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第一話「ミスティ」(3)


「先程、半年ほどお越しいただいていると伺いましたが、どうやってこのお店をお知りになったんですか?」


「知り合いに教えてもらったんです。その知り合いもピアノが好きで、僕も気に入るだろうからって」


「そうでしたか」


 実際に、エウテルペの客のほとんどが知人からの紹介で来ることが多い。もちろん一度切りで去っていく客もいるが、有難いことにそのままリピーターとなってまた新しい客を連れてきてくれる割合の方が多いのだ。広告費もほとんど必要とせずそれなりに繁盛しているようで、凄腕のピアニスト様様だと優希に冗談半分で拝まれたことを彩音はふと思い出した。


「お客様もピアノを弾かれるんですか?」


「はい、一応。でも、最近はほとんど触ってません」


 その客の言葉の奥に触れてはいけない何かを彩音が感じたのは、これもやはりピアノが好きな者同士だからこそ伝わるシンパシーなのかもしれない。


「――すっかり話し込んでしまいました。お忙しいところ、すいません」


「いえ。私こそ、お話をさせていただけて楽しかったです。ありがとうございます」


 カウンターに着いてから二杯目のグラスを空にしたタイミングで、その客は退店の意思を見せる。


 楽しかったと返した言葉は、決して営業用の文句ではない。初めて言葉を交わしたにも関わらず彩音は、その客と話す時間を驚くほど穏やかに感じていた。


「差し支えなければ、お名前を聞いてもいいですか?」


 支払いを終え、身支度を整えたその客が、最後に彩音に問う。


「高槻です」


「高槻、さん。ありがとうございます。また、ピアノとお酒をいただきに来ます」


 仄暗い店内でもしっかり分かるほど、その客は微笑みを見せて。同じカウンターの中にいた優希にも小さく頭を下げて、エウテルペを後にした。


「…あ。あのお客さんの名前、聞きそびれちゃったな」


 自分の名前を聞かれたのだから、本来であれば相手の名前も聞き返す方が良かったのだろう。とはいえ、また来てくれるようではある。そのときに改めて聞けばいいか、と彩音は思い直した。


「彩音。お前、ああいう可愛い感じの男がタイプだったのか?」


「…それってセクハラになるんじゃないですかね、オーナー」


 にやりとした表情で話しかけてきた優希を、彩音は先程の客のグラスを片付けながら適当にあしらう。


「つれないな。お前がリラックスして話してるように見えたから聞いてみただけなのに」


「………」


「それには俺も同意しますね」


「わっ」


 カウンターを挟んだ向かい側から会話に入ってきた司の声に、彩音が驚く。そうして危うくグラスを落としそうになって、一瞬肝が冷えた。


「彩音さん、八番テーブルにシャンディガフと赤のハウスワインを一つずつお願いします」


「――司くんまで何言ってるの。オーダー、了解」


 それでも、とふと彩音は思う。


 あの客の顔を見たのは、初めてではないような気がするのだ。エウテルペに通ってくれているようだから、無意識のうちに見えていただけなのかもしれないが。


「すいません。何かノンアルコールのさっぱりとしたカクテルいただけますか?」


「はい。かしこまりました」


 カウンター席の他の客からのオーダーも入り、彩音は先程の客のことを考えるのを止める。


 それでもふと空いた時間に、彩音はあの客を思い出すようになった。




 第一話「始まりの曲」


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