表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺が異世界でアンデッドになった話  作者: 仁科
第一章
8/24

魔王の城4

 

「ちょっと殺しに来たんだ。お前を」

「ちょっと待てえええ! どこが大した話じゃねえって!? おおごとじゃねえか!」


 リュカの言葉に目を剥いて、一番みんなが言いたかったことを真っ先にエリアスが代弁した。


「魔王様、いい加減になさいませ! いくら不死身の異世界人(フォーリナー)とはいえこんな小さな子どもに……言っていい冗談と悪い冗談がありますわ!」

「むぐぐぐぐ」


 オデットの胸の中にすっぽり詰め込まれてぎゅうぎゅう抱き締められながら、息もできずにノアがもがく。正確な年はわからないが、ノアは人間でいえば15歳から、多く見積もっても17歳ほどだ。背だけはすくすく伸びているが、その程度でみんなの認識は変わらない。もしかすると赤ちゃんくらいに見えているのかもしれない。その過保護ぶりを見てノアは思った。


「俺、殺されても死なないですから。大丈夫ですよ」


 なんとか首を巡らせてオデットの胸から顔を覗かせ、もごもごとノアが場をとりなす。


「ばっかやろう。死なねえつったって痛みはあるだろうが」

「痛みがあるのか? 本当に?」


 リュカに聞かれて、ノアは言葉を無くした。射抜くようなまっすぐな目に見られて、否定するタイミングを逃してしまう。この場において、それはほとんど肯定したと同じことだ。


「少なくとも私が殺した時、お前はとても痛がっているようには見えなかったぞ」

「ええっ!? 魔王様、いつの間にそんなことを!?」

「ノアがここに来た次の日の朝だ。酔いつぶれてお前たちが寝ていた時だな。そうするよう、エルザに頼まれていた。全くあの女は、突拍子がなくて敵わん」


 仰天するオデットにやれやれとため息をついて、眉をひそめながらリュカが愚痴を聞かせる。

 やっぱりわざとだったのかと逆にノアは納得した。そう考えた方が、色々合点がいくことが多い。あんなにほいほい殺されてたまるものか。洞窟の家で実験をするときは腕一本まるごと一日検体に出したりもしていたので、毎回きちんと麻酔をしてもらっていたが、エルザにもなんとなく疑われていたらしい。逆に麻酔をしている状態に慣れていたのが仇になって、リュカの時には油断していた。


「ちゃんとあります、痛み。多分ちょっと……他の人より、鈍いですけど……。我慢してれば傷と一緒にすぐ治るので、あまり気にしてませんでした」

「なぜ隠そうとした?」

「……それは」


 痛がる素振りのひとつでも見せておけば良かったと、後から悔いるほどに隠そうとしていた自覚はあった。けれど改めてその理由を考えたことは今までに一度もなくて、何故だろうとノアが考え込む。


「お前は、自分の不死性もあまり見せたがらないよな」

「そ、れはみんなに──」

「みんなに?」

「……みんなに怖がられたり……嫌われたりするのが怖くて……」


 うまいことリュカの声に誘導されて自分の内面と向き合ってみると、そういう答えがぽろっと出てきた。内心でそんなことを思っていた自分に誰より一番驚いて、これ以上余計な言葉が飛び出してこないよう無意識にノアが口を押さえる。化け物と呼ばれて殺された記憶が、また気付かないところで無意識に行動を縛っていた。何度も思い返した忌まわしい記憶が、懲りずに脳内によみがえる。


「……不老不死なんて、数は少ねえが、別に珍しいことじゃねえぞ?」

「えっ?」

「うーん。再生能力を持ってる方も、たくさんいますものねえ」

「えっ、えっ」


 何故不死身ごときで怖がられたり嫌われたりといった考えに繋がるのか、考えてもいまいちわからずに、エリアスが腕を組んで首をひねった。オデットも唇に指を当て、不思議そうに首を傾げる。ノアが人間の村から追われ殺された経緯を知らないからこそ出てくる感想だ。この一帯だけ、温度差がひどい。


「化け物ぞろいの我が城ぞ。エルザが何故わざわざここへお前を寄越したのか、そろそろわかった頃合いか?」


 百聞は一見に如かず──そう言い、煙管をくわえてニヤニヤ笑うエルザの顔が見えるようだった。村では化け物と言われ遠ざけられたノアの力、王都に置いては神聖視すらされるという特別な力も、ここでは良くも悪くもただの一個性に過ぎない。

 この城で過ごした数日間を振り返っても、人間ということに難色を示すものはいても、ノアの能力に難色を示すものはいなかった気がする。

 見聞を広げろとエルザが言ったのは、多分、それに気付かせるための言葉だったのだ。


「さて、話を戻すぞ」


 消した焚き火を囲んで座るよう改めて皆に促し、リュカが話をそもそもの本題に戻す。

 お前を殺す──そんな衝撃的な切り口から始まったリュカの話は、要約するとこういうことだった。


「人間たちが、自らの死期を悟った後のわずかな時間に振るう力……俗に『火事場の馬鹿力』とか呼ばれている力だがな。昨日エルザと話し合って、お前の体なら、訓練次第で自在に出せるのではないかという結論に達した」


 リュカの言葉に「あれか」とエリアスが渋い顔をする。「恐ろしかったですわね……」と身を震わせるオデットにも覚えがあるらしい。


「戦争時代は、あれで何人もやられたんだ。確かに殺したと思っても、不意をついて何度でも殺しに来るんだよ。皇帝万歳とか何とか、ぶつぶつ言って……」


 ノアの視線に気付いて、エリアスが説明してくれた。瞼の裏に情景が返るのか、後半は嫌そうに顔をゆがめている。


「訓練次第って言っても……一体どんな訓練をすればいいんでしょうか?」

「お前は不死性を見せたくないがために、無意識に死なないよう立ち回っていたはずだ。組み手や木刀での訓練では多少動けるようになったが、真剣を使った打合いでは動きが鈍くなる。そうだな?」


 エリアスやオデットから報告が入っているのだろう。その通りだったので、ノアは隠さず頷いた。


「もう一歩で良い。そこから踏み込め。常に死の隣に自分を置け。死に迫る感覚を体で覚えるのだ」

「……つまり?」

「うん。幸い痛みにも鈍いらしいし、怖がらないでちょっと積極的に殺されていこう」


 あまりの言葉に「そんな無茶苦茶な!?」と初めて身分差も忘れ、全力でノアがツッコミを入れる。


「そうは言うが、他ならぬ自分のことだぞ。傷の程度とその再生にかかる時間の関係性、危機的状況でどこまでの力が出せるのか、全力を出した後のデメリットの有無などなど……自分の体質を自分で理解しておくのは、いざと言うときのために大切なことだと思うがな」

「う……うう……」


 提示された方法は無茶苦茶だが、理由を説明されると、確かに筋が通ってはいる。エルザの研究は主に能力の解明と解除に焦点を置いていたため、自分のことなのに戦闘面でそれがどう役に立つのかも、実はよくわかっていない。

 もはや完全にリュカの術中にはまって、ノアは「わかりました」と頷いた。


「俺、ちょっと死んでみます」

「うむ。オデット、頼んだぞ。せめて、やるときは苦しまぬよう一思いに首をはねてやれ」

「わたくしがやるんですの!?」


 ものすごい会話である。特にリュカは完全に魔王の面目躍如、悪い顔して悪役みたいな台詞を吐き、なんかもうノリノリだ。


「……こうなっては仕方ありません。魔王様の御前、わたくしも手を抜くわけにはいきませんわ」


 立ち上がってすらりと鞘から剣を引き抜いたオデットが、焚き火から少し距離を取って構えた。ノアもその直線上で、リュカに投げ渡された剣を構える。練習用に借りている剣だ。


「ノア、一瞬でも気を抜くなよ。オデットは(はや)いぞ」

「ええ、頑張って避けて下さいましね、ノア」


 リュカの忠告が終わるか終わらないか──トン、と地面を蹴って、オデットが一瞬で距離を詰めてくる。はた目にはダンスでも踊るかのような軽やかなステップ、けれどその一歩で次の瞬間ノアの懐にオデットは居た。


「ふふ、避けなくてよろしいの?」


 すり、と鼻と鼻をこすり合わせ、目と鼻の先で妖艶にオデットが微笑む。もう少しで、唇が触れあいそうな距離だ。

 慌ててノアは後ろに飛ぼうとしたが、手にぐるりと何かが絡み付いていて動けない。ノアの右手を剣もろともきつく戒めているのは、オデットの尻尾だ。

 今までの訓練で、尻尾など使われたことはない。もうこの時点でノアには対応ができなかった。


「こういった状況でどう対応するか、次から一緒に考えましょうね」


 ひゅんっと白刃がきらめく。その次の瞬間には、ノアはゆっくりと倒れゆく自らの体を地面から見上げていた。痛みはない。オデットが首のないノアの右手を取り、もう片方の手でぎゅっと腰を抱き寄せて、くるりと社交ダンスでも踊るようにターンする。そしてノアの肩口に顔を乗っけて、「うふふ」と笑った。


「どうです! わたくしの実力は!」


 戯れに男の精を啜る、艶やかなインキュバス──の微笑みが、その一言で台無しだ。ばしゃばしゃとノアの血を浴びながら、ふふんっ、とオデットがドヤ顔で胸を張ってみせる。


「あー、オデット。血は元に戻らんらしいから早くくっつけてやれ、な」

「!? それを早く言ってくださいまし! あわわ、早くくっつけなくちゃ~~! ごめんね、ノア!」


 かと思えばリュカの忠告に目をぐるぐるさせながら、オデットは半べそでノアの首を拾い上げた。混乱しているのか、口調がめちゃくちゃになっている。


「あ、いえ、お気になさらず」


 せめてもの優しさで口調には触れず、生首のままノアはオデットを気遣ってみせた。その様子がダブルでおかしいのだろう、ドン引きされるのも嫌だが、残り二人が笑い転げているのもどうかと思う。

 結局エリアスとオデットに5回ずつ殺されて、オデットが「もう無理ですわ!」と音を上げたところで訓練は終わった。


「どうだった?」

「うーん……今までの訓練でも手を抜いていたつもりはないんですが……殺されるってなると、今までよりも集中できる気がしますね。殺されても死なないってわかっていても、あの心臓がヒヤッとする感じが嫌で……特にエリアスの斧は、痛いし、怖いです」


 リュカに感想を聞かれて、正直な気持ちをノアは話した。

 細身のオデットの剣とは違い、エリアスの戦斧(バトルアックス)の一撃は重い。切り裂かれた断面も破裂したようになって、再生に時間がかかる。


「ふむ。痛いし、怖いか。その感覚、忘れずにいろよ」


 何気ないノアの言葉に何故だか少し安心したように頬をゆるめて、「お前は少しその辺が鈍いからな」とリュカは言った。


「普通5回も10回も殺されると、体が死なずとも心が死ぬ。自分を殺した相手を見る目など、陰の気が籠るものよ。お前はそこが極端に鈍い。大方、人間に追われたときも、殺されたことよりも化け物と罵られたことの方が(こた)えているのだろう。殺されたくないという思いより、怖がられたくない、嫌われたくないという思いがまず口に出てくるのだから」

「……俺、そんなにおかしいですか……?」

「ああ~~そうやってまた落ち込む~~そういった感情は正常なのになあ」


 図星を突かれて落ち込むノアの額を軽く指先で小突いて、冷静にリュカが分析する。


「ただ、『死』に対する認識や感情だけ極端にねじ曲がっておるのだ。異なことよ……それもまたお前にかけられた不死の呪いのせいかもしれぬ」


 憐れむような目でノアを見て、「フォーリナー(どうほう)に会って、何かわかると良いが」とため息混じりにリュカはこぼした。


「ここ数年、フォーリナーが現れたという噂は聞かぬ。だが、近いうちに現れるだろう。記憶のかけらでも拾えるよう、しっかり備えておくが良い」

「え……」


 リュカの言葉には、何故だか確信に近いニュアンスがあった。戸惑うノアに、「魔王様は、千里眼の持ち主なのですわ」とオデットが教えてくれる。


「過去・現在・未来全てを見通すという魔眼ですの」

「そんな大層なものではない。過去と現在はともかく、未来などは、夢で時々見るだけよ。特にフォーリナーのことについては、異世界のことだからか、私の鼻もまるで効かん」


 過大評価をざっくりと訂正して、片目を閉じたリュカはすん、と鼻を鳴らしてみせた。


「だが、他の先見(さきみ)や星読み、千里眼たちもこぞって同じ予想をした。エルザや、水晶宮の魔女も言うのだから、間違いなかろう。これより2・3年後に異世界よりの旅人がやってくる。我らに取っての凶星を連れて」


 リュカの不吉な予言に、ごくりと三人が喉を鳴らす。

 ノアの不死を憂いてくれたリュカが、部下にノアを殺させてまで戦闘訓練を急ぐわけがようやくわかった。凶星というのが何を指すのかわからないが、少なくともリュカは、荒事になると予想しているのだ。


 ******


 いい加減帰ってこいとエルザに怒られた。昨日の日中のことだ。

 当初の予定では三ヶ月ほどの滞在予定だったが、二年経ってものらりくらり、魔王の城から帰って来ないノアにとうとう痺れを切らしたらしい。通信回路(テレパス)を無理矢理頭の中に開かれて怒鳴られたものだから、それからしばらくの間頭がガンガンした。とにかくお世話になった人に挨拶したいからと宥めすかし、一日の猶予を貰って、昨夜ノアは魔王の城で仲良くなった人々と簡単なお別れ会を済ませた。特にエリアスとオデットは大げさに寂しがってくれて、いつでも遊びに来いと言ってくれた。ありがたいことだ。

 そして今、ノアは人伝てに呼ばれて、リュカの自室にいる。

 最上階にある王座の間の、吹き抜けを挟んで向かい側。政務室と隣り合って、リュカの自室はある。今まで入ったことはなかったが、政務室にいなかったので声をかけたら、「入って良いぞ」と言われたので入ってきたのだ。


「お呼びですか、王様」

「うむ。悪いな、今ちょっとエルザへの手紙を書いているので、そこな椅子にでも座って、少し待っていてくれ」


 リュカが手紙を書く間、言われた通りノアは、ソファに座って待った。リュカとエルザは茶飲み友達なだけあってよく似た性格をしているが、エルザと違いリュカの部屋はシンプルだ。

 扉から入って右に大きなベッド、左に応接のためのテーブルと、今ノアが座っているソファがある。

 扉の真正面にあるデスクにはきちんと本が整頓されて置かれ、リュカはそこの椅子で書き物をしていた。魔法具や武器の類いは、しまってあるのか、見えるところにはない。そして、リュカの真後ろには肖像画があった。布がかけられていて顔は見えないが、金の髪に青いドレスの女性だ。かつて魔王の妻であったというイーディスその人なのだろうか。


「気になるか?」

「……振り向かずに人の心を読むあたり、ほんと王様って、エルザさんにそっくりですよね」


 二年も一つ屋根の下で過ごせば、軽口の一つや二つ叩けるようになるものだ。ため息をついて、「そりゃ、気にはなりますけど……」とノアは口の中でもごもごと呟いた。

 二年前にほんの少し人となりを聞いただけで、それ以来誰の口の端にも上がらなかった人物の話だ。気になるか気にならないかで言ったら気になるに決まっている。


「聞きたいなら教えてやろうか」

「えっ!?」


 ガタンとソファを鳴らして、肖像画から目を離し、ノアがリュカを振り返る。

 書き終えた手紙をくるくると巻いて、きゅっと紐で縛ってしまうと、リュカは手もとの蝋燭を手に取った。紐の上から封蝋を垂らし、乾かないうちに印璽(いんじ)を押す。


「ちょ、ちょっと待ってください、王様。心の準備が!?」

「何の準備があるものか」


 あたふたと慌てるノアに笑いながら、机の端に置いてあった木の箱を引き寄せて手紙をその上に置き、リュカはこちらに向き直った。


「イーディスはな、この私に、生け贄として捧げられた修道女(シスター)だったんだ」

「待ってくださいってばー!?」


 叫んでから、何かとても物騒な言葉が耳の横をすり抜けていった気がして、「……い、生け贄?」と恐る恐るノアが聞き直す。


「そうだ。荒ぶる魔王を鎮めるために、近隣の村の人間どもがたまさかに寄越す慰み者の一人だったのだよ」


 聞き間違いではないと頷いて、リュカが話を続ける。


「イーディスは私の元に、12の頃にやってきた。最初は如何にして引き裂き、人間どもの眼前に晒してやろうかと、いつものように考えた」


 エリアスの時と同じで、ノアには容易に信じられない話だ。

 淡々と話を進めるリュカが口をはばかる様子はなく、それがまたノアにはショックだった。


「しかし、あれは不思議な女でな。我が前に立つや、にっこり笑って挨拶などしおった。私なぞは最初、知恵が足りないのかと思ったほどだ。戯れに『足と腕、どちらから()いでほしいか』と問うたらな、『足がないと水を汲みに行けないし……手が無いとお洗濯ができないわ……困ったわどうしましょう』などとくだらないことで延々悩みおる。じきにわずらわしくなって、私はイーディスを部屋から追い出した。それが良くなかったんだな」


 不意に、おかしくてたまらないというようにリュカは笑い出した。その瞬間空気がゆるむのを感じて、いつの間にかつめていた息をノアが吐き出す。


「皆には言ってないがな、あれは先見(さきみ)の女だった。私の元に来ることも、あのやり取りも、イーディスに取ってはもうすでに夢で見た光景だったのだ。そうしてまんまと私の目から逃れると、あれはたちまちみんなに馴染んでしまった。気がついたら、外堀から埋められていたというわけだ」


 ニヤリと唇の端をつり上げ、リュカはさも爽快という風に、愛した女の強かさを語った。椅子から立ち上がり、肖像画の前まで歩いていって、ノアにも見えるように絵にかけられている布をめくってくれる。


「イーディスには、誰もに好かれる才があった。仲間の中には、人間を嫌う者も憎む者ももちろんいたが、不思議とそう言った感情に(さわ)らぬ振舞(ふるま)いを心得た女だった。戦争孤児ということで幼い頃から修道院に入っていたと聞いたが……そこでの経験がイーディスをそういう風に作ったのかもしれぬ」


 花畑の中で、穏やかに笑う少女の顔がそこにあった。まるで絵から飛び出してきそうなほど生き生きと描かれた、金の髪に蒼い瞳の少女だ。使われた色の数ひとつ見ても、イーディスに対するリュカの愛が伺える。


「こんな風に、花の中で笑っているイーディスが好きだった」


 描かれたイーディスの頬に指で触れて、その時の穏やかな気持ちを思い出すように、微笑みすら浮かべてリュカは目を閉じた。


「それを見るたび、私は戦争のことを束の間忘れて、安らぐことができたのだ」


 けれど浮かべた仄かな笑みはすぐに消えて、結ばれた唇がかたく強張る。


「忘れもしない、五年目の秋の終わりのことだ。人間たちが、私たちの領土になだれ込んできた。秋の収穫を終え、冬に備えて後顧の憂いを断っておきたかったのだろう。近場からかき集められた兵士たちには、もちろんイーディスの故郷の人間たちもいた」


 ──イーディス様のことは、とても悲しい出来事だったの。

 いつかのオデットの言葉が、ふっと耳に立ち返る。この物語がハッピーエンドにならないことは最初からわかっていて、それ以上リュカを見ていられずに、ノアは下に視線を落とした。


「イーディスは武器も持たず、私に背を向けて、人間たちの前に両手を広げて立ち塞がった」


 ──殺してはいけません。死んではいけません

 ──私たちは同じ神から生まれた兄弟。兄弟が互いに憎み合い、争うことを神が喜ばれるはずがありません

 ──私の父や母は、魔族に殺されました……でも、それと同じくらい、私の父も母も、戦争でたくさん魔族を殺したのです

 ──そしてただひとり残されたのがこの私です! 父も母もなく、修道院に入れられ、生け贄としてただ殺されるために魔族に捧げられる……私のような思いを、あなたたちは自分の子どもにさせたいのですか!

 ──私たちはお互いに優しくできるんです! 過去に何があったとしても……憎しみ合うことをやめて、愛し合えるんです! 信じてください! 今の私を見て、わかる人がいるはずです! お願い、私を見て! 戦争を! こんなくだらない戦争をやめてください!


「身体中を槍や剣で貫かれながらの、実に堂々とした演説だったよ。最後まで振り向かず、倒れもせず、私には何の言葉も残さずに、イーディスは逝ってしまった。女は怖いな。やることが壮絶に過ぎる」


 イーディスの最期をやれやれと肩をすくめながら語って、「ただ、わかる人間は確かにいたんだ」とリュカは教えた。


「イーディスの村の人間たちだ。魔族に取り入って豊かな生活を送っている女が何を、と他の人間たちが嘲笑いながらイーディスを串刺しにしていく中、私たちと彼らだけが動けなかった。中には、泣いている者もいたよ。五年も前に生け贄として捧げられた彼女がその瞬間も生きていたことで……愛されて健やかに育ったのだとわかる形で彼女がそこにいたことで……魔族と人間との間に、殺し合うばかりではない道が──手を取り合って一緒に生きていける道が確かにあると知ったんだ」


 まさしくイーディスは、命をもってそれを証明したのだ。並大抵の覚悟でできることではない。

 肖像画から離れたリュカが、歩いてきてノアの向かいのソファに腰かける。


「あれは、不思議な光景だったな。イーディスが立ったまま息絶えたあと、狂乱していた場が、段々と静まり返っていった。動かない私や、一部の村人たちに戸惑ったのだろう。私は、その場で講和条約を提案した。イーディスの村の人間が、正しくその話を王都に持ち帰ってくれて、戦争は締結。イーディスは戦争を終わらせた立役者になったというわけだ」

「……王様は、イーディス様を助けようとは思わなかったんですか?」


 どうしてもそこだけが納得できずに、ノアは訊ねた。随分とあっさりした話の終わり方が更に不満を募らせて、無意識にリュカを責めてしまう。


「……イーディスは、病を患っていた。初めから長くは保たないと、わかっていたのだよ。だからこそ、そこを死に場所と定めたのだ。私は……私には、止められなかったよ」


 長い足を組んで、何でもないことのようにリュカは答えた。けれど悲しそうな瞳が、もし助けられたのなら、と語っている。かあっと顔を赤くして、「すみません」とノアは謝った。


「俺、そんな、事情も知らずに……」

「何を謝ることがある。今のは、言い忘れた私が悪かった」

「でも、すみません。王様がそれを考えなかったわけがないのに……」


 エリアスに下手なことを言うなと忠告されておいてこれでは、目も当てられない。額に汗してしどろもどろに謝るノアに、「謝ってばかりだな、お前は」とふとリュカが笑う。


「ここでの生活は楽しかったか?」

「えっ?」


 突然予想外の問いを投げられたことに驚いて、「は、はい、あの」と更に言葉が怪しくなる。


「洞窟の家は女の人ばかりだったので気を遣うことも多かったんですけど……ここには男の人も多くて、それが結構気楽で、楽しかったです。魚釣りとか、海で泳いだりとかもして……伸び伸びできました」


 伸び伸びできたのは、集団の中で、誰もノアの不死を気にするそぶりがなかったからだ。そういう意味で、得難い体験ができたと確かに思う。


「そうかそうか。そう言ってもらえると、嬉しいのう。またいつでも遊びにおいで」


 にまにまと嬉しそうに笑って、デスクまで行って戻ってきたリュカが、先ほどの小箱と手紙をノアに預ける。


「エルザにこれを、必ず届けておくれ」

「はい、必ず届けます」


 頷いて、ノアは小箱と手紙を受け取った。小さな箱だが、手にずしりと来る重さがある。今ノアが持っているトランクと、似たような魔道具なのかもしれない。


「ノアよ。この言葉は……いずれお前の薬になるかもしれない。あるいは、毒になるかもしれない。深くは考えずに聞いておくれ」


 床に転送魔方陣用の巻物(スクロール)を敷きながら、そう前置きしてリュカが言う。


「顔を上げて、もっと堂々と生きよ。死ねないから生きるのではなく、人はただ、生きたいから生きるのだ」

「生きたいから、生きる……?」


 この時のノアにはまだ意味のわからない言葉を、それでもノアはしっかりと心に留め置いた。いつか毒でなく、薬になることを信じて。


 ******


 転送魔方陣から出ると、そこはエルザの部屋だった。ノアにとってはこの世で一番恐ろしい魔女が、煙管を食みながら、仁王立ちになっている。


「やーっと帰ってきたか、ノア」

「すみません……」

「昼からずーっと待ってたんだぞ、こっちは」

「すみません……」

「まさか夜になるとはなあ……ルチアはもう休ませてしまったぞ。久しぶりにお前に会えると、楽しみにしていたのになあ」

「それは本当にすみません……」


 大袈裟に悲しがる様子から、どうも本気で怒っているわけではないらしい。ノアも適当に合わせていたが、最後の言葉だけは本当のようで、どうにも心が痛む。「それはって何だ、それはって」とノアの頭をぐりぐりと拳で押さえつけてから、エルザはふーっと紫煙を吐いた。


「まあちょっと、こういうことになるんじゃないかと予想はしてた」

「楽しかったです、魔王さまのところ」


 お説教の終わりを悟って、途端にノアが声を弾ませる。一晩中語って聞かせたいような出来事が、たくさんあった。


「うんうん、そうだろう。いい勉強になったろう。まさか二年も帰ってこないとは思わなかったけどな」

「いや~~俺、わかってはいたんですけど戦う才能あんまりなかったみたいで……魔王様がいつまでも居ていいって言ってくれたので甘えちゃいました」


 あははと力なく笑いながら、頭をかいてノアが弁明をする。

 もう駄目、というところになってからの諦め癖や、決め時に相手のことを思って力を緩めてしまう癖、どうせ治るからと細かな傷を放置してしまう癖──いざ実戦形式の訓練を始めるに当たって、悪癖でしかない癖がごろごろと出てきたのだ。矯正のために相手をしてくれたエリアスやオデットは実際大変だっただろう。


「お前らしいなーって思いながら毎日リュカの報告を聞いてたよ。なかなか頑張ったじゃないか」


 椅子に座って足を組みながら、優しい笑みでエルザは応じた。そして、「本当はもっと、居させてやりたかったんだけどな」と残念そうに唇を尖らせる。


「……どういうことですか?」


 褒められて嬉しかったが、どうにも含みがありそうな発言に、ただ喜んでもいられずノアは聞いた。


「お前も聞いたろう。近いうちにお前以外の異世界人(フォーリナー)がこの世界にやってくる。時期すら定かでなし、本人がどういった性格なのかもわからんが……どうあれこの世界に良くないものを持ち込むようだ」


 ふーっとまた紫煙を吐き、少しの沈黙を置いて、かたわらの煙草盆にエルザが煙管の灰を落とす。


「これは魔女のならわしなのだが……魔女は18歳になると、独り立ちのための試験を受ける。要は挨拶周りのようなものなのだが……この世界に散らばっている魔女たちを訪ね、出される課題をクリアできれば合格だ。合格できれば、それに応じた報酬を受けられる」


 煙草盆に煙管を置いて、語り口は変わらないまま、不意にエルザは話を変えた。時期的にちょうどルチアの試験と被るのだと察して、ノアは黙って話の続きを待つ。


「私は……どうにも嫌な予感がするのだ。呑気にそのフォーリナーが現れるまで待っていては、試験もどうなるかわからんとな」


 エルザがそこまで言うからには、やはり大した事態なのだ。ここまで真面目に頑張ってきたルチアはどうなるのだろうと、目でノアは話の続きを急かした。


「そこで私は、ルチアの魔女試験を少し早めることにした。齢17になる明日、ルチアはこの家を出て、試験のためこの世界を回ることになる」


 ここまで黙って聞いていたノアだったが、これにはさすがに「明日ぁ!!?」と大声を上げてしまう。「ルチアが起きるだろうが!」と抑えた声で怒鳴られ、舌の上に乗っていた続きを、なんとかノアも一旦飲み込んだ。


「せ、せっかく帰ってきたのに……話したいことたくさんあったのに……二年も帰ってこなかった俺が悪いの……? せ、せめてもっと早く言ってくれれば……」


 そうして小声でぶつぶつと嘆くノアを、「まあまあ。話は最後まで聞け」とエルザがたしなめる。


「試験に出すと言っても、あれはまだ右も左もわからぬ未熟者」


 話を聞けと言っておきながら「そこで、だ」と勿体ぶるように溜めに溜めてエルザは言った。


「お前にも、ついていってもらいたいのだよ。ノア」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ