31話 再会
彼女を見た途端、鼻の奥がツンとし、喉の奥から何かが込み上げてきた。涙腺は溢れ、涙がこぼれ落ちた。
ふわふわの真っ白な髪に肌、小さく整った顔にキラキラと星を散りばめたような緑の瞳。美亜を思わせる優しい眼差しが、俺の顔を心配そうに覗き込んでいた。
「ルービー様。どこか痛いのですか?」
その声は幼く、甘い。胸がぎゅっと掴まれる。
かっこよくキメるんだ。出会えたらそうしようと考えていたはずなのに、言葉は溢れ出てしまった。
「もう一生、目を瞑りたくないのに……涙で見えないんだ……」
目を開けたらフェリベールだった、なんて、二度とごめんだ。絶対目を離すものか。
「瞬きをして下さいまし!ルービー様!」
焦った声まで可愛らしい。しかも、優しく頬を拭われ、ルービーの心臓は口から出てきそうだった。
消えていなくなるかもしれない……恐怖心からルービーは手を握る。……ん?手?
彼女の小さな柔らかい手が、既に自分の手の中にあるじゃないか!!
もうそれだけで、もう胸がギュンギュンで。
「ずっと触れたかった。……もう離さない」
ルービーは体を起こすと、小さな柔らかい手をしっかりと握り、思い切り引き寄せる。そして、その耳元に囁いた。
「美亜、渉だよ。覚えてるかい?」
◇◇◇
「渉様……?」
ミーアは驚いたようにバッと体を離しまじまじとルービーを見た。
よく澄んだ青空の様な瞳が自分を見詰めていた。その髪は真珠の様なプラチナブロンド。
そっと手を伸ばし、その長い髪に触れてみる。渉様は黒髪だった。この色もとても素敵……だけど?
「渉様、お体は大丈夫ですの?」
ミーアの知る渉様は歩くのもままならない程、お体の弱いお方だった。目の前の立派な武人とは程遠い。ミーアは首を傾げる。
「とても良好だ、女神のおかげでね。……美亜、済まなかった。猫になった君を助けられなくて。君はずっと、窓辺にいてくれたのに」
その言葉でミーアの心は、いっきに過去へと巻き戻った。
――猫になってしまったあの時から、美亜は御屋敷の窓辺で、衰弱してゆく渉様を、ただ見つめる事しか出来なかった。
「美亜こそ、渉様がお空へと旅立とうとしているのに、何も出来なくて……」
言葉が詰まる。そんな美亜の髪を渉様は撫でてくれた。その慈しむ様な温かさは、ずっと昔に忘れ去っていたもの。
美亜の大きな瞳からポロポロと涙が流れた。
「渉様。美亜は渉様の御屋敷を、少しでも温かくしたくて、ずっと皆さまの幸せをお祈りしておりました。でも、渉様がいない御家は、とても寂しくて……御家がいくら温かくなっても、美亜の心は……」
言葉が続かない。胸がいっぱいで。
「ずっと……。そうか……寂しい思いをさせてすまなかった。頑張ってくれていたんだね?」
こくんと美亜は頷く。
「……聞きたいな。美亜の見たもの聞いた事、全てが、俺の宝物になるに違いない」
その渉様らしいお言葉に美亜は離れたくなくて。
「渉様、どうか、また、美亜をお側に置いてくださいまし。美亜はずっと渉様のお側にいたいですわ!」
思いの丈を伝えると、体を寄せ、恐る恐る見上げた。
渉様は、バッと鼻を押さえる。
「美亜、いや、ミーア。出来ればその言葉、今の私の名前、ルービーで、もう一度頼む!」
渉様だけど、今はルービー様。その元気なお姿が嬉しくて、ミーアは頷いた。
「はい、ルービー様!何度でも!」
ルービー様は何やら苦悩しながらも、ミーアの言葉に頷き、優しく抱きしめてくれた。
◇◇◇
「無粋な真似はするな!今日はもう十分楽しんだはずだ。直ちに解散――っ!!」
大声で観客に向かってそう告げた男は、再会を喜ぶ2人へと近づくフェリベールを阻むように、立ち塞がった。
力を秘めた意思のある瞳だ。だが、興味が隠せないといった様子で、緊張で固く結ばれた口以外は、概ね友好的に見えた。
フェリベールはこの男によく似た人間を知っていた。かつて我が国と争い、討ち取った、ノースティアラ国王レオンシオ1世の息子、アルバドだ。
我がサウスティアラ王国の国民を受け入れ、ノースティアラ王国を更に発展させた善王に、その男はそっくりだった。
「フィン。剣を引け。話がしたい」
フェリベールから目を離さぬまま、その男が言う。王太子を呼び捨てに出来る男など1人しかないない。則ち、この男は国王という訳だ。彼は間違いなく、アルバドの血を受け継いでいる。
フェリベールは面白くなって後ろを振り向いた。
「だ、そうだ。お前はボンスリーを追え」
振り返ったフェリベールの背中には、健気な王太子がピタリとついてきていた。その剣は未だにフェリベールに向けられていた。
「グレソンを行かせましたよ」
フィンは硬い声で答える。顔には出さないが、私(魔王)の指示にかなり苛立っている様子だ。
フェリベールは、何故かこの若い王子様の表情を崩したくなって、ニヤけながらフィンに言った。
「あいつは空気属性の術師だろ?、魔力球は使えるが、回復しか出来んぞ。ボンスリーが応援を呼んでいたらどうする」
「フィン、ボンスリーを頼んだ」
国王のその賛同に、フィンは眉を顰め、渋々踵を返した。
フィンの澄まし顔を崩せて満足したフェリベールは、改めて目の前の男……国王へと向き直る。
国王は先程よりも緊張した様子で私を見ていた。
無理もない、魔王相手にたった1人で立ち向かおうと言うのだから。褒めてあげたいくらいだ。
しかし、護衛の1人も連れてないとは、この国の王族の平和ボケは致命的だろう。
「さて……魔王よ。これからの事を話さねばならないと思うのだが、まずは名前を聞いても良いだろうか?」
国王が言う。マウントを取ろうと必死のようだ。可愛いものだ。
「何だ、国王。魔王の名も知らぬのか?人に名を聞くのなら、まずは自分から名乗るべきだよ、アルビー」
名を呼ばれた国王が眉を顰める。実に面白い。だが、この国を任せた身としては、実に面白くない。
王がこれでは、この国の終わりが透けて見えるようだ。
黙り込む王に、フェリベールは更に告げる。
「すまんな、隠居生活が長すぎて、少々偏屈になっておってな。だが、悠長に自己紹介をしている場合ではないと思うのだが?何やら良からぬ物が近づく気配がする。まさか気付いてないなんて事はないだろ?」
ようやくここでアルビーは口を開いた。
「……分かるのか?」
「ああ、魔物は魔素の多い場所へと向かう習性がある。私自信もそれに漏れない。ここに来たのも……まあ、そういう訳だ。しかし、この気配にこの方向、先日まで大国デッセシュバームに攻め入られていた、隣国ドルバあたりか?……大量殺戮を受け、果てに魔物を量産する羽目になったとみえる。恐らく、戦いは終結し、行き場を失った魔物が、新たな魔素源を求め、この国をターゲットに絞ったか……」
ピクリと眉が動く。情報は入っていたようだ。だが、生かせてなければ意味がない。フェリベールは嘲るように言う。
「いいのか?速度を速めたようだぞ。先程のボンデッドの魔素が、餌となったようだな」
国王は顎に手をやり何かを考えあぐねいている様子だ。
フェリベールはため息をついた。
それでも、国王が動かずここにいるという事は、国を捨てる覚悟である、という事ではないか?
フェリベールは踵を返した。もうこの国にしてやれる事など、思い当たらなかった。ならばやるべき事は1つしかない。
「では、そろそろ私は王都を出るとしよう。出来るだけ遠くに移動してやる。速い馬を用意しろ」
私が自身の魔素で誘き寄せ、国から離すしか……。
だが、フェリベールのその言葉に、王は顔をあげ、驚いた様に真っ直ぐに私を見て言った。
「待ってくれ。頼む」
そして突然、フェリベールの目の前に片膝を付き頭を下げた。フェリベールはギョッと体を引いた。
「魔王よ、残念ながらその通りだ。旅行好きの部下が連絡をよこして来たから間違いない。魔物は今現在、既に国境を越え、国の内部に及んでいるらしい」
「……なるほど。被害は?」
「他に魔物がいなかったからか、それとも、餌となる魔素が良質だったからか……周りには目もくれず、真っ直ぐに王都へと向かっている様子。辺境の町に被害はないのは喜ばしいが……恐らくは1日と待たずにこの王都へと押し寄せるでしょう」
なるほど、とフェリベールは眉を顰めた。
「……私が今、動いたとて、間に合わないかもしれぬと、お前はそう言いたいのか?」
「その通りでございます」
「で?もしかして……私に、共闘を望むのでは?」
「正にその通り。さすが真王、フェリベール様」
やられた。
ギリギリまで策を講じなかったのには理由があったようだ。
フェリベールは思い切り顰め面をして見せた。
どうやら私はこの場所に誘き寄せられたらしい。
「アルビー王よ……いつから企んでいた?」
「企むなんてとんでもない……ただ、ルービーを熱心に見つめる優しい目がある事に気付いただけの事。ルービーにその名を与えた魔術師が魔王だと知った時は驚きましたが」
「それだけで……」
「それだけではありませんでね。実は我が妃、ディディエラは貴方の大ファンでして、王家の秘書閲覧の為に、私と結婚すると言い出したほど。そんなディディエラの長年の歴史研究結果が、貴方という人物像に結びつきました。ルービーという名……その子供が危機に陥るような事があれば、貴方が駆けつけるであろう事は分かっておりました。だが、先程の戦いがなければ、本気で信じるには及ばなかったかもしれません」
ここで国王は再び頭を垂れた。
「フェリベール様、貴方にこの国を返す時が来ました。どうぞ受け取っては下さいませんか?」
信じられない。この男は狂っているとしか思えん。
「貴様……魔王に、この終わりかけた国を押し付けるつもりか?」
何か釈然としない。フェリベールは拳を握った。
「何を考えておる……アルビー」
「フェリベール!!」
ようやく周りが見えるようになったか、嫌なタイミングでルービーが我々の間に入って来た。
「フェリベール?アルビー様も!どうされたのですか、こんな……。お立ちになって下さい!!」
釈然としない理由……この男はルービーを、私をおびき寄せる餌にしたのだ。
だが、ルービーを見れば、その腕にはしっかりと可愛らしい少女を抱えていて……。
思わず口元が緩む私を見て、アルビーは、ニヤリと口の端をあげた。フェリベールは慌てて口を引き結ぶ。
「アルビー……この国を潰す気ではなかろうな……?」
苦々しい声で唸るフェリベールに、アルビー国王は揚々と応えた。
「まさか!この国は易々とくたばりはしない。今からこの国の底力をお見せいたしましょう!」
その自信に満ちたアルビー顔が、かつての善王の顔に重なる。
フェリベールは否応なしに心が浮き立つのを止められなかった。




