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異形《フリークス》


 情けなく奥歯がガチガチと音を立てるのがわかった。

 夜明け前の冷え込みに体は冷え切ってはいるが、そのせいじゃない。

 来て(・・)しまった。

 この市街地を統べる死と呪いの主人が。


 妙に生ぬるい風が死臭としか言いようのない匂いを運んでくる。

 俺は目を逸らすことも出来ぬまま、渦巻く黒い霧の中から、それ(・・)が姿をあらわす様をなす術なく眺めた。

 全身から血の気が引いていく。

 身体と魂とでもいうべきものが恐怖に支配されて行くのがわかる。

 それが何なのかを俺は知ってる。


 黒く渦巻く霧の中から現れるのは異形。

 ひどく緩慢な動きでゆっくりと身を起こし、霧の中から這い出すように現れる。


 どれほどの血を吸ったのかわからぬほど、赤黒く穢れたローブ。

 手には何かの頭蓋骨と背骨で出来た気味の悪い宝杖を携え、頭上には無数の指骨で形作られたおぞましい宝冠を戴く。

 その顔には欠片の肉もなく、虚ろな双眸には青い焔が宿る。

 その口はもはや福音を語らない。


 それを枢機卿(カーディナル)と、囚人兵達は呼ぶ。

 それはーー呪いに敗北した信仰の姿だと、確か誰かがそう言っていた。

 この市街地を統べる呪いの主人の姿がそこにある。


「あれは法衣……、聖職者なのか? これは」


 この世のものとは思えない異形の顕現を目の当たりにした女の声は、心なしか震えている。

 それが恐怖によるものか、それ以外の何かに由来するのか、俺にはわからない。

 そんな事を考えている余裕はない筈だった。目の前にあるのは死そのものなんだから。

 それなのに、そんな事を考えてしまっているのは多分、目の前にあるものについて考える事をやめたいからだ。

 でなきゃ簡単に正気を失ってしまう。


 (畜生! 畜生っ! 畜生っっ!)


 歯の根が合わず、ガチガチと情けなく震える奥歯を噛みしめる。

 こんな所で死んでたまるか。

 だからーー!


「いいから走れ! 死にたいのか!」


 全身を刺すような痛みに強張る体を引きずるように、俺は叫びながら加減もせずに女の手を引いた。

 もんどりうって振り向いた女の顔はこの上なく上機嫌に笑っていた。

 何がそんなに嬉しいのか。

 こいつはホンモノの気狂いだ。


 (畜生、ついてない!)


 こんな奴のために命がけでアレから逃げろって? 冗談じゃない。

 こいつをここに放っておけば、あるいは自分だけは逃げられはしないか。そんな考えがよぎる。

 俺はこんな所で死ねない。俺が死んだらあいつら(・・・・)も生きてはいけない。

 俺自身そうであるように、誰からも見捨てられた あいつら(・・・・)には俺しかいないんだ。


 だがどうする? 俺だけがあのおぞましい枢機卿(カーディナル)を引き連れて()に戻ったら。

 その結末を想像してみてゾッとする。


 ()の連中は俺を助けようなんてしないだろう。

 街を取り囲む分厚い壁に据えられた幾門もの18ポンド砲で、俺ごと吹き飛ばすのが関の山だ。

 それで奴が死ぬならまだ良い。たとえ巻き添えで死んだとしても、その死に意味があったと思えなくもない。

 けどその実、アレはそんなものじゃ死なない。生きてすらいないのだ。一体どうやって殺すっていうのか。

 俺の知る限りでも、アレは何度も粉微塵にされた。それでもアレが姿を見せなくなった事はない。


 そんなのは無駄死にだ。全く冗談じゃない。

 俺はかぶりを振って思考に覆いかぶさる絶望を振り払う。

 時折もつれそうになる足を必死に前に出す。

 俺は声を上げて哄笑(こうしょう)しながらヨタヨタとついて来る白衣の女を忌々しげに見た。


 (畜生め、全部こいつのせいだ)


 だけどーー。

 と、思案する。考えるのは一瞬だ。答えはもう出ていた。


 こいつだ、やっぱりこいつしかいない。

 この女は言った、外から来たのだと。

 連れてこられた(・・・・・・・)のではなく、自分の意思で来た(・・)と。


 この街にいるのは罪人か、何らかの理由で世の中から捨てられた連中だ。

 入ったが最後、ここから出ることのできない連中の吹き溜まり、それがこの街だ。

 そんなところに自分の意思でくる酔狂な奴はそうはいないし、おいそれと許されるとも思えない。

 けどもしそれが成るのなら、何かしらのコネ(・・)があるに違いない。

 それも強力なコネだ。


 俺はその可能性にすがるしかない。

 まったくもって業腹な話だがしょうがない。

 この女を連れていれば、あるいは無差別砲撃で枢機卿(カーディナル)もろとも吹き飛ばされないかも(・・)しれない。

 確信はない。これは賭けだった。

 けど他に選択肢がないなら、やれる事をやるべきだ。

 みっともなく足掻いてでも、俺は生き延びてやる。


 背後に遠ざかる呪いの気配、アレが追ってくる様子はない。

 チラと振り返れば、蒼い炎の灯るどこを見ているのかもわからない眼窩が、虚空を見ている。

 けど、俺は知ってるんだ。

 世の中そうそう都合よくできてはいないって事を。

 全くもって残念なことに、それはいつだって正しかった。

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