邂逅遭遇⑥
「――ここが船の最深部だな」
幽霊船の内部。その下層まで降りて来たハルたちは、船底へと続く梯子を見下ろしていた。
幽霊船の中は完全な暗闇では無く、仄かに明るさを持っていた。
それは、船体の所々に開いた穴から差し込む太陽の光を吸収した光苔の灯す明かりであった。壁面の諸所に群生した光苔の灯りは、陰鬱とした雰囲気を醸し出しているものの、辺りを見渡せる程度の明るさを保っていた。
だが、明かりは――。今、ハルたちが目にしている船底へと続く梯子の下までは、見やることができなかった。
「ふむ。なかなかの瘴気が漏れ出しておるのう」
口を開く出入口を見下ろし、クロエは感嘆の声を漏らす。
恐らくは倉庫として使われていたのであろう船底の様子は、漂う気配によって状況を把握するしか無かった。そして、その感じる瘴気は酷く禍々しく、不穏な様子を一同に察し付かせていた。
「まあ、降りてみるしかあるまい。――イツキ、先を任せたぞ」
「へいへい。そう言うと思ったよ」
クロエに名指しをされ、イツキが嘆息を吐く。その表情は「いつものこと」という様を物語り、仕方なさげに頭を掻き、イツキは鍔の無い形状をしたショートソードの柄を握る。
「んじゃ、降りるぜ――」
言うやいなや、イツキは船底へと続く入り口へ躊躇いなく身を投げた。
「わらわたちも降りるぞよ。気を引き締めよ」
ハルを見据え、クロエはニヤリと笑みを浮かしながら、イツキの後に続くようにふわりと身を投じる。
そのクロエの一言にハルは頷き、弓を強く握り飛び降りた。
トンッ――、と床板を鳴らし、船倉へと降り立つ。警戒をしながら辺りを見渡すものの、そこは上層とは一転し真っ暗な闇が広がっていた。
「暗いな。ここいらは苔が生えていないのか……?」
暗闇に眉を顰め、ハルは呟く。
「そうさのう。恐らくは、強い瘴気に充てられて光苔も生息できないのじゃろう」
ハルの声に応えるようにクロエの声が、闇の中に聞こえた。
「あー……。待ってろ。さっき光苔を引っこ抜いて来たから、生やす」
「は?」
視野が一切効かない中で聞こえたイツキの声に、ハルは怪訝そうに言葉を零す。
ハルが不思議げにしていると、衣擦れと床板を撫でる音が耳に聞こえた。恐らくはイツキが跪き何かをしているのだろうと、そうハルは推察する。
「おし。これで良い」
イツキが声を発すると同時に、パチンッと指と指を重ねて鳴らす音が響いた。
すると――、一面に瞬く間に光苔が群生をし始め、辺りを淡く灯しだした。
突然の出来事にハルは呆気に取られた表情を浮かべてしまう。
「こ、これは……?」
驚愕の声をハルが口にすると、姿が見えるようになったイツキが得意そうな面持ちで唇に弧を描いた。
「俺は“木属性”の魔法を扱えるんだわ。さっき上で太陽の光を吸収した光苔を抜いてきたから、それをここに群生させた」
「“木属性”……。確か、一部の魔族にしか扱えない属性、だったよな……?」
「そうそう。良く知っているな、賢いぞー」
イツキがからかうように笑うと、ハルの眉間に皺が寄る。
イツキの言う“木属性”の魔法は、魔族の中でも限られた者にしか扱えない属性の魔法である。
それは樹木や花などを使役させる力を持ち、自然の理を崩すほどの能力だった。そのためにイツキのような、“邪眼持ち”と呼称される強い魔力を有する必要があった。
(やっぱり、“邪眼”の魔族は魔力が桁違いだな……)
そうした力をいとも簡単に扱うイツキに対し、ハルは内心で嘆じる。
「……おんしら。談笑に興じておる場合では無いぞよ」
視野が効くようになった途端に、クロエの目つきが変わっていた。鋭く色合いを変えた眼差しで、船倉の奥を睨みつける。
咄嗟にハルとイツキが、クロエの視線の先に目を向けた。
柔らかなものがボタボタと断続的に垂れ落ちる音が耳に届く。その音と共に重苦しい、獣の唸り声と足音と思われるものも響いてきた。
引きずるような重鈍な物音。それに息を呑み、一同が構えると――。
光苔の明かりに照らされ――、黒い霞のような瘴気と腐敗臭を撒き散らす一匹のドラゴンが姿を現した。
ドラゴンはハルたちの姿を見止めた瞬間に、桃色の皮下組織と骨が剥き出しになった腕を振り上げていた。
「ドラゴンゾンビ――ッ?!」
ハルが吃驚の声を上げ、咄嗟に後方へ身を翻す。クロエとイツキも散るように飛び退くと、三人が今まで佇んでいた場所へドラゴンゾンビの太く強靭な腕が振り下ろされる。
その腕は床板を穿ち、木片と肉片を飛び散らす。
「うおっ、マジかっ?!」
「とんでもない腐臭じゃのう。何故に降りてすぐに気付かなかった?」
突として目の前に立ちはだかった巨体に、イツキも吃驚を露わにしてしまう。
クロエだけが目つきを険しくしたまま、涼しげな声で呟く。
「グルル……」
初手を躱されたドラゴンゾンビが唸り声を立て、陽炎の如く赤く揺らめく空虚な眼窩で三人を見下ろした。
次の瞬間だった――。
「グルアアアアアアアアアアアアッ!!」
朽ち果てた常態を窺わせるドラゴンゾンビが、咆哮を上げた。船体を鳴動させる勢いの叫びに、ハルもイツキも身を竦ませて怯む。
その怯んだ瞬間を狙いドラゴンゾンビが身を翻らせると、骨と肉が剥き出しになる尾が薙ぎ払われてきた。それにイツキが咄嗟に剣を構え、迫りくる尾に向かって床を蹴る。
「はああああぁっ!!」
威勢の良い掛け声と同時に、イツキは剣を逆袈裟に斬り払う。
振り上げた剣身と尾を振るった遠心力を利用し、容易にドラゴンゾンビの胴体と尾を斬り分けると、床板が由々しい悲鳴を上げて尾を受け止めた。
「イツキッ! どけっ!!」
間髪入れずにハルが大きく叫ぶ。そして懐に手を差し込んだかと思うと、一枚の魔法札を取り出した。
「<火の魔法札よ。――今ここに込められた力を解き放ち、我が前の敵を焼き払え>」
ハルは手にした魔法札に込められた魔力を解放する呪文を紡ぎ出す。言の葉を終えた途端に、魔法札に描かれた火の紋様が赤く光を発し、彼の周りに幾重にも連なった炎が渦となり立ち昇る。
「いけっ――!!」
号令とも言える言葉をハルが放つと、炎はあたかも大蛇の如く踊りドラゴンゾンビを目掛けて飛躍していく。
その様子を目にしたイツキは跳躍し、ドラゴンゾンビの近くから身を引いた。
「グルオオオォォッ!!」
炎の大蛇たちの着弾を受けたドラゴンゾンビが身を捩らせ、吠える。
「やったか……?」
生ける屍であるドラゴンゾンビならば、“火属性”の魔法が有効であろう。そう思い炎に巻かれるドラゴンゾンビを目にし、安心したのも束の間だった。
対象以外には燃え移らない魔法の火の海が、ゆらりと揺れた。
その中に――、石を打ち鳴らす音が、一同の耳に聞こえる。
「――やべえっ!! 火を吐くぞっ!!」
音の正体に気付いたイツキが、焦燥の声を上げる。
ドラゴン種の魔物は、口蓋と舌に硬化した組織を持つ。それを火打ち石のように舌打ちで打ち当て、体内に持つ油腑やガス腑に貯めた強可燃性である物質に着火をさせて火を吐き出す。
そのことを了していたイツキは、ハルとクロエを庇うように前に躍り出た。
「<我、自然の守り人なり。朝露を身に纏いし樹木の息吹よ。集いて悪手を避けん――>」
イツキが“木属性”を意味する魔法の呪文を紡ぎ出す。それと同時であった。
炎に身を焼かれていたドラゴンゾンビの口から、火の手が吹き荒れる。魔法で生み出された炎さえも巻き込み吐き出された火焔から守るように、床板を這い出した茨の群れが三人を包み込み、炎を退ける盾となった。
火の熱さを身に感じはしたものの、直撃を免れたハルは表情を険しくしながらも、安堵の溜息を軽く吐く。
「あのなあっ!! ゾンビのクセして火を噴くとか、反則じゃねえのっ?!」
炎に焼かれ崩れ落ちる茨を目にし、イツキが悪態をつく。
本来であれば、生ける屍であるゾンビたちは炎を忌避する。それ故にドラゴンゾンビが炎を噴くことは、あり得ないことであった。
「あれは“呪い”の力が生み出した、様々な魔物の怨念が寄り合わさった合いの子――。謂わば嵌合体じゃ。常識など通用せぬよ」
クロエが澄ました顔で言い放つと、イツキの眉が寄る。そして一つ、舌打ちを零した。
「“呪い”の元を絶たぬと、この腐れたドラゴンは消えぬ。――さて、“呪いの烙印”は、いずこにあるものかのう……」
「すぐに分からねえとか、勘弁してくれよ。クロ姐……」
深紅色の瞳を細め、小首を傾げた緊張感の欠片も感じられないクロエの態度に、イツキは思わず肩を落としてしまう。
さようにして話をしているクロエとイツキの間を、空気を切り裂く音を立てて矢が掠め抜ける。
放たれた矢はドラゴンゾンビの腕に勢い良く突き刺さり――、その振るい上げていた腕の軌道を変えさせて、再び床板を穿つ。
突然の出来事にイツキが銀色の瞳を丸くし、矢を射った正体――。ハルを見やる。
イツキが目にしたハルは矢を番えた姿勢のまま、ドラゴンゾンビを睨みつけていた。
「談笑している場合じゃ無いって、さっき自分で言っただろ……っ!!」
ハルは叱責を発しつつ、間を開けずに二撃目の矢を手早く番えて射る。
だが、その放たれた矢は腐肉に埋もれ、手応えを全く感じなかった。そのことにハルは舌打ちを漏らした。
「仕方あるまい。あのゾンビを動かしておる“呪いの烙印”を絶たねば、あやつは倒せぬ。――おんし、見えるか?」
「まだ見えてはいないが、探る」
クロエの言い分を耳にし、ハルは首肯する。
そして、意識を左手の甲――。“喰神の烙印”に集中させるのだった。