【4話】ア〇ルってどうなの?
「ねえ、ユウ」
「ん?」
「ア〇ルって気持ちいいの?」
「ブッ」
ユウはストローを咥えたその口から盛大に中身が噴出しそうになったところをぎりぎりで抑えて、思いっきりむせた。
「大丈夫?」
「…大丈夫じゃない」
ひとしきりせき込んだあと、落ち着いたのか、深呼吸してこちらに改めて向き直った。
「早くない?そこにたどり着くのさあ」
「そうなの?」
「私でさえ2、30冊くらい読んだところで知って、そんなのあるんだーって知ってその後スルーしたくらいだよ」
「はあ…」
なんか引かれてる気がするけど気のせいかな。
「今日こうして話すためにわざわざ駅前のカフェまで来たから、この前の本のことかな…とは思ってたけど。さすがにあの日のサキの様子を見たら、これから先あの話題で話すときは気を付けた方がいいかもって本気で思ったからね。人前では話せないよね、聞かれたら恥ずかしいし」
「ユウに羞恥心なんてあったんだ…」
「おまえがいうか」
ちなみに今日は月曜日。放課後。天気は晴れ。
ユウに「じっくり話したいことがあるから放課後空いてる?」って聞いたら、「私もちょうど今日はパフェでも食べたいと思っててさ、駅前のあそこ行かない?」「いいよー」という流れで今日の場所が決まった。
その店は駅前のできて一年くらい、田舎と言えど県内ではもっとも人が多い駅前という地価の高さにも関わらず、個人経営で若い男性が店長の店で、とにかく内装がおしゃれなカフェだ。去年ユウが演劇部の子からこの店のことをはじめて知り、私とはじめてここを訪れた時はメニューの値段が高く味が良くも悪くも普通だったため、とくにいい印象を受けなかった。しかし、店長が学生の客が多いから学割をしている、という話を聞いて以来は度々利用している。店長の気さくな性格、新メニューの開発に積極的で月に一個は新作が出て(ついでにメニューが1つ消える)、ユウが好きなバナナデラックス900円(学割で500円、900円という値段相応のボリュームだが味は普通)があるといった理由から。主に3つ目の理由で。度々といっても去年は3回だったかな。常連とはいかないものの、それなりに親しい場所ではある。
「その話をする前にさ、それってアブノーマルなジャンルに含まれるってことは知ってる?」
「うん、一応は」
「…」
ユウがなぜか頭を抱えている。
「どうしたの?」
「いや、この際まあいいや。どうやってそこにたどり着いたわけ?」
「えっとね…」
~~~~~~~~~
昨日のことである。昨日は日曜日で一日とくに用事もなく、いつもように学校の課題と予習・復習を軽く済ませ、母が用意してくれた昼ご飯を食べた。いつもならやることが無くなったら溜まっている読書や映画にふけるのがよくある休日の時間の使い方だったが、せっかくの半日もの余暇だ。例の研究について進めようと思ったのだ。まずはあの日ユウに借りてその場で読んだ例の5冊以外にも、資料が欲しい。幸いにも今手元には資金が十分にある。月3000円のお小遣いは、ときどき買う文庫本(読む本は図書館で借りることの方が多い)が主な使い道で、それ以外の娯楽(学校帰りの寄り道や友達との遊び)にしてもそんなに頻度は高くないため、十分溜まっている。
そこでネット通販でまず無難に”エロ本”と検索してみた。検索結果には、服の乱れたお姉さんや、白い液体にまみれた裸体の女性、股を開く女子小学生の絵など、ユウに見せてもらった本の表紙のような過激な絵がずらりと並ぶ。右下にはR-18や成人向けと書かれたロゴもある。
「うわぁ…」
さすがに少しは恥ずかしい。自室なので人に見られる心配はないが、恥ずかしいものを恥ずかしいと思うのに、他人の存在の有無は副次的な要因でしかない。要するにやっぱり、普通に恥ずかしい。まだ私には刺激が強い。
そんな心情を自分でも理解していながらも、マウスのホイールを動かしていく。
「…」
それにしてもどれを読んで見るべきなのかがわからない。ネット通販の特徴の1つとして、口コミ(レビュー)が見られるというのがあるが、これらはそもそものレビュー件数が少ない。試しにいくつか見てみたが、「口コミはある程度の数がないとあてにできない」ということを、賛否両論、趣味嗜好多様の各本・数件のレビューを見て再確認しただけである。そうやって地道にサーチしていく内にあるものにたどり着いた。
「これはいいんじゃ…!」
見つけたのは”雑誌”。ユウに見せてもらったあの5冊は、”同人誌”という一冊に一話の単行本だったが、これなら一冊で何話も読むことができる。これこそ私が元々想像していた”エロ本”そのものだ。ちなみに、クラスの男子のとあるグループの横を通った時に聞こえた会話では、今はオンラインが主流らしい。その事情はよく知らないけど、エロ本の現物を持っている若い男性は案外少ないのかもしれない。
その雑誌の概要欄を見る限り、税込500円で10人の作家が一作品ずつ、計10話分。作家名を全員記載した紹介文を見る限り、それなりに業界内でも有名なんだろうとは容易に想像できる言い回しの紹介文だった。
①雑誌がvol55と長続きしている、②ある程度の作品のクオリティも恐らく保証されていると考えていい、③コスパがいい、という三点からこれに決めた。もう一冊別の似た雑誌もカートにいれて会計を済ませた。
購入後、スマホのリーダーアプリにダウンロードされたことを確認し、開いてみる。電子書籍を買ったのははじめてだが、現物を家族に見られるリスクがなく、買ってすぐ見られるのは結構便利だ。元々普段の本買いについて、実は電子書籍派への移行を少し考えてはいたのだが、思いもよらずこのエロ本達が電子書籍デビュー初の本になってしまった。まあそれは今は置いておくとして。
「…」
思いのほか画面が小さい。もちろんズームはできるから読むことはできるが、毎ページごとにズームする必要があるのは少々めんどくさい。このことに若干のストレスを感じるのは単に操作に面倒くささを覚えたからという理由だけではなく、性的なむずがゆしさを覚えているのに両手がふさがっていていじれないという、人間の本能・”性欲”に基づいた潜在的無自覚な欲求が原因であり、これが一種の”焦らし”と呼ばれるものだったことには後に気づくことになる。
~~~~~~~~~~~~~~
数時間後。
すべての話を読み終えて、横になっていた体を起こして一呼吸。
「ちがう」
これじゃない。私の求めていたものは。
ユウに見せてもらったあの5冊とは、根本的に何かが違った。
これらには感動がない。夢がない。詩がない。あれらをとても芸術として、文学として純粋に評価することは出来ない。私には。
片思いの人に告白して結ばれて、両想いになって繋がれるのは感動的かもしれない。隣の家の奥さん、女子高生の姪っ子、兄弟姉妹、家出娘やアイドルとにまで性行為に及べるというのはそれを夢見る人にとっては夢がある話なのかもしれない。性行為中に今まで伝えられなかった想いを伝えたり、性行為によって想いが通じるのは、詩的なのかもしれない。
しかし、この2冊の雑誌に載っていた話はどれもあまりに”リアル”とかけ離れすぎている。いずれも性行為に至るまでの時間が早すぎる。その上非常識がすぎるのだ。告白して両思いだと分かった瞬間にヤり始めるし、女子高生の姪は親しい身内と言えどおじさんに手を出すし、コマに書かれたセリフは大概が「あん」とか「あ~」っていう擬音語だったり、気持ちいいだとかイく!だとかの似たようなセリフが多く、行為中の8割がそれらの言葉だ。これらはただ消費されるだけの、想像を掻き立てるためだけの資源としか私には受け取ることができない。私は純粋に物語として、普段私の読む物語と同列に、これらを文学として評価することは出来ない。
共感されない物語は、その人にとって価値がない。ゆえに評価する・考察する以前の本能的拒絶だ。理解できないものに対し、評価もくそもない。評価するにはそれに準じた価値観で、少なくともそれらにも(文学的評価をできる)価値があると認められる価値観を持っていなければ、スタート地点にすら立てないのだ。
「…」
もしかしたら、と思った。世間一般の感覚、私が元々持っていた感覚は間違ってなかったのかもしれない。基本的にエロに芸術性なんてない。エロに芸術性は求められていない。芸術性のないエロが、妄想を、空想をただぶつけるように書いただけの汚いものが、アダルト漫画というジャンルの主流なんじゃないか。私の感動した、夢があった、詩的なあの作品達は少数派で、業界内でそういうジャンルとして順当に評価されるだけの作品。いい話だなぁとなるアダルト漫画でしかないんじゃないか。21の物語を読んで、そう仮定せざるを得なかった。
この仮定が真ならば、これ以上は研究の仕様がない。これ以上の資料を探そうにも、この文学として駄作の大多数から私の求める文学を探す作業はあまりにも時間的、精神的コストがかかる。苦痛だ。私には、無理だ。
少なくとも、もっとい方法を見つけないと研究が進められない。でもその手法が見当もつかない。この挫折と失望を背負いながら地道に探す作業は、今の私にはそこまでの気力はない。要するに、手詰まりだ。
そう結論付けて、スマホを閉じた時、トントンとノック音が聞こえた。
「サキ、ごはんよ」
「はーい」
時計を見れば、18時半を指している。もう夕方だ。日はすでに落ちていて、気づけば部屋も薄暗い。半日かけた成果は、前進してその研究の壁にぶち当たっただけだ。その壁はきっと固い土でできていて、手で擦れば少し崩れるが、手は痛いし壁を抜けられる穴ができるまでは長い。乗り越えようにもそこには私の身1つだけ。周囲には見えない何かが置いてあるかもしれないが、今の私には知覚することも、それらを新たに創造することも出来ない。ベルリンの壁が築かれた当初、東側の当時超えられなかった人達は同じような気持ちだったのかもしれない。
失敗は成功の基という言葉がある。研究者にとって研究とは、10000の失敗から1の成功が生まれる”可能性がある”というものだ、といつか読んだ誰かの本に書いてあった。今日の経験はきっと人生の中では有意義だったんだろうと思う。この研究はその上、その先が恐らく保証されているとも言っていい。私の求める作品はきっと存在するのだ。地道な探求の末に。しかし私自身がその研究の本質に気づいていなかった。私自身が研究そのものに、私がその研究を続けること自体に、抵抗を示している。夢を感じなくなっている。
「とりあえずは保留かな」
解決の糸口はきっとある。まずは晩ご飯を食べて、風呂に入って、寝て。明日ユウにでも聞いてみよう。
「ぐ~」
お腹が鳴った。早くリビングに行こう。私の勘だと今日はシチューかな。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
「って感じだったの、昨日は」
「うん」
ユウが複雑な顔をしている。楽しそうに笑っているような、青ざめているような、顔が引きつっているような。そんな顔。
「それでさ、結局のところ、その…ア〇ルセッ〇スについてはどうやって知ったの?」
「それはだからあれだよ、その雑誌を読む中でお尻でシてた話があって、気になってネットで検索してみたら色々と解説されてたから、ユウも何か知ってないか聞いてみようってなって」
「うん…。でもさその後半のくだりはいる?芸術性がどうこうとかさ…あんまりわからなかったけど」
「私がア〇ルって気持ちいいの?って聞いたときのユウが明らかにニヤニヤしてたから、私がむっつりだとまた思われたんじゃないかって思って。あくまでも研究の一環で知って、知識として気になっただけでってことを明確に説明しておいた方がいいかなって」
「それであそこまでこと細かくねぇ…」
苦笑いされている。
「いや…さ!サキの気持ちは伝わったよ!それを遠回しに言うのがサキらしくもあるけどね。あそこまで性の話題で研究熱心で語ってくれてむっつりを否定しようってのは無理があると思うけど。なんなら今日で確信したまでもあるけどねぇ」
おかしい。私が今までユウに言い負かされることなんてめったになかったのに。精々私が根本的に間違っていたか、勘違いをしていたか時ぐらいなはずだ。この流れは良くない。なんか色々と恥ずかしくなってきた。
「と、とこここころでさ、さいしゅ、最初の話題に戻るけど」
「はーい、落ち着こうねぇ~」
思いっきり噛んだ。ユウの口角はとても上がっていて、明らかにこの場を楽しんでいるような顔だ。さっきの複雑な顔はもうない。
「ア〇ルって気持ちいいの?」
「あ~そうね…」
一つ間を置いて。
「いや、私は知らないよ!」
ユウも少し頬が赤くなっている気がする。
「そもそもだけどさ。あんまりアブノーマルな性癖に走りすぎるのは良くないよ。多分将来彼氏でもできた時に、普通のセッ〇スに満足できなくなって…とかもあるからさ。それでも気になるっていうんならさ、自分で試してみたら?」
「自分で?」
「うん」
「いや、どういうこと?」
「いや、そのままの意味だけど」
イマイチ意味が分からない。セッ〇スは夫婦の営みだとか、子供を作るための付帯行為だ。一人でやる意義はどこにあるのか。
「あれ、あっ」
ユウが手を顎につけて、何かを考える素振りをしている。
「もしかしてオ〇ニーは知らない?」
「オナ〇ー?」
あの雑誌で何度か見た気がするが、具体的に何なのかは知らない。
「あー、だよねぇ。ちょっと待って」
ユウがまた何か考え事をしている。そうして、恐らく考えを巡らせているんだろうこと数分。
「サキさ、うちの姉ちゃんと話してみない?そこら辺のこと詳しいからさ、多分私じゃ答えられないことも答えられると思うよ。それにサキと性格的に結構気が合うかもしれない」
「そうなの?それなら会って話してみたい」
「うん、じゃあそうしよ。また姉ちゃんに聞いてみて日程を調節するね」
「わかった」
そういえばユウはお姉さんにあの同人誌を借りたと言っていた。あの同人誌は一冊500円だとか1000円だとか書いてあって、本の厚さの割に高いなとは思ったけれど、もしかしたらかなりの見識者なのかもしれない。その”同人誌”を棚にいっぱいに持っているらしいとなるとならなおさらだ。
「じゃ、そろそろ出ようか。バナナデラックスもむっつりサキちゃんも堪能できたしね」
「いや…」
もう私は自分がむっつりだと認めるべきなのか。むっつりの定義について帰ったらきちんと調べなければならない。サキにからかわれ続けないためにも、自分の立場を自分の中ではっきりとさせるためにも。
「未成年が成人向けコンテンツを買えるわけないだろ!!!!」って思ったあなた。あなたはまともです。しかし、世の中には裏技というものがあります。
そしてこの点に特に疑問を感じず、スルーしてしまったあなた。あなたは変態です。同士よ。