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Version:DayDream  作者: 苦しみながら空を飛ぶカナブン
2.ラディカは自らの力でパンを手に入れる
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…マリエットに連れられ⦅彼女⦆がやってきたのは、町の片隅にひっそりとある、カウンターと背の高い椅子の数個、それから、色んな雑誌と新聞が立てられた棚しかない小さな酒場であった。


「おい!まだ開店前だぞ!…って何だ、マリエットか」

カウンターの拭き掃除をしていた顎ひげのおじさんは、突然の来訪者二人に強張って、警戒する調子でキツイ挨拶をしたが、二人のうち一人が見知りだと分かった途端、安堵した調子に変わった。

彼は名を『マルル』と言い、この酒場の店主であり、マリエットの良き友人であり、目的の人物であった。


「マルルってば、ビビってやんの!遂に『フーシェ』の奴らが検挙に来たと思った?」

マリエットは、彼の変わり身の様を滑稽に思ってケタケタと笑いながら、ズカズカと店内に入り、当たり前のようにカウンターのど真ん中の椅子にドカッと腰かけた。

「…あぁ、正直に言うとビビった。最近はどうも、体制の大きな変化のせいで政府の動向も予想しにくくてな。…もうずっと怯えながら店を構えてるよ」

「あはは。知人の不景気ってのは気味が良いね」

マリエットはカウンターに肘をついて呑気にニコニコしてみせた。

「他人事じゃねぇのに良く言うよ」

マルルは自分の立場を棚に上げて笑うマリエットの様子に、軽くため息をついた。


「ところで、だ…」

マルルは未だ店の入口で突っ立っているマリエットの同行者を指して言った。

「アレは誰だ?まさか…同業者か?」

「部外者よ」

当たり前のようにそう言い放つマリエットにマルルは目を丸くした。

「何で部外者を連れて来やがる」

「用があってに決まってるじゃない」

「…あぁ、そうか。用事か。用事か…」

マルルは顎ひげを2,3回撫でて考え込んだ後、マリエットの言う『用』の正体を推察した。

そして彼は、そのことを憐れむべく、突っ立つ⦅彼女⦆に慰めを入れた。

「おいアンタ、不運だな。…どうやら気難しいマリエットに随分と気に入られたようだな?」

しかし、当の⦅彼女⦆といえば、依然、店の扉を背にしてオドオドとしているだけであった。…妙に神々しい謎の布を両手で握りしめて、この場の全てに警戒をしているだけであった。

そんな⦅彼女⦆の様子を、彼と同じく見ていたマリエットは、⦅彼女⦆を案じて彼に言った。

「…さっきも言った通り、アイツは今のところ全くの部外者よ。だからアイツは、私と違って、やろうと思えばココを通報することが出来る…。どう?怖いでしょ?捕まりたくないでしょ?だったら、今すぐアイツにウェルカムドリンクを一杯無料で提供しなさい」

マルルは不敵な笑みを浮かべるマリエットに苦笑いをした。

そして、「分かったよ」と一言で観念した後、彼は適当な酒瓶と、柑橘と、道具を取り出したのであった。




マルルは手際よくドリンクをこしらえながら、マリエットに尋ねた。

「…しかし、ソイツがアレか?この前にお前が話してた子か?」

「うん、私が助けた子。そして今から私の仲間になる子なの。よろしくね」

「ふむ…」

マルルは、妙に強気なマリエットに対し、若干の諦めを含みながらも尋ねるべき質問を淡々と述べた。

「ワケは?」

「アイツは入用。お金が必要で、仕事が必要なの。心置きなく飲み食いするためにね。でも、この町って侘しいから碌な働き口がないでしょ?だから、私の仕事を手伝わせたいの」

「信用は?」

「アイツは強い子よ。きっと凄く口が固いわ」

「きっと…?」

「私の見立てよ」

「見立て、ってお前…」

彼は呆れた。

しかし、マリエットは全くもって純粋な、強烈な、そして十分な覚悟を持った瞳で、続きの言葉を言ってのけた。

「もし違ったら、その時は私が責任もってアイツを殺すわ。その後に私も腹切って死ぬわ」

「…そうか。まぁ、お前がそこまで言うなら俺も何も言えまい。了解した」

マルルは問答を諦めることにした。そして、話を次に進めることにした。

「で、お前たちの仲間として登録をするなら、『ベイ』にも言っておく必要があるだろう。アイツにはもう話してあるんだろうな?」

「まだよ」

「まだって…」

「ベイならきっと大丈夫よ。絶対にアイツのことを歓迎してくれるわ」

「まぁ、アレはお前みたいに雑な奴だからな。断りはしないか…」

「…いや、お前が今に発揮しているその図々しい部分は、どちらかと言えばあのイカレ野郎譲りだったかな…」

彼は、自信満々なマリエットの顔を見ているうちに、なんだか懐かしい気持ちになっていた。

「お前は本当にあの父親の娘なんだな」


…少しの沈黙の後に結論を出したマルルは、扉の前に立つ⦅彼女⦆の方を向いた。

そして、彼は歓迎のための良い表情をして言った。

「よし分かった!マリエットを信じて、そこのお前を『ギルド』の一員として迎え入れよう!」

そう言ったかと思えば、彼はおもむろに出来上がったドリンクをグイと仰いで、果てにそれを一気に飲み干してしまった。

「あぁっ!何で自分で飲むのよ!そのドリンクはアイツのでしょ!」

マリエットは立ち上がって抗議をしたが、マルルは悠々と言い返した。

「アイツはもう部外者じゃないのだろう?なら、ウチの酒は稼いだ金で飲むんだな」

マリエットは悔しそうな、しかし凄く嬉しそうな顔をして彼に悪態をついた。

「みみっちいおっさん!」

「うるせえ、明日は夜逃げかもしれない男の家計は常に火の車なんだよ」




…さて、と、マルルは改めて⦅彼女⦆の方に向き、彼なりの丁寧をもって挨拶をした。

「じゃあなんだ。改めてお前に言わせてもらおう。ようこそ、『冒険者ギルド』へ」

まぁそこに座ると良い、と、マルルはマリエットの隣の席をチョイチョイと指し示した。

同時に、マリエットは、彼のことは信用していい、と示すべく⦅彼女⦆に目くばせをした。


…しかし、⦅彼女⦆はオズオズとしたまま、その場を動こうとしなかった。

脚を内股にして、肩をしぼめて、聖骸布をギュッと握った手を胸元に強く寄せるだけしかしなかった。


そうしてしばらく委縮した後、⦅彼女⦆は小声で言った。

「私…、仕事するなんて言ってない…」


「は…?」

マルルは予想外の返事に驚いた。そして、マリエットを睨んだ。

「…おい、マリエット。どういうことだ?もしかしてお前、アイツを無理やり連れてきたのか?…仕事の説明とか、ちゃんとしたのか?」

マリエットは平然と答えた。

「無理やり連れてきたわ。仕事の説明はしてない。でも、そんなことは些細な問題よ。だって、アイツは本当に一文無しで頼れる人が居なさそうなんだから、どうあがこうが仕事はやるしかないんだから」

マルルは事情の真偽を確認するために⦅彼女⦆を見た。すると、⦅彼女⦆は全て真実だと示すように、沈黙してうつむいた。

彼は深くため息をつき、参ったな、という表情をしながら言った。

「まぁ…頼れる相手も金も何も無いってなら、飯は当然食えないし、宿も借りられないだろう。だからこそ、仕事は、その内容がどうであれ、無理やりにでもやらせるってのは正しいのかもしれんがな…」

「しかしな、マリエットよ。たとえ助けたい相手が危機的状況にあったとしても、実際に行動に移るかどうかを決定するのは、お前じゃなくて相手の次第なんだぜ?」

「…ラティアの東端の方には、何もせず餓死することで神への信仰を示す文化があると言うが…。この件から俺の思うに、世に絶対的な優先順位なんてものは存在しないんだと思うぜ。少なくとも、思考や思想の内ではな。…だからこそ、人は、相手に判断の裁量を与え続ける限り、相手の下す決定には是非を量るべきじゃないんだと、俺は考えるぜ」

「…」

ベイの意見に対し、マリエットはもどかしい顔になった。


マリエットは、マルルの言うことが最もであると理解していた。マリエットは賢い女性であった。

だから、⦅彼女⦆を尊重するのであれば、自分はここで手を引くべきだという意見には重々納得していた。


…しかし、もしも自分がここで折れてしまったら、⦅彼女⦆の未来は一体どうなってしまうのだろう?

自分がここで⦅彼女⦆を手放してしまえば、⦅彼女⦆は先日のような酷い有様に戻るのではないか?着るものも着られず、髪も肌も際限なく汚して、水もパンも口に出来ず干乾びていた、あの時の惨めな⦅彼女⦆に戻ってしまうのではないか?


⦅彼女⦆の尊重はしたい。

けれど、そんな未来が⦅彼女⦆にとって良い結末だと思えるわけがない。


…マリエットは、⦅彼女⦆を介抱している時に見た、⦅彼女⦆の安心した可愛い寝顔を思い出した。

すると、もどかしい顔がキッと引き締まった。


マリエットはここで引く訳にはいかなくなった。

⦅彼女⦆を説得しなければならないと、躍起になった。


そしてマリエットは、⦅彼女⦆の方に鋭い目を向けて、言った。

「アンタ、ダメよ。そんなの絶対にダメ。私に施されるのが嫌なんでしょ?だったら仕事をしなきゃダメよ。じゃないとアンタ、救われないじゃない」

「ねぇ、こっちに来て。座って。私に仕事の内容を説明させてよ。仕事が上手く出来るかは心配しなくてもいいわよ。いくつかルールはあるけど、アンタは手伝いだから、別に難しいことは何もないから…」

「…ねぇ!こっちに来て!座って!施されたくない、けど水は飲みたい、ご飯は食べたいんでしょ!?だったらこっちに来て、仕事をしないとダメじゃない!じゃないとアンタどうするの!?…野垂れ死にたいの!?」

焦燥から、早々に堪忍袋の緒が切れてしまったマリエットは立ち上がり、⦅彼女⦆に怒鳴った。そして、⦅彼女⦆を席に座らせるべく、⦅彼女⦆の手を引こうとした。


…しかし⦅彼女⦆は、差し伸べられたマリエットの手を払い、精一杯に抗議した。

「私は!!」

「私は…、死なないから…」

しかし、勢いはそこまでしか持たなかった。

⦅彼女⦆の訴えは、段々と、不確かで自信のない、まるで言い訳のような情けない雰囲気に変化していった。

「私は…仕事をする身分じゃないから…」

「私は…、私は…!」


⦅彼女⦆はふと、マリエットの顔を見た。

…また、悲しそうな顔をしていた。


⦅彼女⦆は自分の意固地な態度のせいで、親切なマリエットをこんな様子にしてしまったことを理解していた。

自分がもう少し素直になることができれば、マリエットともっと仲良く出来ることを理解していた。


だが、⦅彼女⦆は自身の内に滾る勢いを止められなかった。本当はマリエットを悲しませるようなことなんて言いたくなかったけども、"不可抗力"が決してそうはさせなかった。


⦅彼女⦆は、マリエットから目を背けて、目に涙をいっぱい溜めながら、遂に、自身の内から"辛い言葉"をふり絞った。

"悪い部分"をふり絞った。

「じょっ、冗談じゃありませんわ…!この私が庶民のように働くなんて…、働くなんて…、そんなのあんまりですわ…!」

「下賤な…、下賤な…、庶民と一緒に働くなんて…、働くなんて…、そんなの…」

⦅彼女⦆は苦虫を咀嚼する。

目を背けていても脳裏に映るマリエットの顔が辛くてしょうがない。

苦しい。こんなの嫌だ。誰か、私の口を止めてほしい。

しかし、蠢く口は止まらない。

「とにかく…!働くなんて低俗なことはしない…!貴女からの施しも受けない…!そんなの、侮辱ですわ…!そう…、侮辱だから…」

「私は、私は…孤高ですわ…!誰の指図も受けない…!だから…、だからもう、私には関わらないで!」


そう強く言い放つ、弱弱しい⦅彼女⦆の中には、未だ粘性の高い毒が塗り広げられていた。




…⦅彼女⦆は今こそ、真の意味で現状を受け入れなければならなかった。

自分が弱く、脆く、安宿のベッド一つ、水の一杯、身体を拭くタオルの一枚すら、自分の力では用意できない、ただの野犬の餌でしかないことを全身で理解しなければならなかった。

そして、そんな無力な自分から脱出するためには、言動を改めなければならないと心の底から納得しなければならなかった。


頭では分かっていた。

⦅彼女⦆はもはやバカで愚かな"ラディカ"ではないから、現状を十二分に把握していた。

しかし、心は未だ、"プライド"が綻ぶことに恐怖していた。

今までの自分がそうでなかったのに、手のひらを返して、素直になって、自分が避けてきたことをやることが、どうしても許せなかった。

変な自尊心、無駄なプライド、意固地、頑固、ひねくれ者。"ラディカ"という汚物がそれを許さなかった。

だから⦅彼女⦆は、今でも"貴族の娘"にすがりつこうとしてしまう⦅彼女⦆は、決して「仕事をします」、「やらせてください」と言うことができなかった。


…この問題に対し、⦅彼女⦆は、どうしたら良いのか分からなかった。

頭と心の乖離という問題に対して、⦅彼女⦆は経験不足で、実力不足であった。

当然だ。今までに送ってきた"ラディカ"としての生活は、⦅彼女⦆の内面において、一切の深刻な問題を生じさせなかったのだから。今の今まで、如何なる問題も悪行と横暴をもって暴力的に解決し続けてきた⦅彼女⦆は、問題を解決する一切のノウハウを蓄積してこなかったのだから。

⦅彼女⦆は依然、未熟で、子供であった。…以前の、アメリーでの件の際に、考えるべきことを死ぬ最後の最後まで放棄し続けた"ラディカ"がそうであったように…。


だからこそ、只今においても、自力での処理が不可能であった⦅彼女⦆は、この問題に対して、いとも簡単に屈服してしまったのであった。


⦅彼女⦆は自分が嫌になった。

素直じゃない自分が嫌で、マリエットの前でも未だに高慢で傲慢で、反吐が出るほどにバカで愚かな、あまりにも弱過ぎる自分が本当に嫌になった。




…⦅彼女⦆は、心がはち切れそうな程に溢れる、自身への嫌悪感と、マリエットへの申し訳なさから逃げたくて、店から飛び出した。

どこか、行く当てがあるわけでもなく、頼りがあるわけでもないのに、⦅彼女⦆はその場から走り去った。

「待って!どこ行くの!」

マリエットも店を出て、走り去る⦅彼女⦆の後を追いかけようとした。


しかし、走り出そうとした瞬間、マリエットは背後から腕を掴まれ、引き留められた。

振り向くと、そこにはマリエットの仲間である大男のベイがいた。

「お節介が、好きにさせてやれ」

「ベイ!ダメよ、離して!アイツは今ここで逃げ出してしまったらもう何も無くなってしまうんだから!だから、仕事をしなくちゃダメなんだから!」

「…マリエット。事情は知らんが、単なる一見だがな、今のあの子もお前も混乱していてしょうがねぇ。あの子はきっと、助けられる準備が出来てねぇし、お前はあの子を助ける準備が出来てねぇ。だから、あの子は今に走ることしか選べねぇが、お前だって、追うことしか出来ねぇんだ。だが、お前は追うべきじゃねぇ。追ったって、今のお前はきっと何も出来ねぇからな。だから追うべきじゃねぇんだ」

「…!そんな…」


それでも、マリエットは⦅彼女⦆を追いかけたくて、ベイの手を振りほどいて前を向いた。

しかし、そこにはもう、⦅彼女⦆の姿はなかった。


どこにもなかった。


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