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逃避行

 再び前へーー()まで伸びる大通りへと視線を戻す直前に俺は見た。

 奴の姿が黒い霧に溶けて消える様を。

 そのまま掻き消えるようにいなくなってくれれば良い。そんなことを考える。だけど、いつだってそんなに都合の良いことは起きない。

 わかってる。わかってるさ。


 次の瞬間、まるで吐き気のように恐怖が不快に臓腑を駆け上がる。

 もつれそうになる足元を、影が駆け抜けた。

 影は俺たちの向かう先、ぼんやりとシルエットをあらわしはじめた()と俺たちの間に(おり)のようにわだかまり、やがてまた渦を巻く。

 不気味に膨れ上がる黒い霧の中から、何かが現れるよりも早く俺は決断した。


 反射的に俺は女の手を引いて大通りから外れる細い路地へと進路を変えた。

 それが正解だったかどうかなんてわからない。

 ただ、あいつと、あの呪いを振りまく異形と正面からご対面するのだけは御免だった。


「少年! 今のを見たか!?」


 嬉々とした表情を浮かべながら女が何か言っている。

 死ぬかもしれないってのに、何がそんなに嬉しいんだか到底気が知れないが、命が惜しくないという訳ではないらしい。

 世の(ことわり)がどうとか、万物の法則がどうとか、意味のわからない事を興奮気味にまくしたてながらも走る足は止めない様だった。

 そう言えばあの女中(メイド)服の女の子はどうしただろう? 着いてきているのか?

 いや、そんな事より自分の命だ。


 枢機卿(カーディナル)から逃げるとなれば、兎にも角にも目指すのは()だ。

 理由は簡単。

 あいつら異形(フリークス)には縄張りがあるらしいのだ。

 街の地下に張り巡らされた水路、そこに奴の手は及ばない。

 地下には地下で別の厄介ごとがあるにはあるが、アレの相手をするよりはいくらかマシだ。

 俺は路地に並ぶ民家だった廃墟の一つに目星をつけると玄関扉を蹴破った。今更物音を立てることに躊躇している余裕はない。


「なぁ少年。()に助けを求めに行くなら大通りを通り抜ける方が早いのではないか?」


 あっさり砕けた朽ちかけの扉を潜り、勝手口を探す俺に女が問いかける。

 女の言う事はもっともだ。

 もっともであるがゆえに、余計に俺を苛立たせた。

 確かに、囚人兵達がいる()に行くなら大通りをまっすぐ突っ切ったほうが早い。

 けどそれじゃぁダメだ。なんでかって? そりゃーー。


「お前の足じゃ追いつかれるからだよ! いいか! お前のせいなんだからなっ!」


 ほんのわずかな好奇心の代償が、この有様だ。まったく割に合わない。

 八つ当たりの一つもしたくなる。

 吐き捨てた俺に、女は憮然とした視線を向けた。

 何だよ、怒ったのか?


「なるほど……。あのデタラメな移動法の前では正攻法では逃げおおせない訳か。一体どう言うカラクリなのだろうなアレは。まったく実に興味深いよ」


 またあの笑みだ。

 追い詰められていることに変わりはないのって言うのに。


「ところでーーだ」


 朽ちた家具や、崩れた天井に酷く散らかった屋内で、勝手口を探す俺の背に、女の勿体ぶった言葉がかかる。


お前(・・)はやめたまえよ少年。私にはヴァネッサという名がある。だが敬意を込めて教授(プロフェッサー)と呼んでくれたまえ」


 こんな時に自己紹介かよ。

 つくずく理解できない。


「お前の名前にも素性にも興味ないね。お前をどう呼ぼうが俺の勝手だ。それに、それを言うなら俺にだって名前ぐらいある。少年はやめろよな」

教授(プロフェッサー)だ。少年(・・)


 語気を強めて、たしなめるように言葉を繰り返す女に俺は深いため息を吐く。


「あぁそうかよ教授(プロフェッサー)。けどな、ここじゃ俺の言うことを聞いてもらう。死にたいのなら別だけどな」


 胡乱な視線を向けた俺に、教授を自称する女は、大袈裟に肩をすくめ振り返った。

 彼女の視線の先にはいつの間にか後ろに立っていたプリシラがいる。

 相変わらず表情の読めない人形のような少女は、ただ無言で頷いてみせた。


「ふむ、では教えてくれ少年。これからどうするのだ?」


 外套をたなびかせ振り返った教授は笑っていた。

 あの狂気じみた笑みだ。

 この状況すら、教授にとっては何か面白いことのように思えるらしい。


 まったく目眩がする。

 けれど、いつ()が追ってきてもおかしくない。散らかった廃家屋の昏い物陰から、いつあの黒い霧が吹き出しても不思議は無い。

 こんな所に長居は無用だ。


「テッドだ。少年はやめろって言っただろ。まぁどうでも良いか」


 俺はようやく見つけた廃屋の勝手口を蹴破りながらぼやく。

 乾いた音を立てた砕けた扉に、俺の声はかき消されたかもしれない。

 まぁ、別にどうだっていい。教授たちの様子を見る限り、取り敢えず俺の言うことに従うつもりのようだし。


 蹴破られた勝手口の向こうにあるのは、崩れかけの家屋に囲まれた小さな広場。

 暗がりの中心にポツリとあるそれを、俺は指差した。


「あそこに入る」


 それは不気味にポッカリと口を開けた井戸だった。


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