⦅彼女⦆のことを想えば想うほど、不安で潰れそうになった。

…夜の静寂が不安を後押ししたときには、マリエットは一人で泣き崩れて、酷く気を取り乱した。

マリエットの日々は、この世の全ての不幸に一斉に襲われているようであった。




…一週間ほど過ぎた後、マリエットは遂に⦅彼女⦆を発見した。

町の路地裏で、弱った野良猫みたいにうずくまっている⦅彼女⦆を見つけることができた。

案の定、⦅彼女⦆は町の外で何かに巻き込まれたようで、ズタボロになっていた。よほどショックな出来事に見舞われたのか、⦅彼女⦆は如何なる物音にも無反応で、いくら時間が経ってもピクリとも動かず、死体のように地面に転がっていた。


マリエットは、すぐさまに⦅彼女⦆の安否を確かめたかった。

しかし、近づけなかった。声すらかけられなかった。

マリエットは、いざ⦅彼女⦆を前にすると、また、自分の言動が⦅彼女⦆をボロボロにしてしまうのではないかと不安になってしまって、心苦しくなって、身動きが取れなくなってしまったのであった。


只今のマリエットはドツボにはまっていた。

…強引に⦅彼女⦆を動かすことはできない。そうすると、以前の失敗のように、また⦅彼女⦆を苦しめることになってしまう。

…だから、もっと慎重に、もっと考えて、もっと丁寧に⦅彼女⦆と接しなければならない。でも、そうやって低姿勢で、尻込みをすればするほど、段々と自分から自信が失われていく。不安ばかりが心を支配するようになる。そして、話しかけることすら躊躇うようになってしまう。

どうにかして⦅彼女⦆を助けたいのに、その方法を考えれば考えるほど、⦅彼女⦆に対して何もできなくなっていく。

行動したいと思えば思うほど、行動できなくなっていく。

そういうドツボにはまっていた。


だから、マリエットは…、『弱い』マリエットは、ようやく見つけた⦅彼女⦆を、ただ眺めることしかできなかった。


…見ていると、家屋の隙間からネズミが現れて、横たわる⦅彼女⦆の手に乗った。瞬間、⦅彼女⦆の指がピクッと反応した。ネズミはそれに驚いて、家屋の隙間に逃げていった。

マリエットは、その一瞬の指の動きを見逃さなかった。

⦅彼女⦆は生きていた!

その事実を暗に知れたマリエットは恐ろしく安心して、腰を抜かしてしまった。

その時、マリエットは嬉しくて、同時に、自分の弱さが情けなさ過ぎて、泣かずにはいられなかった。


…その後、マリエットは、⦅彼女⦆のいる路地裏の入口の前にずっと居座った。昼も夜もずっと、一睡もせずに⦅彼女⦆を見守った。

今の自分には、それだけしか出来ない以上、マリエットは必死にそれに噛付いていた。


…本当は、「大丈夫?」と声をかけたかった。

もっと欲を言えば、名前を知りたかった。

そして、⦅彼女⦆の笑顔が見たかった。…出会って以来見たことがない、幸せそうな⦅彼女⦆を、一度でいいから見たかった。

でも、そんな想いはやっぱり宙を漂うだけで、遂に実現することはなかった。




…いつの間にか倒れてしまっていたマリエットは、ハッと目を覚ました。

連日の徹夜と疲労が祟って、見張り中に気を失ってしまったのであった。

ついさっきまで味わっていた昼の熱気は、気がつけば夜の冷たい風に変わってしまっていた。


目覚めたマリエットのぼんやりとした視界は塞がれていた。

倒れたマリエットの顔を、マルルが覗き込んでいたからであった。

「頑張り過ぎだ」

マルルにそう言われたマリエットは、すぐさまに自分の失態に気がついて、慌てて飛び起きようとした。

しかし、彼はそれを軽く制止した。

「大丈夫だ。お前が寝ている間、俺が見張っていた」

マリエットは酷く安堵した。

「良かった…!」

「…ごめんなさい。ちょっと気が抜けてたみたい」

「…ありがとう。私はもう大丈夫だから、マルルは仕事に戻って。酒場は夜が稼ぎ時でしょう?」

マリエットはそう言って、立ち上がろうとした。

しかし、身体は言うことを聞かなかった。起き上がろうとした足は急に力が抜けてしまって、マリエットはその場に尻もちをついてしまった。

「…今日は休業日だ。アイツのことは俺が見ておく。『ルニヨン』が飯とベッドを用意している。お前はウチで休め」

マルルは素っ気なく、当たり前のことのようにそう言った。


…マリエットには分かっていた。

休業日なんて嘘だ。

そうじゃなくて今日は臨時で店を閉めたのだろう。…目の前のバカを気に病んで。

マリエットはマルルの申し出を断ろうとした。


しかし、マリエットは考えを巡らせた末、断ることは止めて、素直に休ませてもらうことにした。

…考えてみれば、マルルは自分を本気で休ませたいのならば、自分が気絶している間に勝手にベッドに運び込むことだって出来たはずなのだ。

それなのに、彼は決してそうせずに、自分の目覚めを待っていてくれたのだ。

マリエットという人間が強情で、自分の意志に反することを勝手にされると怒ることを知っているから、彼はその意志を尊重したのだ。その上で、彼は彼の望む結果を導いたのだ。

マリエットは、彼の思いやりに、嬉しくなって、また、かつての自分に出来なかったことをさり気なく熟す彼と自分を比べて、不甲斐なくなって、だから素直に休むことにしたのであった。


その後、マルルの女房のルニヨンに服を脱がせてもらい、身体を拭いてもらった後、マリエットはベッドに倒れ込んだ。

そして、泥のように眠った。




起床は、それから十数時間後のことであった。


ベッドから身体を起こしたマリエットの前に、ルニヨンは簡単な食事を用意してくれた。

パンと、オニオンスープと茹でた野菜。

しかし、マリエットは相変わらず何も食べられずにいた。

…⦅彼女⦆が未だ苦しんでいるというのに、自分だけこんなに恵まれてしまってもいいのだろうか?

⦅彼女⦆に何もしてあげられない自分が、身勝手にも⦅彼女⦆が一番欲しているであろう物に有り付くなんて、自己中心極まりないのではないか?

只今にそう考える、利他精神豊富なマリエットにとって、先程にベッドに倒れこんでしまったことすら、若干、自らの責めに帰すべき行為であった。


マリエットは、自分から発する全ての行為に対して憂鬱であった。

思考は、泥よりも重く澱み込んでいた。


「…食べられそうにないかい?」

ルニヨンは少し心配そうに、マリエットに尋ねた。

「うん、ごめんなさい…」

マリエットは、しょんぼりと答えた。

しかし、ルニヨンは、眼前の娘を安心させるために、がははと笑ってみせた。

「謝ることないよ。こんなことで謝ってほしくないよ。そうでなきゃ、私に怒られたことにムカついて夕食の全部を床にぶちまけてくれた小さい頃のアンタのことを、私は火刑にでも処さなきゃいけなくなるよ」

ルニヨンは、冗談を交えながら、豊満な腹を叩いて、豪快に笑ってみせた。

そんなルニヨンの気の良さに当てられて、マリエットは少し笑顔を取り戻した。


少しだけ元気を取り戻した娘に安心したルニヨンは、そっと、母が子の悩みを聞くような調子でマリエットに尋ねた。

「…アンタ、友達を助けたくて大変なんだってね?」

「え…?」

マリエットは聞き返した。

「だから、友達を助けたいんだろ?って言ってんだよ。そうなんだろ?」

「そう…」

マリエットは答えた。

「なのかな…」

しかし、頷きはしなかった。


『友達』

その言葉がマリエットの心に引っかかった。

言葉に対し頷くには、心がモヤモヤしてしょうがなかった。

何というか、そうではない。いや、そう成りたくない訳ではないけども。でも何か違う。

だから、素直に頷けない。


「私とアイツが…、友達…?」

「まだ名前も知らないのに…?」

マリエットは、⦅彼女⦆のことを友達と見なすルニヨン対し、適当な理由を掲げて小さく抗議した。

「あ?なんだ、そんなことで悩んでるのかい?別に名前なんざ知らなくったって、友達には成れるだろう?」

ルニヨンは、当然のように言った。

「そう…、よね…」

マリエットは、ルニヨンに簡単に言い負かされて、押し黙った。


しかし、マリエットは全く納得できなかった。

別に、⦅彼女⦆に対して、何も思っていないわけではない。そんな訳はない。⦅彼女⦆には、溢れんばかりの好意がある。

マリエットは間違いなく、絶対的に⦅彼女⦆との仲を深めたいと考えていた。それは決して揺らがない想いで、叶わなければ、自殺さえ選んでしまう程に願っていた。思い悩んでいた。

今まで行ってきた、彼女へのお節介も、その目的は、その暁に⦅彼女⦆から好かれたいからであった。

でも、その『好かれたい』っていうのは、何というか、「仲良くなって一緒に遊びたい」とか、そういう意味じゃなかった。

それは、もっと、こう…。単に「一緒になりたい」、というか…。

…というか、そもそも、どうして自分がこんなにも⦅彼女⦆に執着しているのかが分からない。

どうして自分が、⦅彼女⦆に対する感情について、こんなにも機敏に、厳密になっているのかが分からない。


只今のマリエットは、⦅彼女⦆については、ただ、⦅彼女⦆のことを想い続けたいと考えていることしか分からなかった。

だからマリエットは、⦅彼女⦆について、ルニヨンに対し何をどう言えばいいのか分からずにいた。


ただ、マリエットは衝動的に、ルニヨンの意見を否定した。

「でも…、アイツは友達ではない、と思う…」

言語化できない、もどかしい想いをふり絞った。

ルニヨンは、何やら強情なマリエットの様子に驚いた。そして、更に尋ねた。

「違う?違うってのかい?…いや、違うことはないだろう?ああそうだ、アンタがどう言おうと違う訳がないね。あんなに必死になれる相手ってのは、友達か家族、それか好きな人のどれかに決まってるんだ」

「アンタとあの子は、当然に家族じゃないね。ってことは、友達か好きな人のどっちかだ。なら、どちらかと言えば、あの子はアンタの友達だって結論付けられる。違うかい?」

ルニヨンの言葉に、マリエットは何も言い返せなかった。ルニヨンの言うことはもっともであった。


でも、マリエットは、⦅彼女⦆を友達と見なしたくはなかった。

マリエットにとって、⦅彼女⦆はもっと別の存在なのだ。

⦅彼女⦆は、強靭で寝顔のかわいいアイツは、私の…。


「あぁ!友達じゃないってことは、アンタ、あの子のことが好きなのかい!そうか、アンタはあの子に恋焦がれてるのかい!」

「…え?」

「えっ…?えっ…!?なっ、何言ってるの…!?」

「私が、アイツに…、恋…!?」

ルニヨンの急降下爆撃のような電撃的指摘に、マリエットの顔は急激に真っ赤になった。口角が高速で上がったり下がったりして、何か言葉を発して取り繕おうと必死になった。マリエットはあからさまにアワアワし始めた。

だが、ルニヨンは遠慮なく、マリエットの心にズカズカと土足で入り込み続け、抉り続けた。

「よく考えりゃ、いくら困っている人を助けたいっていっても、会ったばっかりの人間の為に何日も泣きはらしたり、徹夜してずっと傍にいようとするってのは少し妙だね。どれだけの大善人でも、流石にそこまではしないだろうね。特に泣く方。そういうことは特別な相手、大好きな相手にしかしないだろうね。違うかい?いや、違わないね!」

マリエットは、言及に突き詰められて、完全に押し黙ってしまった。

ただ、ルニヨンは、追い詰められて下を向こうとするマリエットをそのままにはしなかった。ルニヨンは、即座に優しい言葉で傷心しそうになったマリエットを包んだ。

「…安心しな、私はアンタを絶対に拒絶しないさ。私だけじゃない。旦那もベイも同じさ。たとえアンタが邪教に堕ちたとしても、アンタは私たちの可愛い娘だよ」

「だから、話してみな。そうすれば、ずっと曇ってしょうがない気持ちもちょっとは晴れるかもしれないよ」


ルニヨンが言ってくれたその言葉に、マリエットは、ゆっくりと、救われた気持ちになっていった。

こんなにも邪まな想いでも、自分自身ですら正面から向き合うことが出来ない想いでも、ルニヨンは向き合ってくれる。

嬉しかった。


赤面して暴れていた顔が、徐々に落ち着きを取り戻していった。

同時に、マリエットは自分の内なる想いに、少しずつではあるが、正面から向き合えるようになっていった。

目を閉じて、⦅彼女⦆のことを思い出した。

柔らかな、少し巡らせるだけでも頬が緩んでしまうような甘い思考に、真剣に向き合った。

深く、向き合った。


そして、マリエットは、目を開いて、口を開いた。

「…私にはまだ分からないわ。恋とか…したことがないから。…友達だって出来たことがないから、友情と恋情の違いとか、私にはよく分からない…。だから、この気持ちの正体が一体何なのか、私はまだ知らないわ…」

「でも、アイツのことを絶対に守りたいっていう気持ちは本当なの…」

「…仕事柄、危機に晒されている人を助けた経験は何度かあったわ。その時も当然、本心で、必死で人を助けた。…困ってる人を助けたい、って気持ちが、相手によって強弱つくことはないわ。えこひいきなんてしない。誰であろうと、困ってるのなら私は全力で助けたいわ…」

「でも…、アイツに対する感情はちょっと違うの…。何というか、助けるだけじゃなくて、守らなくちゃダメって思うの…。私がずっと傍にいて、守ってあげなくちゃダメって思うの…。じゃないと、私がクシャクシャな気持ちになっちゃう…って、そんな風なの」

「アイツを一目見たときは、別にそんな気持ち無かったわ…。でも、アイツの面倒を見ているうちに、私の傍で安心して寝ているアイツを見ているうちに、段々とそう思うようになって…」

「アイツを見ていると…、何だかもう、心がこねくり回されているみたいで、身体が震えて、表情が変になっちゃって…」

「…それで、その…、いつしか、もっと…、アイツに触れたいって…、手を繋いだり、抱きしめたいって…、…それ以上のことだってしたいって、そう思うようになったの…」

「ねぇ…、ルニヨン…?これって恋なのかな…?」

マリエットは、ポトポトとこぼすように、心の奥底から、深く、熱い想いを吐露していった。


…ルニヨンからすれば、只今のマリエットは明らかに恋する顔をしていた。


しかし、マリエットは、その気持ちに、表情に、『恋』と名付けることには未だもどかしいようであった。

マリエットは『うぶ』であった。


ルニヨンは、そんなマリエットの若々しく悩む様子を嬉しそうに眺めていた。


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