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30話 王様の猫

 静かになった会場内、ボンデッドから視線を戻せば、すぐそこにフィンが立っていて、仰向けに転がる魔王の首に剣を向けていた。


 トパーズの瞳が、真っ直ぐにルービーを見る。

「ルービー、どうしたい?」

 ルービーは大きく息を吸い、震える心を落ち着かせるように息を吐き、フェリベールの横に膝を着いた。


「フィン、殺さないでくれ。この人は俺の友人だ、敵では無い」

 フィンは信じてくれるだろうか……。不安に胸が締め付けられる。

「友人、か……」

 フィンはフェリベールからは目を離さずに、呆れた様に呟いた。そしてあっさりとそれを肯定した。

 

「分かった。では殺さないでおこう。だが、お前は魔王。この国に近付く事は許さない。直ちに出てゆけ!!」

 フェリベールに向かい、強く言い放つフィンにルービーは首を振る。

「違うんだ!!フィン、聞いてくれ!!」

 

 すると、ルービーをあやす様に、トントンと足を叩く手が……。下を向けば、フェリベールが微笑んでいた。

「ルービー、いいんだこれで。後は私が話そう」

 その落ち着いた声に、ルービーは渋々ながら頷いた。フェリベールはグレソンの手を借りながら、体を少し起こした。

 

「……フィンとやら、聞いてくれ、これはルービーにも関わる事だ」

 フィンはピクリとその剣先を震わせた。その動揺から信頼関係を感じ取り、フェリベールは微かに目を細める。

「魔物を殺れば魔素が散る。今、そこの魔物にトドメを刺せば、その魔物から放出された大量の魔素は、この会場内に散るだろう。魔素は、正常な生き物にとっては毒。だから、その魔物が意識を取り戻す前に外に運び出すことを勧める。喧嘩は外でやるべきだ」

 予想外の……まるで教師の様な言いぐさに、フィンは眉を顰めた。

 

「その毒……魔素と言ったか……それを吸えばどうなるんだ?」

「魔物になる。少量ならいいが、ルービーは森の中での討伐で、既に許容を大きく超える量の魔素を吸っているんだ。魔素を吸い過ぎれば人であっても魔物になる。……そこに転がる魔物(ボンデッド)のようにな」

 フィンはチラリと、近くに仰向けになって転がる、焦げた匂いのする生き物を見た。片手を失ってもなお、息をしているらしい。

 

「分かった。だが、この巨体。時間がかかるやもしれない」

 理解したか、とフェリベールは息を吐いた。

「なら、1つ提案がある。あの魔物は、悲しい事だが、もう人には戻れん。天へと帰してやろう。散った魔素は私が全て請け負う。私はあの巨体よりは幾分か小さいし、従順だぞ」

 フィンはピクリと眉をあげる。

 

「……なに魔王にしてみれば、大した魔素量ではない。ただ、多少、感化され、いつもよりは猛り、吠えたりはするやもしれぬ。そこでだ、ルービー。私を凍らせろ。どの道、私はもう立てない。凍らせてから、ゆっくりとこの国から運び出せばいい」

 ルービーはフェリベールの提案に苦しげに眉を寄せる。でも、フィンは厳しい姿勢を崩さない。

 

「上手い逃げ方だな。先程の戦い、腕から放たれた魔素を吸った途端、お前は強くなった様に見えた。更に多くの魔素を吸い、強くなったお前が、我々を攻撃しないとどうして言いきれる」

「俺を疑うのか?どう思う、ルービー。こいつはお前を信用してないようだぞ」

 嘲るように、フェリベールが言う。フィンは剣を更にフェリベールの首へと突きつけた。

 フェリベールは強い瞳を返す。

 

「フィン……お前は王太子だろ?聞き及んでおるぞ。民の見本であるべきお前がそれでは、ルービーが心を許さなかったのも頷けるな。……ルービー、助けた民に、これ程まで非情な裏切りを受けたのだ!国を捨てるという選択肢もあるのだぞ!」

 フェリベールが、勝ち誇った様にそう言うから、フィンは不安になり、慌ててルービーを見た。

「ルービーが国を捨てるだと!?そんな……!」

  焦り、戦慄くようなフィンの声に、ようやく観客らも気付く。

 ルービーのいない未来が、どれほど不安なものかと。


 ルービーはフィンから目を逸らし、口を開いた。

「フィン、フェリベールは自ら命を犠牲に、この国から魔物を遠ざけるつもりだ。だけど、俺は友人を最後まで見捨てたくは無い。……だから……氷月刀!!」

 不意にルービーが地面から剣を引き出した。

「どういう事だ!?ルービー!!」


 驚くフィンの後ろで、ムクリとボンデッドが起きだしていた。その傍らでは、ボンスリーがニヤけながら、空の薬瓶を落として見せた。

 

 ――パリン。

「グァァァ――!!」


 ボンデッドは一声吠えると、更に体を肥大化させ始めた。

 わぁぁ――!!きゃぁぁ――!!と、小山のように膨れ上がるボンデッドを前に、観客はパニックに陥る。

 

『ボンデッドが魔物に進化しました――!!これは!?……ゴフッ……ピ―――。……ルービー!止めてくれ!頼む!!』


 魔道拡声器がジャックされ、誰かが叫んだ。

 その声は何処かで聞いたような?

 

「ストーム!!」

 すぐさまフェリベールが魔法を放つ。だが、そのつむじ風は霧と消え……。

「……オッサン?」

 フェリベールを立たせながらグレソンが呟く。フェリベールは不服そうに眉をひそめた。

「言うな。魔素が足りん」

「……チャージ式かよ」

 

 傍らでは、ルービーがブンッと振り上げたボンデッドの拳に魔法を放つ。

「月よりい出し水よ。結晶となり、己が風に乗れ!氷塊!!」

 ビュン!と人の頭ほどある氷が、ルービーを中心に巻き起こった風に乗り、回転し加速すると、ボンデッドの小さな頭に向かい放たれた。

 それはらゴンッ!と顔に命中し、ボンデッドはよろけ、ふらついた。そこへ、フィンが高く飛翔し、その目に向かって剣を突き刺した。


「グァァァ――!!」

 ボンデッドは悶え、たたらを踏む。フィンは振り回され、刺さった剣にしがみついた。

 完全に方向を失ったボンデッドは、しばらくグルグルと回る。そして、そのままバランスを崩し、仰向けに倒れた。

 

 ド――ンッ!!と地面が揺れる。


「フィン!!角を折れ!!」

 どこにそんな気力が残っていたのか……フェリベールが叫ぶ。

 だが、振り回されたフィンに余裕はなく、素早く剣を抜き、飛び上がると、ボンデッドの心臓に向かって思い切り突き刺した。


「グオオオオ――!!」


 叫び声と共に、辺りに魔素が散る。

「小僧!!ルービーを庇え!!」

 フェリベールは力の限り叫んだ。


◇◇◇


「そろそろ帰りたいわ、オルス。この手を離してくれないかしら?」

 目の前、魔物と戦うのは、自分が猫にしたはずの、王子様だ。

 何故、猫になっていないのか?失敗したの?魔法が解けてしまったのかしら?

 疑問はつきないが、出来れば、見つかる前にこの場を去りたい。

 

 リリファは横にいる、まあまあ男前の騎士団副隊長を見た。彼はなぜか手をずっと握ったまま、離す様子がないのだ。

「貴方もそろそろ仕事に戻らなきゃでしょ?」

「いえ。大丈夫です。これが隊長の指示ですから」

 さすが国1番のモテ男。真面目なオルスに、一体何を吹き込んでくれやがったのか!

「しつこい男は嫌われるわよ?」

「覚悟の上です」


 ……と、その時、会場内が湧き、場内に魔素が満ちた。リリファは眉を顰める。どうやら勇者が勝ったらしい。

 しかし、その勇者は銀糸の髪を振り乱し、グァァァと言わんばかりの表情で苦しげに悶え始めた。

 

 リリファの脳裏に過去の恐ろしい記憶が蘇る。

「これ、魔物になるわ……」

 こうなれば誰にも止められない。たとえ、フェリベールでも。

「魔物化した勇者、恐ろしい……逃げなきゃ……」

 ――トリップ!

 リリファは無意識に呪文を唱えていた。


◇◇◇


「いかん!!大変な事になるぞ!!」

 そう叫びながら、観客席を超え、場内へと駆け込んで来るのは熟れた(こなれた)冒険者風の男だ。

 冒険者風の男は走りながら、そのローブのフードを後ろへと跳ねる。明るい金髪にトパーズの瞳。それはフィンをそのまま大人にしたような男だった。

 

「アルビー国王だ……!!」

「王だ!!助けに来て下さった!!」


 凶暴化した魔物はフィンが退治してくれたものの、まだ魔王がいる。それなのに、ルービーの様子がおかしいのだ。観客たちは、王の登場に心から安堵の声を上げた。


「フィン!全力でルービーを止めろ!!」

 だが、アルビー王が叫び、ルービーまで後ちょっとという時、不意にその足を緩めた。

 何事かと見守る観客たちの前、アルビー王の懐がモゾモゾと動き、ひょっと小さな子猫が顔を出した。


「ミャ――……」

 真っ白な子猫は、耳をピクピクさせ、キョロキョロと辺りを見回す。

 アルビー王が慌てて懐に推し戻そうとするも、猫はするりとかわし……。

 皆が注目する中、アルビー王の必死の攻防も虚しく、とうとう猫は懐から飛び降り、真っ直ぐに魔王に向かって走りだした。

 

「子猫を!!」


 アルビー王のその声にいち早く反応したのはグレソンだった。

 グレソンは、魔王の元に駆け寄り、飛びつきこうとした子猫の首根っこをガシッと掴む。そして目の前に持ち上げると、その顔を覗き込んだ。

「てめぇ……手間かけさせるなよ」

 

「グレソン!薬を!」

 フィンが叫ぶ。フィンは魔素を吸い、苦しみ悶えるルービーを必死に押さえつけていた。

 グレソンはすぐに懐に大切にしまっておいた薬を取りだす。

 そして、ミャーミャーと抵抗する子猫の口に流し込んだ。


 子猫の姿がふわりと揺らぐ。

 

『何と……王の猫が人間に!!王の懐に月下の乙女が!?どういう事でしょうか!!』

 拡声器を、取り戻したのか、アナウンスが入り、観客はみな、その美しい少女に釘付けになっていた。


 優しくカーブした真っ白な長い髪に、小さな顔。大きな瞳は虹彩を散らした緑。真っ黒のドレスを着た、まるで人形の様な愛らしさ。

 少女は自分の姿に少し驚いた表情をするも、すぐに魔王に縋り付き、自分の首に下げていた首飾りを差し出した。

 

「その首飾りは……」

 フェリベールは目を見張る。

「ゴメンなさい。治そうと思って外したのですが、そのまま忘れてしまってましたの。今、治して差し上げますね!!」

 少女は微笑む。

 

「え!?」


 そして、首飾りについた角の紐を解き、戸惑うフェリベールの額へと手を伸ばし。

 カチッ!

 しっかりと、くっ付ける。

「元気になって下さいまし!!」

 少女は魔王の手を取り、おまじないを唱えた。

 

 魔王復活!!


 立つことも出来ず、ヨロヨロと動いていた魔王が、明らかにピシリと背を伸ばした。そして、大きく息を吸う。

 見る間に魔素が魔王の元へとチャージされていくのは誰の目にも明らかだった。

 だが、驚くことに、魔王はその姿を変えることなく、静かに佇んでいた。


◇◇◇


「渉様はお日様に好かれているのですね。起きていらっしゃる時はいつもいいお天気ですわね」

 目を覚ませばいつも横に美亜がいて、優しく微笑んでくれた。

 窓辺に移したベッドの上でしか、生きられなかった自分。だが、美亜が微笑んでくれるのなら、それだけで幸せだった。


「美亜……俺はずっと旅をしたいと思っていたんだ。だけど、何処に行っても、誰と何をしても、心から幸せだと感じる事が出来なかった。……きっと、俺の心は凍りついてしまったに違いない。そう思ってたんだ」


 フェリベールの書物には、太陽に伸びる枝葉だけではなく、月へと伸びる根も描かれてあった。

 ルービーは氷の魔術師だ。

 月に近づき過ぎて、心だけではなく体までもが凍りついたのだろう。ルービーはそう思って泣いた。

 

 もう、太陽の光は見えない。

 これでは月下病と変わらない……。

 と、ルービーは思い、ハッと気が付いた。

 

 自分が凍ってしまえば、美亜を助ける事が出来ないではないか、と。


「ルービー様。朝になればお日様は顔を出して下さいます。だから、安心して下さいまし。お心が凍ってしまっても、すぐに溶かしてくださいますわ!」

 声がする。いつか聞いた、あの娘の声だ。

 しかも……。

 

「体が暖かくなってきた……」

「温浴効果でしょうか?」

「魔素が抜けてるようだが……」

「浄化作用ですわね!きっと」

「……美亜?」

「はい。美亜ですの」

 しっかりとした反応がある。

 

 目を開けるのが怖い。だけど、開けずにはいられない。

 ルービーはドキドキとうるさい鼓動を聞きながら、勇気を振り絞って、そっと目を開けた。

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