29話 光
「フェリベール!!」
ルービーはグラグラする頭を押えながら、彼のその姿があった場所へと近付こうともがいていた。
ボンデッドの大きな拳の端から見えるのは、フェリベールの古びたローブの端だけだ。見る間に赤く染るのを見て、ルービーは力なくその場で膝をついた。
会場は水を打ったように静かになっていた。
魔王と呼ばれた男があまりに弱すぎた為、誰もが偽物だと思っていたのだ。アナウンスに引き込まれた観客は皆、巻き込まれた魔王を哀れんでいた。
だから、その声は会場内によく響いた。
「やったァァァ――!魔王が死んだわ!!」
女性の声だった。若い女性だ。
「あいつは偽物じゃねぇのか?」
誰かが叫ぶ。
「そんな訳ねぇだろ?魔王には、俺が毒を仕込んでおいたんだよ!でなきゃ、こんな場所に連れて来ねぇよ!」
ボンスリーが観客に向かって叫び、会場内がざわつき始めた。
「魔王なの?本当に?」
「魔王が死んだのか?」
「……もう、魔物に怯えながら暮らさずに済むの?」
「マジかよ。やったァ――!!」
『そうです!そうでした、魔王です!!さすがボンデ商会。毒を仕込むとは!しっかりとした安全対策とも言えますが。さすがの魔王もここまでかァァァ――!』
わあああ――!!と、再び会場が湧きだした。
ボンデッドはまるで虫でもいるかのように、拳でグリグリとフェリベールをすり潰していた。
駆け寄ろうとするルービーを、騎士ら3人で必死に抑えようとする。
「ルービー、引け!これでいいんだ!!」
観客はみな、フェリベールの死を渇望し、その終末の予感に歓喜していた。
「こんな事……あってはいけない。フェリベールはこの国を救おうとしていたのに……」
ルービーは騎士らを振り解き、両手を地面についた。辺りに冷気が立ち始め、魔法詠唱の予感に騎士らは慌ててルービーから離れた。
「月光を浴びし水よ刃となれ!氷月刀!!」
土より引き出したのはユラユラ揺らめく冷気をそのまま剣にしたような氷の剣だ。細く長い刃は、美しいがとても脆く見えた。
ルービーはそれを、両手で握ると、子供の様にしゃがみ、グリグリと拳をつくボンデッドに飛びつき、その拳に思いっきり突き刺した。
「グアアアア――!!」
『――っとォ!ルービーが反撃したァァァ!どういう事だァァァ!助けられた恩を返すつもりなのか!?』
ボンデッドが拳を押さえ、仰け反り、地団駄を踏んだ。拳が剣の冷気によって、じわじわと凍り始める。
ルービーはその隙にフェリベールの元へと駆け寄り、その身を抱き抱えようと手を伸ばし……そのまま項垂れた。
これほどの血を流す人間を、ルービーは間近で見た事がなかった。
「ルービー、なにをしている!!」
ぐォォォ――と悶えるボンデッドに怯えながらも、騎士がルービーに駆け寄り、手を伸ばす。しかしルービーは片手でそれを弾いた。
「治療師を!!……ヒール!」
「ルービー!!」
騎士たちが焦り、ルービーを引き離そうとその肩に手をやるも、ルービーは必死に回復魔法を唱え続けた。
その様子を遠くから見ていたボンスリーが、へぇーと、冷たい怒りをその顔に宿していた。
「……なるほどそういう事か。坊ちゃんはお子ちゃまだから魔王を殺せないのかと思ってたが、騙されたぜ」
呟くと、突如、声を張り上げた。
「聞けぇ――!この国の混乱は全て魔王のせいだ!だが、それを知りながらルービーが魔王討伐をしなかったのは何故か!それは魔王とルービーが、最初からグルだったからだよ!月下病を流行らせ、貴族から金を巻き上げ、武力を削いだ上で、魔物をけしかける。コイツらは、この国を滅ぼすつもりだ!!」
すり鉢状の闘技場で、その声はよく通った。ボンスリーの声に気付き、多くの観客が耳を傾けた。
再び観客がざわつき始める。
「なんだって!?噂は本当だったか」
「やっぱり!あの強さ!ただの人じゃないと思ってたわ!!」
「私達まで猫にされるわ!早くやっつけて――!!」
『何と!!ルービーの今までの善行は、全て嘘だったと言うのか!?』
アナウンスまでもが疑惑を口にし、観客はルービーを糾弾し始めた。
ルービーは回復魔法を唱える手を止め、胸を押さえた。過去の記憶と重なる声に、船酔いに似た吐き気に襲われていた。
騎士らまでもが、ルービーを引くその手を緩めた……その時、もう息絶えていると思っていた魔王が、目をうっすらと開け、口を開いた。
「ルービー……。人は、自分の守るべき者、守りたい者の為には、敵にも味方にもなる。それは誰にも咎められるものではない。私が死ぬ事で、国民の心の平穏が訪れるのなら、喜んで死を受け入れよう……」
フェリベールの口から血が溢れた。
ルービーは慌ててその手をとり、ヒールを唱える。
「……では、お前の心の平穏は?フェリベールの魂の安らぎは、いつか訪れるのか?」
何度転生しても、ルービーが勇者として生まれ変わるように、魔王は魔王にしかなれないのなら、いつまで経ってもフェリベールは救われないじゃないか。
「守りたいものは同じなのに、どうしてこんな事に……」
「グアァァァ――!!」
凍った剣が抜けず、苛立ちが頂点に達したのか、ボンデッドが吠えた。ドシドシと足踏みをし、再びフェリベールを狙い、拳を振りかぶった。
『これで終わりだァァァ――!!』
「殺れぇぇぇぇ!!」
「「殺せ!!殺せ!!」」
ルービーは咄嗟にフェリベールを庇い、覆い被さるように四つん這いになった。
ガンッとものすごい力で背中を叩きつけられた。
無抵抗だと勇んだそれは、容赦なくルービーの背に幾度も振り下ろされる。
その痛みが自分への罰のように感じられ、ルービーは自分を守る事すら忘れていた。
「そうか……俺が黙っていたからだ……」
ルービーは激しい打撃に呻きながら呟いた。
俺はフェリベールの優しさを分かっていながら、それを誰にも話す事が出来なかった。フェリベールを追い詰めたのは自分だった。
「俺はなんて臆病で身勝手な人間なんだろう……勇者失格だ」
ルービーがその拳の重みに肘をついた時、フェリベールが再び口を開いた。
「ルービー、それは間違いだ。お前を正しい方へと導く光があるように、私にとっての光はお前なんだ。お前がいるから、私はこの国を救いたいと思ったんだよ」
目はもう開いていない。だが、確かにフェリベールは笑った。
「でも、これではフェリベールが……」
「ルービー、しっかりしろ。今、コイツを倒せるのはお前だけなんだ……」
その時、不意に背中の重みが消え、ボンデッドの呻き声が聞こえた。
ルービーは顔をあげる。
「ルービー様に何しやがる!このクソゴーレムもどきが!!」
口汚い罵りと共に、ボン!!とルービーの頭上すれすれを魔力球が走り、ボンデッドの腕を直撃した。
直後、ものすごい速さで、ボンデッドに斬り掛かる者の姿が……。
「フィン……」
その雄々しき姿にルービーの心臓が跳ねた。
『何と!!フィン王子です!!』
会場内の雰囲気は一転した。
悪夢から醒めたかのように、殺せ殺せコールをしていた観客は皆、自分を恥じるように口を噤んでいた。
フィンはよろけたボンデッドの腕を駆け上り、その顔目掛けて剣を振り下ろした。
「グァァァ――!!」
さしてダメージは与えられなかったものの、ボンデッドは腕を振り回し、フィンを払いのける。
華麗に地面へと着地したフィンは、ボンデッドをルービーから引き離すように、別方向へと走っていった。
『フィン王子!まるで猫のような動きで、ボンデッドを翻弄しております!!』
フィンの姿を目で追うルービーに駆け寄り、その腕を支え体を起こすのはグレソンだ。
「ルービー様、今のうちに逃げましょう。そこでくたばってるオッサンなんか放って……」
その声に、フェリベールの瞼がピクリと動いた。
「……誰がくたばってるだと?」
「あ、死体が喋った。……なんだ?オッサン、角なんか生やしてる割には弱ぇーみてぇだな……むッ!」
フィンがいくら引き離そうとしても、ボンデッドはこちらへと戻ってくる。
グレソンは眉を顰めると、ボンッボンッ!と、魔力球をボンデッドの顔目掛けて連発した。
魔力球を直接顔で受けたボンデッドは、息が付けず喘ぐ。
片目を開け、フェリベールはそれを見ると、くくくと笑った。
「お前、面白い……ルービー、いつまで惚けておる?凍ってる方の手を更に凍らせろ、急げ……」
鬱陶しそうに腕を振り、魔力球を払うボンデッドの拳には、まだ氷の剣が刺さったままだ。
ルービーは、いつの間にか流れていた涙を拭くと、フェリベールの指示に頷いた。
「月に最も近き地より湧き出る水よ。月より出でし我が剣に宿れ、氷結!!」
冷気の宿る水魔法がルービーの手より放たれる。それはまっすぐに、振り仰いだボンデッドの腕へと到達し、見る間に凍りついた。
ボンデッドは、その腕の重さに耐えられず、地面へと手をついた。
パリ――ン!!
「グァァァ――!!」
氷が割れるが如く、その大きな腕が砕けた。ボンデッドが悶え、辺りに濃い魔素が舞う。
「ルービー、息を止めていろ。おい、そこの!ルービーを、引き離せ!」
口を押え項垂れるルービーとは逆に、フェリベールは力を取り戻している様に見えた。
「オッサン……?」
「魔王を、舐めるなよ。サイクロン!!」
先程とは同じ魔法とは思えない規模の暗雲が、フェリベールの掌から立ち上り、ボンデッドを包んだ。
グアアアア――!!
あっという間にボンデッドの姿は見えなくなる。中で何が起きているのか……。
黒雲はビカビカとイナズマを孕み、ぐるぐると回る。ボンデッドが膝を付いたのか、その雲は低くなり……。
時間にしては、ほんの一瞬の事だった。
雲が晴れればそこに、ボンデッドが倒れていた。




