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地方都市、地震、喫茶店、東京

 春が終わろうとしている。街の三方を囲む山々の緑は鮮やかになり、その上の青空はいっそう青く、雲は白く湧き立っている。初夏。遠くの雪山から流れ出た雪解け水は麓の田んぼを潤し、やがて街に張り巡らされた用水に入り、あるいは江戸時代の城跡の堀を満たし、旧城下町や駅前の市街地を抜け、古びたコンクリート五階建ての駅ビルの前を流れて線路の向こうの川へと注ぐ。雪解け水とともに運ばれた涼しい風と、照りつける五月の陽射しが、まもなく迫る夏を感じさせる。


 さて、これは一見して地方都市のように見える風景だが、実は東京である。古びた駅ビルは東京駅である。何を唐突にと思われるかもしれない。そんなはずはないと反論もあろう。しかしともかく東京なのである。それ以外ではありえない。私はここを東京と認識しているしそれ以外の都市であることは不可能なのだから、ここは東京であり、これは東京駅前をめぐる話である。


 初夏の風を受けて、私は東京の田舎道を自転車で走っている。センターラインがオレンジ色の二車線の県道。県道というのは書き間違いではなく、ここは東京ではあるけれど本当に県道なのである。道の片側には一応は歩道があるが、バリアフリーの思想のかけらもない段差だらけの、とりあえず取ってつけたような狭さの上、草が生えていて歩くのは難しそうだ。とするとこれは歩道ではないのかもしれない。県道の左側は田んぼが広がり、右側にまばらに家が建っている。東京駅の周辺は市街地になっていてビルも多いが、自転車で十分ほど走ったこのあたりは家よりも田んぼのほうが多い。たまに軽トラに出会う他は対向車もほとんどない。


 私はカーブの途中から出ている細い道へと曲がった。車一台がなんとか通れる程度の、近所の人が農作業へ出かけるときに使っているような道だ。少し上り坂になっていて、竹やぶを抜けると今度は曲がりながら下る。下りきったところが小さな集落になっていて家が何軒か並んでいる。家並みの向こうには田んぼがあり、さらに遠くに市街地のビルが見えている。私の走っている細い道の右側の林は切り開かれて赤土の地面が露わになっており、それは発掘調査中の古墳だということである。柵で囲われた区画の片隅に出土した石棺が置いてありその手前に説明看板が立っている。看板によるとこの古墳は珍しいもののようで、私は丹念に古墳の写真を撮った。


 古墳の裏手はちょっとした空き地になっていて、古い瓦葺きの家が二軒ある。そのうち一軒は青い瓦で二階建ての大きい家で、明治の頃に作られた古い町工場という風情だ。もう一軒は平屋で黒い瓦の小さな家である。


 もはや人のいないそれらの建物をしばらく眺めていると、足元がゆらゆらした。最初は気のせいかと思っていたがやがてはっきりと揺れているのがわかるようになった。


「地震だ」


 と誰かが言った。おそらく道の反対側の家のおばさんだ。横揺れはどんどん大きくなり、青い瓦の家がきしんだ。屋根から青い瓦が落ちてきたのでそれを避けて空き地へ逃げた。瓦は地面に落ちて割れた。


 揺れが収まると集落の他の家からも人々が出てきた。口々に「地震だ」「地震だ」と言い合っている。私はスマホで情報を確認した。M6.3で震源は福島県の郡山の東にある柵野というところのようである。東京でこれだけ揺れたのだから震源のあたりはずいぶん被害があったのではないかと心配になる。またあるいは、M6.3の地震で震源が遠い割にはずいぶん大きな揺れだったとも思う。どういうメカニズムであろうか。


 ともあれ、私は旅の途中なのである。これから鳥取へ行かねばならないので、まずは東京駅へ向かうことにしよう。地震のことは少し気がかりだったが、気にするから困ったことになるのであって気にしなければ何事もない。現にそのあたりの町並みには被害はないのである。自転車で走りながら、この町並みは以前行ったことのある津山の街に似ているなと思う。しかし繰り返すがここは東京である。東京からは新幹線に乗り、さらに特急2本を乗り継がねばならない。今は十時十五分だから、早くても着くのは昼すぎだろうと予想する。すっかり出遅れてしまった。


 駅に近づくにつれ、私と同じように自転車で駅へ向かう人が増えてきて、彼らを追い越したり追い越されたりしながら走った。さながらロードレースのようだが、ほとんどはママチャリやシティサイクルであり、私が乗っているのも駅前のレンタサイクルで借りたママチャリである。大きな交差点に差し掛かり、多くの人は右の大通りへ曲がっていくが、私や何人かのちょっと詳しい人は左の路地へ入る。近道である。アーケードが掛かっている商店街だ。寂れてはいるがそれはそれで風情がある。私はそのうちの雰囲気の良い喫茶店に入ってコーヒーを注文した。


 喫茶店の内装はレトロな英国調でなかなか凝っている。無愛想な若い店員もやはり英国風の服を着て、仏頂面でコーヒーを置いていった。小さな商店街の片隅の穴蔵のような喫茶店に、客は私と、もうひとり小太りの初老の男性がいるだけだ。その丸眼鏡と読んでいる英字新聞もなかなか良く馴染んでいる。コーヒーは言うまでもなく旨い。鳥取に行くので長居できないのが残念である。ひととき楽しんでから、無愛想な若い店員に会計してもらった。


「お支払いは」


 と、無愛想な店員は言った。どうも、現金か電子マネーかを選べるということで、私は自分が持っているのが現金なのか電子マネーなのか思い出せず少しまごついたが、結局Suicaで決済することができた。


 店を出て、また自転車で少し進んだ。商店街のアーケードが終わり、路地が国道にぶつかる手前あたりで、急に自転車が進まなくなった。見るとパンクしている。困った。鳥取に行くのが遅れてしまうなと思いながら、自転車を押して駅へ向かった。幸いにして、駅までは歩いていける距離だ。


 東京駅に着くと人はまばらで、三台しかない自動券売機も空いていた。新幹線の切符を買おうとしたがエラーが出て、何度かやり直してもやはりだめだった。駅員さんを呼んで見てもらったが、


「どうもうまくいきませんね」


 と言うばかりで時間が過ぎていく。なんとか希望の便が取れないかといろいろやってもらったが、発車時刻を過ぎてしまい、結局予定よりも一つ後の東京発鹿児島中央行きの区間列車をなんとか買うことができた。当初乗るつもりだった新幹線は東北の方から来て九州まで行く長距離列車で、停車駅は相馬とか新大阪(あといくつかあったかもしれない)で、その先はノンストップになる速達列車だった。買った列車はそれより遅いけれどまあ良いだろう。旅にトラブルはつきものである。

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