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呪いの烙印シリーズ・短編集  作者: 那周 ノン
【ある軍主の千重波言】
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兄騎士と妹姫⑩

「またここにいたんだね。姫はここが好きなの?」


 桜の木陰に移動して、腰を下ろしながら姫に問う。言葉での返答の代わりに、姫は寂しげな面持ちを浮かしてヒロから視線を外した。

 不意に外された目線は、丘の向こう――。どこか遠い場所を見つめることにヒロは気付いた。それに釣られて、紺碧色の瞳が翡翠色の瞳の見据える先へ向く。


「……ここから。お家がある場所のお城が見えるの」


 ヒロが同じ方向を見やったことで、姫は空元気を窺わせる声音で呟く。さような言葉を聞き、ヒロは紺碧色の瞳を細め、遠くの地を注意深く眺める。


「あ、本当だ。薄っすらだけど、確かにお城が見えるね」


 大きな山も背の高過ぎる木々も、遮るものが何も無い遠く。微かに見える背面が山に囲われた城塞は――、確かにリベリア公国の王城だった。


「うん。お家には未だ帰れないけど。ここから、お母様が早く元気になりますようにってね。毎日お祈りをしているのよ」


「……そっか。姫は優しいね」


 ヒロと姫が初めて出会った日――。ヒロは、姫が桜の木に登っていたことをお転婆な遊びと見ていたが。あの時も姫はこの丘で少しでも良く故郷の城を見ようと考え、木に登っていたのだと察し付いた。

 姫が丘の広場で独り遊んでいることが多いと、町の住人たちは揃って話をしていた。そう話頭に上がるくらい頻繁に、故郷へ思いを馳せるためにここへ訪れていたのだろう。

 そして、自身と出くわしてから三か月経った後にも、姫は日常的に丘に訪れては展望できる城を眺めている。


 それらに気付いた途端、胸に何とも複雑な感情が湧き上がった。


 姫が町に連れて来られてからの半年の間に、父親が姫に会いに来ることはあったのだろうか。姫へ事情の説明はしたのだろうか。母親の具合はどのようなものなのだろうか――。


 事情が事情なので、放っておいている現状を無責任だとは言わない。だが、ヒロの想いが姫へと傾いているため、いかんせん可哀そうだと。父親は何をしているのだという憤りが先走ってしまう。


 姫の心淋しさを(おも)い、ヒロは一顧を窺わせる。口元に手を押し当てて何かの思案を示唆させたかと思えば、真剣な面持ちで紺碧色の瞳を姫へと向けた。


「姫さ。僕と一緒に、群島に来る?」


 ヒロの口端から出た言葉に、立ちどころに翡翠色の瞳が唖然と瞬いた。何を言っているのだろうと表情で雄弁に語る姫を見て、ヒロはくすりと笑う。


「ここで寂しい思いをして待っているよりもさ。ヒロお兄ちゃんと一緒に、群島で毎日楽しく暮らさない?」


 再三の問い掛けに、姫の眉根が寄った。怪訝さや警戒心を宿すものでは無い、潜考を窺わせて唇を軽く噛んだ面差しは、姫が言葉の意味を咀嚼しているのを推し量らせる。


 会って日が浅い自身と実の両親を天秤に掛けるなど、選択として重さが違い過ぎるのを分かっていての、(いささ)か意地が悪いヒロの問いだった。

 だが、これでもし、寂しいから一緒に来ると返されるのであれば、迷うことなく連れ帰ってしまおう。そこまで考えている。


 勿論、そうすることが大問題であることは了していた。今度こそ紛うことなく、立派な犯罪に手を染めることになってしまう。

 しかしながら――、懐いた少女が今後も孤独に苛まれて過ごさねばならないのが、ヒロには我慢ならなかった。妹のような存在となった姫を、悲しい事柄から守り泣かせないために、甘んじて人(さら)いになろうと思う。


 姫は普通の人間だ。“呪いの烙印”を身に宿し、老いも死も知らない自分とは違う。彼女は歳を重ねて成長をしていき、いずれはヒロの見目の年齢をも超えてしまうし、いつか今生の別れが来ると思うと心は痛む。

 それでも、自分が悲しい想いをするよりも、姫が寂しい想いをする方が耐えられない。


 今までの生活に比べると不自由はさせてしまうだろうが、傍にいて幸せにしてやりたい。

 成長して年頃になったら、伴侶に相応しい相手を選んで結婚させてやろう。姫さえ良ければ、自分が姫を(めと)ってもいい。


 最期の時まで責任を持って、姫を守り慈しむ覚悟がヒロにはあった。


 しかし――。ヒロの誘いに、姫は首を左右に振るった。

 その声無き返答に、ヒロは矢張りと言いたげな一笑で喉を鳴らすが、次にはへらりと笑顔を見せる。


「あは、振られちゃった。残念」


 無念を含意した口振りでヒロが言うと、姫は申し訳無さそうに眉をハの字に落とす。


「私……、ヒロお兄ちゃんのこと、大好きだけど。――お父様とお母様のことが、もっと好き。だから今は寂しくっても、お家に帰れるように、ここで良い子にして待ってる」


「うん、そうだね」


 実の両親に向けられる愛念に、自分が敵うはずも無い。頭では分かっていたはずが、姫の返弁を聞いて微かに胸が痛んだ。しかし、ヒロは傷心を振り払い、優しげに微笑む。

 姫も胸の痛みを訴えるかのように胸元で拳を握り、浅い息を吐き出した。――かと思えば、翡翠色の瞳をヒロへ向け、言い難さを漂わせる。その様子に、ヒロは不思議そうに小首を傾げてしまった。


「どうしたの?」


 揺らぐ翡翠色の瞳を見つめ、問いを投げる。すると、一呼吸を置いて、姫は口を開いた。


「ヒロお兄ちゃん。もしかして、帰っちゃうの……?」


 姫は本当に鋭い。ヒロは場の空気を考え、いつ口切り出そうかと内心で悩んでいたが。姫は勘付いていたようだ。


「そのつもり。旅に出て気が付いたんだけど――、僕さ。寒いのが本当に駄目でねえ。本格的に寒くなる前に群島(いえ)に帰ろうかなって」


 ふらりと居なくなるのではなく、姫とはしっかりと別れの言葉を交わし合いたい。


 ――『お別れも言わないで会えなくなったりとか、絶対にしないからさ』


 いつぞや、自身が口にした言葉を想起した。それ故、嘘も誤魔化しも吐き出さず、素直に白状していった。


「んで、最後に姫に会えたら良いなって思って、(ここ)に寄ってみたんだ」


「そっか。……お父様がなかなか迎えに来てくれないって怒っちゃいそうだったけど。お迎えが遅くなったお陰で、ヒロお兄ちゃんにまた会えたから嬉しい」


「えへ。嬉しいなんて思ってくれて、僕まで嬉しくなっちゃう」


 父親の迎えが遅くなっていることに対し、前向きな喜色の感情を口にした姫。それを聞き、ヒロは頬を朱に染め、心底嬉しそうに笑う。


 ヒロは手荷物を漁り出したかと思うと、レースのような繊細な模様が描かれる包みを取り出して姫に渡した。


「これ、姫にお土産ね。帰っちゃう前に渡せて良かったよ」


 姫の父親の迎えが遅いお陰だと戯れに言い、くすくすと笑い合いながら姫が包みを開ける。

 中から出てきた雫型に加工された赤い石の耳飾りを目にした途端、姫は意外そうな面持ちを浮かせた。


「……ピアス?」


「うん、そうだよ。僕の故郷の名産品で作られたピアスなんだ。この赤い石には毋望之禍(むぼうのわざわい)――、えっと……、簡単に言うと、悪い出来事から守ってくれる力があるって言われているんだ」


「へえ……、お守りなのね。ありがとう……っ!!」


「姫がもう少しお姉さんになって、ピアスの穴を開けて良いよって言われたら着けてね」


「うん。ずーっと大切にする!」


 小さな両(てのひら)血赤(ちあか)珊瑚のピアスを包み込み、姫は喜色満面で宣言をする。


 きっと姫は、自身の贈り物を大切にしてくれる。理由も無く確信するほどに喜びを表す様を見て、ヒロは胸が締め付けられる想いを隠し切れずにいた。


 朱に染めた頬を綻ばせ、苦しいほどの(いつく)しみから姫の身を抱き寄せた。

 突然の抱擁ではあったが、姫は驚きもせずに自ら擦り寄ってくれる。それが至極嬉しかった。


「――また、いつか会おうね」


 暫しの抱擁の後に身を離して告げると、姫も同意を示して頷く。


「ヒロお兄ちゃんと遊びたい。だから、また会いたいな」


「うんうん。次はさ、姫が群島に来てくれると嬉しいな。姫は僕に町案内をしてくれたから、今度は僕が姫のことを案内してあげるね」


「ん。いつか、ヒロお兄ちゃんに会いに行く。約束」


「約束しよう。また姫に逢えるの、楽しみにしているね」


 悲しい別れではない、後会への希望と期待に胸の内を温かくして――。

 ヒロと姫は互いに笑顔で別れを告げ、小指同士を絡めあって再会の約束を交わすのだった。



   ◇◇◇



「――そういえば。昔、父さんと母さんに妹が欲しいって強請(ねだ)って、困らせたなあ……」


 街道で歩みを進め、ふと思い出したのは、幼かった自身の失言ともいえる稚気(ちき)だった。


 幼かったヒロは『海は全ての命を生み出した母なるもの』という言い伝え通り、全ての生物が海で生まれ来るのだと信じた。自分という存在さえも、海の男だった父親が海から連れてきてくれて、家族になったのだと信じ込んでいたのだ。

 だので、自分が欲した妹も、いつか父親が海から連れて来てくれるものだと(おも)った。


 今思えば、幼気(いたいけ)な笑い話ではある。


「うーん。でも、やっぱり……。家族に妹がいたら楽しかっただろうなあ」


 両親を困惑させる要求だった。だが、やってしまったと改めて思えど、妹が欲しかったという願いは大人になっても変わっていないと確信する。


 そして――。そうした願望を叶えてくれた姫を想い、ヒロは頬を緩ませる。


 兎にも角にも可愛かった。『ヒロお兄ちゃん』と呼ばれる度に、胸の内がくすぐったいとも温かいともつかない、得も言われぬ苦しいほどの愛おしさを覚えた。

 オヴェリア群島連邦共和国に共に来るかと誘った際に、断られたことが本気で残念だったとさえ考えてしまう。


「あ。そういえば――。姫の本当の名前って、結局知らないままになっちゃったな……」


 姫は誘拐事を憂慮した(いまし)めを守り、本名をヒロに教えなかった。そこで、彼女に『姫』という愛称を付けて呼び、馴染んでしまったために失念していた。

 一瞬、「町に戻って、本名を聞くか」などとも思慮するが――。


「……まあ、良いかっ!」


 ヒロの口から、あっけらかんとした愉快げな笑いが零れ落ちる。


 姫の本名が何であれ、自分にとっては可愛い妹なことに変わりはない。

 そう結論付けて納得し、ヒロは笑う。


「また会えたら、その時に教えてもらおう」


 約束はしたが、再会を果たせる確率は限りなく無いに等しいだろう。

 だけれども、自分には永遠ともいえる待つための時間はある。例え永い時が掛かろうとも、再度の出逢いを心待ちにするのも悪くない。


 だからその時まで、楽しみにしておこう。


 そう考えて(きびす)を返し、遠くなった町へ目を向ける。


「僕の可愛いお姫様。――また、いつかどこかで」


 またいつか、今度は碧い海が美しい()の地で。可愛い妹である姫と、再び巡り逢えますように――。


 温かな願いを胸に秘め、紺碧色の瞳は優しく町を見つめていた。


今回のお話でヒロの章は終幕。

約三か月に渡ってヒロや姫、同盟軍方々を見守りくださり、ありがとうございました。


次回からは新章へ、出演陣と舞台が変わります。

新章への移行に伴い、少しだけ更新に間を空けますのでご了承ください。


次話は10月上旬の投稿を予定しております。

また次回もよろしくお願いいたします。

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