邂逅遭遇⑤
弓から放たれる矢を受けた魔物が断末魔の悲鳴を上げ、倒れ込む。その様を目にし、ハルは弓を下ろし一息吐き出した。
傍目に映るイツキが、ちょうど魔物を片手剣で斬り捨てるのを確認し、これで自分たちを取り囲んでいた魔物の群れを一掃できたことを気配で察する。
「――うむ。ようやった、ご苦労」
辺りの気配を窺い、魔物がいなくなったことを確認したクロエが満足げに労う。その声にハルは眉を寄せた。
「おい。お前も少しは手伝ったらどうなんだっ?!」
クロエが指揮を取る形となった一同は、幽霊船の船内に足を踏み入れた途端に、棲みついていた魔物に取り囲まれた。
予想していたとはいえ変事に陥ったのにも関わらず、クロエは悠々とした涼しげな態度を醸し、その場から一切動かなかった。魔物が向かって行ったかと思えば、イツキが勢い良く床板を蹴り手早く叩き伏せる。時にはハルが弓矢で射抜き――、と。彼女は自身の手を全く下さなかったのだ。
その有様にハルは苛ついた様相を隠すこと無く、クロエに噛み付く。
「まあまあ、ハル。クロ姐はいっつもこうだから。気にしたら負けだ」
「はあっ?!」
苛つきを隠すこと無く、ハルは諫めるイツキに鋭い眼差しを送る。そうしたハルの情態に、イツキは苦笑いを浮かべた。
「さように大きな声を出すでない。耳障りじゃぞ」
「お前が動かないからだろっ!!」
クロエが辟易とした声音で零せば、ハルは次にはクロエに対して声を荒げる。そして大げさに嘆声した。
「やっぱり、お前たちに手を貸そうと思ったのは失敗だったなっ!」
吐き捨てるようにハルが言うと、クロエは詮方ないと言いたげな表情で肩を竦める。
「仕方あるまい。わらわの力は取って置きじゃ。やすやすと雑魚どもに使うわけにはいかぬ。――ハルが血の一滴でも提供してくれるのであれば、わらわ直々に手を下してやらんこともないがのう」
言いながらクロエはニヤリと、厭わしいと印象付ける笑みを浮かす。それと共に、彼女の口元から鋭い牙が顔を覗かせた。
そのクロエの言と仕草を目にして、ハルは押し黙る。
(チッ――。こいつは吸血鬼の魔族だからな……。気を付けないと、何をされるか分かったもんじゃない)
クロエはヒトの血を啜り、自らの糧とする吸血鬼の魔族である。血を啜った相手の魔力を自身の力として発揮する。さような特性を彼女たちの一族が有しているのを、ハルは知識として知っていた。
だが、血を分け与えるに至った存在は、そこで死に絶えると。過去に目にした文献には記されていたため、内心でクロエへの警戒心を強める。
(まあ、流石に“呪い持ち”が死ぬはずもないが――。気を付けるに越したことはない)
逡巡と思いを馳せ、ハルは船内の奥に続く方向へ足を向けた。
「何じゃ? 血は分けてくれぬのかえ?」
「死ぬのはお断りだっ!!」
くすくすと笑うクロエの声に、ハルは間髪入れずに拒否の言葉を送る。そうした返しに、クロエは更に可笑しそうにして笑い始め、歩みを進め始めたハルの後に続く。
「ほんにツレナイ上に文句の多い小童じゃの」
背後からクロエの声が聞こえるが、ハルは抗弁を噤んだ。もう相手にするのも面倒くさい、と。そう全身で言い表すように。
だが、黙したハルを意に介さず、クロエは言葉を綴り出す。
「まあ、何かあった時のためのイツキじゃ。こやつはわらわが血を啜っても死なぬ上に、強い魔力を持つ。優秀な非常食じゃぞ」
「クロ姐にとっての俺の存在意義って……」
クロエが放った言葉を聞き、イツキは肩を落として項垂れる。しかし、クロエは可笑しそうに笑いを零すだけだった。
暫しの間、背後に控え歩むクロエとイツキの談笑を耳に入れていたハルだったが――。
ふと、左手の甲に感じていた“喰神の烙印”がもたらす蠢きが、先ほどより強くなっていることに気が付いた。その気配に眉を寄せ、左手を微かに持ち上げて視線を向ける。
(――何だ。こいつが、何か言っている……?)
怪訝そうにしてハルが表情を顰めると、その情態を目にしたクロエが深紅色の瞳を細め、それを見やっていた。微かな笑みを面持ちに浮かべ、歩みを少し早めたかと思うとハルの隣に並ぶ。
「“喰神”が反応を示しておるようじゃのう。――“呪い”の大本が、この先の船倉におるのは、間違いないようじゃ」
「……この呪いが、ここまで何かを訴えかけるのは。初めてだ」
クロエの言葉に、ハルが返答とは違う声を漏らす。その呟きに、クロエは意外そうな顔付きを見せる。
「おんしは、“喰神”の力を恐れておるでな?」
「そりゃ、そうだろ。こんな忌々しい力を恐れない奴なんかいないはずだ」
ハルが身に宿す呪いは、“身近な人々に不幸を撒き散らし、死に至らしめる”という性質を持ち、魂を喰らって己の力とする。それ故に彼は“喰神の烙印”に、畏怖感を抱いていた。
幼い頃より“喰神の烙印”を伝承する隠れ里で育ち、『呪いは恐ろしいもの』として教え込まれてきたこともあり、恐れの感情はハルに“喰神の烙印”を、禍々しく忌々しいものとして根付かせていたのだった。
そうしたハルの情感を察したクロエは、彼から視線を外し、深紅色の瞳を細めた。
「“呪いの烙印”というものはのう、意思を宿しておる。宿主が恐れて接すれば、呪いはそれを感じ、滑稽にして宿主や周りに害を為す」
クロエの言葉にハルは押し黙ってしまう。そして、彼女の言うことには、一理あるとハルは思慮した。
ハルが“喰神の烙印”の有する力に翻弄される時――。それは、彼が呪いの力に強い畏怖を抱く時だった。
意のままに“呪いの烙印”を操れないことで、数多の無関係な人間の魂を掠め取り死に至らしめ、自らは生き永らえている。そのことに、ハルは憤りと嘲笑の思いを感じると共に、呪いの力を恐れた。
己の力不足。それを推知した故に、ハルは親しい人間を作ることを止め、群れることを嫌った。
「呪いの“真なる主”になること。“呪いの烙印”に屈しない心を持つこと。――それが、“呪い持ち”が正しく呪いの力を扱う条件じゃ」
「……それが出来れば、苦労はしない」
クロエの諭すような声に、ハルは苦々しげに漏らした。
“喰神の烙印”の“始祖”となる血筋に生まれ、ハルは呪いの如何についてを教育され続けてきた。そのため、刷り込まれた『恐れ』の意識は深く彼の心に刻み込まれている。
今更、何と言われようと、その想いを払拭することは難しい。そうハルは思う。
「おんしの探しておる娘っこは――、いずれ“真なる主”となるじゃろう。そして、彼の“傲慢”と対等に渡り合うだけの力を付ける」
クロエがハルの思いを知ってか知らずか、尚も続けていく言葉に、ハルは驚愕を呈する表情を浮かべてしまう。
「あんたは『お姉ちゃん』のことを、やっぱり知っているんだなっ?!」
「お姉ちゃん……?」
クロエが深紅色の瞳を瞬かせ口にすると、ハルはハッとした顔付きを見せた。そして、その頬を見る見る内に赤く染め、気まずげにして視線を背けて口元に手を押し当てる。
そのハルの様子を目にし、クロエは可笑しそうに唇を歪めてしまう。
「ふふ……。実の姉でもあるまいに『お姉ちゃん』か。呼び方が、またカワユイことじゃのう」
くつくつと笑いを漏らしクロエが口にすると、ハルは眉間に皺を寄せて不満そうに彼女に目を向けた。
「……仕方ないだろ。俺は、あの人の名前を聞きそびれて、本当の名前を知らないんだから。クロエは、知っているか?」
ハルは一条の望みを視線に宿しクロエに問うが、彼女は首を横に振った。それにハルは、ふっと溜息をつく。
「その『お姉ちゃん』とやらは、今のおんしとさして変わらぬ見目をしておろうよ」
「あの人に会ったことがある……、のか?」
自身の探し人の見目を存知している口振りを窺わせるクロエ。その言葉の数々に、尚もハルは問いを投げ掛けるものの、クロエはゆるりと首を振るって否を示す。思わせぶりな言い方をするクロエに対し、ハルは思わず舌打ちを漏らしていた。
だがクロエは、さようなハルを傍目に見やり、顎に手を当てて考える様を漂わせる。
「あの娘はのう……。異質な存在じゃ」
ぽつりとクロエが零せば、ハルは再び怪訝そうに彼女に目を向ける。いくらクロエの言葉に振り回されようとも、彼は探し人の情報を得ようと一つひとつを聞き逃さないように必死になっていた。
「おんしの幼少の時代に有り、彼の時代に無い存在じゃ。じゃが、“円環の理”という雁字搦めとなった縁の糸は、おんしに強く巻き付いておる」
酷く抽象的な物言いだと思い、ハルは眉間の皺を深くした。だが、クロエの言葉に嘘は無く、自身が行方を探し求めている女性が、自らの知り得る知識の範疇外にいる存在なのではということを推し量った。
了得の様態を見せたハルに、クロエは微笑む。
「約束の時が来れば逢える。――何分と今は契約の履行中故に、わらわが無償で言えるのはそれだけじゃ」
少々喋りすぎた。そう言いたげな面持ちを浮かべ、クロエは先を歩き出す。
そのクロエの背を、ハルは物言いたげな表情を浮かべ、見つめていた。




