人形
ここで、この場所で。
このクソッタレな監獄の街。この世の終わりを絵に描いたようなこの場所で、他人を助けようなんて奇特な奴は居ない。
居るとしたらそいつには下心があるんだ。そう用心してかからなきゃ寝首をかかれる。
みんな我が身可愛さが最優先だ。
別にそれが悪いことだなんて思わない。
どれほど善行を積みあげようと、人はいとも簡単に死んで、死んだら何もかもお終いだ。死んだら文句も言えない。
どれほど憎まれようが、蔑まれようが、生き残った奴の勝ち。
それがどんなに卑怯な手を使ったんだとしてもだ。
『死人に口なし』って言うだろ? つまりそう言うこと。
もっとも、ここじゃ死人は喋ったりもするし襲ってくる訳だけど。
ーーまぁ何が言いたいかって、今自分が地獄絵図に飛び込んだ事が、困った事に自分でも信じられないって事だ。
腕を切り飛ばされてうずくまったままの少女。それがどこか死んだ妹に似てる。そんな気がしただけなのに。
遠目で見ただけだ。よくよくちゃんと見りゃ、ちっとも似てないかもしれない。
いや、実際のところ目鼻立ちや背格好は確かに似ている。けどまぁ、妹の訳がないのは言うまでもない。
この腕の中で看取ったんだからそれだけは間違いない。
それに、ここで死んだ奴の顔をもう一度見るってことは大抵は不幸な事だ。
だからなんで、こんな危険を犯しているのか自分でもさっぱりわからない。
どうしようもなく胸が騒ついて、気がついたら飛び出していた。勝手に体が動いちまったんだな。
だからしょうがない。
ーーまったく、しょうがないよな。
「殺り方もしらねぇクセに手ぇ出すんじゃねぇよ!」
悪態をつきながら馬車へと駆け寄る。
ざっとみる限り馬車の周りに動く骸骨は7体、いや8体か。こんなところに連れてこられた可哀想な馬に襲い掛かってる奴らを入れたら10体以上だ。
こちらに気づいてわらわらと動き出した動く骸骨共の向こうで、女中姿の少女が奇妙によろけながら立ち上がるのが見えた。
俺は右手の棍棒で地面を擦りながら走る。奴らの気を引くためだ。
思惑通り、ガリガリと石畳を削る音に、馬車を取り囲んでいた動く骸骨どものカラッポの眼窩がこちらを向く。
流石に冷や汗が吹き出た。
あんな数相手にしたことないってのに、全くどうかしてる。
こちらの得物は棍棒と奴床だけ。
丈夫そうな木に鋲を打ち込み、持ち手がわりに布を巻いただけの粗末な棍棒だ。
それでも動く骸骨の骨を砕く程度なら訳はない。
向かってきた一体を、狙いもつけずに横薙ぎに振り払う。芯を捉えない一撃は、わずかに体勢を崩しただけだ。
だが別にそれでいい。出来上がった隙間に身体を滑り込ませる。
白衣の女はともかく、女中服の少女は強かった。現にさっきは数体を瞬殺してみせた。
ただ、倒し方を知らないだけだ。
教えてやりさえすれば、あとは勝手に生き残る。そう言う打算があった。
身の軽さを生かしてちょこまかと動き回って動く骸骨をかわしながら、どうにか馬車にたどり着いた俺に白衣の女の不躾な視線が刺さった。
「へぇ、すごいな君は。一体何者だい?」
そう問いかける白衣の女は目を見開いていた。知ってる目だ。
単眼鏡の奥に光るのは好奇。まるでこの状況を楽しんでいるかのようだ。
「俺が何者かなんてどうでも良いだろ。そんな事より、黒い骨だ。あいつらの体のどこかに一本だけある。そいつを抜き取らなきゃあんたらが死ぬまでこのままだ」
まぁ正直、いきなり現れた奴にこんな話をされたところで、素直に言うこと聞くかどうかなんてわからなかった。
まぁ聞かなきゃこいつらも死ぬだけ。そんときゃ勝手に死ねば良い。
そもそも恩を売るつもりだった訳でもない。
ただ動いてしまった身体の、せめてもの言い訳に後味の悪いことにはしたくなかっただけだ。
逃げに徹すれば、俺一人なら逃げられるだろ……たぶん。
「なるほど、その黒い骨とやらがこの再生能力の肝なのか。実に興味深い。プリシラ、聞こえていたね?」
「はい、教授」
また耳にしたその名前に、否応無く眉をひそめる。
それと同時に、抑揚なく答えた妹と同じ名の少女に、酷い違和感を覚えた。
腕とともに切り飛ばされた女中服の袖は無残に破れ血で染まっている。染まってはいるが……出血が少なすぎる。
普通に考えて、腕が切り落とされたりした日には、まともに動けもしない。さっきの哀れな兵士達がそうだった。
痛みに気が触れるか、大量の血を失ったショックで気を失ってそのままお陀仏だ。
戦いに酔っているようにも見えない。
たまにいるんだ、全身傷だらけのまま暴れまわった挙句、立ち止まった瞬間ぽっくり死ぬ奴が。
ーーけどそう言う類にも見えない。
訝しむ俺の事などまるで気にせずに、プリシラは残った片腕だけで片手斧を振り回し始める。
無機質に、無感情にただ動く骸骨どもを砕いていく彼女の動きには一切の無駄がない。
当たり前のことだけど、こいつは俺の知ってるプリシラじゃない。頭の何処かでそんなことを考えた。
だってアイツは、この街で生きていくには優しすぎるほど優しかったから。
脳裏をよぎる過ぎ去ってしまった日々を振り払い、俺は目の前の現実に向き合った。