邂逅遭遇③
邪眼の魔族は、強大な力を具える存在である。そのような人物が、目の前に佇立する太古の魔族――、クロエと共に行動をしていることを常に不思議に思っていた。
その身に宿す魔力からいえば、クロエに付き従うように動いているイツキと呼ばれた魔族は、彼女よりも格上であるだろう。そんなイツキが抗えない何かを、クロエが持っているのかも知れないと。そうハルは一顧する。
「ぶつぶつ言わないでくれよ。せっかくトマトジュースと菓子を貰ってきてやったんだから……」
片手に菓子を抱え、空いた方の手で使い捨てのカップを差し出しながら、イツキはぼやく。
差し出されたカップを奪うようにクロエは受け取り、それに差し込まれている麦藁の吸い口から飲み物――、トマトジュースを啜ると吐息を漏らす。そうして尚も不遜といえる態度で、深紅の瞳でイツキを睨む。
「わらわは菓子なんぞ頼んでおらん。いらぬ」
クロエの態度と文句。それらにイツキは苦笑いを見せ、ワザとらしい項垂れの態度を見せる。
だが、ふとクロエの傍らに立つハルに気付いたのか、銀色の瞳を彼に向けて意外そうな面持ちを窺わせた。
「あれ? “喰神”じゃんか。この船に乗り合わせていたのか?」
「俺は“喰神”なんていう名前じゃない」
イツキから投げ掛けられた言葉に、ハルは間髪入れず不機嫌な声音で返す。その答弁にイツキは悪びれた様などを見せず、菓子を口に運びながら笑う。
「あー、悪い悪い。でも俺、お前の名前知らないし」
「そういえば、わらわも知らんのう。いつも遠目で見る程度で、名乗り合ったわけでもないしのう」
イツキの言葉に賛同し、クロエが飲み物を啜りながら口を挟む。その畳み掛けるような言葉に、ハルは内心で舌打ちを零す。すると、仕方の無さそうな様相を呈し、頭を掻く仕草を取りながら苦虫を噛み潰したような表情を浮かせて口を開く。
「ハルだ。ハル・ネクロディア……」
ハルが名乗ると、クロエとイツキが揃って満足そうな笑みを表した。その表情はなかなかと慣れなかった動物が、漸く慣れてきたことが喜ばしい――、と。そう物語るものに近いとハルは感じ、煩わしそうな様を帯びる。
だがしかし、目の前にいる二人の魔族は、さようなことなど意に介せず、ハルの名乗りに倣って自身の名を綴っていく。
「まあ、おんしは存知しておるようじゃが――。クロエ・ルメールじゃ」
「俺はイツキ。よろしくな」
「ああ……」
心中で「慣れ合う気はないけどな」などと本音を吐露しつつ、ハルは素っ気ない答申を口にしていた。
(全く――。どうして、こういうことになっちまうのやら……)
嘆息しつつ、ハルは思う。
いくら探し人である女性の行方と思しきものを、目の前にいるクロエが知っている口振りを発したと雖も。魔族に手を貸すことになるとは、想像が及びもつかなかった。
そして、クロエの言う『手伝い』がろくでもないものであったならば――。早々に手を引き、下手をすれば制裁をも厭わない。不穏ともつかぬ思いが、心の奥底でハルの胸に宿る。
かような思いを巡らせていたハルであったが、はたとイツキの銀の双眸と視線が合う。
イツキは唇に弧を描き、まるでハルの考えを見透かしていると語るような面差しを浮かべ、彼を見据えていた。
その眼に見つめられ、ハルは肌が粟立つような感覚に苛まれ、たじろいでしまう。
「何だよ……」
狼狽の色を隠し、不機嫌を含意した声を喉から絞り出すようにハルが発すると、イツキは微かに笑う。そして緩く首を振るった。かと思うと――、次には愉快そうに表情を崩し、ハルの方へと一歩足を踏み出してきた。
「この菓子は、ハル。お前にくれてやろう」
「は?!」
やわら機嫌が良さそうに言うとイツキは、未だ自身では手を付けていない菓子の類を半ば強引にハルの衣服のポケットへ差し込み始めた。その唐突なイツキの行動に、ハルは呆気に取られて身動ぎをする。
「――っ、止めろっ!! 俺は菓子なんかいらないっ!!」
「子供は沢山食って大きくなれ。お前たちは遊び回って楽しげにして、大きくなるのが仕事だ」
あたかも子供扱いをするような物言いに、ハルの表情が増々不機嫌さを得ていく。身動ぎをすると共に、ポケットに止めずに菓子を突き入れるイツキの手を振り払うために、腕を振るうと――。
ハルの動きを察知したイツキは素早く手を引き、身を捩った動きのままにハルの肩に腕を回した。イツキを振り払うための動作を躱されたハルは、蹈鞴を踏むようにしてよろけるが、不意にイツキの腕に囚われ驚愕の面持ちを浮かべてしまう。
驚いた色を宿した目で自身を睨むハルを見て、イツキは悪戯な笑みを窺わせると、頭を寄せる。そして微かに声を零した。
「クロ姐から、何か取引を持ち掛けられたんだろう?」
ぽつりとイツキの口から弁じられた耳打ちに、ハルは怪訝そうに眉を寄せる。そうした彼の表情の変化に、イツキは然りを見出し「くく……」っと喉を鳴らした。
「態度は可愛げが無いけども、表情は素直だねえ。どんな取引をしたのか俺は知らないが……。クロ姐は嘘を吐かない。大人しく従っておいた方が、お前の身のためになると思うぞ」
諭すようなイツキの言に、ハルは息を呑む。
(邪眼の魔族は、ヒトの精神に干渉する力を持っているっていうのは……、本当なのか?)
胸中で疑問の声を漏らせば、その思考にイツキは首肯する。
その肯定にハルは顔を顰め、不快感を露わにした。
「まあ――。やろうと意識しなけりゃ、俺にも考えは読めない。いつでも頭ん中の考えを察せられるわけじゃないから、そこんとこは安心しろ」
言うとイツキはヘラリと、人当たりの良さそうな笑みを浮かす。
ハルの認知している邪眼の魔族。彼らは銀色の瞳――。“邪眼”を有し、強大な魔力を持ち、それを操る力に長けた稀有な存在である。千年に一度、生まれるか生まれないかと言われるほどであり、例え片目だけが邪眼であれども、その力は計り知れないとされていた。
また、邪眼の魔族はヒトの精神を察知し考えを読み、干渉する能力を持つという。
そのように伝えられる邪眼の魔族と遭遇したことは、今までハルには無かった。そして、知識として存知していた力を示すイツキに対し、驚嘆と疎ましいという思いを抱いた。
そうしたハルの感情の変化さえ感知したのであろうイツキは、苦笑の様を見せながらハルを解放する。
「ほんにイツキは子供が好きじゃのう。人間の子であろうが、魔族の子であろうが。お構いなしじゃ」
「俺はっ! 子供じゃないっ!!」
呆れ混じりにクロエが嘆息を吐き出し呟いた言葉に、ハルは声を荒げる。だがクロエは、それに対してさも可笑しそうにころころと笑った。
「あのな、ハル。そういう態度がまず子供。あと俺やクロ姐からしてみたら、お前なんか子供の子供だぞ」
クロエの言葉に援護するような形でイツキが発すると、ハルは射抜き殺さん勢いで鋭い眼差しをイツキに向ける。
「俺は、齢三百は超えている。子供じゃないっ!!」
「うーん。残念ながら、やっぱりお子様だなあ。俺はその倍は行っているし、クロ姐なんか、もっと上だぞ?」
「イツキ、余計なことを言うでない」
ハルが吼えるように口にすると、イツキが事実だと思われる事柄を語り制する。その台詞にハルが言の葉の続きを噤んだところに、クロエが不満を含んだ眼差しをイツキに向けて静かに慨嘆を漏らした。
「まあまあ。三百歳を超えた程度じゃあ、威張れないってのを教えておかないとな。魔族は有する魔力によって寿命が決まる。その身に持つ魔力が命の源だから、見た目が若くても、人間より遥かに生き永らえていることがあるんだ」
「それは、知っている……。このクロエが“太古の魔族”って言われているのもな」
「あっ、馬鹿……っ!」
ハルが悪態として呟き漏らしたそれに、イツキは動揺を宿した声を上げる。
馬鹿とは何だと。そう申し立てようとイツキに向き直ったハルは、そこで首を垂れ、肩を震わせているクロエの存在に気が付いた。
僅かに震えるクロエへと目を向け、ハルは赤茶色の瞳に不思議げな色を浮かべる。
「――誰が年嵩の太古の化石婆じゃと……?」
「へ……?」
突として紡がれる地を這うような声。その声の出所が、クロエの口元だということにハルが悟るのに遅れるほど――、クロエの声は低く凄みのある声を発していたのだった。
そうしたクロエの様子に、イツキは目元に手を当てて「あちゃー……」と、小声で囁く。
「女子を歳の話で貶めるとは、恥ずかしいと思わぬのかっ!! そもそも、イツキもわらわを引き合いに出しおってっ、如何様なつもりなのじゃっ!!」
「えええ、俺もっ?! 今のはどう考えても、ハルが悪いだろっ?!」
「なっ?! 俺は『化石婆』まで言ってないぞっ?!」
クロエが恫喝的な様子で発すれば――。思いも掛けていなかった巻き添えにイツキが悲鳴じみた音吐を放ち、それにハルが驚愕の声を張り上げる。
その後、延々とクロエが喚き、説教ともつかない怒声が響き渡り続けるのだった。