2 Battle in Bed
灯りを落とした板張りの廊下を、ぺたりぺたりと裸足で歩く。
慎重に歩を進めてはいるけれど。
古い教会の床の軋みと、何より久しぶりのご馳走の前に早鐘の様に高鳴る鼓動の音を聴かれやしないかと、殊更緊張感が高まる。
2階、階段脇の一室の扉がうっすらと開いているのが見えた。
「......不用心な。」
一つ屋根の下で夜を共にしているものが一体何なのか、どれほど危険で獰猛な魔物なのか。
わかってないなら、わからせるまで。
誘ったのはそっちなのだから何があっても自業自得。同意の上。
扉の外から耳をそばだてると、雨の音に紛れて微かな寝息が聴こえる。
隙間から忍び寄って、掛け布団に手を掛けたーー所で、女の細い手首はがっちりと掴みあげられた。
「来ると思ってましたよ。」
「......ッ!!」
眠っていたとは思えない、いやにはっきりとした口調。
パジャマでは無くきっちり着込んだカソックが、来訪を予測していたと言う青年の言葉が偽りで無い事を物語る。
自分の正体を見破られていたと言うのか。
「チィ......ッ!流石はその魔力量だけあるって事か...!」
女は飛び退くと一目散に窓に駆け寄った。
簡素な掛け金に触れた瞬間、まるで静電気でも走ったかの様に指が弾かれ小さな火花が散る。
よくよく見れば掛け金の脇に円や線を組み合わせた魔法陣の様な模様が書き付けられていた。
「逃げられませんよ。...大人しくしていてくれれば酷くはしませんから。」
「ふん...!冗談じゃない!」
何とか隙を突いて逃げ出そうと身構えるも、異形の者とは言え先程まで死にかけていた女と健康な成人男性では余りに女の分が悪い。
在らん限りの力を振り絞って暴れるもじりじりと追い詰められて、ついにはのし掛かられる形でベッドに押し倒されていた。
「はなせっ!離さんかこらっ!」
青年は女の腕を頭上で組ませる様に押さえ込む。
「離せば暴れるでしょ。僕が知りたいのは誰の差金か、どうやって村に入れたのか。正直に答えれば五体満足でご主人様の元にお返ししますよ。」
「知らない!......何を言っているのか全くわからない!」
本当に青年の問いに心当たりは無かったが、氷で出来た剃刀の様な青年の声に、必要とあらば手足の一本二本折るだろう冷酷さを感じ女は推し黙ってしまった。
「...答えて。それとも、絶対口を割らない自信でもあるのかな?」
「......っ!」
沈黙を是と取ったか、青年は片手で女の両腕を抑えつけたままセーターの中身を探り始めた。
「なら、直接身体に聞かせてもらう。いいね?」
嫌だと言ってもやるのだろう。
どうせ一度は捨てた命。腹の上では無くっても、お床の上で死ねるなら充分淫魔冥利に尽きるというもの。
齢百余歳、平々凡々なサキュバス生だったーーと、女は全てを諦め命も肢体も青年の前に投げ出した。
ーー
身体中を存分に検分して行く男の掌が、いつこの身の骨を折って肉を断ちだすだろうかと、女は戦々恐々だった。
しかし待てど暮らせど痛みは訪れず、刃の如き声色とは裏腹に皮膚を滑って行く感覚は愛撫の様で擽ったい。
バンザイをした格好のまま足の先から肘くらいまで撫で繰り回されただろうか。
いつ齎されるかも知れない痛みへの緊張にすっかり焦れた女は息も絶え絶えで「いっそ殺せ」とお約束の言葉すら吐けずにいた。
「......見つけた。」
青年がそう低く呟いたのは、右手の親指から一本一本検分していったその10本目、左手の小指に辿り着いた時だった。
「ここまで周到に隠すなんて。ご主人様は随分趣味が悪いね?」
揶揄う様な、何故だか底冷えのする様な声。
「何を......」
「契約印を小指に付けるなんて、まるでヤクザみたいだ。尤も、こっちは契約を破れば“エンコ詰める”程度じゃ済まないだろうけど。」
女の左手を取り、まるで紳士がそうする様に恭しく口付ける。
そのまま唇は手の甲を辿る。
今までの探る動きとは明らかに違う、煽る為の動き。
小指の付け根を舐め上げられて、女はやっと青年の意図を理解した。
ぎちり、と小指に歯が食い込む。
皮膚が破れて骨が軋む。
青年の口内に甘やかな鉄の味が広がった。
女はその後はもうよく覚えていないと言う。
青年がしきりに何か囁いていたのは睦言だった気もするし、謝罪だった気もする。
とにかく小指がズキズキ痛むのと、突き上げられ揺さぶられる様な感覚と、感じた事の無い程の満腹感。覚えているのはそれだけ。
いつの間にかすっかり雨は止んでいたがそんな事を気にする余裕は2人には無く、精も魂も尽き果てたころ沼地の泥の様に深い眠りについたのだった。
Battle in Bed
一進一退、矜持の問題