19話 神殿
「うおっ!寝ちまってた」
執務室机からバッと顔を上げ、グレソンは辺りを見回した。ソファでは猫のフィン様が丸くなって寝ている。その前、テーブルの上にはフェリベールの書が広げられたままだった。
「やべぇ。誰も入って来てないだろうな……」
陽は登っているようだが、時間的にはそんなに経ってないだろう。グレソンは居住まいを正し、執務室から出ると、鍵をきっちりと閉め、朝食を食べに別棟へと向かった。
「グレソン、ちょうど良かった、ちょっと相談があってね」
食堂に入るなりテレサに声をかけられた。
この時間では珍しく、庭師のチャーリーがテレサの前に座っている。
「チャーリーがね、少しの間、前の職場に戻りたいんだとよ」
「はあ!?何言ってやがる、こんな時に。冗談じゃねぇ!!」
グレソンはチャーリーの、後ろに立ち、グリグリと頭にゲンコツを当てた。痛がるチャーリーを見て、テレサが助け舟を出す。
「そう言うなよ。先方、欠員が出て困ってるらしくてさ。アルスターもいるし、ちょっとの間ならどうにかなるだろ?」
ムッと膨れながらもグレソンは、チャーリーの隣に座る。
「庭掃除だけならな。……で?チャーリー。テラに何頼まれた?どうせ、ろくでもないことに首を突っ込まさせられてんだろ?」
と、チャーリーに顔を近づけた。
「バレてるか……」
「お前はお人好しだからな、隠しても分かるんだよ!わざわざテレサ挟みやがって。やり方がうぜぇ」
指を突きつけられ、チャーリーは頭をかいた。
「すまん。絶対に止められると思ったんでな。……実はな、誰が、とは言えないんだが、糸目のボンスリーを雇った奴がいてな。ルービー様が危ないんだとよ」
一瞬、グレソンが固まる。
「……なるほど。まあ、遠からずそうなる気がしてた。しかし、糸目のボンスリーか。また大物を……。チッ、領地から増兵を呼び寄せてる時間はねぇな。チャーリー、お前、自分の代わりになりそうな、すぐ使える奴を知らねぇか?」
グレソンの問いに、チャーリーは即答する。
「昨日、店を首になった筋肉バカなら知ってるが」
「メイドよりは強いんだろ?とりあえずそいつを雇おう。声をかけてくれればこっちでどうにかする。お前は馬蹄の泥亭の方で出来るだけ情報を集めてくれるんだろ?俺はその間に屋敷で使えそうな奴を、数人雇ってくるから……っと……それだと俺が帰ってくるまでの間、屋敷の方が手薄になるな。おいっ!フォーリィ、聞いてんだろ?」
ひょこっとカウンターの向こうから、日の出が上がるように、フォーリィが、頭を出した。
「ごめんなさい!!」
「なんで謝るんだよ!いいか、お前の魔獣を屋敷の庭に放しとけ。マロンがいいだろう」
「えっとぉ……マロンちゃんはちょっと具合が悪くてぇ……」
フォーリィが目をそらす。
「え?大丈夫か?仕方ねぇ。ラブは俺が使うから、ピッピとメェと……そうだな、この際、うさぎでもカエルでも蛇でもなんでも放しとけ」
フォーリィは飛んでくると、グレソンの足に縋った。
「カオスよっ!!乱食パーティが開かれちゃうじゃない!!」
「どうせまた増やすんだろ?ちょっとぐらいいいじゃねぇか。エサ代考えろや」
「鬼――っ!!」
エプロンの裾を噛み、フォーリィが叫ぶ。
グレソンの前に朝食を並べていたテレサが、面白そうにグレソンを窘めた。
「グレソン、何もそこまでしなくても……」
「いや、守りは固い方がいい。ところで、ミーア……猫は見なかったか?屋敷の外にいたら食われちまうぞ」
すると、エグエグと涙を流していたフォーリィは、すくっと立ち上がり、逃げるように出口へと向かった。
「わ……私、魔……ペットを放しに行ってくるわ!」
「見つけたら屋敷にいれとけよ!」
その背中に、グレソンは畳み掛けると、いつの間にか正面でお茶をすすり始めたテレサに真面目な顔を向けた。
「テレサ、ボランティア活動の準備だ。スタンリー家の主人の捜索は騎士団に任せる。だから、こっちは全面的に協力する姿勢を見せて、少しでも好感度あげとくぞ」
テレサはニヤリと笑う。
「あいよ。グレソン、今日はやけに保守的じゃないか。誰かの入れ知恵かい?」
「うるせぇ。いいか、お前達もヤバい感じの奴見たら、構わずぶっぱなしていいからな!責任は俺が持つ!」
いつの間にか食堂にはメイドも集まり、話を聞いていたようだ。カウンターの向こう側からは、いくつもの頭が飛び出した。
「「「了解――!!」」」
「面白そうね!!」
「久々に暴れられそうね!!」
◇◇◇
ミーアとマロンがたどり着いたのは、真っ白い建物の前だった。柱の連立する広場の前では、何やら儀式が行われているようで、人だかりがしていた。
「その時私は見たのです、王太子殿下が猫にされてしまうのを!!ルー……の手から放たれたそれは、魔法でした。月下……原因はなんと、魔法だったのです!!」
微かに聞こえる女性のスピーチに、人々は釘付けだった。そして、人々は恐怖に慄き始める。
「恐ろしい……」
「人外の強さだと思っていたわ。悪魔よ!」
「森に逃げたのですってよ……」
(マロン様。ここは博物館という場所かも知れませんわ。確か……人間や動物の剥製を生贄に、お客様を召喚する、恐ろしい場所があると聞いた事がありますわ)
座敷わらし時代に聞いた断片的な知識しかないミーアにとって、外の世界は未知。神殿を前に、フルフルと震えるミーアの怯えが伝わったのか、マロンもブルルと震えると、しっぽを下げ、足早にこの場所から去る事にしたようだ。
トボトボと白い建物を離れる2匹の背中に聞こえる、ハリのある女性の声。
「私のこの月花の雫かあれば安心!……今ならなんと、1つ買えば、さらにもう1つ!もう1つプレゼント致しますわ!」
「くれっ!」
「私にも1つ!!」
広場の集会の熱は最高潮に、達していた。
◇◇◇
神殿の前、堂々と恐ろしい事を演説するリリファを眺めながら、騎士団副隊長オルスはどうやって止めようかと考えていた。
だが、いい考えは何も浮かばず、ホクホクと寄付を集め、壇上から降りて来たリリファに、声をかけることすら出来なかった。
しかし、リリファの方はオルスに気付き、嬉しそうに駆け寄って来た。
「あら、オルス!!フィン様を探しに行ったのではなくて?」
オルスは気まずそうに頭を搔く。
「ええ、向かったのですが、途中で呼び戻されてしまいました。その……アレン様の事で」
オルスは眉を寄せ、リリファを見た。
しかし、リリファの方はオルスにニコリとほほえみかけた。
「まあ、そうでしたの……アレン様の事なら聞きましたわ。屋敷で謹慎ですって?とても残念ですわね」
その少しも残念そうではない態度にオルスはますます眉を寄せる。
「リリファ様。そう思われるのでしたら、このような事はもうお止め下さい」
「何故?真実を伝えて何が悪いの?それとも、オルスは私が嘘をついているとでも仰りたいのかしら?」
オルスはリリファを信じたかった。だから、思わず声が小さくなる。
「いえ……」
「オルス、早くフィン様を見つけてちょうだい。きっと猫になって泣いてらっしゃる事でしょう……まあ、見つかっても、きっとお優しい王子様は、ルービーに魔法をかけられたなんて言わないでしょうね……ふふっ。これでまた、月花の雫が売れるわ」
昔、同じ屋敷に住んでいたオルスは知っていた。リリファが猫になれる事を。そして、リリファがこっそりと出かけた次の日には、どこかの令嬢が月下の乙女となってしまう事も。
リリファの性格から、その目的についても予測出来ていたのだ。
「リリファ様……お金なら、もう十分に集まったのではないですか?ですから、こんな危ない事はもう……」
ローエン家に来る前、リリファが一体どのような生活をしていたのか……金に困っていたのかもしれないと思うと、悲痛な思いを感じ、強くは言えないオルス。
「生きる為にお金を稼ぐのよ。何が悪いの?……じゃあね、オルス!アレン様によろしくね!」
オルスは神殿の中へと戻って行くリリファを見て、ため息をついた。そして踵を返す。
いつものオルスなら、ここでこれ以上の追求を諦めたかもしれない。だが、今日は違った。
何故ならば、オルスは、ミーア・オーランの報告書を読み、今からオーラン家の執事を辞める、という男につい先程会い、その事情を聞いたばかりだったから。
その執事が言うには、ミーア・オーランは月花の雫を与えられず猫のまま暮らしていたと言う。
「オーラン家当主ジェス様はミーアお嬢様を一度も人として扱う事はございませんでした。その事もあり、我々はミーア様に、貴方は人なのですよ、とは言えなかったのでございます。ミーア様が伯爵令嬢である事……それ以前に人であると知れば、きっとご自身の今の境遇に嘆かれるに違いありません。それならばいっそ、猫だと思ったままの方がお幸せではないかと我々は考えたのでございます。……そして、昼間激務をこなさければならないない私たちは、夜にしか人間に戻れないミーア様のお世話をする事も出来ず、ただ幸せを祈る事しかできませんでした。ミーア様が1人でどうやって夜を過ごされていたのか……今でも考えると、胸が痛くなります。そして、太陽の光の下、人として1度も過ごされる事なくミーア様は月海の森で……」
ここで執事は手で顔を覆った。涙が抑えられなかったようだ。
先日、ミーア穣は猫のまま、森に捨てられたと、同行していた御者から聞いたと言う。
御者は保身故にその事を誰にも言えなかったらしい。そして、それを聞いた他の使用人も……。
結局、こんなオーラン家に身を捧げるくらいなら、物乞いになった方がマシだと、皆、屋敷を出る事にしたというが、執事は自分達が黙っていたせいで、ミーア嬢が亡くなったと心を痛めていた。そして、自分を裁いてくれとも言ったのだ……。恐らく、他の者達も同じ気持ちだろう。
オルスは振り返り、去りゆくリリファの背中を見る。
悪いのはジェス・オーランだ。しかし、元はと言えば、彼女の仕業なのだ。リリファはどれだけ、人の人生を狂わせのだろう。そして……。
それを知っていながら、止められなかった自分も同罪ではないか?
薬があるのだからと、月下の乙女の心情を楽観視してきた事が悔やまれてならなかった。
「どうやってリリファを止めれば……フィン様。私には分かりません」
オルスが拳を握りしめた時、スっとその手に紙を押し付けられ、体を固くする。
驚き、体を寄せたその者を見れば、物乞いのようにみすぼらしい格好をした男……いや、チラリと見える明るい髪色にその強い目。オルスには覚えがあった。
「グレソン……?」
「オルス様。フィン様より伝言です。お待ちしております」
「待て……!!」
慌てて手を伸ばすも捕まらず、追おうと踏み出した足元に握らせられた手紙が落ち、気が逸れた。
急いで手紙を拾い上げ、顔をあげると、もうそこに彼の姿はない。
オルスは何かを察し、手紙をそっと懐に仕舞うと、何事もなかったかのように、自身の乗ってきた馬の元へと急いだのだった。




