15話 フェリベールの書
「氷柱!!……ハァ……ハァ」
気が付けば、月海の森の中は周りの木々が見えるくらい明るくなっていた。ルービーは膝に手をやり、息をつく。
どのくらいの魔物を討伐しただろうか……。つい先日、追い払ったばかりだと言うのに、森の中は再び魔物で溢れていた。
ふた晩は越えただろう。3日目の陽が昇りつつある。
なのに、目の前には魔獣が……サイズは倍はあろうかという猪の群れが、まだ数十は潜んでいるようだ。
奴らは身体の1部を、魔をいち早く感知する角に変えていて、暗闇でも正確に俺の脚へと突進してくる。当たれば怪我では済まない。
かと言って、殺せば殺す程、魔素は拡散され魔物の数は増える一方だった。
「手を出した奴は全て殺すぞ!!……分かったら森へ帰るがいい!!」
身体は大きいが、奴らに知性など残ってはいないのだろう。俺がいくら吠えようが、構わず飛びついてくる。……煩わしい。
氷刃の範囲攻撃は習得済みだが、これ以上、魔素を拡散されてはたまらない。……足止めさえ出来れば!
「氷よ、刃となり我が腕の一部となれ。それより放たれるは水の鞭、更に月に近づきて土をも凍らす氷床となれ!」
呪文と共に、右手を氷と一体化させ、地面へと伸ばす。月は冷気。土ごと凍らせやれと、魔力を込めた。
ピシッ!!
「おッと……」
足が凍りかけ、飛び退く。
魔物の群れは、断末魔を漏らす間もなくその場で凍っていた。
同時にピン!と頭の中で音がする。スキルが増えたようだ。思いつきで放った呪文だが、どうやらヒットしたらしい。
「あ……でもこれは死ぬな。結局魔素が散るか」
魔物を討伐する度にポイントは増えてゆく。それは攻撃や回避に使うポイントを大きく凌駕する量であった。
このスキルで少しはポイントを消費出来ていればいいが……。
ポイントはたまると魔法を成長させる事ができる。炎系の魔法は空気を糧に太陽へと登り、水系の魔法は土を糧に月へと浸透してゆくのだそうだ。
フェリベールはそれを樹木に例え、幹や根を魔法、葉や花は魔術、実はスキルなのだと言っていた。また、樹に魂をのせた言葉を刻めば魔術が発動し、さらに多くの魔法を注げばスキルが実を結ぶのだと。
自分は恐らく魔王を倒したあの時よりも遥かに強くなっているだろう。
だが、その強さなど美亜に会えなければ全て無駄。この力の全ては美亜の為にあるのだから。
グルルルル……。
気が付けばまた別の魔獣に囲まれていた。
……どれだけいるというのか?
「お前らが殺ったのか?……そうなのか?」
森の中に潜むもの全てが魔物となるまで終わらないのか?……もう何時間経ったのかも分からない。
あの夜、目の前にいた、儚い美亜の姿が頭に浮かぶ。
彼女がそんなに長くこの森で生き長らえているとは思えない。
ルービーはそれでも首を振る。
……いや、今も助けを求め、泣いているかもしれないじゃないか!!
「美亜!!どこだ、返事をしてくれ!!」
もがく様にルービーは月海の森の中をさまよい続けていた。
◇◇◇
ディディエラ学園魔術学科の第1講義室の前。集まった野次馬を押し退け、学園長ディディエラは講義室の扉に近づくと、大きく息を吸い、扉を開けた。
中に入るなり、ワナワナと震える。
「フェリベールの書が!?本当に……こんな……ああ!!」
ディディエラがここまで感情を露わにした事などない。恐らく本人も初めての事で、動揺を隠す術を知らないのだろう。顔を両手で覆いしゃがみ込むディディエラの前には、それほどまでに異様な光景が広がっていたのだ。
『フェリベールの書』
かつて本であったであろうその書物の、装丁部分は殆ど残ってはいない。だが、この書物の最も重要な部分は、この講義室の後ろの壁の中央に貼られていた。
そもそも魔術というのは、基本の魔法を習得した者が鍛錬や研究を積み重ね、つぎの段階へと枝や根を伸ばすように成長させるものだ。基本の『火を灯す』魔法を成長させ、『火の玉を錬成する』といった風に、しっかりと段階を踏まないと魔法は魔術として成長出来ない。
受講室の壁には、『魔法は言霊である……』から始まる基本魔法の長ったらしい呪文が書かれたフェリベールの書を真ん中にし、そこから枝や根が張る様に、新しく発見された呪文が書き加えられていたのだ。
今、ディディエラの目の前には、その中央部分にあるはずの、フェリベールの書の部分だけがぽっかりと空いていた。
そこに貼られていた魔法の書は6枚。
火・空気・水・土の四元素に加え、熱と乾を司る太陽と、冷と湿を司る月が、それぞれ1枚づつ、複雑に絡み合う呪文で結ばれていた。
勿論、フェリベールの書の複製は王宮にしっかりと管理保存されている。だから、魔法そのものは完全に失われた訳ではない。
だが、それは複製であり、本物ではないのだ。
この場所に貼られていた書に書かれていた基本魔法の呪文と、その後発見された呪文とが、完全に繋がらない可能性がある。
それは、新しい魔術習得への道が閉ざされたという事に他ならないのだ。
「誰がこんな事を!!見たものはいないの!?お前たち、今すぐ探しなさい!!」
少し落ち着いたディディエラはよろりと立ち上がり、そう言い放つ。そして、後ろに控える息子のアレンに呼びかけた。
「私は王宮に行って参ります。あなたが指揮を取り、何としてでも、書を取り戻しなさい。これは最優先事項ですよ!」
◇◇◇
つかつかと講義室を出ていくディディエラを見送ったアレンは、隣にいるリリファにごめんねと謝った。
「僕、行かなきゃ。一緒に授業を受けたかったけどね。……あ、でも、フェリベールの書がないから、魔術学科の授業はお休みかも」
それを聞いたリリファは、アレンの腕を取り、固まっていた。
「え!?……今、何て?」
「授業はお休みだって……」
「違――う!もっと前よ!!」
「え?だから、フェリベールの書が……」
「何で?アイツの書がここに!?」
「え?アイツ?」
「あ……いえ、何でもないですわ……ほほ」
(師匠の書が教材だったとは!!まさか、この世界の魔王もフェリベールなの!?)
リリファの師匠はフェリベールだった。今は魔王となったフェリベールだが、かつては、とある国で魔力を持つ者たちに魔法を教えていた事があった。リリファはその時の生徒だったのだ。
(前の世界でも魔王フェリベールと勇者ルービーが、きっちり用意されてたし……どういう事!?)
そのきっちりは女神の仕事だとは夢にも思わないリリファ。
でも……と、鼻の穴を膨らませる。
(フェリベールの魔法なら死ぬほど叩き込まれたわ!大事なことだから2度言うわよ。そう、死ーぬー程!!スキルは一度手に入れれば魂に刻まれてるはず。攻撃魔法は苦手だけど、そこそこ出来る自信はあるわ!)
――って、もしかして私、この学園では優等生なんじゃない?
「あはっ!私魔法は習わなくてもいいかもですわ」
「さすが聖女様。呪文なんて唱えなくても魔術をお使えになるのですね。では、僕はそろそろ……」
アレンはリリファの手を解こうと、そっと腕を引く。
「ん?……呪文?」
リリファは無意識にアレンの腕に縋り付き、フェリベールの書が貼られてあった壁へと目を向け、眉を寄せた。
(そうそう。私、こんな風に長ったらしい呪文を全部唱えないと、魔術を発動出来なかったのよね。他の子は端折っても魔術が使えたのに、ホント、不公平!!おかげで呪文を全部覚えきれなくて、変身魔法も中途半端で……)
……と、リリファは目を見開くと、アレンの顔を両手で挟み込み、引き寄せた。
「アレン様!絶対、フェリベールの書を盗んだのってルービー様に違いありませんわ!」
「え?え?どうされたのですか?いきなり」
アレンは耳を赤くする。
「だって、これがないと私、魔術使えないじゃない!」
「あ、やっぱり、呪文は唱えるのですね。リリファ様、僕はそろそろ犯人を探しに……」
アレンはリリファの手を鬱陶しそうに外すと、ため息をつく。リリファはキィィ――と奥歯を噛んだ。
「だーかーらー犯人はルービー様よ!きっとルービー様は私に魔法を使わせたくなくて、フェリベールの書を盗んだに違いありません!!」
「え?どうして?」
「どうしてって……。だ、だって……私、見たのですわ!ルービー様がフィン様に魔法をかけるのを!……恐ろしい……きっと、フィン様は今頃猫にされ、ルービー様に捕まっているに違いありませんわ」
「え?猫にって……まさか!!お兄様が月下病になったって事!?」
アレンの声に、周りはシンとなる。
「アレン様。迂闊な言動はおやめ下さい。他の生徒達が……」
近くで人払いをしていた守衛が小声でアレン様をたしなめるも、もう手遅れだ。
生徒たちは顔を突合せ、ざわめき始めた。
「私見ましたわ。執事が猫を連れている所を……!」
「私もですわ……」
「う……嘘だ……そんなっ!お兄様が……」
ショックを受けたアレン王子は口に手をやり戦慄く。
生徒たちのざわめきはどんどん拡がる。
「嘘……それって、月花病が、魔術だって事?」
「そんな事ってある?」
「聖女様が言うんですもの。それに、ルービー様なら有り得ると思いますわ!」
こうなれば、噂話は止まらない。
リリファはニヤリと笑う。
「大丈夫ですわ。月下病ならば、私の月花の雫で治して差し上げられますから!」
「リリファ様……」
アレンは涙をうかべ、リリファを見つめる。リリファは優しくアレンの手をとった。
「ですから、アレン様。フィン様の為にルービー様を……ルービーを捕まえて下さいまし!」




