5匹目 毛玉の初めての試練と飼い主の決意
時刻は昼過ぎ、大きなリュックを背負い腕にはしっかりオレを抱いたセレネとともに
オレたちは件の遺跡にやってきたのだった。
強い魔物の気配は感じないが同時に街道で見かけたような小動物の気配もない。
風の音だけが聞こえる静かな場所だった。
「私もあまりこっちにはこないんですよね…岩ばっかりで収穫が少ないので」
少し開けたところで降ろしてもらい辺りをうかがう。
うーん…なんもない。the平和!と言ったところだ。
遺跡といっても森とは違い大きい岩がなにか意味ありげに並ぶ開けた平原だ。
蒼く澄み渡る空。心地よく吹く風。
視界に入るセレネがリュックからシートを取り出してピクニックの準備をしている。
女将からあっちで食べな、ともらってきたサンドイッチがあったんだったな。
オレ用にたまねぎ抜きのも……
ちがうオレは何しに来たんだよ。調査だよ。
オレはポテポテと歩きまわってそびえ立つ岩々を確認する。
円を描くように置かれた巨石とそのサークルの中心には大きな石版。
すっかり視界が低くなってしまい上の方までは分からないが特段変わった様子はないのだ。
セレネはピクニックの準備を終えるとポテポテと歩き回る毛玉の様子を眺めていた。
濃い茶色と黒い毛の混じったふわふわの毛玉。
一見硬そうな色合いだが触ればふんわりほんわりと手がモフ毛の中に埋まっていく毛玉。
抱き上げれば人より暖かくフキュフキュと人より少し早い呼吸で腕の中に収まる毛玉。
それが巨石の根本をウロウロしたり、フンフンと短い鼻面を近づけて嗅いでみたり、
時折やうー?と鳴きながら首をかしげてみたり、後ろ足で立ち上がってみてよたよたして尻もちをついてみたりと
とても愛らしく動き回っていた。
羽バタキのようにくるんとしたしっぽは時折揺れて、トコトコ歩くとしっぽもいっしょに揺れている。
お尻もふわふわと歩くたび揺れ、たっぷりと毛が生えていることが見て取れた。
そして動物は大体尻の穴までかわいい。
そんな様をセレネは無表情で、しかしそれでいて一挙手一投足逃さぬよう見つめていた。
彼女は無類のもふもふ好き。特に小型の犬やネコ。小動物といったものに目がなかったのだ。
リオスが元は自分よりも大きい青年だということはわかっている。
顔こそはっきり見えなかったがあの剣捌きに身のこなしは確かに並の冒険者でないということは
彼女にもわかっていた。
しかしそれとコレとは別なのだ。
彼女には今ここ、この瞬間目の前にいるモフモフという事実が重要で
そのモフモフは実は青年なのでその姿で想像すると…などという無粋なことはしないのだった。
ここに理想のかわいいがあるならそれでいいじゃないか。
そんな彼女にケツに穴が空くんじゃないかと思われるほど見つめられていることも気づかず
休憩にと食事に呼ばれるまでリオスは一生懸命トコトコもふもふと巨石を見て回ったのだった。
食事も取り一通り見て回ったがこの周辺は本当に何もなかった。
あの店のおっさんが言ってた話は本当だったのか?と疑うレベルだった。
このままここにいても夜になるだけなので一旦街に帰りまた情報を聞いて回ることにした。
街へと続く道をセレネと並んで歩いて帰る間、
また情報を集めるべきか、それとも一旦様子見として自分のこの状態の解決への糸口を探すか
と悩んでいたとき、ガサガサッと近くの茂みが動くのが視界に入った。
とっさにセレネの前に出て構えようとするが
そうだオレはポメだった。
以前のように剣に手を添えることも魔術のために手をかざすことも出来ない。
ただ毛玉がぽんっと躍り出て警戒のポーズをとっただけだった。
ガサッ!と音を立て出てきたものはネズミ型の魔物だった。
ネズミ型と言っても魔物らしく二周りほど普通のネズミよりもでかいのだ。
噛まれればもちろんひとたまりもない。
普段のオレなら何も問題のない相手なのだが。
自分よりも遥かに大きく見えるようになってしまった鼠に一瞬怯んだのが駄目だった。
鼠が飛びかかられ先手を取られたのだ。
飛びかかってきた瞬間にオレも鼠に飛びかかった。
動物同士ても人間同士でも怯んだほうが負けるのだ。
こんな小型犬とはいえ犬。立派に犬歯も生えているし小さいが爪もある。
人間は本来丸腰なら鋭い爪や牙を持つイエネコ相手にも負けるという。
この姿の間はオレはこの武器でやっていくしか無い!
そう鼠に噛みつこうとしたが
ぼっふん。
ぽふんふん…
狼のほどマズルも長くなく口も大きくないオレの牙は届かなかった。
その代わりもふもふの毛の生えた体での体当たりという形になったのだ。
音のとおりオレはぼっふんと鼠の顔にぶつかりぽふんふん…と地面に転がった。
痛くはないがうまく受け身が取れずおぶおぶと起き上がろうともがいていると
顔に毛玉がぶつかり怯んだ鼠にセレネが小型のバッグから取り出した液体を
スプレーしているのが目に入った。
『ビビィーー!!!?』
鼠の魔物は叫ぶと顔をグシグシとした後涙を流しながら逃げていった。
オレの鼻にツンとした匂いが漂ってくる。
「ヘキュッ!ヘキュぷし!」
「大丈夫ですか毛玉さん!」
見る見る鼻は麻痺し目が潤んでくる。鼻はムズムズしてくしゃみは出るし目は痛い。
前足で顔をグシグシしても収まらなかった。
「ごめんなさい、そっちにまで霧がいくとは」
そういいながらセレネはオレを抱えると一目散にその場から離れていった。
街の宿屋の部屋に戻る頃にはオレのくしゃみも涙も止まっていたがまだ目と鼻の調子は悪いままだった。
プピプピ鼻を鳴らしていると(かっこ悪いがどうしても鳴るのだ)
セレネが心配そうに申し訳無さそうに覗き込んだ。
「大丈夫ですか?あれは動物や弱い魔物の撃退用に作った唐辛子から作ったスプレーだったんですが
そんなに毛玉さんのほうにまでダメージが行くとは思わなくて」
何度もオレの顔を拭いて覗き込んでくる。
思えばこんなに至近距離でまじまじとセレネの顔を見るのは始めてた。
最初のときはフードをかぶっていたし、その後は大体抱っこされていて逆に顔を見づらい態勢だったし。
今まで割と淡々とマイペースに行動を起こしていたように見えていたが
こんなふうな顔もするんだな、と
鼻をちーんされながら潤む目で見つめたのだった。
あぁ…呪われてなければこんな顔をさせずに済んだのに。
セレネはうるうるの瞳で見つめてくる毛玉を見つめていた。
かわいい。かわいいのだがこんな状態を望んではいなかった。
もふもふは健全な心身で生まれる様子がかわいいのである。
自分のやらかしで相手が苦しむ様をみてかわいいなどと喜ぶ趣味はないのだ。
幸い使った薬は時間が経てば後遺症もなく収まる一過性の刺激薬だったのでよかったが
落ち着くまでは苦しいを思いをさせるだろう。
そしてやはり彼一匹での街の外への外出もキケンなものだとわかった。
毛玉の体当たりは相手がただびっくりするぐらいでなんのダメージも与えていなかったのである。
やはり私がしっかり面倒を見なければ…
飼い主としての決意も新たに顔を前足でくしくししたり鼻を舌で舐めたりして
違和感を取り除こうとする毛玉をみて思うのだった。