3 Catcher,Chance,Change
晴天、快晴、洗濯日和!
長らく立ち込めていた雨雲はすっかり水気を絞りきり、後ははためくシーツの様に春風に身を任せるのみと相成った。
和やかな春の始まりを告げる今日この朝、惜しみない陽光が降り注ぐこの窓辺で、村唯一の若者フィリップ神父は無様な土下座を決めていた。
「フォームがなっとらんのう?まるで誠意が伝わってこんわ。」
フィリップを見下す位置でベッドに腰掛けた女は悠々と脚を組む。
「......ちょっと下手な方が小慣れてない感じを演出できて良いかと思ったんだけど。」
「その台詞で台無しじゃわ。若造、貴様の誠意は伝わる以前に元々存在しておらんかった様じゃな。」
つい、と足先でフィリップの顎を掬い上げた。
「こらっ!女の子がはしたないよ!」
屈辱感を煽る為の行動をまるで子供の悪戯の様に嗜められ、女は少々面食らう。
「貴様、昨日と大分キャラが違わんか?」
「君に比べたら全然だと思うけど...?昨日はそんなお殿様みたいな喋り方じゃなかったよね?」
「正体がバレておるのじゃから今更繕う意味も無かろう。...これが本当の儂よ。齢百を生きる魔物の端くれ、人間を食い物にする恐ろしい淫魔じゃ。」
女は呼吸を置いて諭す様に問いかける。
「これでも、貴様は取らんでもいい責任を取ると抜かすか?」
ーー
話はほんの数十分前に遡る。
瞼を透かす朝日の眩しさにゆっくりと覚醒したフィリップは、隣で猫の様に丸まって小さな寝息を立てる女の姿を確認するとにんまりと微笑んだ。
正に弱った子猫を保護した気持ち。
...但し、首輪を無理矢理噛みちぎってだが。
彼の視線を知ってか知らずか、女の瞼も開く。
ゆっくり開いて...視界いっぱいにフィリップの顔面が映り込んだところで目玉が溢れ落ちそうな程見開いた。
「おはよう、よく眠れた?」
「ギャア!!!!!」
思わず女はフィリップを蹴り落とす。
「いたたた...。」
「な、なんっ、え、儂、生きてる...?」
「安心して。責任は取るから。」
キリッと。
まっすぐな瞳で声高に宣言するフィリップを女は愕然と眺めた。
魔術師と呼ばれる奴は大抵イカれているものだが、目の前のこいつは超弩級のイカれ野郎らしい、と女は頭を抱え唸る。
ーー
一体全体どうしてこんな事になってしまったのか。
空腹感に耐えかねて魔力の匂いに釣られるままに訪れたものの、至る所に張られた結界ににっちもさっちも行かず立ち往生からのガチ往生を迎えようとしていた矢先。
死を覚悟していたその時に、家に誘い入れてきた男。
此奴は見るからにお人好しそうな笑顔を振り撒いておいてその実、とんでもない事をしでかした。
あろう事に魔術師...マスターとの契約印を力付くで破壊したのだ。
まともな手段は一切使わず、歯で噛み砕いて。
マスターとは誰ぞやだとかそう言う儂の昔の話は置いておいて、契約について少し語ろう。
儂の知る魔術師と言うのは、魔力を以って魔物と契約し使役する事の出来る者達の事だ。
かく言う儂も契約を結び色々と仕事を請負っていた。
その報酬としてマスターから精気...生命維持に必要な魔力を支給されるのだ。
決して子供の指切り約束の様なヌルいものでは無い。
破れば指詰めどころか最悪タマまで取られかねない、ブラック企業も真っ青の阿漕な雇用契約だ。
それを破壊しようなどと言う行為が、どれ程までに危険かは“筆舌に尽くし難い”の一言で察して貰えるだろうか。
実際、目の前でニコニコ微笑むこの男もごっそり魔力を使い果たし今の今まで眠りこけていた訳で。
何故そんな馬鹿をやらかしたのか?
まあ恐らく同情だとか憐れみ故なのだろう。
お優しい事に囚われの状態から解放してやろうと思ったのだ。
兎も角儂は晴れて自由の身となった。
だが、この男も魔術を扱う者の端くれ。
首輪も無い魔物を野に解き放つ事が何を意味するか想像出来ない筈が無い。
新しい首輪を着けて飼うか、殺処分か。選択肢は2つに1つだ。
いっそ軒下で野垂れ死にさせてくれたらそれが1番良かったのに。
儂に向かって男が口にしたのが「責任は取る」だった。
果たして首輪か処分か......。
いや、皆まで言わずとも分かるだろう。
しかも、察するに此奴は、嫁取りのつもりで居るらしい。
此奴は本物の痴れ者よ。
昨晩殺処分してくれていたなら、責任云々なんて口にする必要も無かっただろうに。
それは兎も角、昨晩は散々に無体を働いてくれた事だし、取り敢えず土下座で謝罪を要求しておいた。
...まあ、どれ程煽ろうとも暖簾に腕押し糠に釘、罵倒しようと馬耳東風だったが。
もしや此奴、プライド無いのか?
ーー
ダイニング。
「足が痺れちゃうからもういいかな?」と早々に土下座を切り上げたフィリップは、籠から卵を取り出して振り向いた。
「オムレツにする?それとも目玉焼き?」
「いらん!」
「ああ、朝はスムージー派?」
食べない、と言う選択肢はフィリップの中には用意されていない。
「違うわ!話を聞け!」
女はどんどんあらぬ方向に進んで行く展開に憤慨し食ってかかるが、悉く躱され続けていた。
「スクランブルエッグにしよっか!」
「だから、朝食なんて要らないと言って......ウェッ......」
フライパンで温められたオイルの匂いが鼻につき、女は思わず口元を抑え蹲る。
「えっ!ど、どうしたの⁉︎」
「......吐く...」
突然体調不良を訴えだした女に、フィリップの方があわあわと大慌てで混乱していた。
「あ!!?!つわり!!?!??」
「違うわ!!!!!!!!」
もう二言三言ツッコミたい所だったが、女にはそんな余裕は無いようだ。
「これは......“食べ過ぎ”......胃もたれじゃ。」
「ええ⁉︎でもだって、昨日はシチュー1杯しか...」
「儂が何だかもう忘れたか?ベッドで散々食わせた張本人じゃろうが。」
淫魔のエネルギー源、つまり魔力、精気。
思い当たる節が存分に有ったフィリップは「なるほど...」と曖昧な返事をし、初めて申し訳無さそうな表情を見せた。
構うなと散々邪険にされても怯む事を知らないフィリップは、女を無理矢理ベッドに押し込んだ後、ベッドの傍に設えてあった机にマグカップを1つ置いた。
「......なんじゃ、これは。」
「ホットミルクだけど?」
お互いキョトンと顔を見合わせる。
「風邪じゃ無いんじゃが。」
「サキュバスって牛乳が好きって本で読んだから、元気になるかと思ったんだけど......違ったみたいだねっ。」
フィリップはそそくさとマグカップを下げて出て行こうとしたが、女がそれを呼び止めた。
「まあ、待て。......甘くしてくれるなら、飲んでやらん事も無い......かもな。」
体調不良が自分の魔力によるものだと知って以来、わかりやすくしょげてしまったフィリップが何だか可愛らしく見えて。
つい絆されてしまったな、と女はキッチンに向かって駆け出して行ったフィリップの後ろ姿を目で追った。
ややあって戻ってきたフィリップの腕には家中の甘味料が抱えられていて、そんな健気な姿に自然と口元が緩んでいた事に女本人は気が付いてはいなかった。
相変わらず腹ははちきれそうだったが、麗かな春の匂いと柔らかいベッドに誘われて女はゆっくり瞼を閉じた。
Catcher,Chance,Change
捕え囚われ、人生が変わる