21話 サウスティアラ城跡
数日前。アラッサ闘技場のフリーシングルマッチで99連勝していたブランデッセは、あと一勝を決められず、ファン達に惜しまれながらも、失意のまま闘技場を後にした。
そして今日、ブランデッセは馬蹄の泥亭の用心棒という大役を蹴り、チャーリー師匠の薦めで、新たなる職場、スタンリー公爵家への就職を果たす……はずだった。
だが、その公爵家の門に近づけず、ブランデッセは門の前で早くも詰んでいた。
「ブランデッセ!!いけ――!!」
「頑張って!!ブランデッセ!!」
ブランデッセの後ろには、いつの間にか観客がちらほらと押し寄せている。ここで引く訳にはいかない。
ブランデッセは、鍛えられた美しい上腕二頭筋をひけらかす様にキザな茶髪をかきあげると、公爵家の門の取っ手へと、ジリジリと手を伸ばした。
正面の柵越しに、デンと構えるのは、長い舌で自身の眼球の乾きを癒している、凶悪な目付きをした、灰褐色のカエルだ。
だが、このカエル、ただのカエルだと思って貰っちゃ困る。
そのカエルの大きさたるは、人をダメにすると噂の、高級籾殻クッション『モミヨー』とほぼ同じ。むっちりとしたその後ろ足の筋肉は、我が師匠、チャーリーの腕も超えるだろう。
……と、ここで、ブランデッセは危険を感じ、飛び退った。
ペシリと飛んでくるカエルの長い舌を、すんでのところで華麗に避けるブランデッセ。無駄にかっこよく受け身を決め、立ち上がり「危ない所だった……」と、額の汗を拭う。
だが、観客はブランデッセの小芝居など見てはいなかった。
「おい、見ろ!あそこ!!」
「何だ、あのクモは!!」
「でけぇぞ!まるでボンディの腹のようだ!!」
「ボンディ……」
ブランデッセは眉間に皺を寄せ、呟く。
最後の相手。
私の100勝目を止めた男の名が、それだった。
動物は本能的に危ないと思う物には、手をこまねくものだ。奴はそれが分かっていて、ぶってりとした自分の腹に、とびきりヤバい模様を描いて試合に臨んできたのだ。
そして……俺はいつもの実力が出せずに、敗北してしまった。
今、門柱の影から姿を現した、とびきりデカい蜘蛛の模様は、あの時のボンディの腹の模様そのものだ。
黒のボディに派手な黄緑色の模様。そして……真っ赤なドット。これ、絶対、毒あるやつじゃん。
っでも、公爵家就職は手離したくなぁい!!
蜘蛛は、スタンリー家の門に蜘蛛の巣を張り始めた。それをカエルがじっと目で追っている。ブランデッセは睨み合う二体の隙をつき、門へと手を伸ばす。
どちらが食われるのか……!!大穴で、ブランデッセかも!?
2匹と1人の睨み合いを、皆、息を飲み見守った。
……と、そこに、きっちりと執事服を着た若者が、見た事のないような艶やかな黒い馬に乗り、門に近づいてきた。
「近づくな!!ここは危険だぞ!!」
ブランデッセは、門から飛び退くと叫び、その馬を止めた。
止められた若い執事はブランデッセをチラリと見ると、馬から降り、何事も無かったかのように門へと近き……何かを思い出し、振り返った。
「……あ、お前、チャーリー言ってた奴か。名前は?」
「……ブランデッセだが?」
こいつ、大丈夫か?
そうは思うが、こんな失礼な奴の事なんか知ったことじゃないと思い返す。チャーリーの名が出てきたから名を教えてやるが、こんな若造、ファンでも相手してやらないぞ。
ブランデッセは、ぬんっと胸を張って威嚇した。
だが、執事は気にした様子もなく、普通に、スタンリー家の、門を開け馬を中に入れた。馬は蜘蛛の糸をプチプチと切りながら進む。
「ブランデッセ、庭師として雇いたいんだが、構わないか?」
「ん?お前が、か?」
蜘蛛とカエルは、若い執事にターゲットを絞っている。ブランデッセは答えながらも、気が気でない。手に汗を握り、いつでも逃げられるよう、構えた。
「ああ、俺は筆頭執事のグレソンだ。良ければ、チャーリーの穴を埋めてくれ。……チッ、蜘蛛め、巣を張りやがって。屋敷が痛むだろ、クソが!」
そう言い、執事は両手を蜘蛛とカエル、それぞれへと照準を合わせ、ボンッと同時に魔力球を放った。
二匹は声もなく腹を見せ、ひっくり返った。
「「「!!」」」
そこにいる誰もが息を飲んだ。
「大丈夫だぞ?これくらいじゃ死なないから。……で?お前、どうする?」
驚き、声を失う俺の方に執事は向き直ると、人生に……いや、命に関わる決断を迫ってきた。
目の前の光景に、ブランデッセの心臓はドキドキと煩く鳴っている。だが、考えている暇はなさそうだ。
執事は余程イライラしたのか、転がった蜘蛛を蹴り始めていた。蜘蛛は死んだフリをしているのか、ピクピクと足を動かしている。
「あ、はい。そういう事なら、是非……」
ブランデッセは、これは屋敷に入るチャンスとばかりに、慌てて返事をすると、執事に続き、屋敷の門を潜った。
執事は爽やかに微笑み、ブランデッセの後ろで門をしっかりと閉めた。
「助かるよ。じゃ、庭掃除から頼むな!この蜘蛛の巣も払っといてくれよ!……あ、それと、この屋敷の魔……生き物は、なるべくいじめないでくれると助かる。馬番がうるさいから」
執事はそう言うと、さっさと屋敷の庭を進んで行く。
「ペット!?まさか……他にもいるとか?」
ブランデッセはブルリと震え、庭を見回した。
ブランデッセの後ろでは、カエルと蜘蛛がぬらりと起き上がっていた。
「ブランデッセ!!後ろ、後ろ――!!」
門の外で観客が叫ぶ。
ブランデッセの戦いは、まだまだ続きそうだ。
◇◇◇
それは、身体が思うように動けなくなってすぐの事だった。
渉は最初から体が弱かった訳ではない。流行病を患った、ある日を境に、起き上がる事すら自分では満足に出来なくなっていた。
病に侵される前の自分はとても高慢で嫌な奴だったと思う。華族という特別な環境で育ったせいなのか、それとも、元々プライドの高い人間だったのか……ともかく、動けなくなった自分の世話など、誰もやりたがらなかったのは、当然の報いだった。
俺は自分の鬱憤を使用人に当たる事でしか解消出来ないクズに成り下がっていた。
そんな最低の日々を送っていた時の事だ。
ふと窓の外を見ると、小さな女の子がチョロチョロと庭をうろついているのに気が付いた。
本当に日本人なのかと疑いたくなるほど、色素の薄い子だ。真っ白な肌に、茶色の髪。大きな瞳が印象的な娘だった。
しかし、よく見れば、彼女も他の使用人と同じ服を着ているではないか。だがどう見て大きすぎるそれはとてもブカブカで、袖は幾重にも折り曲げられていた。スカートの方はどうにもならないのか、彼女は、たくし上げながら、それでも頑張って庭の片隅にロープを貼っていた。
「洗濯か……?」
物干し竿なら確か、向こうの目立たない場所にあったはず。と、気づく。
「届かないんだな……ふっ」
椅子に乗っても届かなかったのかもしれない。そう思うと、どういう訳か、愛しさが込み上げてきて笑ってしまった。
思えばこんな風に笑うのも久しぶりの事だった。
「そうか……笑えばこんなにも優しい気持ちになれるんだな」
その時になって、ようやく渉は、自分の心がどれだけ荒んでいたかを思い知ったのだった。
それから、渉は毎日、一生懸命に洗濯を干す彼女を眺める事が日課となっていた。
渉がその女の子、美亜に恋をするのに、時間はかからなかった。
◇◇◇
夢を見ていたようだ……。懐かしい夢を。
目が覚めたら、目の前には廃墟が拡がっていた。
ルービーはくるまっていたマントの露を払い立ち上がる。木漏れ日が光の筋となって照らすのは、苔むした石材。崩れてはいるが、元はとても精緻な建造物だったのだろう。人の手にしては出来すぎるほどに、しっかりとした石造りの壁が所々に連立していた。
美しいな、と廃墟であるにも関わらず思ってしまうのは、そこに生命力が満ちているからなのだろう。
石造りの建造物を覆う木々はそれほどまでに生き生きとしていた。
「こんな場所があったのか……」
かなり森の奥深くまで来た認識はあった。だが、魔物に追われるように、ただひたすら戦い続け、半ば意識のない中での移動。どのくらい歩いたかさえも覚えていない。
「どのくらい経ったのだろうか……」
その時、突如、さっきまで見ていた夢の中の美亜の姿が、目の前の現実によって薄れていくのを感じ、絶望がルービーの胸を襲った。
「美亜!!」
ルービーは手を伸ばし宙を掴む。
もう会えない。
そう……美亜はどこにもいなかったのだ。
「終わらせてくれ。……頼む、誰か俺を殺してくれ……」
疲れきっていた。
もう進めない。この生も……次があるとしても、また……。
ルービーは顔を両手で覆い、その場に蹲った。
どれだけそうしていたのか……。
「ルービー様!?」
声がして顔をあげると、若い女性が目の前に籠を持って立っていた。赤い髪をした、快活そうな娘だ。
「大丈夫ですか?」
心配そうに屈んで俺の顔を覗き込んでくる。
しかしルービーにはもう、体裁を取り繕う気力もなかった。
「ほっといてくれ……」
「そうはいきません!こんな、ボロボロで……」
「煩い!構うな!」
目の前が赤くなる。
どこにそんな力が残っていたのか、と、思うほどの苛立ちが込み上げ、怒りに心が支配された。
「キャッ……!!」
娘が腰を抜かし、持っていた籠か転がり、辺りに真っ赤なベリーがぶちまけられた。
それだけで、心が滾って……。
俺は魔力を込め、右手をあげた。
「ルービー!!手を下げろ!!……風よ!」
声と同時に、風と呼ぶには強すぎる圧のある『チカラ』によって、ルービーは吹っ飛ばされた。
ルービーは転がされながら、ぼんやりとした頭の隅で、受け身をとらなければ、と、思う。でも……思考はついてゆかず、そのまま硬い石畳に肩から落ちた。
……痛みは感じない。
心は凪、ただ目の前に現れた、長身の男の纏う『チカラ』が欲しくて……。
ルービーは肘を付き、からだを起こすと、魔術を唱える。
「氷鞭よ、刃となり……」
「風砲!!」
詠唱が終わらぬうちに、男の魔法が発動し、ドンッと再びレンガに叩き付けられる。
その素晴らしき『チカラ』
足止めをして……喰らいたい。
ルービーは地面に手を付き、叫んだ。
「氷床!!」
敵の足まで、氷柱が這い進み、奴の足ごと凍らせた。
コレでやっと『チカラ』が……。
「クソっ……!滾れ!」
敵が叫び、ブオッっと辺りに蒸気が上がる。
一瞬にして、敵の姿が見えなくなる。
逃がすものか!!『チカラ』をよコセ……!
「氷刃!!」
「ストーム!!」
詠唱は、ほぼ同時だった。
突如、暴風がルービーを取り巻いた。
巻き上げられた氷片が、俺自身の体に絡みついた。
手にも足にも頬にも……熱く絡み……深く……深く抉り……。
痛みなど感じない。
体から滲み出る紅い雫が、ただ、温かくて……。
俺は微笑み、涙を流した。
「美亜……そこに行くよ」
全てを諦め、身を任せれば、暴風は氷片を伴い、空へと吹き飛んで行った。
俺は空を見上げながら倒れ……。
「危なかった……。馬鹿が!!人間であっても魔素を吸い続ければ魔物になってしまうんだぞ!!聞いているのか?ルービー!!」
グラグラと揺すられ、少しだけ意識が戻る。
「フェリ……ベール……?」
俺は懐かしい名を呟いていた。
「ああ、そうだよ!!クソっ、俺は回復魔法は苦手なんだよ……カミラ……家に……」
「殺して……くれ……」
俺は諦めきれなかった唯一の望みを漏らしていた。
フェリベールはしばし口を閉ざすと、しっかり俺を見て怒号した。
「この馬鹿者が!!」
薄れゆく意識の中、その罵声だけが、心地よく耳に残った。




