呪いの街の主人
「あの館まで行ってみたかったのだがね。今日のところは退散するとしよう」
馬車から降りて来たプリシラを傍らに、女は街の中心、小高い丘の上に立つ古めかしい館を見上げた。
視線の先で霧と夜の闇にかすむその館は、大昔この街の領主が住んでたんだっていう。本当かどうか知りやしないけれど。
女は不敵に笑みを浮かべ、踵を返した。
それから怪しい光を放つ瞳をこちらに向ける。
「君はここの事情に詳しいようだ、案内を頼めるかな呪い子の少年?」
作り物じみた笑みを浮かべて歩み寄ってくる女に、俺は苛立った。
俺に道案内しろって? 冗談じゃない。それにだ。
ここから退散する? だったらその前にやることがある。
「さっきも言ったろ。ここから離れるにしたってその死体をどうにかーー」
「そうそう、さっきの君の忠告だが、確かに死者をこんなところに放置するのも忍びない。彼らは私のために死んだのだしね。古今東西様々な伝承、信仰、風俗に照らしても、死者を清めるのは炎だと言う。私もそれに倣うとしようじゃないか」
俺の言葉を遮って話し始めた女は、芝居掛かった大仰な身振りで身を翻し、そして手の中にあった瓶を無造作に放り投げる。
緩やかな放物線を描いて飛んだガラス瓶は、当然のごとくやがて地に落る、問題はその後だ。
閃光と轟音。
耳をつんざく轟音と共に視界が真っ白に塗りつぶされた。
全く信じられない。
ガラス瓶の砕ける甲高い音の直後、爆風が大通りを吹き抜けたのだ。
何が起きたのか俺にはわからなかった。けど、これがロクでもない結果を招くことだけは直感的に理解できた。
燃え上がる馬車。
舞い上がった砂礫に兵士達の死体がどうなったのかもわからない。だが、えぐれた石畳を見るにきっと粉微塵だ。それは良い。
まるで大砲の弾でも喰らったような。
いや、わかる。女の投げたガラス瓶が爆発したんだ。
あの女一体何を投げた?
いやいや、そんな事よりだ。
俺は目の前の惨状に奥歯を噛み締めた。全身から嫌な汗が噴き出す。
この死体が闊歩する大通りで、こんな大騒ぎをやってみせて、アレが黙っているわけがない。
アレのもっとも程度の低くい手下である動く骸骨が音に敏感なのは、アレが静寂を好むからだ。
「なんて事しやがったこの大馬鹿野郎!」
巻き上がった粉塵に顔を歪めながら俺は叫んだ。叫んだ筈だ。
酷い耳鳴りのせいで声が出てるのかどうかもわからない。
これは不味い、すこぶる不味い。控えめに言っても最悪だ。
恨みを込めた視線を向けた先で、女は声を上げて笑っていた。いや、耳は馬鹿になってて聞こえた訳じゃない。
けど、確かに笑っていた。
その隣で、やはり無表情にただ立ち尽くす女中姿の少女。
異様な光景だった。
ロクでも無いものは散々みてきたが、こいつらはとびきり異常だった。
(畜生、やっぱりこいつは馬鹿だ! 大馬鹿だ!)
クラクラと目眩がするのは爆発のせいだけじゃ無い。この女の度し難い行動のせいだ。
俺は興味本位でこいつらに関わったことを、心底後悔した。
けど、それももう遅い。遅すぎた。
チリチリと首筋が痛む。
近づいてくる呪いの気配に、俺の中の呪いが反応している。
アレがもう近くに来ている。
「畜生! ついてこい!」
俺は女の手を引っ掴んで走り出そうとした。だが思わぬ抵抗にもんどりうつ。
「なぁ少年……。アレは一体なんだ?」
振り返った俺の目に映ったのは、狂気じみた笑みを浮かべて立ち尽くす女。
その向こう側には、暗闇から染み出しすように現れ、やがて渦を巻きはじめる黒い霧があった。
俺はそれがなんなのかを知っている。
それは、形を成した死と呪いの姿だった。