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第八話「マルガリータ」(2)


 それなのに一方でまだピアノを弾こうとする浅ましい自分がいた。忘れたいのに忘れられない。弾きたくないのに、弾かずにはいられない。そうして出会ったエウテルペで今は自由にピアノを弾き、そんな矛盾した感情で奏でる彩音の音を好きだと言ってくれる人たちがいて、また頑張ってみたい気持ちが芽生えた。


 時折感情が高ぶって言葉につかえながら。うまく言葉にできなくて何度も言い直しながら。初めてピアノに向ける本音を曝け出した彩音の話を全て聞き終わったあと、母親は涙を零しながら微笑んだ。


「…私が知らずにプレッシャーをかけていたのね、ごめんなさい。私はただ、貴女に音楽を好きでいてもらえるだけでいいの。名誉が欲しいわけじゃないの。……あの日、はっきりとそう言ってあげられなくてごめんなさい。こうして帰ってきてくれて、ありがとう。貴女の気持ちを教えてくれて、ありがとう」


「っ、お母さん…!」


 二人して顔をぐしゃぐしゃにしながら涙を流す。それは、親子が分かり合えた喜びの涙。彩人もまた目頭が熱くなるのを感じながら、その喜びを分かち合うように隣にいる愛しい人の肩を抱きしめた。


 それから彩音と母親は会わなかった時間を埋めるようにいろんな話をした。彩人のこと、エウテルペのこと、彩音の父親のこと。口には出さないが父親もずっと娘のことを気に掛けていて、実は友人や仕事の同僚、部下の協力を得て、密かにエウテルペでの彩音の様子を見守っていたということも彩音は知った。


 そして陽が沈み始めた頃の帰り際。


「ごちそうさまです。お邪魔しました。次は彩音さんのお父さんがいらっしゃるときにご挨拶に伺います」


「え!?」


「ええ、ぜひ。待ってるわ」


 彩人の言葉に驚いて言葉も出ない彩音をよそに、彩人と母親はすっかりと打ち解けた様子で別れを済ます。自分の言葉の意味を考えて顔を赤くした彩音を愛しそうに見つめる彩人。家の玄関まで母親に見送ってもらい、二人は手を繋いでゆっくりと帰路についた。


「今夜はマルガリータが飲みたい気分だなあ」


「ふふ。今日はエウテルペがお休みだから作ってあげられないよ」


「じゃあダメだね。僕は彩音さんが作ってくれたのが飲みたい」


「バーテンダーとして最高の褒め言葉だね、それ」


 彩人の言葉に嬉しそうに笑う彩音。母親と和解できたこともあってか、いつもよりもその笑顔は明るく見えた。


「ねえ、彩音さん。マルガリータの意味、知ってる?」


「意味?」


「そう。花言葉みたいに、カクテルにも言葉があるんだけど」


「そうなんだ、初めて知ったよ。でもこれ、バーテンダーとしては勉強不足だなあ」


「あー、やっぱり知らなかったんだ。通りであんまりにも反応がなさ過ぎると思った…」


「え?」


 彩音が見上げた彩人は、まるで格好つけていたのが好きな子にバレたときの思春期の少年のように。恥ずかしいけどまだ格好つけ続けていたいような、照れる表情を隠そうと笑って誤魔化そうとしているような、そんな複雑な表情をしていた。


「マルガリータの意味は、無言の愛」


「愛…?」


「僕ね、彩音さんに初めて話しかけたあの日から、彩音さんに作ってもらうカクテル全部に意味を込めてたんだよ」


「え!?全然気づかなかった…」


 遠回しに愛を伝えていたつもりが少しも伝わっていなかったと分かり、彩人は思わず苦笑する。


「…じゃあ今から彩人くんがオーダーしてくれたカクテルの意味を全部、教えてくれる…?」


 身長差もあって、自然と上目遣いになる彩音。そんな彼女からのお願いに彩人は考える素振りを見せてから、にっこりと笑った。


「分かった。じっくり教えてあげるから、今夜はうちでお泊りね。あ、先に言っておくと、寝かせてあげないからね」


「ええ!?」




 第八話「無言の愛」


お読みいただきありがとうございました。

次回作は、高校生が主人公の切ない恋の話を予定しています。

そちらも読んでいただけると幸いです。

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