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呪いの烙印シリーズ・短編集  作者: 那周 ノン
【ある軍主の千重波言】
31/43

海上釣り日和

 釣りは好きだと思っている。餌を付けた釣り針を水辺に垂らして置いておけば、それだけで済む。静かに物事を考える時にも良いし、反対に何も考えたくない時に無心になれる。そんな風にハルは考えていた。

 偶々ヒロが食料調達も兼ねて海釣りをすると言い出したこともあり、自分も久方ぶりに釣りをしたいと思い至って気の迷いから手伝いを申し出たところ。ヒロは嬉々としてそれを受け入れてくれた。


 しかしながら――、五月蠅い。とにかくうるさい、と。

 心を落ち着かせる目的で始めた釣りなのにも関わらず、ハルの胸中は苛立ちの雑念で満ちていた。


「ヒロたん、あれあれ。あっちに大きいお魚さんが泳いでるのっ」


「あー、あれはエイだねえ。海が温かいのかな。珍しいね」


「エイさんが泳いでいるのは珍しいの?」


「うん、そうだよ。いつもなら海底の砂に潜っている魚だからね」


「あっ! あれはあれはっ?!」


「ああ、あれはね――」


 ハルの真横で繰り広げられる声高な会話。それにハルは眉間に深い皺を寄せる。

 かと思えば――。


「ああああっ!! うるせえっ!!」


 いよいよ我慢の限界が訪れ、ハルは大声(たいせい)を上げ、船の縁を勢い良く叩いていた。

 不意にハルが大きく声を張り上げたことでヒロとマギカが肩を跳ねさせ、賑やかな会話がぴたりと止まる。


「……ハルたん、怒ったの」


 唐突なハルの怒声にマギカが委縮してヒロの陰に隠れる。その様子にヒロは苦笑いを浮かし、ハルへと目を向けた。


「ハル。大きい声出すと魚が逃げちゃうよ?」


 窘めるようにヒロが口にすると、ハルは赤茶色の瞳を鋭くしてヒロへと差し向ける。その表情は不機嫌一色であることを隠そうともしない。


「いや。お前らがぺちゃくちゃ喋っているせいで既に釣れてないっ!!」


「え? そう? 普通に釣れてない?」


「ハルたんの籠、空っぽだあ」


 ハルが不満を爆発させたように言うと、ヒロは不思議そうに首を傾げ、ヒロの陰から身を伸ばしてハルの籠を覗き込んだマギカがキョトンとした表情を見せる。


 ハルの真横に置かれた釣った魚を入れるための籠。そこには一匹の魚も入っておらず、侘しいものであった。

 反してヒロの籠には既に数匹の魚が入れられており、別段とヒロたちが会話をしていたことが悪いのではないということを物語っている。


 ヒロとマギカ、そしてハルは同盟軍本船の(かたわ)らに下ろされたボートに乗り、釣りに勤しんでいる。やや離れた場所にも幾つかのボートが下ろされ、同盟軍の面々が同じように釣りを行っているが、さして不漁というわけでも無さそうであった。


 そうした結果を突きつけられ、ハルの顔が(しか)められた。


「……くそ」


 ハルの口をつく小さな悪態。それを耳にしてヒロはくすりと笑ってしまう。


「まあ、調子の乗らない時はあるよねえ。僕も()()()なんて年中だしさ」


「……お前に負けるっていうのが気に入らない」


 ぼそりと零されるハルの言を聞き、ヒロは紺碧色の瞳を瞬かせる。すると次には唇に弧を描いてニヤリと悪戯げに笑った。


「ふっふっふ。僕に釣りで勝とうなんて、ちょっとばかり気が早いんじゃないかなあ。こっちは何年海の男として過ごしてきたと思っているの?」


「お前、十八だろ。俺からしてみたらガキのガキだぞ。そんなんで海の男を語るなっていうんだ」


「む。言うねえ、若作りの()()()()()のくせに」


「ああっ?! 誰がジジイだって?! このクソガキっ!!」


「あっ、またガキって言ったね。お爺ちゃんは認知力まで無いのかなっ?!」


「お前はすぐに喧嘩腰になるっ! そんなんだから青二才だのなんだのって言われるんだぞっ!」


「おーおー、お爺ちゃんのお説教ですかね? 年寄りはすーぐに説教をするからイヤなんだよねっ!」


 売り言葉に買い言葉の応酬となり、不意とヒロとハルはボート上で立ち上がる。途端にボートが均衡を崩し、ぐらりと揺れてマギカが慌てた悲鳴を上げて縁にしがみ付く。

 一触即発の雰囲気を醸し出し、周りの船に乗る者たちも唖然とした視線をヒロたちに投げ掛けており、それに気付いた二人は気まずげにして再び腰を降ろした。


「やめやめ。喧嘩なんかして騒いでいたんじゃ、それこそ魚が逃げちゃうよ」


「……だな。とりあえず、今日の飯分くらいは釣らないと」


 ヒロが辟易と肩を竦めて言えば、ハルも同意を示して再び釣り糸を海へと垂らす。そんなハルへと紺碧色の瞳をちらりと向け、ヒロは微かな笑みを浮かべてしまう。


 最初の頃に比べると、随分と打ち解けてくれたものだと思う。流石に殴り合いはしたことは無いものの、今では先ほどのような軽い口喧嘩もする。

 まだ他の同盟軍の方々(ほうぼう)に対してはぎこちない接し方をしているが、ハルは徐々に同盟軍に馴染んできている。そのことがヒロにとって、かなりの心弛びになっていた。


「……なに人の顔を見てニヤニヤしてんだよ」


 ふと気が付くと、ハルの赤茶色の瞳と目が合った。見つめすぎていたため、ヒロは体裁が悪そうに薄ら笑いを浮かべる。


「え? あは、いやあ。――えっと、ハルは今日の夜ご飯、なにが良いのかなー、なんてね」


 咄嗟に誤魔化しが口の端をつく。さようなことは微塵も考えていなかったものの、ヒロが口切ると、ハルは暫し一考の様子を窺わせた。まさかこんな話題に反応を示すとは思わず、ヒロは瞳をまじろがせてしまう。

 視線を在らぬ方へ逸らし考えていたハルは、再びヒロに赤茶色の瞳を向ける。


「……塩煮」


「え?」


 ハルの口から呟き漏らされた言葉。それにヒロの反応が一瞬遅れると、ハルは再び口を開く。


「前にお前が作ったやつ。一緒に群島の白い四角くて柔らかい食べ物も入っていたやつが旨かった」


「あー、分かった。魚と豆腐の塩煮込みか」


 説明をされてヒロは察し付いた。ハルが言っているのは、以前にヒロが思い立ちで作った料理のことだった。


 内臓を抜き丁寧に水洗いした魚を、水と塩代わりの海水、そして群島銘柄の酒、出汁の出る海藻や臭い消しに生姜という野菜を入れて煮着けたものだった。その際にヒロは煮汁の旨味を吸うだろうと思い、群島の食べ物――、大豆で出来た豆腐なるものを入れていたが、ハルが話した食べ物がそれのことであると推し量る。

 あれは鍋に着いて煮汁を魚にかけながら煮なくてはならなくて、地味に手間だったんだよな、などと内心で思いつつも。ハルの口から『旨かった』と言われれば、さような手間のことなどヒロは忘れてしまう。


「あれ、気に入ってくれたんだ?」


 ヒロが顔を綻ばせて問うも、ハルは既に釣りを再開しており返事をしない。だが、それでもその沈黙をヒロは(しか)りの意味で取って頷く。


「あれは下ごしらえが大切なんだ。釣りが終わったら、僕は調理場に行きますかね」


「ヒロたん、ご飯作るの? マギもお手伝いする?」


 ヒロとハルの会話を大人しく聞いていたマギカが小首を傾げる。可愛らしい申し出にヒロはへらりと笑うが、(こうべ)を左右に振るった。


「えーっと。今回は魚を捌かないといけないから、マギはシャロのところに戻って待っていてね。きっとマギ、泣いちゃうよ?」


「ふえ。お魚さん、可哀そうなの……?」


 ヒロの諭しの言葉に意味を察したマギカの表情が微かに曇る。それに対してヒロは眉根を下げ、困ったような表情を浮かせた。


「いい、マギ。魚はね、“海神(わたつみ)”っていう海の神様の恵みなんだよ。人間が生きていけるように、“海神(わたつみ)”が遣わした生物なんだ」


「わたつみ……。ヒロたんのお手てに居る子……?」


 マギカが不思議そうにして再び首を傾げる。そうした問いにヒロは否を表してかぶりを振った。


「“海神の烙印(こいつ)”とは違うよ。こいつの名前の元になっているけれど、群島で古くから信仰されている神様なんだ」


「女神・マナたまとは違うの?」


「うん。この神様は群島独自の考え方から生まれたものなんだって。群島にはね、全てのものに神様が宿っているって考えられているんだよ」


「……付喪(つくも)神信仰のことか」


 傍で会話を聞いていたハルが口切ると、ヒロは頷いた。


「そうそう。『意味も無く生まれるものは存在しない。だから全てのものに感謝を捧げよ』っていうのが群島の信念でね。それで出来たのが付喪(つくも)神信仰なんだ」


 そうしたヒロの説明に、ハルは感心したように「ふむ……」と短く喉を鳴らす。

 ハルは元々、そうした知識を取り入れることが嫌いでは無い。それ故に多くの本を読み、自身の見聞を広げることに貪欲だった。


「それでね、マギ。魚っていうのも、意味を持って生まれてくる。見て楽しむため、そして食べられるため。色々なことで役に立つようにって“海神(わたつみ)”から言われて、この世界にやって来たんだ」


「それじゃあ、可哀そうって思わないで『美味しかったです、ありがとうね』って、お祈りしてあげれば良いの?」


「そうだよ。だからご飯を食べる前には『いただきます』って言うでしょ。あれは食べるものにも元々命があったんだから、それを“僕たちの命を繋ぐためにあなたの命を美味しくいただきます”っていう意味があるんだよ」


「ふうん?」


 そこまで話を聞くと、マギカは分かっているのかいないのか。気の無い返事を短く発すると首を傾げる。


「勿論、魚だけじゃないからね。何を食べる時もそう。元々は命あるものだったんだから、その命を食べて自分の命を繋げるっていう意味で『いただきます』って感謝するんだ。――ていうか、マギには難しかったかな?」


 そこまで話を進めてヒロは、マギカの反応に苦笑いを浮かす。

 ついつい故郷である群島諸国の話をしだすと熱くなってしまう。そんな自身に思わず嘲笑が漏れ出した。


「俺は面白かったと思うぞ。やっぱりその地域に赴いて、そこで生きる者の話を聞かないと分からないことは多いな」


「わわ、そう言ってもらえると嬉しいな。もっと話をするから、ハルが聞いてよ!」


 喜色満面でヒロが前のめり気味にハルに身を寄せると、ハルはかぶりを振るう。


「今は釣りに集中させてくれ。――魚が逃げるだろ」


「うっ、そうでした……」


 遠回しな『静かにしろ』と諭すハルの言葉に、ヒロは元の位置に座り直して項垂れる。そのヒロの様子を傍目(はため)に見ていたハルは一笑を漏らした。


「まあ、話自体は興味がある。あとで聞かせろ」


「も、勿論だよ……っ! 語るから覚悟しておいてよねっ!!」


 ハルの言葉に、ヒロは頭を上げると紺碧色の瞳を輝かせていた。それにハルは「しまったな」と言いたげにして苦笑いを浮かし、海面に視線を落とすのだった。


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