軍主様の憂鬱②
同盟軍の本船となる船の廊下。その壁に背を預け、ヒロとルシアは隣り合わせに座り込む。傍らにはルシトが不機嫌なまま、壁に凭れ掛かり佇んでいた。
時折、同盟軍の面々がヒロを見掛けて声を掛けようと寄って来たが、ルシトが恫喝のような眼差しを投げ掛ける故に皆がみな尻込みする様相を見せ、その場を後にしていく。
それを苦笑い混じりでヒロは見送り、嘆息していた。
「――“喰神”の彼のことでお悩みだったのですね」
「うん。ハルに早く打ち解けてほしくてね。どうしたら良いか、考えていたんだ」
ルシアに『悩み事は誰かに相談することで、客観的な打開策が見いだせたりしますよ』と諭され、ヒロは彼女に相談を持ち掛けていた。
ヒロの憂悩を聞いたルシアは納得した様子で頷き、ルシトはくだらないことを聞いたと言いたげな面持ちを浮かせる。
「荒くれ連中は、そういうのを嫌うし。統率を取るためにも何とかしたいんだよね……」
嘆声を立て、ヒロは口にする。そうした彼の声に、ルシアは「ふむ」と思案の色を窺わせて小さく喉を鳴らす。
「軍師の言う通り、戦闘で問題が無いなら放っておけばいい。群れたがらないのは、それなりの理由があるんだからな」
ルシトが呆れ混じりの口調で言明する。
ハルが宿す“喰神の烙印”の性質を、ルシトは了していた。『身近な者たちに不幸を撒き散らし、死に至らしめる』という呪いがもたらす力がある故に、ハルが同盟軍の面々を寄せ付けたがらないと、そう解釈しているのだった。
だが、そうしたルシトの言葉を聞き、ヒロは眉を寄せてルシトを見上げる。
「それじゃあ困るんだよ。海戦は考え無しの独断行動を取られると、仲間たちにも危険が及ぶかも知れない。僕は仲間の犠牲を望まない」
「……今回の戦闘。オーシア帝国船を無傷で拿捕できたのは、あいつの独断行動のお陰だけどな」
「うう。それは、そうなんだけどさあ」
ルシトから視線を外し、ヒロは溜息をつく。面倒くさげな様を見せたかと思えば、黒髪に手を添えて前髪を掻き上げ、首を垂れた。
つい先日繰り広げられたオーシア帝国艦隊との海戦――。
その戦闘では、ハルが単独行動を取って“喰神の烙印”の力を行使し、“魔導砲”を積むオーシア帝国船を無傷で拿捕するという功績を上げていた。
本船を守る魔術師部隊の手が回らず、魔法攻撃に対しての防壁を張り切れない状況の中。オーシア帝国船は本船に向けて“魔導砲”を打ち放った。
それを認めたヒロは咄嗟に自らの宿す“海神の烙印”の力を解き放ち、“魔導砲”を迎撃しようとしたが――。その彼を押し退ける形で、ハルが代わりに“喰神の烙印”を使用して“魔導砲”の砲撃を打ち払い、オーシア帝国船に乗る兵士たちの魂を喰らった。
ヒロが呪いの力を駆使した後に、どのような状態に陥るかをハルも領得している。それ故に、まるで自分に“海神の烙印”を使わせないための、ハルの行動だったとは思う。
だが、その反面で、ハルは同盟軍の仲間たちに畏怖感を植え付けた。それはハルが自分自身に仲間たちを近づけさせないための威嚇行動だったようだとも、ヒロは思いなす。
そうしたハルの行為も、ヒロの憂慮の一つだった。
本来、ハルが心根の優しい少年なのだということを、不器用な言動を目にしてヒロは気付いている。そのため、何としても同盟軍の面々に馴染んでほしいという思いがあった。
「あんたが得意な殴り合いの喧嘩騒ぎでも起こしてみたら?」
唇に弧を描き、ルシトは言う。それが嫌味だと勘付いたヒロは苛つきを覚え、紺碧色の瞳を鋭くしてルシトに差し向ける。ヒロの睨みつける眼差しに、ルシトは鼻を鳴らして小馬鹿にするように一笑していた。
さようなルシトの態度に、ヒロの表情は増々険しさを彩っていく。
「ほんと、同盟軍に集まるガキって、可愛くないのが多いよね」
溜息混じりにヒロが口にすれば、ルシトの眉がピクリと不快げに吊り上がる。
「言っておくけれど、僕やハルは、あんたよりずっと年上だよ。十八やそこらの青二才のガキに『ガキ』なんて言われたくない」
「誰が青二才だってっ?! そんなに僕と喧嘩したいっていうなら受けて立つよっ!!」
売り言葉に買い言葉で返され、不意にヒロが声を荒げた。それにルシトは馬鹿にした呈で嘲笑う。
「あんたみたいに頭の中まで筋肉で出来ている奴と付き合ってらんない。それに、一軍の長がちょっと癇癖すぎやしない? そうやって喧嘩腰になられると、青臭さが鼻に付いて近くにいられないんだけど?」
「ルシト、甲板に出ろ。お前もぶん殴って教育してやんないと――、わわっ!!」
多弁に口にされるルシトの挑発的な言葉に、ヒロは頭に血を上らせ鼻上に皺を寄せる。口調の粗暴さが垣間見え、床に降ろしていた腰を上げると――。その襟首をルシアが掴み、勢い良く引き倒した。不意打ちに身体を引かれる形になったヒロは盛大に尻もちをついていた。
突然の仕打ちにヒロが物申したげにルシアに目を向けると、彼女は呆れの表情を窺わせる。
「喧嘩は良くないと思います」
「それ、ルシアが言うと説得力無いよね。会って早々のハルと大喧嘩したくせに……」
つい苛立たしさを口端に乗せたままヒロはなじるが、ルシアはさして気にした風も見せずに悪びれなく笑った。
「あれは彼が勝手に怒り始めただけです。私は何も悪くありません」
笑顔と共に述べられるルシアの言に、ヒロは身を正しながら毒気を抜かれたように吐息する。
ルシアはハルが同盟軍に参戦することとなった日。彼が同盟軍の面々に紹介される場へ引き出された際、ハルを激昂させていた。
――『“死”は人間にとって、真なる救い。穢れた魂を清め、新たな“生”を受けるために必要なもの。あなたの宿す“喰神の烙印”は、人々を死という救いに至らしめる素敵な力なのですよ』
そうルシアが発した直後、ハルはルシアに手を上げていた。
だが、ハルに頬を叩かれたルシアは、突然のハルの暴挙に周りが固まっている最中で『お返しです』とにこやかな笑みを浮かべて口にしたかと思うと、力一杯の平手打ちを返していたのだった。
その後は憤怒の様を見せたハルがヒロに羽交い絞めにされて止められ、尚も“喰神の烙印”の力が如何に素晴らしいかを綴ろうとするルシアもルシトに窘められてと、騒然とした雰囲気に陥った。
あれは明らかにルシアが悪い――、と。ヒロは内心で思い、ルシアの平然とした態度に嘆声してしまう。
ルシアは天真天然で、時折と突飛な言動をすることはヒロも理解はしていた。だがしかし、“呪いの烙印”に対して畏怖感を抱いている節を持つハルの逆鱗に触れる発言をするとは、流石のヒロも思っていなかった。
その後、ハルとルシアの険悪な関係性を考慮し――。ハルは本船の守備に当たる隊に編成し、ルシアは他の船に常時乗っていてもらう編成を立てて、と。ここでまたヒロは頭を痛めていた。
「そういえば。あの後、私は彼とお話する機会はありませんね。私も魂食いの対象として避けられているのかしら?」
ルシアがくすくすと笑うのを傍目に、ヒロは心中で「ワザと顔を合わせたりしないようにしているんだよ」と吐露し、再三の溜息をついた。
「はあ。それにしても、ほんと。どうしたら打ち解けてくれるんだろうなあ……」
再びハルのことに思いを馳せ、ヒロは鬱屈の言葉を漏らす。そうしたヒロの言葉を聞き、ルシアは頬に指を押し当て、考える仕草を見せた。
「親睦会ということで、催し物を開いてみたらどうですか?」
「催し物って言ったってねえ」
はたと思いついたことをルシアが口に出すが、ヒロには『催し物』と称される事柄がすぐには思い浮かばない。
果たしてハルが参加してくれそうな娯楽があるのかと、腕を組み考える。
ヒロの中では、どうしても海賊をしていた頃を基準にしてしまうため、ろくなことが思いつかない。殴り合いの乱闘か賭け事か、はたまた酒の飲み比べか。酒に関わると自分が醜態を晒し兼ねないので却下だな、などと考えて口に出すことさえ控えた。
喉を鳴らすように唸り、深慮する様を窺わせ始めたヒロを目にし、ルシアが代わりに口切りだした。
「例えば、ボードゲームの勝ち抜き戦とか? 群島の海戦を模したゲームがありましたよね?」
「……明らかにハルは参加しないだろうね」
「どこかに停泊して、釣り大会とかどうです? 皆さん、意欲的に釣りはしているみたいですし?」
「わあ、良いね。それ、僕が率先してやりたいな。――でも、ハルが喜ぶかって言うとね。絶対に船室から出て来なさそうだし」
ルシアが熟孝して親睦会を開催するための提案をしていくが、ヒロは悉くハルが参加するかしないかを理由にして打破してしまう。
さようなヒロの返答に、ルシアが不服げに頬を膨らませた。
「……我儘ですね」
「いや。僕に言われても困るしっ!」
至極不満だと言いたげに赤色の瞳を差し向けられ、ヒロは慌てて返す。それにルシアは一つ溜息を吐き出した。
「そうしたら、まずはリーダーと打ち解けてもらうことを前提として。――どこかの港町に立ち寄って、食べ物の差し入れをしてあげるとか?」
「あっ、それ良いね」
漸くまともにハルに声を掛ける訳合となりそうなものに行きつき、ヒロは表情を綻ばせた。すると、ルシアは得意げに頷く。
「男性を落とすなら、まずは胃袋から攻めろと言いますし」
「うん、ルシア。それだと意味合いが違ってくるよね」
ヒロが瞬時に肩を落とし苦笑いを浮かべると、ルシトの嘆息が微かに聞こえた。ルシトがルシアの戯言に呆れていることがヒロにも伝わり、思わずルシトに目を向けると、同じような苦笑いで返される。
だが、ルシアはヒロとルシトが呆れ果てているのを気にも留めず、猶々と口述していった。
「リーダーは同盟軍の食事を作るのも偶に手伝っていますし、自分で料理をすることもお好きなんでしょう? なら作る立場から見て、美味しいと思うものを選んであげるのが良いと思いますけど?」
「僕、作るのも食べるのも好きだからね。自分で作るっていう研究も兼ねて、ほんと良い案だと思う」
ヒロは料理を作ることが好きだった。それは海賊たちの元で過ごすようになって、料理番を担っていた者たちの手伝いを面白半分でするようになってから得た趣味でもあり、今でも調理場にふらりと立ち寄っては手伝いと称して料理を手掛けている。
「この辺りの海域だと――。カザハナ港が一番近いのかな」
ヒロがぽつりと零すと、ルシアは首肯した。
「カザハナ港は、群島牛の丼物とマグロの串焼きと、海鮮焼き飯が美味しいって言いますよね。あと、海老を押し潰した煎餅とかいう群島独特の食べ物もあるらしいですし……」
「……君が食べたいんだね」
早口で捲し立てるようにルシアが口にする言葉を聞き、ヒロは失笑をしてしまう。
「あら? そんなこと無いですよ?」
「そんな嬉しそうに口元を緩めた挙句に目を輝かせていたら、バレバレだってば……」
ルシアは食べることに関して、目がない。細身のどこに食べ物が入っていくのかと思うほど、良く食べるのだ。
折節でヒロはルシアの食事風景を見ることがあったが、彼の手掛けた料理を一番美味しそうに食べてくれるのがルシアなため、その点に関しては悪い気はしていない。
「でも、海戦の後だし。みんなの英気を養うために、休息時間を取ることも必要だよね。ミコトに進言してみるよ。ありがとうっ!」
ヒロは言うや否や、床に降ろしていた腰を上げる。そして、足早にその場を後にしていった。
嬉々として駆け足で軍師――、ミコトの元へ行ったのであろうヒロの後姿を見送り、ルシアとルシトは顔を見合わせて笑い合っていた。