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呪いの烙印シリーズ・短編集  作者: 那周 ノン
【ある軍主の千重波言】
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兄騎士と妹姫⑧

「あー……、走った。こんなに走ったの、久しぶりだよ……」


 木陰に背を滑らせるように座り込み、ヒロは一息つく。

 夜闇の中、子供を抱えて駆け抜けた。久方ぶりの全力疾走になり、流石に体力の限界を迎えて疲れ果てた。


 夜襲を仕掛けてきた山賊たちは、ヒロの気迫と突拍子も無い逃げの姿勢を呆然として見送った。往生際も悪く追いかけて来なかったのが、せめてもの救いだった。

 まあ、追いかけてきたらきたで叩きのめしてやるまでだが、などと。つい不穏さも内心で吐露する。


「……姫、大丈夫?」


 上がった息を整えつつ姫に声を掛けると――、ヒロの表情が困惑を帯びた。


 抱きしめていた腕の力を緩めた途端に、姫はヒロの顔を覗き込むために上体を離した。その動きを見止めたヒロが紺碧色の瞳に映したのは、翡翠色の瞳が憂いに潤む様だったのだ。


 姫は見る見るうちに眉をハの字に落とし、はらはらと翡翠色の瞳から雫を溢れさせる。唇を噛んで口端から嗚咽を漏らす姫を目にして、ヒロは眉を寄せていた。


「あー……。怖かったよね、ごめんね……」


 さような状況に思わず溜息をついてしまう。やってしまったと、後悔の念を抱く。


 いくら頭からマントを被せて目隠しをさせたとはいえ、(いさか)いの声や物音は間違えなく耳にしている。


 もしかしたら、自身の豹変ぶりに驚かせてしまったかとも、(いささ)(おも)う。

 普段は温和な態度を心掛け、『お節介』という不名誉な揶揄(やゆ)と合わせて『猫被り』と度々(たびたび)口出される自身の性格を思いなし、ヒロは嘆息(たんそく)してしまう。


 浅はかな手段を取ってしまったのが原因か。しかしながら、姫を山賊たちに受け渡す気は微塵も無かったし、姫の前で山賊たちを殺めることも必要以上に傷付けることもしたくなかった。

 それらを考えるに、あの場で選択し得る結果としては最善の方法だったとは思う――。


 だが、何にしても。姫に怖い思いをさせてしまい申し訳ない。


 そんな思いに苛まれ、ヒロは姫の身体を両腕で抱き寄せて背を優しく撫でてやる。すると、(すす)り泣きを立てていた姫の手がヒロの身に回され、服を強く握り返してきた。


「――――、たよう……」


「え?」


 泣いて喉をしゃくりあげ、姫が何かを呟いた。言葉尻しか拾えなかった小さな囁き声に、ヒロは小首を傾げてしまう。


「えーっと。怖かった……?」


 唯一、聞き取れた部分だけで、姫が漏らした言葉を予測してみた。『怖かったよう』と、そう言い出したのかと思いヒロが口にすると――、姫はゆるゆると(こうべ)を振った。


「ヒロお兄ちゃんが怪我しなくて、良かったよう……」


「へ……?」


 姫が再び同じ言葉を紡ぎ出す。それを耳にした途端に、紺碧色の瞳が呆気に取られて瞬いた。


「え? えっとえっと、どういうこと……?」


 意味が解せずに唖然として思わず聞き返せば、姫は増々ヒロの身に顔を押し付けてくる。

 ヒロも泣き縋る姫の涙で服が濡れるのも(いと)わず、宥めるようにして背をさすっていたが――。


 姫は切れ切れに、絞り出して言葉を紡ぎ始めていく。その声に今度こそ聞き漏らしが無いように耳を傾けた。


「私のせいで、馬車、降りなくちゃいけなくなって……、沢山歩くようになって。怖い人が来て。ヒロお兄ちゃん……、怪我して、会えなくなったら。どうしようって……」


 要領を得辛い途切れ途切れな訴えだった。だが、そうした細切れな言葉を聞き、はたとヒロは気付きの様相を見せて狼狽(ろうばい)してしまう。


「あああああ。姫、そんな理由で泣かないでっ!!」


 勘付いた姫の意中の思いに、たまさかな大声(たいせい)がヒロの口をつく。


(そっか。勝手に僕についてきちゃったから、それで大変なことになったって思っているんだ……)


 姫は窘められたにも関わらず勝手にヒロについて行き、そのせいで大事(おおごと)になったと思い込んでいる。

 山賊たちに囲まれて怖かったのも、少なからずあっただろう。しかしそれ以上に、ヒロが怪我を負うことで不測の事態――、命を落としてしまうことを案じていたのだと察し付いた。


 まさか姫がさようなことを考え、気に病んでいるとは思いもよらなかった。

 そして、啼泣(ていきゅう)してしまうほどに自身を想ってくれていることに、不謹慎ながらも胸の内が温かくなる感覚を覚えていた。


 そこまで思い馳せ、ヒロは抱きしめていた姫の身を僅かに離させて、赤みを帯びてしまった翡翠色の瞳を覗き込む。涙に濡れる頬を優しい手付きで拭ってやると、微かな笑みを表情に浮かした。


「大丈夫だよ、姫。僕は強いから」


 静かな、諭すような口振りでヒロは言う。そうしたヒロの様子を、姫は鼻を啜りながら見入っている。


「僕は、姫のお兄ちゃんで、姫を守る騎士だから。絶対に負けたりしないし、姫を置いていなくなったりもしない。ましてや、お別れも言わないで会えなくなったりとか、絶対にしないからさ」


 万が一、致命傷ともいえる怪我を負ったと(いえど)も、ヒロは“呪いの烙印”を宿している影響で死ぬことは無い。だけれども、それを姫に説明するわけにもいかないし、それを姫が理解できるとも思わない。

 怪我をするしないは(はた)に置いてヒロは語っていくが、慰めの言葉には何一つなってはいない。幼い少女を慰めるための口舌など、咄嗟には出て来ないものの――。ヒロは自身の信念を返弁として告げていった。


「お姫様を守って戦った僕は強かったでしょう?」


 口角を上げて得意げにヒロが言えば、姫は素直に頷いた。


「ん。ヒロお兄ちゃん、強かった……」


「でしょ? こう見えても、ヒロお兄ちゃんは国を守る仕事をしているんだ。だから、誰にも負けない自信もあるし、大丈夫だよ?」


 姫の涙顔が、ヒロの話に関心を寄せた面差しへと変わっていく。追及心が勝って気持ちが落ち着いてきたのを窺い知れ、ヒロは安堵する。


「ヒロお兄ちゃんも、お父様と同じお仕事をしているの?」


 不意と姫が問いを投げると、ヒロはきょとんとした面持ちを見せた。すぐには姫が言っていることの真意が掴めずに首を傾げたが、はたと追懐を顔に出して領得を彩る。


「そういえば、姫のお父さんはリベリア公国で将軍をしているんだっけね」


 姫とヒロが出会った日。姫は自身の名前と身分は決して明らかにしなかったものの――。口を滑らせる形で、自らの父親が国で将軍の任に就いている旨を語っていた。

 その時には姫の誤魔化しや嘘の下手さに子供らしさを感じて微笑ましく思ったのと、やはり貴族の令嬢だったのかという納得の思いが強く、ヒロは今まで失念していたのだ。


 そして、ヒロが思い出したことを口に出せば、姫は口端を持ち上げて頷く。


「群島――、えっと。僕の故郷には騎士団っていう集まりは無いから、“将軍”って呼ばれないんだけど。似たような感じかな?」


 オヴェリア群島連邦共和国には騎士や騎士団という名称の概念が無い。その代わりとなる軍組織を持ち、将官や左官などの役職を戴く者が軍を率いる形なのだ。


 そうした中で、ヒロの名称は“オヴェリアの英雄”と呼ばれる特殊なもの。

 オヴェリア群島連邦共和国の大統領が国の(まつりごと)を図る頭を使う机上での役職なのに対し、ヒロは国の防衛に関することで身を動かし戦う立場であり――。古くから国守を担ってきたヒロの言は、大統領以上の決定権を持つほどだった。


「ヒロお兄ちゃんとお父様、どっちが強いの?」


「え? 僕と姫のお父さん?」


 父親の話題が上がってから、姫の表情は完全に心緩みを宿している。その変化に、ヒロは姫が父親が将軍職を担うことを誇りに思っていると推し量った。

 今は下手なことを言わず、姫の機嫌を損なわないようにしよう。そう思慮しながら、ヒロはへらりと笑って口を開いた。


「きっと、姫のお父さんの方が強いよ」


 ヒロが断言するように口切ると、漸く姫は愛らしい笑みを浮かべる。


(いやあ。やっぱり、お父さんには敵わないな……)


 父親が迎えに来ると言っていたのに約束を破られた――、と。姫は憤慨からヒロについて行き、自身の生家があるリベリア公国に無理にでも戻ろうとしていた。それは、父親に対しての反抗心が原動力になったのだろう。

 そして、姫の落ち込んでいた心の色を直したのも、父親のことが切っ掛けだ。


 父親というものは何に対しても影響力があり、本当に偉大である。そう考えずにはいられなかった。


「お父様がいたら、怖いおじさんたちなんか、やっつけてくれたのになあ」


 ヒロの心中など知る由もなく、姫は上機嫌かつ無邪気に父親についてを話頭に上げて綴っていく。それにヒロは頷きながら笑った。


「あはは、そうかも。悪いことばかりしている大人は、その内に姫のお父さんが懲らしめてくれるよ」


「うん。お父様に言いつけてやるんだからっ!」


「うんうん。――さて、もう怖い人たちは来ないだろうし。夜が明けるまで時間があるから、姫はもう少し寝よう?」


 気持ちが高揚し始め、声量を大きくしていく姫を嗜めるように、優しくヒロが言って寄こす。すると、姫ははたと話を止め、次には翡翠色の瞳でヒロを見つめて眉を顰めた。


「……眠くなくなっちゃった」


「あう。寝ておかないと、明日の移動が辛くなっちゃうよ」


 確かにあのような出来事があっては、眠気など覚めてしまうだろう。しかしながら、眠って体力の温存を図ってもらわないと、明朝からの移動に支障を来してしまう。


 かような考慮からヒロは、再び姫を抱き寄せて胡坐(あぐら)をかいた膝の上に乗せた。

 突然のヒロの抱擁に姫は驚いたのか、翡翠色の瞳をまじろがせたが、ヒロは気に留めた様子も見せずに姫をマントで包み直し、自らの胸元――、左胸に頭を押し付けさせる。


「ヒロお兄ちゃん……?」


 どうしたのだと。表情で語りかけて来る姫を見やり、ヒロは温かな笑みを浮かす。


「僕の胸の音を聴いて、目を瞑って暫く静かにしていてごらん」


 その行為は、幼い頃にヒロが母親から受けた温かなふれあいの一つだった。怖い夢を見たことで眠れないと嘆いたヒロを母親は優しく抱きしめ、同じ言葉をヒロに投げ掛けた。

 母親の胸から聞こえる心臓の音と人肌の温もり。それは得も言われぬ安心感を生み出し、幼いヒロの心を至極安らがせ、安息へと導いたのだ。


 その行為を真似て、ヒロは姫を優しく抱きしめていた。

 姫もヒロの言葉に従い、黙して自ら擦り寄っていく。そして、素直にヒロの心音に耳を傾けて翡翠色の瞳を伏す。


 思えば、これは自分が海の音に耳を傾け、心を落ち着かせることに似ているのかも知れない。下手をしたら自分まで眠くなってしまいそうだ。

 もしかすると今の状態でなら、眠っても“海神(わたつみ)の烙印”がもたらす悪夢を見ることが無いのではないか。人肌を感じることで、このように安らぎを得られるなど忘れていたな、と。

 姫の心音と子供特有の温かさを感じ、ヒロは自身も心が癒される感覚を覚えていく。


 暫しの間、互いに黙ったままでそのようにしていると――。姫はヒロの腕の中で、穏やかな寝息を立て始めていた。


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