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Version:DayDream  作者: 苦しみながら空を飛ぶカナブン
2.ラディカは自らの力でパンを手に入れる
11/47

2 (2)


…特産品も観光名所もない、静けさと過疎だけが売りのつまらない町、『ゴルフ』の只今は、ざわめきに溢れていた。


無理もない。

だって全裸でボロボロの女が道の真ん中を歩いているのだから。


⦅彼女⦆は、通りすがりや窓から野次馬する人々に、全てを晒しながら、足を引きずって歩いていた。

土埃や獣の糞尿、黒く固まった自分の血にまみれている全身を晒しながら、心ここにあらずな表情をしていた。

⦅彼女⦆には、人々が発する悲鳴や、驚愕の声、憐れむ声は聞こえなかった。

また、蔑む視線や、好奇心の視線、欲情の視線は届いていなかった。

⦅彼女⦆はそれどころではなかった。

⦅彼女⦆は、やっと人のいる場所に辿り着けたことへの感動と、それよりも飢えと渇きの苦しみと、早くこれを癒したいという焦燥で、頭がぐちゃぐちゃであった。

だから⦅彼女⦆は、人々の眼前に自身の出入口すらも露わにしている羞恥の事実さえ、気にすることができなかった。


只今の⦅彼女⦆には、誰かの助けが必要であった。




…運が良いことに、⦅彼女⦆はこれ以上の醜態を晒す前に、それに出会うことができた。


「…ちょっ!ちょちょちょちょちょちょっとぉ!!!!!」

甲高い大声が辺りに響いた。

声の主は、⦅彼女⦆と同年齢くらいの若い女性であった。短い黒髪に翠の瞳を持つ女性であった。

女性は、通りすがりに目の前の全裸⦅彼女⦆を一目見た瞬間に叫び声を上げたかと思えば、咄嗟にそれに近づいて、酷く汚れた⦅彼女⦆の腕を掴み、⦅彼女⦆を路地裏の奥の、人目が付かない場所に引きずり込んだ。


「…アンタ何やってんの!?…何があったかは知らないけど、裸で町を歩くなんて狂ってるわ!いくらあの道の人通りがちょっとばかし多いからって、油断なんてしちゃダメじゃない!今の私がそうしたみたいに、急に路地裏に引き込まれたらどうするの!?…そしたらアンタなんて、良い様にされて終わりよ!気を付けなさいよ!このバカ!」

女性は、うつろな目をしている⦅彼女⦆を厳しく叱り付けながらも、手際よく自身が着用していたレザージャケットを⦅彼女⦆に着せてやって、上半身の露出を隠してやった。

また、⦅彼女⦆が手に持っていた血まみれ細長いの布をひったくって、それを腰に巻いてやり、下半身の露出を隠してやった。

全裸は、とりあえず全裸ではなくなった。


「アンタ…一体どんな目にあったって言うのよ…?」

女性は力強いが。同情の優しさのある目で、目の前の⦅彼女⦆の顔を見た。

女性の瞳に映った⦅彼女⦆はむなしい顔をしていた。⦅彼女⦆は何も語らなかったが、女性に全てを悟らせた。

「そう…、そんなに酷い目にあったのね…」

女性の顔はキッと決心の着いた表情になった。

そして女性は、改めて⦅彼女⦆の腕を掴んで言った。

「付いて来て!…アンタがどこの誰なのかは知らないけど、とりあえず助けるわ!」

女性は、近場の宿まで⦅彼女⦆を連れて行くべく、力強く腕を引っ張った。

しかし、ダメだった。

⦅彼女⦆は引っ張られた瞬間、糸がプツンと切れたように倒れこんでしまって、ピクリとも動かなくなってしまった。

死体が、女性の目の前にできた。

「ちょっ…!こんなところで倒れないでよ!私の力じゃ人一人なんて担いで行けないわよ!」

「…もう!起きなさい!起きなさいよ!こんなところで寝るってなら、私…、アンタのこと置いていくわよ!」

女性は眼前の木偶の坊を起こすべく、⦅彼女⦆の頬を何度か叩いた。

「…」

しかし⦅彼女⦆は何一つ反応しなかった。

女性は吹っ切れた。

「…あぁもう!しょうがないわね!!!」


そうして女性は、⦅彼女⦆をおぶって自分のベッドまで運ぶという、随分な重労働をキッチリと果たしたのであった。

口悪く、小言を言いながらも、しかし非常に律儀に、責任をもって、⦅彼女⦆の面倒を最後まで果たしたのであった。




…数日して、⦅彼女⦆は目覚めた。

安宿の硬いベッドの上で目覚めた。


「…!良かった!起きたのね!」

寝起きの目でぼんやりと横を見ると、涙目の女性がそこにはいた。

女性は椅子から立ち上がり、⦅彼女⦆の手を両手で握りながら、祈るような様子でいた。

「アンタ…、脈はあったけど息をしていなかったから…。もう、二度と起きないかと思ったのよ…!」

女性は涙ぐみながら、良かった、良かったと、握った⦅彼女⦆の手を自身の額に寄せて安堵していた。

しかし、その様子を⦅彼女⦆にバッチリ見られているということに気がついた女性は、途端、恥ずかし気な表情になり顔を赤らめて、握っていた⦅彼女⦆の手を乱暴にベッドに放った。

そして咳払いをしてから、何かを取り戻さんがように女性は言い放った。

「…べっ、別にアンタが野垂れ死んでも私は何とも思わないわよ!…ただ、アンタを見て見ぬふりしてしまったら、私の明日食う飯がちょっと不味くなるから、だから助けただけで…。そう!私は私のためにアンタを助けたんだからね!勘違いしないでよね!このバカ!」

女性は、溢れる涙を、咄嗟に隠すようにササッと拭いて、フンとそっぽを向いた。

女性は、自分の気持ちに素直になれていないツンデレガールであった。




「…ほれ、口開けて」

女性は、⦅彼女⦆の身体をゆっくりと起こした後、机の上に置いていた水筒を手に取って、⦅彼女⦆を促した。

しかし⦅彼女⦆は、身近に迫る水筒ではなく、女性の顔をジッと見ていた。


…久しぶりに人間を見た気がする。

この人は、私のことを…

いや、そもそも私は一体…


⦅彼女⦆は、おもむろに口を開けた。

ただし、水を飲ませてもらうためではなく、只今に眼前に在る女性の真意を確かめるために口を開けた。

「…おまっ」

「へ?」

「…失礼、…貴女は一体誰ですの…?」

「あ?私?『マリエット』っていうの。アンタの命の恩人の名前だから、死ぬまで忘れないでね。よろしくね。じゃあほら、口開けて」

しかし、⦅彼女⦆は質問を続けた。

目の前に、求め続けていた水があるというのに、⦅彼女⦆は下らない問答を優先した。

「…貴女は、どうして私を助けましたの…?」

「さっき言ったでしょ。私自身の気分のためよ」

「…」


⦅彼女⦆は自身を確かめた。

見ると、⦅彼女⦆には新しい服が着せられていた。

また、身体からは汚れがすっかり取られていて、綺麗な白い肌だけになっていた。

そっと、手の甲の臭い嗅いでみると、染みていた獣臭は随分薄れていた。

加えて、横にいる女性…、もとい、マリエットの先、壁の方を見てみると、すっかり綺麗になった聖骸布が壁掛け金具にかけられていた。


どれもこれも、目の前のマリエットが施してくれたのだろう。

…しかし、そうであるならば猶更、⦅彼女⦆は発言を止められなかった。


「貴女は…、私が何者か分かっていませんの…?」

「…さっきから何?喉乾いてないの?」

マリエットは怪訝そうな顔をした後、綺麗にはなったが、未だやつれている⦅彼女⦆の喉に手を当ててみせた。そして、確信をもって微笑んだ。

「喉、乾いてるでしょ」

マリエットに優しくそう言われた⦅彼女⦆もまた、確かめるように自分の喉に手を当ててみた。

マリエットの言う通り、⦅彼女⦆の喉は、触れるだけで分かる程に干からびていて、老婆のように細くやつれていた。

⦅彼女⦆の喉は、喉が乾いていないと言い逃れすることは不可能な様態をしていた。


しかし、⦅彼女⦆は言った。

「…乾いてない」

「嘘ね。そんな打ち上げられた流木みたいに乾いた身体のアンタが水を欲してない訳ないわ」

「さ、つべこべ言わずに潤うといいわ。…誰かに水を飲ませてもらうのが嫌ってんなら、今だけは植木鉢の花にでもなった気分でいるといいわ」

マリエットは⦅彼女⦆の閉じる口に、そっと水筒の口を付けた。

⦅彼女⦆の後頭部に反対側の手を添えて、ゆっくりと水を飲ませようとした。


しかし

「嫌!私はそんなもの要りませんわ!」

あろうことか、⦅彼女⦆は首を横に振って抵抗をした。同時に、腕を振って、水筒を床に叩き落とした。

落っことされた水筒は、床に水をボトボトこぼしてしまった。

水は、マリエットの善意と共に、床に散らばってしまった。

「…何すんのよアンタ」

マリエットは少し茫然とした後、静かに怒って、⦅彼女⦆を厳しく睨もうとした。


…だが、こともあろうに、勢い余った⦅彼女⦆は、自分の方を向こうとしたマリエットの頬をバチンと平手打ちした。


突然に暴力を振るわれたマリエットは何も発さず、しばらく固まっていた。

無言で、キツネにつままれたような顔をしていた。


…そんなマリエットの様子を見るほどに、⦅彼女⦆の動悸は荒くなっていった。

⦅彼女⦆の内に、咄嗟にしてしまった自分の行動に対する後悔が込み上げてきた。

⦅彼女⦆の肌は震えて、段々と冷たくなっていた。鳥肌の隙間を冷や汗が伝って、目の焦点がマリエットに合わなくなっていた。


「痛…」

マリエットは、赤く腫れる自分の頬を触って、そう呟いた。

マリエットは、悲しそうな、泣きそうな顔をして、⦅彼女⦆の方を向いた。


⦅彼女⦆は、瞬間に、ハッと我に返った。

やってしまった、という絶望が⦅彼女⦆の全身を一気に貫いて、心臓をキツく締め上げた。


⦅彼女⦆は耐え切れなくなって、安宿の薄い掛け布団に潜り込んだ。

⦅彼女⦆は、マリエットの表情が怖くて、自分の目に届かないようにしたかった。

⦅彼女⦆は、マリエットから次に言われる一言が怖くて、何も聞きたくなかった。

⦅彼女⦆は、マリエットの前から消え失せたかった。


…⦅彼女⦆は布団の中で、"悪癖"が自分にそうさせたのだと、心の中で必死に言い訳をしていた。

私じゃなくて"ラディカ"がやったことなのだと、⦅彼女⦆は縮こまりながら、苦しい責任転嫁をしていた。


…マリエットは、そんな⦅彼女⦆をジッと見た。

ジッと見て、そして、様子から、⦅彼女⦆の微妙な感傷を感じ取った。


マリエットは怒りを堪えることにした。

本当は、怒鳴りつけたかった。殴り返してやりたかった。

しかし、極めて賢い女性であるマリエットは、善意を床にぶちまけられた悔しさと、暴力で自分を拒絶された悲しさをグッと嚙み潰した。

代わりに、真剣な目つきで、⦅彼女⦆に向き合い始めた。


「…アンタがどういう事情でそうしているのかは知らないけど、これは無いでしょ」

「…アンタ、自分が何者か、私に聞いたわね。言ってみなさいよ、自分が誰なのか」


だが、⦅彼女⦆は黙ったままであった。

だからマリエットは、⦅彼女⦆から掛け布団を力任せに剥がし、そして、⦅彼女⦆の首根っこを掴み上げて、壁に押し付け、脅した。


それでも尚、⦅彼女⦆は何も言わず、悔しさや、辛さが混じった表情をするだけであった。

睨むような、謝りたがっているような、複雑な眼でマリエットを睨むだけであった。


⦅彼女⦆は断固として自分の名を名乗ろうとはしなかった。


「…まぁいいわよ。別にアンタが何処の誰だからって、この現状は何も変わりはしないんだから」

「分かる?この現状。アンタが寝ていたベッドも、着ている服も、さっき私が飲ませてやろうとした水も、全部私が用意した物なの。アンタの身体が綺麗になっているのだって、私が拭いてやったからよ。…今、アンタが恵まれている全ては私が施したものなの」

「ねぇ、分かる?この現状の何処を探しても、アンタ一人の力がもたらしたものは無いのよ」

「今のアンタは本当に無力。えぇ、無力よ。私が手を差し伸べなきゃ、アンタ、今頃どうなってたんでしょうね。…十中八九、未だ路頭に迷ったままだったわよ。…もしかしたら、暴漢に酷い目に合わされていたりして、最悪、アンタに今頃なんて存在しなかったわよ」

「本当はこんなことを言いたく無いんだけどね。アンタは現状、私に助けられているのよ。アンタは、自分では何もできない、無様な、本当に無様な存在なの。だから私に助けられているの」


…十分に脅し終えたマリエットは、ふうと緊張の息を吐いた後、⦅彼女⦆から手を放した。

そして、マリエットは、先ほどまでの、⦅彼女⦆を叱り付けるための厳しい表情から、⦅彼女⦆を安心させるための優しい表情に変えて、口調を柔らかく、優しいものに変えて言った。

「別に、私に感謝しろとは言わないわ。礼だって要らない。言いたくなければ、ありがとうの一言だって言わなくていい。…身体が回復したら、そのときはアンタの思うがまま。気の向くままに何処かに去ってしまえばいいわ」

「でもね、だからこそ、助けられている時くらいは素直になっていなさいよ。抵抗しないで、身勝手にお節介を焼く、物好きな私を気持ちよくさせておきなさいよ。その方が利口よ」

そう言って、マリエットは床に転がる水筒を拾い上げ、机の上に戻した。

そして、⦅彼女⦆に視線を送った。


しかし、⦅彼女⦆はマリエットの視線から逃げるように顔を背けた。

そして、歯ぎしりをした。




…⦅彼女⦆はマリエットの言うことに反論があるわけではなかった。

全てその通りだと理解していた。


しかし、⦅彼女⦆の内に長年をかけて蓄積された"貴族としての自分"という毒が、⦅彼女⦆を素直にさせなかった。


…もしも、荒野で、野生の空間で、誰かから、檻の中の動物に餌をやるかの如く、水や食料を投げ与えられたのであれば、⦅彼女⦆は喜んでこれを受け取っていただろう。

そのときの⦅彼女⦆はきっと、犬のようにみっともなく地面に這いつくばって、撒かれた水の溜まりを舌で必死に舐めまわしたり、手を使わずにして食料を貪っただろう。

たとえ、餌を与えた相手がその無様な様を見て嗤ったり、更には、這いつくばる⦅彼女⦆に目掛けて小便をかけて侮辱してみせたとしても、野生の⦅彼女⦆ならば一向に気にしなかっただろう。


実際、それほどまでに⦅彼女⦆は切羽詰まっていたのだから。


しかし、町で、宿で、ベッドの上で寝てしまって、何よりも他者との交流という機会に恵まれてしまった末に、人間的な部分を取り戻してしまった只今の⦅彼女⦆は、そうすることが出来なかった。

⦅彼女⦆は、自身の人間的な部分、つまり、"貴族の娘"としてのアイデンティティを、ここになって蘇らせてしまったのであった。

アメリーの街と共に消し飛んだはずの、"ラディカ"としての傲慢な自分を、再び表してしまったのであった。


…⦅彼女⦆は分かっていた。頭があまり良くない⦅彼女⦆でも、この状況においては流石に把握出来ていた。

自分が既に"ラディカ"ではなく、"貴族の娘"としての自分というアイデンティティとは、もはや架空の、存在しないものであることを、只今の⦅彼女⦆は充分に理解していた。

それにすがることが、どれほどまでに愚かなことであるか、アメリーの街での出来事から、この町に辿り着くまでの凄惨な一件を通して、十分に理解出来ていた。


しかし、⦅彼女⦆は、それがもはや存在しない、架空で、虚空であるとしても、何故か、意地のように、それにすがってしまっていたのであった。

その妄信が、行為が、極めて不合理であると理解していながらも、⦅彼女⦆は、いざ他者を前にすると、どうしてもプライドの兆しのようなものを心の内に現さずにはいられなかったのであった。


だから⦅彼女⦆は、歯ぎしりをしたのであった。




…マリエットは、ベッドにへたり込んでいる⦅彼女⦆の横に座り、そっと、⦅彼女⦆の横顔を見た。

酷い顔をして思い詰めながらも、極めて美しい⦅彼女⦆の横顔を眺めた。

その後、天井を向いて少し考えた。


マリエットは賢い女性であった。

マリエットは、そっぽ向く⦅彼女⦆が、意地悪をしたいがためにこんな態度を取っているわけではないことを察していた。

目の前の⦅彼女⦆に、何かのっぴきならない事情があることを何となく察していた。


マリエットは思慮を深めて、ある一つのことを思いついた後、決断した。

…⦅彼女⦆がどんな事情を抱えていようとも、⦅彼女⦆の命の危機に関わらない限り、それを最大限尊重しよう。

でも、私のしたいことは、キッチリとさせてもらおう。

両立しよう。

そう、心に決めたのであった。




「…さっきは脅しちゃって悪かったわね」

マリエットは言った。

「アンタは多分、律儀なんでしょうね。自分が危機的な状況にあるにも関わらず、自分の首に巻かれている呪いのような事情に従順になれる。その呪いの正体が一体何なのかは、私は知らないけども」

「アンタ、凄いわね。もしも私なら、餓えて汚れて死にそうって時には、そんなもの間違いなくかなぐり捨てるわ。だって、そんなものの為に自分が殺されるなんて、私なら馬鹿だって思うもの」

ふと、マリエットは⦅彼女⦆の方を一瞥した。すると、⦅彼女⦆は更に落ち込んだ様子になっていた。

「え…、あっ!」

その様子を見て、マリエットは慌てて訂正をした。

「ちょっ、落ち込まないでよ!『馬鹿』ってのはそういう意味じゃなくて…!今の言葉はアンタを馬鹿にしたくて言った訳じゃないから!」

「つまり私が言いたいのは…!、アンタが『強い』ってことよ…!」

「…強いのよ、アンタは。あれだけズタボロになりながらも、自分を守れるんだから。アンタにはきっと、どんな時でも自分を曲げない芯の強さがあるのよ」

「それは…、すごく、すごく凄いことよ。中途半端に利口な私じゃ絶対にできない。誇るべきことだわ…」

「…」

⦅彼女⦆は黙って何も言えなかった。

以前なら、褒められれば付け上がることが常套であった⦅彼女⦆だが、今はただ、黙ることしかできなかった。


⦅彼女⦆は、マリエットの途方もない優しさが辛かった。

同時に、自分の愚かしさが辛かった。


本当は、「私なんて強くない」と言いたかった。

でも、"ラディカ"がそうはさせなかった。

だから、黙っていた。

強くないから、黙っていた。


…少しの間、マリエットは、黙る⦅彼女⦆を相手に一人で駄弁った。

そうして、ある程度の話題を話し尽くした後、マリエットは先ほどに思いついた話を⦅彼女⦆に切り出し始めた。

「…ねぇ、アンタ。アンタはきっと、浮浪者が慈悲に恵まれるみたいな…、つまり、タダで施しを受けることが嫌なんでしょ?」

「自分が何も持っていないのに、良い思いをするだけが嫌とか…、自分が何者でもないのに、良い思いをするのが嫌とか…、そういうことなんでしょ?」

「…別に」

「別に…、そんなのじゃないですわ…」

⦅彼女⦆は拗ねるように言った。

本当はその通りなのに、わざと逆のことを言った。

「ふうん、まぁいいわよ」

マリエットは⦅彼女⦆の心境を見透かしたような態度で、⦅彼女⦆の反対意見を簡単に流した。

そして続けた。

「…そうじゃなかったとしても、きっとアンタには頼めることだから。っていうか、アンタが何をどう考えていようとも頼もうと考えていたことだから…」

「…?」

⦅彼女⦆は、マリエットの発言の趣旨が分からず、つい顔を背けることを止めてしまった。

どういうことなの?と聞きたくて、マリエットの方を見た。


「…アンタの強さを買って、頼みたいことがあるの」

マリエットは一息おいて、言った。

「私の仕事、手伝ってくれる?」

「仕事…?」

意外な提案を振られた⦅彼女⦆は、拍子抜けの顔になりながら尋ねた。

「貴女の仕事って…、何…?」


マリエットは、その言葉を待っていましたと言わんばかりに、自慢げに微笑んだ。

そして、ベッドから立ち上がり、聖骸布の横にかけていた中折れ帽を被った後、⦅彼女⦆の方を向いて堂々と言った。


「私ね、『冒険者』やってるんだ」


土色のレザージャケットを羽織り、かかとまでしっかり隠れるウールパンツを履き、腰元にナイフを携え、丈夫そうなワークブーツを合わせるマリエットは、得意げな表情で⦅彼女⦆にそう言ったのであった。


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