兄騎士と妹姫⑨
リベリア公国領内にある街と本国の城下街を巡り、カーナ騎士皇国領内へ足を向けた。
カーナ騎士皇国でもリベリア公国の時と同様に、点在する街や村に足を運んでみたものの、ハルの出身地だという隠れ里を見つけることはできなかった。それが些か残念だと、ヒロは思う。
そもそもハルには、故郷の里が東の大陸のどの地域に存在するのかを聞いていない。そんな状況では、藁の中から針を探すようなものだ。
もっと多くのことをハルから聞き出しておけば良かった。後悔先に立たずとは、正にこのことだった。
もしも叶うならば、ハルとの再会を果たしたかった。きっと彼は、“群島諸国大戦”の終結直前の出来事で、ヒロが戦死したと思っている。
――死んだと思っていた人物が突然現れたら、ハルは驚くだろうな。
そんな悪戯心もあったのだが、ハルは戦後再び件の『お姉ちゃん』とやらを探し、世界中を廻っているのだろう。
いや。もしかすると、既に彼の女性と再会を果たし、どこかで仲睦まじく暮らしているかも知れない。
ハルは永い時を孤独に過ごし、気苦労しすぎている。彼にこそ、羽伸ばしや骨休めが必要だろう。いい加減に幸せな地へ降り立ち、“番の鳥”になっていれば自分にとっても喜ばしい。
そんなことを思想しつつ――。
ヒロは秋も終わりに差し掛かった頃合いで寒さに心を折りかけ、オヴェリア群島連邦共和国への帰郷を心に決めていた。
◇◇◇
周辺を一望できる小高い丘の上に、堅牢な城を構えるカーナ騎士皇国。
その国の賑わいを見せる城下街の一角で、ヒロは腕を組んで佇んでいた。前にあるのは装飾品を扱っている店。紺碧色の瞳が見据えるのは、耳飾りが展示されている棚だった。
せっかく旅に出てきたのだから、土産の一つでも買って帰ろうか。そんなことを考えつつ辺りを散策していたが、大きな荷物にならずに持ち運べそうなものとして着想したのが装飾品の類。
そろそろ身に着けているピアスも年季が入ってきた。これを機に買い替えて旅の記念にでもしようと思い、棚の耳飾りを眺めていたが――。
「――ねえ、おばさん。これって、群島の珊瑚じゃない? しかも、血赤珊瑚だよね?」
ふと目に付いたのが、雫型に加工された赤い石のピアスだった。赤黒い血の色を連想させる深い色合い。それは普通の宝石とは違った透明感の無い、独特な重厚感を持っている。
見覚えのあるそれの正体を店番の老婦に問えば、愛想の良い笑顔で老婦はヒロに近寄って来る。
「ああ、そうだよ。良く知っているね、お兄ちゃん」
「うん、自分の故郷の名産品だからね。でも、群島でも血赤珊瑚の装飾品は珍しいから、まさか他の土地で見つけるとは思わなかったよ」
ヒロが目にしたのは、オヴェリア群島連邦共和国の深海で獲れる血赤珊瑚と呼ばれる希少な珊瑚だった。
それは深い海の底に生息する珊瑚のため、採取も難しい希少種だ。赤が深いほど価値があるとされ、牡牛の血のような色を有することから『血赤』と呼称されている。
オヴェリア群島連邦共和国では古い時代に、牛飼いの牧畜民たちが家畜の血を家の門へ塗り、『血赤で毋望之禍を避ける』という呪いを行じた風習がある。家畜の牡牛の血には、禍を避ける神聖な力があると信じられ――、その名残で稀有な赤い珊瑚を身に付けて厄災除けとしたために『血赤』という名が付いたのだという説もあった。
そうした話をヒロが綴ると、老婦は感心した面持ちを浮かし、次には顔に皺を増やしてニコニコと笑う。
「お兄ちゃん、若いのに物知りだねえ。うちの主人が元々オヴェリア群島にいた人で古い風習に詳しいんだけれど、話が合いそうだわ」
「へえ、そうなんだ。話をしてみたいけど……、今は出掛けているの?」
思いも掛けない同郷者の話に、ヒロは頬を綻ばせる。紺碧色の瞳を店内に彷徨わせるが――、話柄の店主の姿は見えなかった。
「ええ、仕入れに出ちゃっていてねえ」
「そっか。残念だな」
「でも、お兄ちゃんの言う通り、それは群島の珍しい珊瑚なんだって主人は言っていたよ。偶々仕入れることができたから耳飾りに加工してみたんだけれど、どうだい?」
どうやらこの装飾品を扱っている店は夫婦で営んでおり、主人が材料の仕入れを行って奥方が装飾品に加工しているらしい。老夫婦なのにも関わらず、大したものだ。
そうヒロは推しながら聞いていたが、婦人の勧めに首を傾げてしまう。
「どうだい、って言われてもなあ。これ、女の子向けじゃない?」
いくら自分が女顔だと揶揄われることが多いと雖も、流石に女物を身につけるわけにもいかない。
そんなことをヒロが苦笑して言えば、老婦はコロコロと喉を鳴らした。
「お兄ちゃんに着けなさいなんて言っていないわよ、いやねえ。奥さんにお土産にどうかしらっていう意味よ」
「あー……。あいにく、僕は独り身なんだよねえ……」
「あら。恋人とかもいないの?」
「これがねえ。贈り物にしてあげられるようなイイヒトもいないし――」
そこまで口にして、はたと言葉を止めた。なにかを思い出したような面差しで、再び紺碧色の瞳を血赤珊瑚の耳飾りに向ける。
(そういえば、姫は未だあの町に居るのかな? でも、姫にはピアスなんて早いかなあ?)
ヒロの脳裏を過ったのは、三か月ほど前、ある町で出会った亜麻色の髪に翡翠色の瞳をした少女――、“姫”の存在だった。
(うーん。でも、あれから三か月も経っちゃったし。流石にお父さんが迎えに来て、リベリア公国に帰っちゃったかな……?)
姫はヒロの旅路に勝手についてきてしまったが、無事に元居た町の別荘に連れ戻しはした。
あと一歩遅ければ、姫の生家があるリベリア公国に知らせの早馬が出されてしまうところだったので、なんとか間に合ったことに堪らなく安堵の気持ちを覚えたほどだ。
前の晩に山賊たちの相手をした挙句に、姫を抱きかかえたままで全力疾走をしたこともあり、ヒロは疲れ果てていたが。そこで更に姫の別荘の者――、特に乳母に詰問の追い打ちを受ける羽目になっていた。
結局は姫が憤慨に声を荒げてヒロを庇う形になり、ヒロが姫を拐したという誤解は解けたものの。今度こそ本気で誘拐犯だという厳しい目を向けられ、踏んだり蹴ったりな気分も味わった。
その後は、迷惑を掛けてしまったことと非礼の詫びとして、姫の家で休んでいってはどうかと誘われたが丁重に断り、ヒロは姫に別れを告げて町を後にしていた。
正直、別れ際の姫の至極寂しそうな泣き出しそうな表情に、後ろ髪を引かれる思いだったのは否めない。町を出てから、やはり一日くらいは世話になっても良かったかもと考えてしまうほどだった。
それから三か月――。リベリア公国からカーナ騎士皇国を巡り、今に至る。
「おばさん。これ、包んでもらっていい? なるべく可愛い包み紙が良いな」
もう三か月も経ってしまっている。姫は父親が迎えに来て、あの町に居ないかも知れない。だけれども――、それでもいい。旅の終わりの記念として、口実を作って姫のいた町に立ち寄ろう。
そう考えてヒロが血赤珊瑚の耳飾りを指差して購入する旨を伝えると、老婦は目尻に深い皺を寄せて「毎度」と口にした。
◇◇◇
「うーん。これは……」
国境沿いの町。そこにある姫が過ごしていた屋敷の前で目にしたのは、僅かに開いた門扉。子供が通り抜けられる程度に開いている隙間を見て、ヒロは思わず首を傾げて唸っていた。
流石に姫は町にいないと思った。何せ、彼女と共に過ごしてから、三か月もの月日が過ぎている。
しかしながら、この門の隙間加減から勘がえるに、姫は未だ町にいる。しかも、家で大人しくしていない。
そして、町に姫がいるということは――。姫の母親の病状は寛解していないことにも、ヒロは察し付いた。
「……また、あそこの広場に独りでいるのかな」
姫は屋敷の中にはいない。きっと出会った時のように、独りで寂しい思いを抱いて丘の上にあった広場にいる。それを想うとヒロまでも暗澹たる気持ちに陥り、意図せぬ嘆声が零れる。
恐らく、門の鍵が掛かっていないのは、世話役である乳母たちも姫に同情を感じているから。なるべく姫の自由にさせてやろうという気遣いなのだろう。
姫の気落ちは如何なるものなのか。仕方がないこととはいえ、あまりにも可哀そうだと思いなし、ヒロは再三の重い溜息をついた。
ゆるりとした傾斜の坂を上る。眼前に開けた広場が映り、すっかりと葉を落とした桜の木が視界に入る。砂地の一円を取り囲む下草は青々としたものでは無く、色を濃くして茶を帯びる箇所もあった。
その中を見渡し、姫の姿を探す。以前は桜の木に登っていたが、今日はいない。
木陰にでも座り込んでいるのだろうか。そんなことを思議しながら、下草の生い茂る場所へ足を踏み入れると――。
「へぶっ!!」
突如としてヒロは何かに足を取られ、勢いよく倒れ込み間の抜けた声を上げる。
咄嗟に上体を起こして足元を確認すると――、彼の足には草と草を括った足掛け罠が絡みついていた。
「なんだよっ、これっ?! 痛いなーっ!!」
盛大に転倒したことで慨嘆に声を荒げ、絡んだ草を勢いつけて足で払う。
顔から地面に着地しなかっただけマシなほど、大の大人にあるまじき転び方をした。ここまで派手に倒れたのは子供の時以来だ。
さようなことを憤慨しつつ座り込んで独り言ちていると、木陰から呆気に取られた表情を覗かせる見覚えのある姿に気が付いた。
はたとして紺碧色の瞳を差し向けると、まじろぐ翡翠色の瞳と視線がぶつかる。
「やあ、姫。久しぶりだね。――この罠。君がやったの?」
ヒロが呆れ混じりに問いを投げれば、様子を窺っていた少女――、姫はこくりと頷く。その声無き返答に、ヒロは苦笑と共に頬を引き攣らせた。
「やってくれるね、まったく。油断しきっていたよ」
「ん。変な人が来ても、自分で退治できるようにしていたの」
悪びれの一切無い返答。姫なりの自衛手段なようだが、これでは悪戯の域を出ないだろう。
「……引っ掛かったのって、僕だけだったりするでしょう?」
自分の悪運ぶりにヒロが問えば、姫は首肯する。それにヒロは、案の定と言いたげに肩を落とした。




