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呪いの烙印シリーズ・短編集  作者: 那周 ノン
【ハルとビアンカの物語・第二部】
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例えばこんな日常③

 弓を手に構え、足を肩幅に開き、背筋を真っ直ぐに伸ばした姿勢を取る。弓に矢を(つが)えて弦を力一杯に引く。意識を正面の(まと)に集中させ狙い澄まし、指を離す――。

 正しい姿勢の元に放った弓矢は勢い良く水平に飛躍していき、(まと)に――、当たらなかった。


「うう……、難しい……」


 その有様に弓を射った主――、ビアンカは肩を落として嘆きの言葉を漏らす。


「姿勢とかの形は良いんだけどなあ……」


 ビアンカに弓の扱いを教授していたハルは、ビアンカの姿勢や弓の取り扱う姿を目にしていて思う。



 ビアンカが、“リベリア解放軍”と呼ばれる反王政派の反乱者、その頭目であったホムラ一派に誘拐される事件が起こり、暫くして――。


 ハルが想像以上に弓の扱いに長けていることを、その事件の最中に目の当たりにしていたビアンカは、持ち前の好奇心からハルに弓の扱い方を教えてほしいと強請(ねだ)ったのである。

 当初は、そんなビアンカの要求を快く思わず、拒否していたハルであったのだが。幾度となく懇請(こんせい)してくるビアンカは、こと武術に関し――、ハルが思っている以上に食い下がってきた。

 そうして、遂にはハルの方が、折れる結果になっていたのだった。


 剣術の師範代であったホムラがビアンカを誘拐するという謀反を起こし――、ハルがビアンカを単独で救出した結果。ビアンカの正式な“護衛役”という役割を、ハルが彼女の父親であるミハイルに任命されてから、ビアンカの仕業をハルが一任される成り行きとなった。

 それ故、ハルは仕方ないと思いつつ、ビアンカに弓の扱い方を教え始めたのだったが。何に対しても真剣な姿勢で取り組むビアンカは、教える側に立つハルにとっても、教え甲斐のある良い印象を与えていた。



 だが――、ハルの指南の下で弓を扱い始めたビアンカは、姿勢などの形取りは良いものの、何故か弓矢を射った際に(まと)に矢が当たらないという状態が続いていたのである。

 そのことに頭を捻っていたハルだったが。そこであることに――、はたと気付いた様子を見せた。


「あー……、もしかして……」


 思い至った事情に、ハルは気まずそうな声音で言葉を漏らす。


「うん? なあに?」


 気まずげに言い淀む様を見せるハルに、ビアンカは首を傾げた。

 するとハルは頭を掻く仕草を取り、言うか言うまいか一瞬迷うが――、口を開く。


「ビアンカ。お前さ……。弓の弦が戻る時に、胸――、痛くねえ……?」


「へ……?」


 思いも掛けていなかったハルの言葉に、ビアンカはキョトンとした表情を浮かべていた。

 そんなビアンカに、ハルは更に気まずそうに「ここ」――と言いながら、指で自らの胸元を指し示す。そのハルの動作に、ビアンカは言いたいことを察した面持ちへ表情を変える。


「ああ……。弦が掠めるわね……」


 ビアンカは言うと、鍛錬着の襟元を指で軽く引き、自身の胸元に視線を落とす。


「――あう、ミミズ腫れになってるし……」


 ビアンカの覗き込んだ自身の胸元。そこには、弓の弦が戻る(たび)に彼女の胸を掠めるため――、赤いミミズ腫れができてしまっていた。それを確認したビアンカは、驚いたように声を上げる。


「あちゃー……。やっぱりか……」


 思っていた通りだと、ハルは思う。


 女性が弓を扱う際は胸当てを着用し、胸を潰して扱うことが殆どであった。その膨らんだ胸に弓の弦が掠め、下手をすると怪我に繋がることがあるからである。

 ハルは自分自身が胸当てを必要としなかったため、そのことを失念していたのだった。


「悪い、ビアンカ。――俺、胸当てのこと忘れてたわ……」


 ハルは言うと、首元に巻き付けていたストールを外し、ビアンカに歩み寄る。――かと思うと、ビアンカの背後へ回り込んでいった。


「ちょっと腕上げてもらって良いか?」


 自身の背後に回ったハルの行動にビアンカは不思議そうにしつつ、ハルの言葉に従い両腕を上げる。それを確認したハルは、ビアンカの背後から腕を回し――、彼女の胸元に自身の身に着けていたストールを巻き付け始めた。


「んん? 何しているの、ハル?!」


 突然のハルの行為にビアンカは驚き怯み、思わず身を捩る。


「おい、ちょっと大人しくしてろ。こうやって胸当てしておかないと、女の子は痛い目見るぞ」


「きゅうっ――!!」


 身を捩って抵抗の様を窺わせたビアンカを叱責しつつ、ハルはストールをビアンカの胸元に手早く巻き付け、締め付けた。力強く胸を圧迫されたビアンカは、肺から絞り出したような間の抜けた声を上げてしまう。


「うう……、苦しいー……っ!!」


「いや、そんなこと言ってもなあ。今も言ったけど、弓を扱う時は胸当てをしておかないと、痛い目見るんだってば……」


「むー……」


 ハルの(たしな)めの言葉に、ビアンカは不服そうにして胸元にきつく巻かれたストールに手を当てる。

 その巻き付け方は、発育途中であるビアンカの胸をしっかりと押し潰しており――、それにビアンカは息苦しさを感じてしまう。


「――まあ、こんな感じで巻き付けておけば大丈夫だろ」


 ビアンカの背後から前面に回り、巻き付けたストールの様子を目にしてハルは言う。

 だが、そんなハルをビアンカは、難色を宿した瞳で見据える。


「……前にコルセットをさせられた時より苦しい」


 溜息と共にビアンカが不満そうに零した言葉。その言葉にハルは笑った。


「コルセットも昔はメイドさんとかじゃなくて、執事とかの男にきっちり締め上げられたってくらいだからな。その頃に比べれば、これくらい余裕だと思うぞ?」


「なんでこんな風にするの?」


 小首を傾げ問うビアンカに、ハルは彼女の持っていた弓を借りて手に持つ。


「弓を(つが)えて射る時に、引き絞った弦が身体を掠めるんだよ。俺も扱い慣れるまで、顔とかに散々掠り傷を作っていたくらいだ」


 言いながらハルは、手にした弓に矢を(つが)えないまま弦を引き、手を離す。途端に引き絞られた弦が勢い良く戻り――、辺りに叩きつけたかのような乾いた音が鳴り響く。


「この弦が身体を掠めると、弓の命中率は格段に落ちる。だから、胸当てをするのは怪我の防止と、弓で仕留める確実性を上げるためって思え。――てか、俺も気付かなくて、ごめんな」


 ハルは眉をハの字に落とし、謝罪を口にする。だがビアンカは、ハルの謝罪に(こうべ)を振るった。

 ビアンカの表情は先ほどまでの難色から打って変わり、ハルの説明を受け、理屈が腑に落ちたという様子を見せていた。そのビアンカの面差しを目にし、ハルは微笑む。


「よし。そうしたら、その状態でもう一度やってみろ」


「うんっ!」


 ハルに弓を差し出され、ビアンカは大きく頷くと共に、再度弓を手にする。


 そうして先ほどと同じ手順で、ビアンカは弓に矢を(つが)える。


 足を肩幅に開き、背筋を真っ直ぐに伸ばした姿勢を取る。弓に(つが)えた矢と弦を力一杯に引く。意識を正面の(まと)に集中させ狙い澄まし、指を離す――。

 ビアンカの放った弓矢は勢い良く水平に飛躍していき、今度は――、しっかりと(まと)に命中した。


 それを目にしたビアンカの面持ちが、驚きと喜びの入り混じったものに変わる。


「当たったっ!!」


「おお、やったなっ!」


 喜色満面で飛び跳ねるビアンカと、ハルはハイタッチを交わす。

 漸く(まと)に矢が命中したため、ビアンカは尚も喜び勇んでいた。


「はー……。それにしても、お前って本当に器用だよな。弓もちょっと教えたらすぐにコツを掴んじまってさ……」


 “文武両道”という言葉は、ビアンカのような存在を当てはめるのだろうと、ハルは思う。

 棍術や剣術、体術のみならず、今度は弓の扱いまでもものにせん勢いでコツを掴んでいくビアンカ。そんな彼女の元には家庭教師が日々訪れ、リベリア公国の将軍――、“ミハイル・ウェーバーの娘”という立場に恥じない、数多(あまた)の知識を教授している。


(――あと足りないと言えば、実戦経験くらいだろうけれど。これはビアンカには関係の無い話になるだろうなあ……)


 ビアンカが今のように様々な武器や知識を得ても、騎士の家柄――、貴族の娘という出自から、教わった多くのものは無駄になってしまう可能性を大いに秘めていた。

 そのことをハルは――、「勿体ない」と。最近になり感じるようになっていたのだった。


(まあ、こればかりは――、俺が心配しても仕方がないことだよな。今後……、()()()()()()判らないんだし……)


 ハルは内心で、自身に言い聞かせるように吐露する。

 ハルは――、何か予感じみたものを感じていた。それは、ハルの宿す“呪い”が見せた悪夢という形の予兆ではあったが、彼の心を捉えていた。


 しかし、ハルは不穏な思いに苛まれそうになる思考を払拭するかのよう、頭を軽く振った。


「そうしたら、ビアンカ。今度は狙いを付ける時間を短くして、矢を射ってみよう。実戦じゃ、そこまでじっくりと狙いを付けている暇は無いからな」


 気を取り直したようにハルが発した声に――、先ほどまでの不穏を抱えていた感情は感じさせなかった。それ故、ビアンカはハルの心配事になど気付くことも無く、笑みを見せる。


「うん。いつかハルみたいに、殆ど狙いを付けないでも(まと)を射られるようになりたいなあ」


「おー、そりゃ先が長いぞ。何せ俺は弓の扱いに関しては、誰にも負けないくらい場数を踏んでいるからな」


 ビアンカの掲げた大きな目標に、ハルはさも可笑しそうにカラカラと笑う。


「頑張るもん。ぜーったいハルを追い越してみるんだからっ!!」


 ハルに笑われ、ビアンカは覇気を含んだ声を上げる。それに対してもハルは、「はいはい」――と、楽しそうに笑いながら気軽く言葉を返していた。



 こうして、ハルとビアンカの平穏な日常は、また一日が過ぎ去っていった。

 思い出したら思い出となる――。優しい日々の一つとして。


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