5話 時空の魔女は儲けが気になる
過剰なまでに豪奢な神殿の中、聖女リリファはゴタゴタと装飾の施された豪華な天蓋付きのベッドの上で胡座をかき、昨晩行われた晩餐会名簿をチェックしていた。
「やっぱり減ってるわ」
柔らかなカーブを描く淡いブルーの髪に、スっとした卵形の理想的な顔。瞳は情熱の赤。引き結ばれた唇は妖艶なほど紅く、ケバケバしかった。
しかし、この世界の人間共はリリファを聖女として崇めてくれる。
何故なら、リリファは『月花の雫』を生むものだから。
金と白で統一された煌びやかな部屋の隅で育てられている毒々しい青い花『月花』。
人の背丈を超える鈴蘭の様な花から零れ落ちる『月花の雫』は月下病を治す唯一の薬だった。
しかし、リリファは別に崇めて貰う必要はなかった。ってか、祈れだの、護れだのうるさいっての!
リリファの興味はただ1つ。月花の雫の売上金額。
この国の硬貨はこの国の特産品であるゴールド。
ゴールドがあれば、次のトリップ先でも楽しく遊んで暮らせる!!
そう、聖女リリファは時空の魔女だった。
リリファは昨日の舞踏会の出席者リストと、月花の雫の購入者リストを照らし合わせる。
「最近、月下の乙女は増えてるのに、売り上げは下がる一方。これも全部魔物のせいね!……ほんっと、迷惑!!」
リリファはトリップする度に自分に魔物を仕掛ける、魔王なる存在が疎ましくて仕方がなかった。
ただ疎ましいだけならまだ我慢出来たが、月花の雫の売上が落ちるのは許せない。
「せっかく苦労して、へっぽこ変身魔法の有効活用法を見つけたと言うのに!」
月下病の正体は不完全な変身魔法……要は熟練した失敗魔法だった。
そして、月花の正体は、加減が分からず魔力のほとんどを注ぎ込んでしまい出来てしまった、浄化魔法の結晶だった。
だが、その花に水を与えれば、薄まった浄化魔法である『月花の雫』が垂れて来る。これがなかなか素晴らしい結果を生み出した。
不完全な変身魔法は、夜だけ効果が薄れ、人を本来の姿に戻す。朝になり、再び猫となってしまった時の絶望、人戻りたいという渇望が、月花の雫を求めるのだ。
月花の雫を飲めば、人間でいられる。
但しその効果は約1週間しかない。だから、求める者は後を絶たない……はずだった。
「クソッ――!!」
値段を下げればいいだけなのだが、そんな事は頭の隅にもないリリファ。
クッションにパンチを繰り出したその時、部屋がノックされ、慌てた様子の神官の声が扉越しに聞こえた。
「聖女様!王太子殿下が早急にお会いしたいそうです――!」
「きたぁぁぁぁ――!」
リリファがこの世界に来て最初に不完全な変身魔法をかけたのが、この国の国王の妾。
フィンの母親は最初の月下病患者だった。
王太子自ら薬を求めに来るとは!これは値上げのチャンスか!?
リリファは、ギラギラした笑みとガッツポーズを隠すと、聖女らしい微笑みを浮かべ神殿へと急いだ。
◇◇◇
「希望休を出しただけで、何故こんな場所に連れてこられなくてはならないんだ……」
一刻も早く美亜に会いたいルービーは、上司のブラックな対応に腹を立てていた。
ノースティアラ王国唯一の神殿の前。
国民の寄付で成り立つ、この豪華な建物に眉をひそめながらも、ルービーとフィンは真っ白な石造りの通路を神官に促され、歩く。
「そう言うなよ。まあ付き合え」
フィンはルービーの肩をとると、「警戒されずこの神殿を訪問できる機会を逃したくなかったからね」と、耳打ちした。
フィン率いる王宮騎士団はずっと聖女リリファを監視していた。
4年前、突如王宮に現れたリリファは、自らを聖女だと宣言し、月花の雫を王に差し出した。そして、王の御前で最初の月下の乙女であるフィンの母親、エレを人に戻して見せたのだ。
それから幾年かが経つが、彼女を疑う者はそれまで誰1人いなかった。
だが、魔物が現れ始め、その理由をルービーから聞いたフィンは、すぐに確信した。
聖女リリファは、魔女だ。と。
ルービーが言うには魔物は強い魔法に引き寄せられてしまうらしい。リリファが王宮に現れた直後から、月下病が増え始め、更には魔物の出現だ。
リリファの出現によりこれらが重なった事は、偶然では片付けられない事実だった。
国民はリリファを聖女と崇め、この国を護ってくれていると信じている。しかし、実際、魔物討伐を、一手に引き受けている騎士団員なら、こう言うだろう。
――聖女はルービーだよ、と。
2人は薔薇が咲き誇る豪華な中庭に通された。
ガゼボの中にはすでにティーセットが用意されており、フィンはカフェみたいだ、と笑い、優雅に聖女様を待つことになった。
「俺はまだ、直接聖女とは会ったことはないんだよな。ルービーもまだだろ?」
フィンがルービーに顔を寄せる。
「ええ。この3年、この国を脅かす魔物退治に忙殺されてましたからね」
2人が騎士団に入ったのは15歳。学園に入って間もなくの事だった。17歳になった今も、もちろん学生だが、騎士団から応援要請が止まることは無い。
「すまない。我が国の防衛が整ってなくて、本当にお前がいてくれて良かったよ」
フィンの国を思う王太子らしい発言も虚しくなるほど、忙しいのはどうかと思う。2人は揃ってため息をついた。
この国は平和主義国家であった為、外へと向ける戦力はお飾り程度しかなかった。しかも魔物相手となると、ズブの素人。いくら貴族に戦力提供を求めても、他人の領土よりも我が領土だと、魔物を恐れ、兵を出し渋る者が続出した。
そこで国王は、若き人脈を求め、この国の最も優秀な者が集う王都の学園に白羽の矢をたてた。そして、駆り出されたルービーが、魔物相手に無双してしまい、騎士団への入団を強制された訳だが……。
目立ちたくないからとルービーは入団を断固拒否した。
それで騎士を纏め、予想以上の成果を上げた王太子フィンが、ルービーを宮廷魔術師として抱えたまま騎士団長となる事で、ルービーを無理やり軍に組み入れ率いる事になったのだ。
「まあ、魔物の方は仕方の無い事ですが、何も今日でなくても。俺は一刻も早く美亜に会いに行きたいのに……」
「へぇー。ミアちゃんって言うんだ」
フィンはニヤニヤと笑う。
「……う……」
またポロリと漏らしてしまったルービーは眉を寄せた。
それをにこやかに見るフィン。
「なあ、ルービー。変身魔法はかけたものじゃないと解けないんだろ?だからお前は魔女をいつまで経っても討伐出来ない。そう言ったよね?じゃあ、君はどうやってミア穣の変身魔法を解かせるつもりかい?」
「ああ、締め上げて解かせる!だからまず美亜を……」
拳をにぎりしめるルービーを遮り、フィンが言う。
「月下の乙女は彼女1人じゃない。それに、今、君がそんな事をすれば、国中のリリファ信者の不況を買ってしまうだろうね。いいか?月下の乙女から雫を取り上げる訳にはいかない。お前はこの国の月下の乙女、全ての苦しみを取り除いてあげたいとは思わないのか?」
いつもは柔らかい顔つきのフィンだが、時折ごく身近な者に、このような厳しい顔を見せることがあるのをルービーは知っていた。
フィンの母親は最初の月下の乙女だ。
周りの人に白い目で見られながらも明るく気丈に振る舞う母親の苦悩をフィンは一番間近で見てきたのだ。
「……分かったよ。で?お前はどうしたいんだ?」
ルービーはため息をつき、フィンに渋々頷いた。
フィンはニヤリと笑う。
「魔法は液体には出来ないし、ビンに詰めて保存も出来ないはずだ。だからまずは、彼女が浄化魔法を使う所を見たい。可能なら月花の雫を手に入れてその中に込められた魔法の種類を研究したい」
「分かった。だがそう簡単に月花の雫をくれるかな」
リリファはいつも、月下の乙女を神殿に呼び、必ず自分の目の前で月花の雫を使用させる。
だから、月下の乙女は必ず週に1度、神殿を訪れなければならないのだ。
「まあ、簡単に薬が手に入れられるとは思ってないよ。今日は何らかの探りを入れられれば良しとしよう」
◇◇◇
「な……なに?あのイケメン達は!!」
リリファは薔薇の咲きほこる神殿のテラスに現れた潤しい男2人に、目を見張っていた。
騎士団の制服を着た、まるで水面に映る太陽の如きキラキラと凛々しい王子。そして、漆黒のローブをも照らす程の皓い輝きを纏う月の如き魔術師。
満開の薔薇でさえ、彼らの前では霞んで見える。その2人が、目の前で顔を寄せ合い、イチャイチャしているのだ。
リリファは、一瞬アブナイ世界に誘われそうになりながらも踏みとどまり、なるべく可愛らしく見える様に小首をかしげながら、柱の影から姿を現した。
「フィン王太子様、お初にお目にかかります。お母様はお元気ですか?」
リリファに気付いたフィンは、足を折りリリファ前にしゃがむ。そしてその右手を恭しくとり、祈るように軽く額にあてた。
「ええ、聖女リリファ様。貴方のお陰で、母の病は完治する事が出来ました。本当にありがとうございます」
チッ!
リリファは舌打ちした。
中途半端な浄化魔法でも摂取し続ければ完全に魔法が解けてしまうようだ。王妃には、かなり薄めた薬を与えた筈なのに!!
「え?舌打ち?」
王子は鋭い。それでもリリファは優しい微笑みをたたえたまま、何食わぬ顔でフィン王子の後ろで、物憂げこちらを見ている若者に目をやった。
「そちらは?」
「彼は宮廷魔術師のルービー・スタンリーですよ。聖女様も名前は耳にしたことが、おありでは?」
「ええ。もちろん知ってますとも。リリファはお会い出来て嬉しいです……わ……」
口ではそう言ったものの、リリファのその顔は、見るまに引き攣っていく。
何この気持ち悪い感じ……。
リリファは本能で感じ取っていた。この男が何度も転生しては、姿や名前を変え自分を追ってくる勇者ではないかと。
リリファはこの謎センサーのお陰で、今まで勇者との接触を何となく逃れていた。
「いやね、今日はこの男が何かに取り憑かれたって言うからさ、聖女様ならどうにか出来ないかなと思って……」
フィンは立ち上がると、ルービーが余計な事をしないようにと、流し目を送った。しかし、ルービーは、ハッと悟る。誤魔化すのか!ならば、まかせろ、と……っ痛!
「ね?変だろ?ルービーはこの国の宝。どうにかして治したいのですが……何か手はありませんか?」
ルービーの変顔をケツ蹴りによって阻止したフィンは、何食わぬ顔でニコリと聖女に微笑みかけた。
(な……何?この仲の良さ!)
リリファは仲良さげなイケメン2人の萌えに、鼻を押さえながらも、勇者という存在から逃げたくてたまらなくなっていた。
「そうね、い……今、月花の雫をお持ち致しますわね」
「ああ!それは有り難い!」
あ……。いつもの癖で……。
リリファは月下の雫をきっちり管理していた。それを飲まない者に渡す様な事がないように。だって、色々調べられたら厄介じゃない?
でも、この場で苦手な浄化魔法なんて使えないし!
「月花の雫はその御方のような症状にも効くと思いますわ。……はは」
敵に薬を渡す事になるとは……っくそっ。
リリファは悔しくて唇を噛む。
「それはありがとうございます!ルービー、良かったなっ!!」
図らずも月下の乙女にしか手に出来ない薬を手に入れられ、フィンは心の中でニヤリと笑う。
「失礼致します!!」
その時、テラスの入口に副隊長オルスが少し焦った様子で現れた。フィンはチラリとそれを見、ちょうどいい引き時だと踵を返す。
「聖女様、ありがとうございます。我々はこれで」
「ええ、お大事に……」
リリファはホッと息を吐くと、月花の雫の予備と引き換えに、献金を恭しく受け取る神官を見届け、逃げるように早足で部屋へと戻った。
「彼女、かなり取り乱していた様だけど、何かあったのかな?」
フィンは足早に神殿から離れながらルービーを見た。
「リリファは大体5年おきに移動する。だが、今はその時では無い様だ……嫌な予感がする」
恐らくトリップするには魔力……ポイントが大量に必要なのだろう。だが、今はそれが足りてない様子。
逃げられないのは有り難い。だが……稼ぎにでる可能性があるな。
ポイントを貰うのには、なにも良い事をした時とは限らない。心を揺るがすような悲しい出来事を起こす者にポイントをつける輩もいる。そして、その悲しい出来事に同情する様な、コメントを言った者にもポイントはつくのだ。それが、ポイントを稼ぎたいだけの悪人でも。
「嫌な予感とは?」
フィンの問いに答えるのは難しい。ポイントについて話さなくてはいけなくなるからだ。
「え?……ああ、ただの勘だ。何も起きなければいいのだが」
ルービーの下手な誤魔化しに、フィンは眉を寄せる。
「ルービー、君は……」
フィンはここでため息をつく。
聞いても教えてはくれないんだろうね、と。
「さぁ、オルスの所に行こう。どうせまた、魔物だよ」
フィンはキリリと顔を引き締め、神殿を後にした。