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「ふぅむ。この調子では街に着く前に日が暮れてしまいそうじゃのう。」
農道のど真ん中で盛大にエンストした旧型ピックアップトラックの助手席で、ハニーが大きな欠伸を一つ漏らす。
「うう...。いつもは車の持ち主の源次郎さんに運転して貰ってるから自分でするのは久しぶりで....」
エンジンをかけ直しながらフィリップは口惜しげに呻いた。
本日3度目のエンストとなれば、対処も手馴れたものだ。そもそもクラッチの操作の方に慣れて欲しいものではあるが。
「ならば今日もゲンジローと行けば良かろうに。」
「君の生活用品を揃えに行くんだから、君が居ないと意味ないでしょ!」
山間の不便な村、ロベール村の交通網は主に隔日2便の鉄道か自家用車かに分けられる。
彼らが目指している“隣町”アングリアへはそのどちらを使っても実に片道半日がかりであり、気軽にお出掛けできる距離では無い。
故に、村の比較的若い...と言ってもフィリップを除けば皆五、六十代の数人が持ち回りで買い出しを請負うのが通例となっていた。
ハニーが村にやってきて今日で10日。
半ば無理矢理定住が決定したハニーには早急に衣類や生活用品を揃える必要があった。
早朝から車を借り、ぐずるハニーを詰め込んで意気揚々と出発したは良い物の、不慣れな運転に手間取り正午を過ぎても未だ街の影も形も見えずにいる。
「もうすぐ、もうすぐ着くから!」
「その台詞、一体何度聞いたかの〜。」
手慰みに住人から預かった買い出しメモを捲る。
石鹸、塩、肌着、絵具...消耗品の類いから、果ては鍋や鏡、洗濯機なんて大型家電まで頼まれている品は多岐に渡る。
これを揃えて戻るのは2人居ても骨の折れる作業だろう。
「あ、吊り橋の修理も依頼しないと。」
「神父と言うのも大変なお仕事じゃな。」
「聖職者の仕事じゃないけどね。まあ、好きでやってる事だから。」
フィリップは事も無げに答えハンドルを切る。
小さな林を抜ければやっと、土剥き出しの畦道からきちんと舗装された道路に出られた。
「大きな街は便利だけど......田舎の暮らしもさ、慣れれば案外楽しいものだよ。」
ーー
街の通りの一角に車を停め、2人は小さな雑貨店に入った。
「らっしゃ〜せ〜...お!なんだフィルか!待ってたぜ〜。電話で注文貰ってた分は用意出来て......ん⁉︎」
咥え煙草で気怠げに店番をしていた男はフィリップを見て気さくに声を掛け、横に立つハニーを見て目を剥いた。
「フォードさん。いつもお世話になってます!申し訳無いんですが追加で注文があって...」
「イヤ、水臭せーな!紹介しろっての〜!」
フォードはバシバシとフィリップの肩を叩く。
フィリップは待ってましたとばかりににんまりと微笑んだ。
「ふっふっふ...気付いちゃいました?彼女は僕の 「教会に派遣されてきた新しいシスター!!」
ハニーが咄嗟に割り込む。
「僕の... 「敬虔な修道女、シスター・ハニウェルです!!!」
「ぼ 「どうぞ宜しく!!!!」
「.........。」
「ど、どうもご丁寧に。」
この若造は、こと自分達の関係に関しては何を言い出すか分かったものでは無い。
万一恋人だとでも紹介されて既成事実を作られよう物なら堪らないと食い気味に自己紹介を終え、フォードと握手を交わした。
ここはロベール村住人ご用達のフォード雑貨店。
前日までの電話注文で大抵何でも揃えてくれる便利なお店。
「うう......追加注文、お願いします...。」
「...おう......頑張れよ。」
がっくりと落としたフィリップの肩を、フォードは今度は優しく叩いたのだった。
「後は〜...税金関係と食品と......」
雑貨店を後にした2人は街の大通りを歩いていた。
「こんなにあるのじゃし、分担した方が良くないかの?」
「いやぁ...うーん、出来れば2人で行動したいんだけど...あー、でも婦人服店はさすがに入れないか...お揃いのマグカップとかは一緒に選びたいし...」
「同棲初期か?」
同棲初期である。
それはさておき。
フィリップには1人になりたくない理由が、ハニーには1人になりたい理由があった。街行く乙女達が彼らに向ける視線である。
ワードセンスは底辺、車もエンストさせ放題な普段の姿を知っているハニーには忘れられがちだが、フィリップの顔面は国宝級。
何故彼が僻地の限界集落に飛ばされていたのだったか、程なくハニーは身を持って知る事になる。
「あ、あの...っ良ければお手伝いしましょうか!」
1人が話しかけたのを皮切りに、遠巻きに眺めていた女達が一斉にフィリップに群がった。
「私、良い店を知ってますのよ!」
「ブスは黙ってなさいな!私がご案内しますわ!」
押し合いへし合い、獲物を狙う女達にパワー負けしたハニーは輪の外へ弾き出された。
「お、恐ろしいのう...。唯の阿呆と思っておったが、本当に呪われレベルのいけめんじゃったんじゃな。」
狂気さえ感じる熱に思わず後退ると、背後に居た少女とぶつかった。
「おおすまんの。」
「...やあ、お婆さん。お花はいかが?」
頭巾を被った赤毛の少女が抱えた籠から黄色のカーネーションを一輪差し出し微笑む。
「貴様...」
見覚えのある黒い瞳、意地悪そうに歪めた口の端。
カーネーションが石畳に落ちる。
矢庭に少女はハニーの腕を掴み駆け出した。
「ちょ、ちょっと皆さん落ち着いて...僕連れが...ハニー!あれ、ハニー⁉︎」
視界の端に少女に手を引かれて走るハニーを捉える。
フィリップは何とか人垣を掻き分け抜け出たが、その頃にはハニーは忽然と姿を消していた。
ーー
町外れ、路地裏。
「...儂を始末しに来たか、シェイプシフターよ......いや、今の名はエドワードじゃったか。剣探しは順調かえ?ん?」
腕を引かれどれくらい走っただろうか。すっかり人気の無い裏通りまで来ていたらしい。
「槍だよ。痴呆が進んだか?婆さん。」
エドワードと呼ばれた少女は素朴な風貌とは裏腹に尊大な態度でハニーを見遣った。
「婆さんじゃないわいっ!」
「俺だってシェイプシフターじゃない!リカントロープ!」
「似たようなもんじゃろ。人狼が、赤ずきんちゃんのコスプレとは趣味の悪い。」
ハニーは腕を組み壁に凭れかかる。
「君、自分の立場分かってるのか?俺が何しに忙しい中こんなど田舎くんだりまで来てやったと思ってる?」
「ふん。無論、足抜け罪人の始末じゃろうよ。こんな雑用押し付けられて難儀じゃのうエディちゃんや。」
「このクソババア...」
エドワードはひとりごち、徐に頭巾を取った。
すると、ワンピースを着た花売りの少女はたちどころに黒髪の青年へと変貌を遂げる。
自在に姿を変える魔物、彼がシェイプシフターと呼ばれる所以である。
「して、どうする。ここで殺すか?それともマスターの前で八裂きにでもされるのかの?」
「逃げた癖に妙に物分かりが良いじゃないか。...けど残念ながら、残っ念ながら!殺す命令は出て無い。」
「なに?」
「『仕事をするならスローライフだろうがラブロマンスだろうが好きにしろ』だってさ。」
エドワードは両掌を天に向け首を振る。
「仕事...だと?」
「そっ。まあ今までに比べたら至極簡単な在宅ワークだぜ。」
ハニーの腕に一冊の本が押しつけられる。
一見何の変哲も無い古ぼけた皮の装丁に金色の留金の付いた本。但し、確かに何某かが中に“居る”。
「この本、捨てといてくれってさ。」
訝しみ本を弄ぶハニーの耳元にエドワードが唇を寄せ何事か囁く。
はっとして彼女が顔を上げた時にはもう、エドワードの姿は何処にも無かった。
ーー
「ハニー、ハニー!やっと見つけた!」
「......若造。」
裏通りを出た所で、フィリップが駆け寄って来る。古本を握るハニーの指に微かに力が篭った。
「急に居なくなるから心配したじゃないか。...大丈夫?危ない目に遭ったりしてない?」
「いや、貴様の方が大丈夫か⁉︎」
きっちり着こなしていたシャツのボタンは全て弾け飛び、髪はぐしゃぐしゃ、おまけにベルトも無い。女を盗ったと因縁つけられ殴られたのか頬は赤く腫れている。
「僕は慣れてるから。......でも、君には悪い事をした。ごめんね、びっくりしたでしょ。やっぱり一緒に来るんじゃ無かったね。」
「...馬鹿者め。そんな情け無い顔をしておったらいけめんが台無しじゃぞ。」
ハニーはフィリップの乱れた髪をぐしゃぐしゃと強引に掻き混ぜ撫で付けた。
「そら、行くぞ。まだ用事はたんまり残っておるのじゃ、早くせんと夜になってしまう。そうなれば今日中に村へは帰れんぞ。」
「え」
これまで散々フィリップと暮らす事に不満たらたらだったハニーが、自分から手を引き村の用事をこなそうとしている姿に少々面食らう。
「...どうした?行かんのか?」
「う、ううん!行く。行くよ。一緒に行こう!」
2人は並んで歩き出す。
ハニーはエドワードが去り際に残した言葉を反芻し、後ろ手に持った本と一緒に飲み込んだ。
『フィリップ・ローズを見張ってろ。他所に盗られる様な事が有れば殺せ。君が出来なきゃ俺がまた尻拭いだ。』
この時もっとお互いわかり合おうとしていれば。足りない言葉をもっと口に出せていたならば。
きっと未来は違っただろうと、2人は思う時が来る。
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言葉足らず、優虞措く能わず