招かれざる者
身を切るような寒さの中で、俺は手袋がわりにグルグルと布を巻きつけただけの両手を擦り合わせる。
気休めにもならないと知りながらはぁっと息を吹きかけると、白く霞む息が指の間を通り抜けてゆく。
湿り気を帯びたぬるい息で、かじかむ指先が温まるのはほんの一瞬だ。
頭上の見上げれば、月はおろか星も見えないどんよりとした暗色の空から白いものがチラつく。
全く嫌になる寒さだった。
そんな時だ、唐突に聞こえた馬の嗎。
続いて聞こえてくるのは地を蹴る蹄鉄の音。それに石畳に軋む車輪の音。
それに加えて金属の板がぶつかり合うようなガチャガチャという金属音。
それらがいくつもの重い足音を伴って響く。どうやら板金鎧なんてもん着込んだバカがいるってことだ。それも複数人。
(向こうは大通りか)
ここで、あんな音を立てる鎧を好き好んで着る奴はいない。
どうやらどこぞの馬鹿が護衛の兵でも引き連れて呑気に馬車で大通りを渡っているらしい。
「ったく、一体どこの馬鹿だよ」
俺はゆっくりと身を起こす。
身を潜めていた廃屋の屋根の上から通りを見下ろせば、ぼろ切れをまとった人影がノロノロと動いている。
人影ーーと言っても、それが人じゃないのは一目でわかる。
ぼろ切れの隙間からのぞくのは骨だ。
それがどんな理屈で動いてるのかなんて知ったこっちゃない。ただ現実に、アレは動き回る骸骨だ。
骨ばかりで肉が付いてないから動く骸骨、俺はそう呼んでる。
他の奴がどう呼んでるかなんて知らないけど。
何にしても、大通りの方から響いてくる物音につられるように、動く骸骨がキョロキョロと空っぽの眼窩で辺りを見回しているのが見える。
あれで何か見えてるってんだから、全くどうかしてる。
それにしてもまぁ――台無しだ。
奴らは日が登れば動きが鈍る。
だから夜明けまで寒さに耐えて、じっと機会をうかがってたっていうのに、とんだ邪魔がはいったもんだ。
大通りでどんちゃん騒ぎしやがった馬鹿どものせいで、ようやくいい的になりはじめていた俺の獲物が動き出したんだから。
「まぁーー気が逸れてるんならそれはそれで好都合か……」
無理矢理にでも気分を変えて、俺は屋根から身を乗り出す。
俺は知ってるんだ、世の中思い通りに行くことの方が少ない。
この程度の予想外は予想外の内にも入らない。要は慣れっこだってこと。
屋根のへりで前転、宙空に身を踊らせ足から自由落下だ。
「よっ、とっ」
途中、突き出したひさしに足をかけ勢いを殺し着地。少しばかり踏み抜いた廃屋のひさしが崩れてパラパラと地面を叩く。
ーーが、思っていたよりは物音は立たなかった。
安堵の息をつく間もなく俺は駆け出す。
狙いは物音につられて大通りに向かい始めた三体のうち一番動きの遅い動く骸骨だ。
いつものように素早く視線を動かしそれを探す。
ーー見つけた。
ボロ布同然の穴だらけの服から覗く肋骨――その中の右の下から二本目。一本だけ酷く黒ずんだそれが狙い目だ。
俺は視線を逸らさぬまま腰回りを探って得物を手にする。
右手に棍棒、左手には奴床だ。
ウスノロが気づいて振り向きかけた、けどもう遅い。駆け出した勢いも乗せた棍棒の一振りが奴の後頭部に直撃する。
乾いた音を立てて骨は砕け、奴はもんどりうった。
それでも倒れなかったがそこは織り込み済みだ。素早く狙いを定めた左手の奴床は既にあばらの一本を掴んでいる。
あとはその黒い骨を勢いよく引き抜くだけだ。
ポキリとやはり乾いた音をてて呪骨を抜き取られた動く骸骨は、糸の切れた操り人形のようにバラバラに砕けて地面に散らばった。
同時に撒き散らされた酷い臭いに顔を歪めながらも、奴が動かなくなったのを見届けるよりも早く、俺は物陰に身を隠す。
幸い大通りに向かった二体が戻ってくる気配はない。
「一晩粘って一本か」
ベルトに繋いだ腰袋から油紙を取り出し、黒く濁った色の骨を包むと、また腰袋にそっとしまった。
白い息と共に、思わずため息が漏れる。それもこれも大通りで騒いだ奴らのせいだ。
怒りがこみ上げるが、それもすぐに同情じみた感情に塗りつぶされた。
こいつら動く骸骨共は音に敏感だ。だから、ここで狩りをする奴に余計な物音を立てる馬鹿はいない。
と言うことは、余程の馬鹿なのか。
無くはない話だ。
こんなところにいたら誰だっておかしくなっちまう。
そう言えば前にも、突然意味のわからないことを喚き散らした挙句あいつらの群れに突っ込んで、めでたく奴らの仲間入りを果たした奴がいた。
ここじゃ正気を保つことと、生き残ることは同じぐらい難しい。
でももし、そうでないとしたら。
この場所のことをよく知りもせず足を踏み入れたのだとしたら――。
「まさか、外から来た連中か?」
そう独り言ちたその時だ、大通りに怒声が響いたのは。
それはほんの興味本位だった。
ここじゃ「知らない」って事は「生き残れない」って事だ。まずそのことを知らなかったせいで、連中にはもう次がない。
そんな哀れな馬鹿どもの顔を一目拝んでやろうと思った。獲物を逃した腹いせに、馬鹿な連中の哀れな死に様を拝んでやろうってね。
息を殺し、気配を殺し、俺は物陰から剣呑な音の響く大通りに向かった。
風化した樽だか木箱だったかしたものの陰から大通りを覗いた先には、思い描いた通りの地獄絵図があった。