軍主様の憂鬱①
「――俺に構うなっ!!」
声を掛けて早々に、強い口調で言い放たれる。その言葉にたじろぎ、前下がり気味に切られた短髪の黒髪に紺碧色の瞳を有する青年は、挙げていた手を所在なさげに彷徨わせた。呆気に取られた面持ちで、はくはくと唇を動かし二の句を思案して発しようとするものの、その声が口をつく前に語気の強い言葉が青年に投げつけられる。
「軍主――、ヒロとか言ったか。俺はオーシア帝国から身を隠す場を借りるために、一時的に力を貸しているだけだ。お前たちと慣れ合う気は更々無い」
赤茶色の瞳を鋭く青年に差し向け、瞳と同色の赤茶の髪をした少年――、ハルは断言する。その歯に衣を着せない物言いに、ヒロと呼ばれた青年は困惑から紺碧色の瞳をまじろがせた。
「で、でも、ハル。みんな、君を気に掛けているし、君と話をしてみたいんだよ。だから、少しは打ち解けるように――」
「くどいっ!!」
ハルの腕を掴もうとして伸ばされたヒロの手を、ハルは勢い良く叩き落とす。その仕打ちに、ヒロは咄嗟に腕を引いていた。
痛みから眉を寄せて叩かれた手を擦るヒロを見やり、ハルはハッとした表情を浮かせた。ヒロの手を振り払ってしまった自身の手に目を向け、何か考える様子を僅かに窺わせる。だが、すぐにまた険しい面差しを見せて眉間に深く皺を寄せていく。
「――世話になる借りは、力を貸すことで返す。必要の無い時は、俺のことを放っておいてくれ」
気まずげに視線をヒロから外し、ハルは言う。そして踵を返すと、足早にその場を後にしていった。
その後ろ姿をヒロは唖然とした表情で見送ることとなった。足音が聞こえないほど遠くへ去っていったことを認めると、重い溜息を吐き出してしまう。
「はあ……。全然打ち解けてくれないなあ。話しすらろくにさせてもらえないや」
肩を落とし、誰に言うでもなく独り言ちる。表情は困窮の色を宿し、整った眉根を落とす。
ヒロが軍主の立場に座して率いている“同盟軍”に、ハルが参戦することになったのが二週間ほど前。
人を寄せ付けない雰囲気を醸し出す少年――、ハルは、ある町で“オーシア帝国”の兵士たちに追われていた。騒動が起こっている現場に出くわしたヒロたちは、ハルの手助けをするという形でオーシア帝国兵を一掃し、彼の救出を行った。
その後、何故にオーシア帝国に追われていたのかを聞いたが、ハル本人にはオーシア帝国に追われるようなことをした覚えは無いという話だった。
オーシア帝国が身柄を狙う存在というものは、限られている。魔力を有し、魔法を扱う能力に長けた存在。若しくは――、“呪い持ち”と呼ばれる魔族の遺恨から生まれた呪いを身に宿す存在だけ。
そのことを口に出すと、ハルの赤茶色の瞳が動揺を宿した。それにヒロは敏く事情に勘付き、ハルが“呪い持ち”であることを言い当てていたのだ。
吃驚と狼狽えを窺わせたハルは、警戒をヒロたちに向けた。だが、オーシア帝国が“呪い持ち”の宿す呪いを狙っていること。そして、自分たちがオーシア帝国に抵抗する同盟軍一派であることを明かすと、ハルの顔色が見る見る内に変わっていった。
「……僕が同盟軍の軍主で、“呪い持ち”だって明かした時、凄くガッカリした様子だったし。なんか誰かを探している感じだし。その辺りの話も聞きたいんだけどなあ」
ヒロもハルと同様の、呪いを身に宿す存在だった。意図せずに“海神の烙印”と呼称される呪いの継承を受け、何も知らぬままに“呪い持ち”という人ならざる者になった。
それらを説明した際、ハルが心の底から落胆した様相を浮かせたのに、ヒロは察し付いた。まるで、自分を他の誰かだと思い込み、この地に赴いたような反応だったと思う。
その後は区々たる出来事が起き、オーシア帝国がハルの宿していた“喰神の烙印”という強い魔力を有している呪いの力を狙っていたことが明確になる。それによって、ハルはオーシア帝国の追手から身を隠すために同盟軍に身を寄せることになり、取引として同盟軍はハルの力を借りる約束を取り付け――、双方にとって好都合な関係を結ぶに至った。
だが、ハルが同盟軍の一員として迎えられ、暫くの日が過ぎたにも関わらず。ハルは仲間たちと言葉を交わそうともせず、割り当てられた船室に籠る日々が続いていた。
いざ戦闘が起これば、ハルは率先して動いてはくれる。だので、人と接しないことはさして問題にすることは無い――、というのが軍師の言ではあった。
しかしながら、今後、連携を取らなければならない戦況に差し掛かったとしたら、単独行動を取られてしまうと問題が生じてくるだろう。それがヒロの憂慮の一つでもあり、またハルの人と接することを好まない言動が仲間たちの逆鱗に触れないとも限らなかった。
「うーん。でも、僕の名前を憶えてくれただけ、だいぶ譲歩しているのかなあ。でもなあ……」
悶々と考えながら、その場にしゃがみ込んで両の手で頭を抱えてしまう。
ヒロは正直なところ、深く難しく考えることが苦手だった。
海賊として十八歳まで過ごし、海の男の実直な考え方を持つヒロは、普段の温厚な口調と女性じみた端正な顔立ちに似合わず気性が荒く、喧嘩っ早い側面を持つ。
海に生きる者たちは、気性の荒さが特徴的であり、血気盛んな一面がある。
同盟軍に身を置く面々にも元海賊やならず者の有志たちが多くおり、よく諍いを起こしている。同盟軍の面子は、とにかくイロモノ揃いだと、ヒロは思う。そう思案してしまうほどに、濃い顔ぶれが多いのだ。
荒くれた性質の者が多い軍勢では、食事の量が多い少ないという不平を理由に殴り合いが始まる、賭け事をしていたと思えばイカサマをしたされたで殴り合いを始める。楽しげに酒を呑んでいたと思えば酔った勢いで殴り合いを始める。
うん、海の荒くれ連中の殴り合いしか最近見ていないな――、などと。近状の同盟軍の状態を思い返し、ヒロは更に項垂れてしまう。
殴り合いの喧嘩を止めると称してヒロ自身も参戦しては乱闘騒ぎに発展させ、楽しいと思いながら力づくで仲裁をしているため、声を大きくして咎めも言えない。
力で叩きのめして従わせるという方法は、ヒロが幼い頃から養父であった海賊の頭目によって叩き込まれた常套手段でもあり、考えを改める気も無かった。そして、海賊たちを相手に拳で語ることほど早くて実力を示せる確実なものは無いと、断言できるだけの効果はあると思っている。
ただ、それは相手が海賊やならず者たちならば、である。
ハルのような群島諸国外から来た、海の男としての生き様とは無縁の中で過ごしてきた者たち相手では、勝手が違う。殴って従わせるわけにもいかない。その辺りは、ヒロも弁えていた。
「ほんっと。ああいう相手の場合って、どうすれば良いのかなあ……」
どのように接してハルとの壁を取り払うかを考えてみるものの、一向に考えは纏まらなかった。一思いに本気で殴ってみようかとも頭を過るが、ヒロは首を振るう。
その場にしゃがみ込んでいたヒロは、ふと視線に気が付いた。垂らしていた頭を上げると――、一対の赤い双眸が目に映り、驚きから上ずった声を漏らして尻もちをつく。
「び、びび、ビックリしたっ!! ルシアッ、近いよっ!!」
吃驚に声を荒げ、ヒロは不服を申し立てる。
ヒロの慨嘆に、彼の目の前にしゃがみ込み凝視していた少女――、ルシアは柔らかく、しかし悪戯そうに笑った。
肩の長さで切り揃えられた灰色の髪に、赤色の瞳。身に纏う橙色と茶色の縁取りが施される法衣には、彼女が“呪い持ち”たちを監視して管理する役割を担う“調停者”であることを指し示す紋様があしらわれていた。
ルシアは“調停者”の任の一つである、人々の行う戦争などの事柄に介入するという任務をも受任し、同盟軍に身を置く。そして、その中の魔術師たちで編成されている“魔法部隊”の隊長を務めていた。儚げな見目に反して強大な魔法を扱うことに長けた存在であり、ヒロもルシアに一目置いている。
ヒロは自身も対人距離が狭いと思っていたが、それ以上にルシアはヒトに対する距離感に壁が無い。そのことを思い、ヒロは嘆息してしまう。
「“海神の烙印”が、どうかしましたか?」
鈴が鳴るような声でルシアは言うと、ヒロの革の手袋に覆われる左手の甲を人差し指でサラリと撫でる。その言葉を聞き、ヒロはルシアが何故に自身の眼前にしゃがみ込んでいるのかを察した。
「あ、違うよ。“海神の烙印”が何かしたわけじゃないんだ。ちょっと考え事をしていただけ」
「――だったら、こんなところで座り込んでいないでくれる? 邪魔なんだけど?」
今度は頭上から不機嫌そうな声を投げ掛けられ、ヒロは声の主に紺碧色の瞳を差し向ける。
ヒロが見上げた先には、ルシアと良く似た顔立ちの少年が怪訝そうな表情を浮かし、ヒロを見下ろしていた。
「……ルシトまでいたの?」
ヒロが思ったことを口に出すと、少年――、ルシトの眉が不快げにピクリと動く。
ルシトはルシアよりも短く切られた灰色の髪に、赤い瞳を有する。“調停者”であることを示す紋様の施された法衣は緑色の縁取りを基調としており、ルシアと対照的な印象を抱かせるものだった。
ルシアとルシトは双子の姉弟であり、顔立ちや醸し出す雰囲気は良く似ているものの、性格は真反対である。穏やかで大らかな姉のルシアに対し、弟のルシトは辛辣で人を見下した態度を取ることが多々あった。
「あれ? 君たちには、リツカの船に乗るように指示していなかったっけ?」
「昨日の海戦で拿捕したオーシア帝国船から“魔導砲”を接収しただろ。それの運用について、あんたに相談をしに来たんだよ。こんなところで何やってんの?」
不機嫌さを声音に乗せたまま、ルシトが口にした。すると、ヒロの顔付きが面倒臭いという内心を示唆させるものに変わる。
「あー……、そうだった。それも考えないといけなかった。もう、胃が痛くなりそ……」
何故、一軍を取り纏める軍主というものは、こうも仕事が多いのだろうかと。床に腰を落としたままで天井を仰ぎ、ヒロは大げさな嘆声を吐き出すのだった。