兄騎士と妹姫④
「――ねえ、父さん。母さん。僕ね、次の誕生日のお祝いに妹が欲しい」
黒髪に紺碧色の瞳を有する少年の口をついた言葉。
途端に少年の両親は瞳を瞬かせ――、次には苦笑いを浮かべていた。
幼い少年だった、何も知らなかった頃。おいそれと貰えるものでは無いそれを強請った時の、父親と母親の驚いたような困惑したような表情が忘れられない。だけれど、その後に両親が至極優しく微笑んだことも、よく覚えている。
「急にどうしたんだ、ヒロ?」
父親は物柔らかに、何があったのかを少年――、ヒロに問い掛けた。すると、ヒロはへらりと子供らしく笑った。
「仲良くなった子に妹がいてさ。『お兄ちゃん』って言って、くっついて回っていてね。凄く可愛いんだ」
動機は単純。保養地として機能している町に訪れていた子と仲良くなって、その子に妹がいたから。『お兄ちゃん』と呼んで、ついて歩く幼い少女を目にして可愛いと思ったこと。
そして――。
「僕も『ヒロお兄ちゃん』って呼んでもらいたい」
友達になった子が『お兄ちゃん』と呼ばれていることに、羨みを抱いた。これが幼かったヒロの本心だった。
「ふふ。ヒロってば、今度はお友達の妹が羨ましくなっちゃったのね」
「本当にヒロは羨ましがりなんだからなあ」
可笑しそうにふわりと笑って母親が言う。それに続いて父親が微かな苦笑を混じえ、同意を示した。
両親が口にした通り、自分は羨ましがりだと。そうヒロは思う。
誰かのものに羨望を持つことが多いのは、自覚していた。
「ヒロは妹がいたら、どうするんだ?」
「えっとね、妹が家に来たらね。悲しんだり泣いたりしないように、ヒロお兄ちゃんが守ってあげるんだ!」
母親が読み聞かせをしてくれた御伽噺の騎士のように、自分が妹を守護して大切にしてあげたい――。
そうした想いを声高に宣言したヒロに父親は笑うと、頭を優しく撫でてやった。
「そうだなあ。次の誕生日祝いには間に合わないけれど。群島の男として素晴らしい意気込みを持ったヒロのところになら、妹も来てくれるさ」
「本当っ?! 僕、楽しみにして待っているよっ!!」
朗らかな笑みで父親が約束を口にする。それに母親は困ったように笑っていた。
しかし、この時の約束は果たされることは無かった。その暫くの後に、流行り病が町に持ち込まれたことで、ヒロの両親はこの世を去ったからだ。
思えば、とんでもないものを誕生日祝いとして要求した。けれども、妹が欲しい気持ちは、今も変わらない。
――“兄”であり“騎士”として、“妹”の“姫”を守りたい。
その想いはヒロが大人になって、何百年という月日が流れようとも。揺るがないものとして、心の中に残っていた。
◇◇◇
姫の家出を思い止まらせたヒロは、彼女を別荘である屋敷に送り届けた。
その際に屋敷の前では、恰幅の良い中年女性が右往左往としていた。
女性は姫と手を繋いで歩んできたヒロを認めた瞬間に、鬼気迫る勢いでヒロに詰め寄った。拐かしかと有無を言わせぬ気迫で難詰されたのは――、正直怖かったとヒロは回想する。
事の顛末を言い述べて何とか落ち着きを取り戻してもらい、よくよく話を聞くと。女性は姫の乳母役を務めていると言っていた。それならば、姫が屋敷から居なくなったことに対し、慌てるのも無理はない。こちらの事情も聴かず、いきなり不審者扱いされたのはいただけないが。
しかしながら、姫の起こした所業の話をしていて乳母が納得した様相を見せた。それらにヒロは、姫が屋敷内でも同じような悪てんごうを働いていることを察し、思わず乳母に同情の言葉を掛けたほどだ。
姫はヒロが町に滞在している期間、一緒に遊べると意気込んでいた。だが、乳母である女性は許さなかった。当然といえば当然である。
ヒロと乳母とで姫のことを嗜め、屋敷で大人しく過ごしているように言い含めたため、姫とはそれっきり――、になるはずだった。
姫は翌朝、町中を散策していたヒロの前に姿を現した。
喜色満面で駆け寄ってきた姫に話を聞くと、再び庭の木に登って塀を乗り越えてきたという。さような返事を聞かされて、ヒロは頭痛を起こしそうになった。
散策を中断し、姫を嗜めて屋敷に送り届けようとしたところで、乳母が焦燥の様子で現れ――。そこでまた、一悶着を起こしたものの。最終的にはヒロの人柄からか乳母が折れ、子守りを任される羽目になった。
こんな時に自身の対話力が性合を良く見せ、警戒心を解くのに一役買ってしまうとは思いもよらなかったと嘆息したほどだ。
結局、滞在している間は姫の町案内――、基、子守りをしつつ散策することになったが。まあ、姫が良く懐いて可愛かったのでいい。かようにヒロは考えることにした。
四日目。明日にヒロが町を立つ旨を姫が寂しげに語ったことに、胸が痛んだ。至極残念がり心淋しい様を言い述べるものだから、ヒロの中で連れて帰りたいなどという思いが湧き立つほどだった。
そして、五日目の早朝にヒロは町を出ることになったが――。
朝も早い時間になったためか、姫は見送りには来なかった。子供なので早起きができなかったのだろうと、僅かながら心残りを抱きつつ、ヒロは町を後にしていた。
行商馬車に揺られ、次なる地へ。馬車が目指すのは、リベリア公国。
リベリア公国は“公”という爵位ある者が領地を治める、実質の王国とは概念が少しだけ異なる穏やかな国だという。
「“公”っていうと、本来なら上流貴族の爵位だよね?」
「そうそう、リベリア公国は歴史が浅い国でな。大本はカーナ騎士皇国の公爵家が手柄を立てたことで、領地を貰って出来上がったっていうんだ」
「へえ、元々は騎士国の土地だったってことか。東の大陸は一つの国が起点になって、多くの国に分かれていったって感じなのかな」
オヴェリア群島連邦共和国の中にいては聞けない、その土地に訪れることで耳にする話は多い。それを改めて実感する。
そうした話の数々を先の町や行商人の青年に聞き、ヒロの口端から感嘆の息が漏れ出した。
「……ちょっと話過ぎたかな。喉が渇いてきちゃったや」
ヒロは一つ処で静かに大人しくしていることが苦手だ。
早朝に町を出立してからというもの、東の大陸各国の情勢などについてを青年と話通しだった。そのため、喉の渇きを覚えて、それをぼそりと口にする。
「おう。荷車の後ろの方に飲み水が積んであるから、手を付けていいぜ」
「ほんとっ。ありがとう!」
一応は手荷物として水も持ち歩いてはいたが、なるべくなら消費は控えたかった。それ故に青年の申出にヒロは嬉々として座り込んだ状態のまま、荷車後方に向けて身を乗り出す。
身体を支えるため手を付いた荷の部分、そこに被せられた布に触れると――。
「うわっ! なんか柔らかい物とか積んであった?! 潰しちゃったかも!!」
木箱などの固い物に触れるだろうと思い込んでいた掌の感触。だが、その感じた感触は、柔らかく仄かに温かかった。
そのことに驚いたヒロは咄嗟に腕を引き、吃驚の声を上げる。
「え? いや、柔らかいもんって言っても。覚えが無いぞ?」
荷車の方へ目線を向けた青年が不思議げに首を傾げる。
「ええ。でも、ふにゃんとした手触りだったんだけど……」
何か柔らかい物に触れてしまった左手を所在無さげに彷徨わせ、眉間に皺を寄せる。紺碧色の瞳を布に向け、困惑の様をヒロは窺わせた。
すると、ヒロが触れた部分の荷に掛かる布がもぞもぞと揺れる。それに気付いた瞬間に、ヒロの眉間に寄った皺が増々深くなっていった。
「ま、まさか、ね……」
うん、まさかだよね。そんな思いに苛まれながら布を手に取った。
ヒロが腕を上げると、バサリと音を立てて布が返る。そして、その下から現れたのは、見覚えのある亜麻色の色彩――。
「うわあああっ! やっぱりっ!!」
案の定と言いたげにヒロの大声が上がった。その声量に行商人の青年は身を竦め、馬までも吃驚して狼狽を示す。
「お、おい、兄ちゃん。馬がビックリするから大声出すなってっ!」
青年が馬を諫めながら、突然のヒロの行動に難色を表して振り返る。荷車へ目を向けた途端に青年は、思わず瞳を瞬かせていた。
ヒロは荷に被せられた布を握ったまま固まっている。その視線の先には、身を小さくして寝息を立てている幼い少女の姿があった。
「に、兄ちゃん。誰だい、その子……?!」
青年に声を掛けられ、ヒロははたと我に返った。そうして、困窮を見る見る内に見せていく。
ヒロが認めた少女は紛うことなく、姫だった。
姫はヒロが出立する日取りも、次の町に向かうための移動手段も了していた。
恐らく、早朝に姿を現さなかったのは、既に馬車の荷台に乗り込んで隠れていたから――。
「町に居た子なんだけど……。リベリア公国に行きたいって言っていたんだ。隠れてついて来ちゃったんだよ。うわー、どうしよう……」
「はあっ?! なんだ、それ?!」
自身が出立する日取りや方法を聞いて、ついて来ようと思っているはずは無い。そこまで子供の頭が回るはずも無い。そうヒロは考慮していたが、姫の頭は彼が思っている以上に回転が早かったらしい。
馬車が町を出てから半日は過ぎている。よく今まで気付かれずに隠れていたものだと、妙な感心を覚えてしまう。
「姫、起きてっ!!」
未だに穏やかな寝息を立てて眠る姫を揺する。それによって、姫の長い睫毛がふるりと震え、翡翠色の瞳がぼんやりとした様を見せながら開いた。
「……君さあ、なんてことしているの。みんなが心配するって、僕は言ったでしょ?」
姫は覚醒しきっていない情態だったが、ヒロの口を嗜めが溢れ出す。
だが、姫はゆるりと身を起こし口元を押さえて小さく欠伸を吐いたかと思えば、ヒロに翡翠色の瞳を向けてニコリと笑った。
「おはよ、ヒロお兄ちゃん」
「え、ああ。うん。おはよう……」
羽を伸ばしてこい。骨休めをしてこい。オヴェリア群島連邦共和国の者たちに言い含められ、故郷を追い出されてきた。だのにも関わらず、心が休まらない。
満面の笑みを浮かせて座り込む姫を目にして、微かな胃の痛みを感じつつ。ヒロは大きな溜息をついていた。